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二人の出会い

 中学生時代、学校へと向かっている途中、図書館へ通っていた彩音を偶然見かけた安雄は声を掛けるべきか悩んでいた。長い髪はぼさぼさで、目の下には深いくまが刻まれており、肌は病的に見えるほどに白い。そんな少女が枯れ木のような腕でタイヤを回し、力なくふらふらと進む姿は、まるで病院から抜け出した重病患者のような危うさを感じさせた。

 そんな様子を遠くから見ていると、ガタンと大きな音がして、彩音の車椅子の片側の車輪が溝に落ちてしまった。

 安雄はどうするべきか一瞬だけ悩み、余計なお世話は辞めようと判断した。

 自分が無理に助けなくても、親切な別の誰かが声を掛けるだろう。障害者に同情の目を向ける人間は多いはずだと考え、無言でその場を後にした。

 驚いたのは、数時間経っても寸分狂わず同じ場に居続けていたことだ。

 学校の帰りにまた見つけてしまった安雄は、あまりの予想外に息を飲んだ。通学路の人通りは多い。ということはつまり、この娘は助けようとした優しい人を無視するなり追い払うなりして、この場に残り続けたのではないか、と予想できる。

 助けてみたい、説得でも無理な力技でも何でもいい。

 沸き上がる好奇心を胸に秘め、気付けば「助けてあげようか」と声を掛けていた。

「嫌、あっち行って」

 予想通り不機嫌そうな面を隠そうともせず、一方的に断られてしまう。しかし、安雄はこの程度でめげる男ではない。

「そんなこと言われると、もっと助けたくなっちゃうよ」

 安雄は車椅子の背中にある取っ手を掴み、腕力で持ち上げようとした。だが、見えない部分でタイヤが挟まってしまっているらしい。斜めに傾いた車体は頑なにその場から動こうとせず、両腕に力を込めてもピクリともしない。

「ちょっと、勝手に触らないでよ!」

「あ、ごめん」

「アンタ、さっきから何なの? 朝も見かけたけど、その時はスルーしてた癖に」

 よく見てるな、と無言で感心する。

「気が変ったんだよ。それに、時間的にもそろそろ本格的に暗くなるから、日光浴もいい加減満足して帰らないと危険だ」

「うるっさい! 触るな向こうに行け!」

「却下だ。これまでに声を掛けてもらった人を無視した罰だと思え」

「嫌だ嫌だ絶対嫌だ! こんな鬼野郎なんかに助けられたくない!」

「鬼って何だよ。俺は親切心で助けようとしてるんだぞ。それの何処に鬼要素があるんだよ。むしろ仏だっての」

 ぐっと両腕に力を込めて、なんとか持ち上げようとするものの、車椅子の上でじたばたと暴れられてはどうしようもない。それどころか、車体が更に深く沈みこんでしまいそうで、尚のこと腕に負担が掛ってしまう。

 仕方ない……安雄は両手を離し、車椅子の正面へ回り込むと、その場でしゃがみ込み目線を合わせた。彩音はぎょっとした瞳をこちらに向ける。

「話をしよう。ずっと座ってるだけじゃ退屈だろ?」

「……あっち行きなさいよ」

「俺はここから動く気は無い。気に入らないならお前が行け」

「くっ……うぅぅ」

 彩音は、両手に力を込めて、車椅子を溝から引っ張り出そうとする。当然だがピクリとも動かない。そんなことは分かり切っているはずなのに、よっぽど安雄の元から逃げ出したいのか、あがきを必死に続けている。

 だが、すぐにその行為が無駄だと気付くと、顔をうつむけ、動かない車輪を上から力任せに殴りつけた。ズンと鈍い音がして、より深く溝に填まり込む。

 それを見た安雄はつい素直な感想を言ってしまう。

「お前面白いな」

「う、うるさ……うるさ……う、ううぅ」

「泣くなよ……」

 だから、こんな風に顔を俯け、肩を震わせた彩音は、ついには嗚咽を漏らし始めたのを見た安雄は、何故か心が高揚するのを感じた。説得といいながら、実際はただいじめたかっただけなのかもしれない。

「俺はお前に酷い事をするつもりで声を掛けたわけじゃない。さっきも言ったけど、そろそろ暗くなるし危ないから帰らせようって思っただけ。他意は無いよ」

「行き先が……無いの」

「ん?」

「何処に行けばいいのか……分からないの」

「それが、ずっと此処にいた理由か」

 彩音は小さく頷くと、涙を流しながら自分のことを語り始めた。

 毎日図書館に通って創作の努力をしていること、それでも結果は出なかったこと。

 それでも延々と無駄な努力を続けている現状のこと。

 努力をして成長するのであれば、図書館に通い続ければ良い。だが、本を読み知識を得た所で無意味だったにも関わらず、彩音は懲りずに無駄な努力を続けようとしている。

 生まれつき足が弱い彩音は、他人の助けがないと生活が困難で、それゆえに、同年代の誰よりも強く自立に憧れていた。自分の力だけでお金を稼ぎ、自立した生活をするのが夢だった。

 しかし、その夢も今や頓挫しかけている。

 助けてもらった私はどこへ向かえば良い? 頑張り続ければいずれ夢は叶うと盲目的に信じ続け、焦燥から必死に目を背けながら、自分をごまかす為の無駄な努力を続ければいいのか? 

 違う。この考えは現実から逃げているだけ。そんなことは百も承知なのだ。

 だけど、私はこの車輪を何処へ向ければ答えを見つけられる。

 自立の手段として絵本作家を目指したのは失敗だった。そう思った瞬間、悔しさと情けなさが入り混じった感情がざわめき、まぶたがじわりと熱くなった。

 こんな私なんて――

「こんな私なんて助けられる価値が無い……」

「そんなことないぞ」

 ただ黙って話を聞いていた安雄の即答に、彩音は思わず口を噤んだ。

「お前は凄いぞ。絵本を描いて、お金を儲けて、自分の力で自立しようだなんて、凄く偉いと思う」

「そんなことない……私は……」

「どんな世界であれ、結果を出すのが大変だってことは俺にも分かるよ。だけどさ、お前がそんな風にボロボロになっちゃ駄目だろ。焦る気持ちは分かるけど、それでも、まず自分を大切にしろ」 

「で、でも努力しないと」

「夢を持って努力することは悪くない。むしろ応援する。だけど無理はするな」

 励ましになるかは分からないが、自分の想いを安雄は語った。

「お前は自分が他人より弱いと思ってるかもしれないけどそんなことはない。クラスでの会話とか聞いても、やれ親がうざい、センコーがうざいって、文句を延々と言ってる奴ばかりだ。親に食わせてもらいながら適当に過ごしてる馬鹿ばっかり。お前の方がよっぽど上だ」

「アンタ……クラスに友達いないでしょ」

「うるせぇ」

 彩音は小さく噴出した。まるで人格者のように説教をかましているのに友達がいない、というギャップに可笑しさを感じずには入れなかったのだろう。ばつの悪そうな顔をした安雄は「あー、その、なんだ……」と言って、次に紡ぐべき言葉に悩んでいる様だ。

 見かねた彩音は助け船を出した。

「えーっと、つまり、極端な考え方は辞めとけって言いたいんだ。アンタは」

「そう、そういうことだ。努力は大事だけど体壊すまで頑張るのは駄目。そして、そんな努力が出来るお前は決して弱くない。それどころか、むしろ強い」

「でも、世間はそんな風に評価してくれないよ。論より証拠って言うでしょ、結果を出さなきゃ、アンタの言う『強さ』に意味なんてないんだよ」

「違う、そうじゃない」

「違わないよ。現に今の私には死活問題だよ」

 彩音の言葉を受けた安雄は、とても難しそうな表情をしながら、それ以上の言葉を発せなかった。それは違うのだと、彩音の現状を知った上での断言に嘘偽りの気持ちはないが、その理由をうまく伝えられる言葉が見つからない。

 確かに、彩音の努力は全て無駄なのかもしれない。だけど、少なくとも安雄は彩音と話せて良かったと思う。足が弱くても、夢を持って努力している姿は輝いて見える。その負けずに戦う心がとても魅力的に見えたのだ。

 その気持ちをどう言葉にすれば伝わる? どうすれば彩音は元気を取り戻す?

 本人が無駄だと言うその努力を肯定してやりたい。だけど、彩音にとって安雄の肯定に何の意味があるのだ。

「アンタの考えは分かった。じゃあ、こうしよっか」

 頭上から彩音の声が聞こえる。いつのまにか項垂れていたらしい顔を上げると、今までの力の無い様子が嘘のように、こちらの目を直視している。

 その目はとても綺麗に見えた。涙を流して赤くなり、しょぼくれていた先程までとは打って変わって、まるで吸い込まれそうな錯覚を覚えた。

「次の新作で、私はアンタの言う『強さ』について描いてみる。……それでもし駄目だったら、もう絵本作家は諦めて普通の生活を送る」

 心臓がドキリと跳ねた。

 堂々とした姿勢で、とんでもない宣言をしている。

「っておい、その考えはかなり短絡的……ていうか、それで売れなかったら半分は俺の責任にならないか?」

「別にアンタが責任を負う必要は無いよ。私がやりたいと思ったから、やるだけ」

 さっきまでのしょぼくれた顔は何処へ行ったのやら。

 見上げたそこにある表情は、こちらが圧倒されるくらいやる気に満ちていた。

「元からネタなんて思い浮かばなかったし、作家なんて才能が無いんじゃ続けても仕方ないかと思って。それに、世の中結果が全てだと思っていたけど、アンタの話を聞いてたら何が正しいのか分からなくなっちゃった。だからね」

 安雄は絶句して、何も言う事ができない。

 ただその輝く瞳を見ていると、何故か胸が熱くなる。

「世の中結果が全てなのか、それとも本当に大切なのは心なのか……読者に聞いてみよっか」


 今後の方針を二人で纏めると、安雄は彩音を無事に家まで送り届けた。

 その後、彩音は意気揚々と新作を描き上げ、安雄はその朗報を待った。

 落ち込んだ少女を立ち直らせたとはいえ、人生に関わる選択に深く関わってしまった立場としては、新作が販売されるまでは生きた心地はしなかったし、いざ販売されてからも、もし売れなかったら……と思うとそれだけで眠れないくらい不安になった。

 しかし、そんな考えは杞憂だった。彩音の新作『やさしくない鬼』は瞬く間に世間で話題になり、これまでの人気とは打って変わって絵本は飛ぶように売れた。

 本格的なスランプを見たのはあの日以来のことで、それ以降の彩音はまるで今までの駄目だった日々が嘘だったかのように、頭に斬新なアイデアが浮かび、次々とリリースされた新作はどれも多大な好評を獲得した。

 生臭い見方をすれば、凄まじい大儲けだった。

 彩音は中学卒業と共に親の手から自立し、現在、この洋館を買い取り一部を改装して、悠々自適な生活を満喫している。安雄からすれば、無駄に広くて掃除が大変だし、かえって不便だと思うのだが、その時はちょうどミステリーチックな絵本が書きたかったらしく、資料を兼ねての購入だったらしい。

 これ以降、彩音はアイデアを考える際、決まって誰か他人と会話する。人と話すことによって、他人から自分の知らない新鮮な『何か』を吸い取り、それらを創作という形で表現するらしい。

 話の内容に拘りは一切無い。過去に経験した楽しかった話や、苦労話等を他人の口から直接耳に入れることで、想像力が活性化し、新たな物語が思い浮かぶという。

 そう言われても、シロートにはピンと来ない。ハッキリ言って意味不明だ。


「思い出した……俺は大変な助言をしていたんだな」

 過去から現在に帰って来た安雄は、懐かしさを感じるている暇がないくらい、ただ驚きに打ちひしがれていた。その様子を見たアレックスは満足するような声を上げる。

「そうです! それ以降、先生は『他人とのコミュニケーション』を発想の糸口とすることで、人気作を次々と完成させていったのです」

「ということは、ちょっと待てよ」

 当然の疑問が浮かび上がる。

「何で彩音は油絵なんかを描いてるんだ? 他にも、先週は確か詩を書いていたし、先々週に至ってはエレキギターを練習していたけど、あれらには一体どういう意味があるんだ?」

 安雄の疑問は更に加速する。

「俺はずっと、新しいアイデアを生みだす為の気分転換だと思ってたんだけど……もしかして、違うのか」

「ヤスオくん……先生はこの数日、外出を控えていませんでしたか?」

「控える所か一歩も外に出なかった。そういや普段なら俺を引きずってでも絶対外に出たがるのに」

「そういうことなんです……」

 彩音は週末になると大抵遊びに行こうとする。大抵は安雄が近場のレストランやテーマパークまで車椅子を押しながら向かっていた。アレックスに時間がある時は、車で何処かに連れて貰っている。

 ……まさか、それらが全て創作の為だったとは思いもしなかった。ここ半年は新作を完成させていない状況的に考えて、てっきりスランプで外に出る余裕が無くなっていたものだと勘違いしていた。

 ふと、頭に部屋を出る直後の彩音の目が思い浮かんだ。あの瞬間、彩音の目からは赤い光が見えた。あの光は安雄に何を伝えようとしていたのだろうか? 

 少なくとも、普段の制作スタイルを封印してしまう何か原因があるはずだ。

 安雄はポケットに丸めて入れていた用紙を引き抜いた。これは応接室の掃除をしていたときに突然「必要になったから取ってきて」と言われて、倉庫から持ち出したもの。

「ヤスオくん、それはもしかして、倉庫にあったものですか」

「うん。アレックスさんが来る前に彩音に取ってくるように言われたんだけど、渡すタイミングを見失ったというか、彩音自身も指示したこと自体を忘れてたと思う」

 倉庫は彩音が敷地内に建てさせたものだ。中にはこれまで作られた沢山の物語が保管されている。中には描き直して絵本にした作品も存在するが、殆どは彩音の趣味で描かれたものだ。 

 安雄はこれまで、彩音と共に様々ば場所へ行き、色々な人達と会話をした。ここにあるものは全て誰かの過去、仕事、思想、宗教、様々な違いを持った者達から生まれたものだと思うと感慨深いものがある。

 パソコンで管理してしまえば、いちいち持ち運びをする面倒を省けるのだが、彩音はそれを極端に嫌がった。『何でもかんでも効率良くしてしまうのは、生き急いでいるようで嫌だ』という、良くも悪くも古い人間のような考えが理由らしい。

 安雄はその中にあった一つの物語を手に取り、ぱらぱらとページを捲った。

「先生はこれまで沢山の物語を考えてきました。中には過激な内容も存在したので、全てが絵本になった訳ではありません。ですが、それらは人との繋がりの証として、今も倉庫の中に眠っています」

 寂しそうな表情のアレックスが、絞り出すような声で言う。

「……新しい物語が思い浮かぶまでは、公開していない作品を絵本にアレンジするのが無難かもしれませんね」

「だけど……そのやり方は……」

 才能が無いんじゃ続けても仕方ない。と言っていた彩音のやり方とはとうてい思えない、ただの延命措置にしか見えない方法だった。

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