もう一つのエピローグ 優しくない鬼
ゴーンゴーン、昼の時刻を告げる鐘の音が響き渡る。その音を聞いて、今ここにいる自分が一人ぼっちなのだと気付いた。
ちょうど桜の咲く季節。小学三年生へと進級する前に、ぼくの家族はこの田舎に引っ越してきた。ここは、良く言えば自然に溢れた土地で、悪く言えば、買い物の出来る店が山の向こうにしかない不便な村だ。膨大な田畑が村の面積を占領し、それ以外では古い作りの家が点々と並んでいるくらいで、僕等のような小学生が無邪気に遊べる場所は見当たらない場所だった。
まぁ、もしそんな場所があったとしても、ぼくには必要ないのだけど。
「世の中は……遠いなぁ」
ぼくの声は木々の隙間に吸い込まれていった。山道を延々と歩き続けていると頭が変になるのかもしれない。友達が居ないからか、最近はよく独り言を呟くようになった。ぶつぶつと意味のない言葉を吐き出す度に、お母さんからは「気持ち悪いから辞めなさい」と言われてしまうのだけど、嫌われるのにも慣れてしまったぼくは、そう言われても治そうとは思わなかった。
ふんふん、と鼻歌を奏でる。心細い気持ちから目を逸らすように。
目的地はすぐそこなんだから、もうちょっと頑張ればいいのに、と自分を叱りたくなる。これも悪い癖の一つだった。怖がりなぼくは、心細い気持になると、所構わず歌ってしまう。曲に選り好みは無く、これといって好きな曲というものは最近まではなかったが、この山を登っていると、自然と聴こえてくる曲が、最近のマイブームになっている。
今日も聞こえてくる。彼女のあの歌が。
「紅子、今日も来たよ」
「ふーんふーん……? おや、この声は……」
ぼくが声を掛けると、彼女は歌を辞めてぼくに反応した。
山にはハイキングコースと呼ばれる道があり、この辺りに住む人達はこぞって利用するのだけれど、途中からけもの道に逸れ、その道順に沿って進んでいくと、この場所へと辿り着く。
周囲は広い空間になっていて、まるでここだけが切り取られたように木々が無い。その中心には祠の様な建物があり、とても昔に作られたものなのだろう、まるで漫画で見たようなチーズのように穴だらけで、至る所が腐っている。
そんな祠の中に入ると、巨大な石が目に入る。亀の甲羅と同じ形をした楕円形で、ぼくが上に乗っても平気そうだけど、怖くて触れてみたことはない。
その石の下に、紅子はいる。
なんでも大昔に『ふういん』されたらしい。細かく説明されたことはあるけど、難しいことはよく分からないので、「ふーん」とだけ返したら少しだけ不機嫌そうにしていた。
「ねぇ紅子、今日はご機嫌なの?」
ぼくが質問をする。
はて? と紅子は惚けるように言う。
「そう見える?」
「見えはしないけど、そう聞こえるよ。紅子の歌がとても元気に聴こえたから」
「うん、大正解。実は今日、昔の知り合いが来るんだ。それが嬉しくってね」
「あ、そうなんだ……」
どうやら紅子には友達がいるらしい。ぼくと同じで孤独なのだと思っていたけど、どうやらそれは失礼な勘違いだったみたいだ。
ぼくがガクリと肩を落とすと、紅子はそれに気付いたみたいで、
「と言ってもね、あんまり仲良くは無いんだよ。面識も殆ど無いし」
と、まるで気を使うようなことをいう。
「じゃあ、なんで機嫌が良いの?」
「えっとね……その知り合いはプレゼントを持ってくるんだよ。君だって、欲しいオモチャを買ってもらった時は嬉しいでしょう? それと同じなんだ」
ぼくは悩んだ。ゲームもオモチャも、持っていないわけではない。むしろ、おばあちゃんが色々買ってくれるから、同年代の中では多く持っている方だとは思う。
だけど、ぼくには友達がいないから、イマイチ楽しみ方が分からないのだ。同じように貰うのなら本を欲しがった。物語を読むのは大好きだったから。
「おや、通じないのかな」
「ううん、ぼくはオモチャよりも本が欲しいだけ。……だから紅子、続きを頂戴」
「あはは、そうだったね。昨日はどこまで話したっけ?」
「鬼になった紅子が三つ目の街を襲った所までだよ」
ふむ……と考えるような紅子の声を聞いて、ぼくのワクワクは止まらなくなった。それが物語を語る紅子の合図のようなものだからだ。
ぼくはその場にしゃがみ込むと、目を閉じた。真っ暗な視界の中で、紅子の物語を頭の中で展開させる姿勢のようなものだった。
「ああ、そうだったね。三つ目といえば……あの男と出会った頃か」
紅子は思い出を懐かしむようにして、昔話を始めた。
「……それで、街にいる一番偉い人を倒して、財産の全てを奪たんだ。ところが、そこに住んでいた人達は、あたしを恐れる所かむしろ有難がったのよ。それで、逆に驚かされたあたしは後になってから事情が分かったの。……君には分かる?」
「えーっと、分かんない」
「税って分かる? 国をより良くする為に、偉い人が村人から頂くものなんだけどね……って言っても、時代によってはお金だったり米だったりするんだけど、沢山取りすぎていたんだ」
「そんなの、村の人が可愛そう!」
「だよね。でまぁ、結果的に悪い奴を倒しちゃったあたしは、凄く喜ばれたわけ。でも、あたしが欲しいのはそんなものじゃなくて――」
「人の持つ恐怖の感情!」
「正解。だからまぁ、苦しい弾圧に耐えながら生きていた人はとにかくタフだから、似ても焼いても美味しくないなぁと思って、さっさと去ろうとしたの。でもそうすると強く反対されるからさ、一ヶ月で生贄を一人用意出来るか? って聞いても、意外と村人達はノリノリで。こりゃ本気で不味い。なんとかしないと……でも、そんなこと考える必要は無かった」
「なんで?」
「一番偉かった人が実は生きていたのさ、死んだふりをして、逃げていたってわけ。それで、あたしと村人に復讐をしようとした。大蜘蛛の妖怪を使ってね」
「えぇ! 紅子は大丈夫だったの!?」
「村に放たれた大蜘蛛は三匹、その子供の蜘蛛が数えきれないくらい。そいつ等が一気に村まで攻めてきて、かなりヤバかった。あいつ等は人を見つけると女子供見境なく食っていくからね」
「怖いよ!」
「ああ、あたしもかなり怖かった。一人じゃ絶対勝てないと思ったし、いくら村人の恐怖心を沢山食えたとはいえ、数が多すぎたね。ぼやぼやしていると蜘蛛共に全員食われちゃうから、時間との戦いだった。そんな時に現れたのが、あの男だったのさ」
「ついに来た!」
「正真正銘の英雄と言う存在を見たのは初めてでね、そいつは強かった。手に持った刀を一度振るうだけで突風が巻き起こり、またたくまに蜘蛛を払い飛ばした。そして、あたし達二人は協力して大蜘蛛集団を壊滅させたのさ。それを見た村人達はまた更に感動しちゃって大変だったなぁ」
「あはは、紅子は凄いから仕方ないよ!」
「まぁそれで、私はその村に居座り続けたよ。村人に重圧を与え、生贄を沢山貰って過ごしたのに、彼等は全く負担だと思っていなかった。それで何年か経って、一緒に居座っていた英雄の男が言ったんだ「君は、生贄を減らすつもりはないのか?」ってね。当然減らすつもりはない。むしろ、次からは一ヶ月に十人は頂こうとしていた。それを素直に伝えてやると、その男はこう言ったんだ」
「なんて?」
「君は、優しくない鬼だ……てね」
「むしろ酷いよね」
「あたしもそう思うんだけどね。結局その件はうやむやなまま、村は滅んで、めでたしめでたし、という話さ。楽しんでもらえたかな」
「うん、楽しかった!」
「そりゃよかった。あたしも頑張って思い出した甲斐があったよ」
ぼくは立ち上がると、体を伸ばしてリラックスした。ずっと同じ姿勢で座っていると体が凝り固まってしまう。紅子のお話が面白いから仕方ないのだけれど。
空を見上げると、夕焼けの朱の光が眩しくて、たまらず目を細めた。名残惜しいけど、そろそろ帰らなきゃいけない。お腹もすいたし、家でお婆ちゃんの晩御飯が待っている。
「それじゃあ、今日も楽しかったよ。また来るね」
ぼくがそう言うと、紅子は「待って」と言った。
紅子が止めるなんてとても珍しい。いつもなら、山は危ないからもう来るなよ、なんて酷いことを言うのに、これじゃいつもと立場が逆だ。
ぼくが足を止めて振り返ると、紅子の悩むように言った。
「君はさ、あたしの友達なのかな?」
「え?」
予想外すぎる質問に、体が震える。
そんなぼくを無視して、紅子は更に言葉を続ける。
「君達人間にとって、妖怪は敵だからさ、今頃になってこんな風に話をするなんて、予想だにしなかったことなんだよ。だから、ちゃんとハッキリさせておきたいんだ」
「人間の敵とかそんなの関係無いよ、ぼくと紅子は友達さ!」
考える前に言葉が飛び出していた。僕は紅子の元へと駆け寄ると、石に全身を預ける。
冷えた感触が頬に伝わってきて、その下に紅子がいると思うと、こんなもの吹っ飛ばしてやりたくなった。
「そっか、友達か……ありがとうね」
「うん、僕等は友達だよ」
声が近い。今まで触れるのが怖かった石だけど、今はそれがとても愛おしく思える。
やった、ぼくにも友達が出来たんだ。
「ところでね、今更恥ずかしいんだけどさ……あたし、少年の名前、知らないんだよね」
「え、そうなの?」
心底意外そうに驚くと、紅子は恥ずかしそうに「だからさ……教えてくれないかな?」と言った。
「うん。教えるから、ちゃんと覚えてね」
ぼくの名前は――。
※
何も見えない真っ暗な視界の中、トン、と地面を叩く足音が聞こえて、あたしは頬を吊り上げた。
「遅いよ、もうちょっとで逃げられちゃう所だったんだよ」
「そりゃ失礼、でもこっちは色々忙しくてさ。仕事相手はアンタだけじゃないんだから、それくらい考慮すべきだ」
グダグダと述べられる言い訳を聞いていると、必要以上に苛立ってしまう。
もしあたしが逆の立場であれば、こんな風に自分を擁護している暇があるならさっさと作業を済ませてしまうものなのに。
だけど、今だけは笑って我慢してやる。
「で、紅鬼神。この少年でいいんだね?」
あたしが当然のように言うと、驚くような、感心するような、どちらとも取れる感嘆を上げる。
こいつはそう、昔から大袈裟な奴だった。
「記憶の消去は?」
「やっといた。消去じゃなくて、封印だけど」
「え……どうやって?」
「この石の下に封印魔方陣が描かれているんだよ。あたしは長年いるからね、意外と利用できるんだ、これが」
「……なるほど、下準備は既に済んでるってことか」
伝えるべき内容を手短に説明する。さっさと済ませて欲しいから、こうして待っている間に色々下準備をしておいたのに、肝心の術者であるこいつは中々動こうとしない。
妖怪と人間は関わりあうことが出来ない。ある英雄の手によって、現代の人間は妖怪の存在を認識することが出来なくなってしまったからだ。英雄の能力は凄まじく、私達のような妖怪が無理やり影響を与えようとすれば、たちまち何らかの粛清を受け殺されてしまうだろう。
だが、何事にも例外はある。
この妖怪から人を守るシステムには、ある重大な欠陥があった。
友達、家族、恋人等――呼び名はなんだっていい。ある一定数の人間と関係を持たなければ、英雄の力は弱まってしまうのである。英雄のシステムは、人と人の繋がりを触媒として利用している。後に判明したこの事実は、私達にとってはかなり重要なものだった。
本来であれば、こうしてあたしが少年と話をするのも不可能なのだが、この少年は知り合いが少なくいつも一人ぼっちで居たから、山奥で封じられていたあたしを見つけられた。
そして、人間から妖怪へと干渉を行った場合、魔除けは機能しなくなる。
更にその上、少年の中にあった数少ない人間関係は、記憶と共に私が封じてしまった。
これで英雄から受けた影響は完全に消え去り、こちら側からの自由な干渉が許される。
ここまで念入りに準備をしたんだ。急かしたあげく手元でも狂って失敗されてしまっては叶わない。
だからあたしは焦る気持ちを抑え、こうして話に付き合ってやる。
「流石は赤鬼だね。相手との約束は確実に守る。故に滅多なことでは約束をしない。というのは本当だったみたいだ。全く、この少年は幸か不幸か、とんでもない奴に目を付けられちゃったものだよ」
「そう? あたしは妖怪の中じゃあ、まだ常識を持った方だと思うけど」
「まさかぁ、今まさに、ただの子供に鬼の能力を押し付けようとしてるんだよ? 酷い意外に言い表せる言葉があるかい?」
「とかいいつつ、アンタは期待している」
「まぁね、一人でも英雄を殺してくれれば儲けものだし……さて、そろそろやるか」
待ってました、と言わんばかりにあたしの胸が熱くなる。こいつはおさらいを始めた。
「能力の譲渡には色々な方法があるけど、どれにする? 最近の流行りはやっぱり刺青だね。直接体に力を彫り込むことで、能力行使を可能にする方法。もしくは、妖怪の体の一部を道具やアクセサリーに変えて渡す方法もある」
聞かされた方法はどれも中途半端なものに見えて、あたしは深く悩んだ。
与えられる能力はあくまで一部分だけで、大きすぎる力は身を滅ぼしてしまう。しかし、より強い力を与えて遣らなければ英雄には勝てないだろう。それほど甘い相手ではないのだ。本物の妖怪であるあたしがこうして封印されてしまうのだから
中途半端な力では話にならない。与えるべきは、正面から本気でぶつかり合っても負けないパワーだ。そのように考えたとき、ある一つの考えが思いついた。
「影に移植って出来ないかな?」
「ほほぉ、影とは想定外だね」
意外そうな返答だが、それ以外の選択は既に頭から消えていた。
「体の一部に刺青を入れても、その部位だけ切り取られたり、焼かれたりしてしまったらそれで終わりだし、道具やアクセサリーも、取り上げられたり失くしたりしたらそれで終わりだからね。どれも中途半端で好かないんだよ」
「うん、その通りだ」
「だから影。影だって見ようによっては体の一部でしょ? 理屈では可能だよね。それに影は本人が存在する間ずっと寄り添うものだから、例え体の一部を失ったとしても死ぬまで戦い続けられる」
「あんたは天才か紅鬼神!」
パチン、と指を鳴らす音が聞こえる。どうやらこいつもあたしの案が気に入ったらしい。舌舐めずりをしながらサディストな笑みを浮かべているのが容易に想像できる。
あたしが「それじゃ、よろしくね」と言うと、楽しげな口調で
「力をねじ込みすぎると、存在がブレブレになるかもしれないから、少しずつ調整していくわ。まぁ楽にして待っててよ」
「限界ギリギリまで頼むね。反動と副作用がどれだけきつくなっても構わないから」
「やっぱり酷い性格だ」
「むしろ、そっちの拘束力に期待してるんだからね。その為の『約束』なんだから」
「うひひ、了解了解っと……こりゃ面白いものが完成しそうだ」
ほどなくして、体から力が抜ける感覚がする。移植する為に抜き出したのだろう。限界ギリギリまで、と言った本人が驚くくらいには、結構ごっそりと持っていかれた。これは、かなり期待できる能力者になるのではなかろうか?
自分を慕ってくれる相手を利用するだなんて、我ながら酷いことをする。これからこの少年は死ぬまで苦しみ続けることになるだろうし、自分と他人との違いに延々と悩み続けることになるだろう。そこまで分かっておきながらも、あたしの心に何も後悔が無いのが驚きだった。むしろ、このプレゼントを渡せて嬉しいとすら思えてしまう。物語を聞かせるだけの間柄だったが、それなりにあたしは少年のことを気に入っていたのかもしれない。
まぁ、素直な子供は例外なく可愛いものだし。可愛い子供に苦境を与えて成長を促すようなものだと思えば、逆に良いことをしたとも考えられる。
鬼の能力を受け取った暁には、『相手との約束を破れなくなる』という副作用が漏れなく付加される。あたしは、記憶を封じる前に『英雄を全員やっつけてくれるよね?』と言って、意識を朦朧とさせた少年に約束させた。
これで、この子に戦いの運命が降りかかるのは絶対になり、死ぬ以外に逃れる術はなくなったというわけだ。
「期待しているからね……頼んだよ。野島安雄くん」
ぽつりと、あたしは小声で願う。
その後、影に能力を与えられた人間は『シルエットタイプ』と呼ばれ、その存在は世界中で見かけられるようになった。が、英雄との闘争の最中、ある欠陥が発見され、瞬く間にその数は減少して行った。
あまりにも簡単に死んでしまうのである。
死ぬ以外に呪縛から解放される手段が無い為に英雄に容赦なく殺されてしまうので、中途半端な能力しか持たない者は特に早死にしてしまい、その一方で強力な能力を無理矢理ねじ込まれた者は力を扱いきれずに暴走、本体そのものが影に乗っ取られてしまう事態が多発した。
結局力を扱いこなせる者は殆ど現れなかったという。
安雄がその事実に苦しめられるのは、また後のおはなしである。
END




