持たざる者が求めるもの
「ふざけんな、何だよあれ、馬鹿じゃねぇの……」
「誰が馬鹿だ」
「うわあぁぁあああああ!!」
逃げようとする襟首を掴むと、時哉は大袈裟な悲鳴を上げる。
病院から追いかけてきて、およそ十分程度だろうか、壁に手を付けながら、弱った足取りで歩いている後姿を安雄は見つけた。鷹ではなく、ゲームセンターで見かけたのと同じものだ。
唯一変わっているのは、腰から黄色い尻尾を生やし、揺らしているくらいか。殺気立った目を地面に向けながら、ぶつぶつと小声で独り言を繰り返していて、周りにいる通行人は露骨に視線を外している。
離れた所から、隠れてこっそり尾行した。
大勢の人が居る場所で顔を合わせれば、取っ組み合いの大騒動になってしまうかもしれないし、時哉が無理矢理逃げようとして、人前で変身を使う可能性もある。もしそうなってしまうと最悪の場合、英雄が現れたって意外では無い。
色々と考えを巡らした安雄は、人気のない場所に逃げ込んでくれるのに期待した。
大通りから外れて、細い抜け道に入った時哉は、壁に設置された扉を開けて、更に階段を下りて行く。
その先は広い地下室になっていて、蛍光灯に光は無く、辺り一面には割れたワインボトルの破片が散らばっており、歩くだけで足の裏が痛そうだ。散乱したゴミから見ても、半ば廃墟と化しているように見えるが、奥にあるカウンター席に向かうまでの足場になる部分だけは掃除してあるらしく、真っ直ぐ歩くだけになら苦労しない。
備え付けられたテーブルに、埃を被ったビリヤードの台に、壁に掛けられたダーツの的から見て、元々はバーだったのだろうと想像する。
安雄が動いたのは、時哉がカウンター席に座った瞬間だった。
「ゲーム終了だ、時哉。鬼ごっこは俺の勝ち。さっさと尻尾を返せ」
時哉の尻尾が奮える。ようやく、今の状況の意味を理解したらしい。体を捻って抵抗しようとするが、今の安雄に太刀打ちできるはずもない。
それでも、時哉は声だけで逆らおうとする。
「おいおい、さっきまでのが勝負だったなんて、誰がそんなこと決めたんだよ。それに、勝負は一回戦だけなんて誰も言ってないぜ」
「はいはい。あ、携帯借りるぞ」
「人の話聞けよ! っておい、勝手にポケット弄んな!」
必死に抵抗しようとするが、あいにく今の時哉は力を使い果たしている。なので、強引に奪うのは容易かった。
ズボンのポケットに入っていたのを見つけると、暗記している自分の番号を入力する。
七回のコール音の後に、ようやく繋がった。
「もしもし、魅紺か?」
『は、はははいぃ、こちら魅紺です! 本日はお日柄もよく春の日もうららかにはれましてぇ、えっと、その』
「空が晴れてりゃ狐の嫁入りだけどな。残念ながら曇り空だ」
『私はまだ結婚の予定は無いですよ!』
「いや、結婚スピーチみたいに聴こえたからさ」
どうやら、初めての電話に緊張しているらしい。魅紺はおずおずと、まるで確認するかのように会話をする。
『や、安雄で……すよね? 声が違うんですけど、別の人じゃないですよね?』
「安雄で合ってるよ。何をそんなにビビってる」
『えっと、その、実は……さっき別の人からの電話に出てしまいまして』
「え……誰からだった?」
安雄の額に冷や汗が流れる。
もし相手が彩音だったとしたら、誤解されると大変だ。……いや、何が大変なのかって、そんなこと分からないけど、とにかく大変なのだ。
しかし、ここで出てきたのは安雄にとっても予想外の人物。
『安雄のお母様でした。学校行かずに何処ほっつき歩いてるんだ! と、お怒りのようでした。それで、初めは私が出たことに驚かれていましたが、通話が終わる頃には上機嫌になって、安雄のこと末永くよろしくと、お願いされてしまいました』
「……」
『親公認の仲になっちゃいましたね、えへへ』
「……お前が何を言ったのかは、聞かないでおくよ」
えへへー、と抑えようとしている喜びが耐えきれずに溢れてしまっているような声が、耳元で何度も囁かれる。誤解されたのか、それとも誤解させたのかはこの際置いておく、相手が母親だったのはまだセーフだ。
もし彩音だったら、どんな反応を見せるか、怖い半面興味はあるが、素直に喜ばれてしまったら逆にとんでもなく傷つくのは自分なので、やっぱり聞きたくないと結論を出す。
「まぁいいや。それより、俺が電話をしたってことは、要件は分かるだろ」
『あ、もしかして、もう時哉君を見つけたんですか?』
「見つけるも何も、とっくに確保済みだよ。この尻尾、時哉にくっついてる感じだけど、無理矢理引っ張って取れるものなのか?」
『駄目です! 下手に千切ると危険なので、私が正しい手順で切り離します。安雄はどこか人目の付かない場所を見つけてもらえまえんか?』
「それについても問題ない。今から場所を伝えるから、そこまで来てくれ」
丁度良く、まさに人目の付かない場所にいる。
安雄は口頭で位置を伝え、魅紺がちゃんと把握したのを確認すると、通話を終了し、自分のポケットに携帯をしまい込んだ。
背中越しにそれを見た時哉が「あんた鬼だな」と、恨めしそうに言う。
「魅紺との通話に必要だからな。それに、俺はそこまで鬼じゃない。俺が本当の鬼畜なら、今頃財布を頂いてるよ」
「へっ、どうだか」
時哉はわざとらしく笑い、言葉を続ける。
「お兄さんは単に見返りが欲しくて頑張ってるだけだろ。代理だって言ってたもんな。俺から能力を奪った対価が、俺自身から奪った物より価値があるから、そうやって良い子ぶってるだけだ」
捕まって抵抗出来ない癖に、いちいち口が減らない奴だ。安雄の腹の中で、小さな怒りがわき上がる。
安雄は時哉を壁に叩きつけた。
背中から壁に激突した時哉は、痛みに滲んだ声を上げ、肺の空気を全て吐き出す。
しかし、ここまでやられても、まだ減らず口を辞めようとしない。
「……へぇ、図星突かれて怒るなんて、意外と人間臭いんだ」
「好き放題やってきたお前如きに言われたくないんだよ。魅紺が来るまで黙ってろ」
安雄は腕に力を込め、時哉を壁に押し付けた。体を圧迫された時哉の顔が、苦しみに歪む。だが、それでも言葉を止めない。余計な発言は苦しい想いをするだけだと分かっている筈なのに。
痛みを堪えてまでして伝えたいことがある。というのか?
そう思った時、安雄は時哉の声に耳を傾けていた。
「……追いかけっこして……色々分かったよ。……兄さんの能力は嘘を見破る力なんかじゃない。……もっと恐ろしくてとんでもない何かだ。……だから、俺の屁みたいな副作用や反動と違って……それこそ桁違いな、求められる対価がある筈だ」
安雄は、聞いて損したと言わんばかりに鼻で笑った。
「そんなものを隠しながら、ただの人間を演じられる筈がない。とでも言いたそうだな」
「……ここには、俺と兄さんしかいない。……だから、隠す必要はないんだぜ? 本気で喧嘩出来る相手を見つけて、兄さんは嬉しかったんだ」
「俺は黙れと言っている」
時哉はしたり顔になった。話を聞いていたせいで、安雄の腕込められた力が弱くなっていたらしい。いっそのこと、黙らせるのを諦めた安雄は、両手を離して時哉を解放した。
こうなったら、とことん話を聞いてやろうじゃないか。体力を失い、能力も通じないのだから、時哉が逃げられないのは確定している。魅紺が来るまでの暇潰しとしては丁度いいだろう。
安雄はカウンター席に座ると、否定の言葉を放った。
「同類だから理解しあえる、なんてのは嘘だ。現に俺とお前じゃ言い争いになるばかりだろ」
「本当に興味が無いなら無視すればそれでいい。でも、兄さんはこうして返答している」
「魅紺が来るまで暇だから聞いてやってるだけだ。自惚れんなよ」
壁に背中を預けながら話していた時哉は、ずるずると膝の力が抜けていき、その場で座り込んだ。どうやら、椅子まで歩く体力すら残っていないらしい。荒い呼吸を何度も繰り返しながら、それでも、安雄と話を続けようと、口を開く。
「誰かに認められたいと思ったこと、ある?」
「今まさにその為に頑張ってるんだと思う」
「それが、良い子ぶってまでして手に入れたい見返りなんだ」
「そういうことになる」
安雄の怒りは既に消えているので、先程の様に、挑発じみた言葉に苛立ちを感じることはない。が、冷静な気持ちと言うわけでもなかった。
時哉が何を言いたいのかが、分かって来たからである。
「でも、それは無駄だよ。認められたと感じることは無い。兄さんは、その孤独を死ぬまで抱え続けることになる」
こいつの発言をまともに聞いていたら、可笑しくなってしまう。安雄は両耳を塞ぎたい想いを必死に抑え込み、殺すぞと言わんばかりの形相で時哉を睨みつけた。が、直接痛めつけても話すのを辞めなかった相手だ。すぐに意味の無い行為だと気付くと、「……そんなの、分かってる」と言って、自分に言い聞かせるように声を捻りだした。
「でも仕方ない。開き直るしかないだろ。本音を言えば、お前みたいに好き放題してしまう気持ちだって分かるんだよ。でも、分からない振りをしないと、辛いだけじゃないか。我慢してるって、気付きたくないんだよ」
「辛くないの?」
「辛いよ。でも、俺はお前みたいに、なんでもかんでも捨てられないんだ」
人として生きているのだから、良好な人間関係を求めるのは当然だろう。
今の生活が楽しいのか? と聞かれると、答えに困ってしまう。学校に友達は居ないし、人からは嫌われるし、それを抑え込もうとするのも難しい。これらのデメリットは一方的に与えられたものでもある。
それでも、決して最悪ではない。その中に、捨てられないものがあるからだ。
彩音という、大切な人が居る。あの子は、「嘘を吐かないアンタを信じている」と言っていた。
一番大切なあの子がそう言ったのだ。なら、受け入れて生きるしかない。
「なんか、良く分からないけど、羨ましいな、それ。……俺にも、大事な物があった気がする……俺も我慢すれば良かったなぁ」
時哉は、大きく空気を吸って、特大のため息を吐いた。色々、聞きたいことが知れて、もう満足したのだろう。良くも悪くも安雄という人間に触れて、得るものがあったのかもしれない。
安雄は小さく微笑み、ある言葉を送った。
「無駄な努力なんてこの世には無いし、結果だけが全てじゃない。俺が一方的に愛してる女の子が、そう教えてくれたんだ」
「なんだそりゃ」
「大事なものだよ。つい最近まで、忘れてたんだけど」
耳を突き刺すような轟音が鳴り響き、室内が一瞬、輝きに満ちた。
どうやら、本格的な豪雨が始まったらしい。開けっ放しになった扉から、荒れ狂う風と共に、雨水が入り込んでくる。安雄は立ち上がって扉を閉じると、魅紺が心配になった。この雨の中、無事にここまで辿り着けるだろうか? 迷ったら連絡しろ。とは言ってあるが、通話に出ることは出来ても、自分から掛けるのは難易度が高かったかもしれない。こっちから掛け直そうか、懐から携帯を取り出し、そう思った時、沈黙していた時哉がふいに口を開いた。
「兄さん……いや、安雄さん。ありがとな」
突然の感謝の言葉は、あまりにも意外すぎて混乱する。
室内が暗いからか、少しでも離れてしまうと、お互いの顔がちゃんと見えない。だから、時哉が今どんな表情なのかも分からない。安雄には真意がまるで理解出来ず、しかし、赤い光が見えないので、騙そうとしたり嘘を吐いている訳ではない。それが、逆に安雄を不安にさせた。
「安雄さんのお陰で、少し楽になれたよ。……俺は、今まで好き放題やってきて、他人なんて騙されてばかりの馬鹿だと思ってた。だけど違う。本当は騙すほうが馬鹿なんだ。こうやって、普通に話をするのが、こんなにも良い物だったなんて……今まで気付かなかったよ」
「本気で言ってんのか、それ」
嘘ではないと分かっていた。それでも、あえて聞いてしまったのは、信じられないからだろう。話をして、性格や考え方についてはそれなりに分かっていた。……つもりだったのだが、一体何が、時哉をこうまで変えてしまったのか。
まさかの、改心成功。……なのか?
そういえば、魅紺が甘味屋で言っていた。小さい頃、カラスを追い払って助けてくれたと、あんな良い人が、そんな風に変わってしまうのかと。……実際は、それほど変わっていなかったのかもしれない。ただ、悪くなったきっかけがあったというだけで、根は良い奴だったのかもしれない。時哉の感謝には、そう思い込ませてしまう力があった。
「……魅紺に余計なことを吹き込んじまったな」
「え、なに?」
「いや、なんでもない。……色々と暴力振るったり、酷い事を言ったりして、ごめんな」
「むしろ感謝していますよ。全力でぶつかり合うのが、こんなにも熱いんだって、そう思えたのは安雄さんのおかげだから」
「……本当に御免なさい。すみませんでした」
どんだけ悪人だよ、俺は。何故か無性に謝りたい気持ちになって、頭を下げる。が、次の瞬間には、奪った電話に番号を入力し耳に当てているのだから、余計に性質が悪いように見えた。返すべきだろ、普通なら。と自らツッコミを入れたくなる。
「やっぱり俺は、鬼なのかも」小声で独りごち、電話が繋がるのを待つ。最初に掛けた時は七回もコール音を聞かされたので、今度は三回くらいで出て欲しいな。だとか、そういう適当な事を考えていると、すぐに繋がった。
予想外の人物を相手に
『あ、どうも、ヤスオくんですか』
「アレックスさん……どうして?」




