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インタールード 《動き出す妖怪》

「どうだ、この鎖は妖怪を封じるもの。振りほどけないだろう」

 かすれた声が森の中から発せられ、程なくしてその主が正体を現した。全身を黒い衣服で包んだ男で、一見すると細い体付きに見えるが、その裏には逞しい筋肉が潜んでいるように見える。頬にある黒い染みに深い皺の刻まれた顔から老人なのだと判断出来るが、その男から醸し出す雰囲気からは隙が感じられず、その冷徹な表情で私を観察していた。

 そして、老人の腰には刀のようなものが刺されている。遠目ではよく見えないが、どうやら私に鎖で繋がれたものと似たような雰囲気があった。私の棒は醜悪な姿に変形しているが、普通ではないなんらかの不思議な力を持っているであろう、その意味では共通したものだと感じさせた。

「お前……紅子だな。宣教師殿はどうした?」その男が私を睨みつけたまま口を開く。「お前と一緒に山へ登ったはずだ」

「私が目覚めた時には誰もいなかったよ」私が答えると、何か考え込むような姿勢を見せる。そして、たんたんと言い聞かせるように語りだした。

「儂等が暮していた村に、とある男の旅人がやってきた。よそ者を嫌う意志の強い村だから、当初は不快感を示す者も多かった。だが、奴は不思議な術を持っていて、傷を一瞬で治したり、農作物を一気に成長させる事で、またたく間にこの村での人望を得ていった。旅人は異国の宣教師で、本来の仕事は『えくそしすと』というものらしい。奴が来て三カ月後くらいだったか、『この村には化物が住み着いています。この村の世話になった礼として退治して差し上げましょう』と言って、人気のない場所にお前を連れて行きたいと言った。働き者で気の利くお前を気に入っている連中は皆反対したが、村の中にはお前等の家族を嫌っている連中も多かったのと、村の助けになっていたから無碍に断れなかった事も合わせて、結局はお前を宣教師殿に任せる事になった……。儂はただの子供が妖怪などありえないと考えていたが、今のお前の姿を見れば、どうやら宣教師殿の方が正解だったみたいだな」

「さっきから何を言ってるのか分からないのだけど」

「ここまで説明してやって何も思い出せないのか? ……ふむ、どうやら宣教師殿は失敗したようだ」

「失敗とは?」

「もしお前が妖怪だった場合どうするかの話だ。お前を殺すのに反対する人間も多かったのでな。それで封印という措置を取った。宣教師殿は誰も立ち入らないであろう深い山奥を封印場所に選び、泣きじゃくるお前を無理矢理連れて行った。そして、あれから三日経ち、何故か封印されたはずのお前だけが山から下りてきたというわけだ」

「私がその宣教師を殺したと言いたいの?」

「それ以外ありうるか? 儂は宣教師殿が万一失敗した場合の対処法を既に聞かされておる」

 老人は腰に差してある棒を引き抜いた。間近で全容を見ると作りがよく分かる。人が握れるように取手が付いており、一見すると刀のようにも見えるが、先端が尖っていることから、どちらかと言えば構造的に槍の方が近い。

「あらゆる方向から四肢を縛り、磔状態にしてから、心臓に杭を突き刺す。お前はまだ妖怪としての目覚めが浅い。宣教師殿のような不思議な術を使わずとも、儀式の手順さえ正しければ封印は完了する」

 懐から布を取り出し、口元に小さな笑みを浮かべながら老人は尖った先端を磨いている。

 そんな絶体絶命な状況の中、私は頭の中で大きな疑問を抱いていた。準備完了、と言わんばかりの老人はもう話を続ける気がないようだが、どうしても気になる。

「ねぇ、なんでその宣教師は私が妖怪だって分かったの?」

「む?」怯える様子を一切見せない私を見て観念したと思い込んでいたのだろう。老人は怪訝そうな表情を作る。それを無視して私は言葉を続けた。

「話を聞く限りじゃ、私は村でそれなりに信用されていたのよね? 宣教師に任せるまでに、紆余曲折あったみたいじゃない。反対意見もそれなりにあったんでしょう? それなのに強行されたのは、私が妖怪だと確信する何か理由があったからじゃないの?」

「確かに、お前を連れていくのには骨が折れた。いくら宣教師殿が村から厚い信頼を得ていたとはいえ、赤ん坊の頃から知っているお前が妖怪だったといきなり聞かされて、むしろ無責任に適当な事を言うな。と怒った村人の方が多かった。かなりの大騒ぎになったものだ」

「あれ、私は村にとってはよそ者だったんじゃ?」

「余所からやってきたのは両親の方で、お前が産まれたのはこの村だ……。どうやら記憶の障害は深刻なようだな。全く、宣教師殿は徹底的にやられたようだ」

「記憶の障害?」

 一つの質問の中から沢山の疑問が現れ、その度に、何も知らない私はパズルの欠片を組み合わせるように頭の中で情報を整理する。

 私は鬼。とだけ認識していた自分に、新しい要素を積み重ねる作業に意識を集中させる。

「封印を施すには、人間を捨てさせ妖怪としての本能を目覚めさせねばならなかった。その為に宣教師殿は、不思議な術を用いてまずお前の人間として生きてきた記憶を完全に消し去り、まっさらな状態にした。このやり方が妖怪の本能を引き出す最も手とり早い方法らしいな。お前が何も覚えていないのはそういう事だ。だから、宣教師殿を殺した事も忘れているし、村での生活も覚えていない……。一番の友達ですら、今さっき首を絞めて殺そうとしただろう?」

「一番の友達……。あぁ、さっきの女の子」

 老人は、最後の言葉だけ何故か言い辛そうにしていた。 

 一番の友達、頭の中でその言葉を反芻する。必死な表情で、私の事を昔から知っていて、だから反対したと言っていた少女を思い出す。私は軽口をたたく様に「もしかして、おじいさんのお孫さんだったとか?」と言った。それに挑発的な意図があると受け取ったのか、老人の暗い表情は更に深刻さを増し、ため息を吐くように話を続けた。

「ああ、そうだ……。あの娘、『葵』は、お前を慕っていた。今より幼い頃はいつもお前の後ろに引っ付いていたし、何をするにもお前と一緒だった。今になってもそれは変わらない。それどころか、長い年月と共により繋がりは強固になっているように見えた。お前達はまごうことなく親友だった」

 私を睨んでいたはずの老人の相貌は空へと向けられている。その表情の覇気は薄まり、何か懐かしいものを思い出すような遠い目をしている。

 その顔は私を不快にさせた。

 私には思いだせる過去がない。その老人の言葉が事実で、実際に存在していたとしても、二度と実感は得られない。宣教師のおかげで消し去られてしまったのだから。

 腹の底から炎のように怒りが湧き上がるのを感じた私は、気付けば言っていた。

「お前は先程まで私の心臓に杭を突き刺そうとしていたのではないのか? それが今はなんだ。情けない目を遠くに向けて懐かしんでいるだと。人間の天敵たる『鬼』と対峙して、その態度は何のつもりだ? 下等な種族の分際で、何を油断している」

 言った後で、取り返しの付かない失敗を犯したのだと気付いたが、もう遅い。しかし、反撃不可能の状態が延々と続くのは耐え難い屈辱なのだと、鬼の本能はそれを許さなかった。例え無様な負けを晒しても、最後まで人間の敵であり続ける姿勢が、鬼である意味であり存在理由なのだ。

 激しい怒りを伴った目が向けられたがこちらに向けられたが、ふとその目は憐れむようなものに変わった。

「もういい、気が変った。この川は村人が生活する上で必要な場所だ。ここを封印場所に選ぶ意味は無い。お前は殺す」

「お前は元から私を殺すつもりだったのだろう。封印する気なんて端から無かった筈だ。お前の孫であり私の親友だった葵をおとりに使い、この場所におびき出そうとしたのがお前の企みだったのだからな」

「黙れ、余計な発言は許さん」

 何の根拠も無いハッタリだったが、ほんの一瞬老人の目が泳いだ。私はそれを見逃さない。

「お前は私を恐れた。村の人間だった私が突然妖怪だと知らされて、山に行った宣教師が帰ってこなかったのだからな。対処法を聞かされていたとして、ただの人間だったお前に何が出来る? 人とは決定的に違う存在である私を見て、人殺しと妖怪退治を同列だと思いはしないであろうな」

「ぐ……ぬぅ」

「それに、その封印とやらも実際に成功するか分からない。教えた宣教師は既に失敗しているんだろ」

 私の言葉をどう受け取ったのか、老人は小さく右足をずらす様にして一歩だけ下がった。恐らく無意識の行動だろう。この行為は私を恐れている証拠だ。そう確信した瞬間、老人の目から『力』が、赤い光になって溢れだしているのが見えた。一歩下がった足首からも同じ光が発せられている。

 来た。私の最も求めているものが見つかった。私は笑いたい表情を押さえこみながらも、嘲る言葉を重ね続けた。

「貴様、動けぬ分際で儂を愚弄するかぁ!」

「それももう終わりだ」

 老人の目と足首から発せられる光が、光球となって体から離れる。それらは光の帯となり、私の額にある二本角にそれぞれ吸い込まれた。角から電気の流れるような痺れが発せられ、それが縛られた両腕へと流れて行く。ぐっと力を込めると、

 その瞬間、力強く巻かれていたはずの鎖が四方にはじけ飛んだ。

「な、なんだと、貴様ァ! 何をしたぁ!」

 老人の後方にある森からくぐもった音が聞こえた。恐らく、力いっぱい引っ張っていた鎖が突然破壊され、その反動を殺しきれなかったのだろう。私はたまらず口元を歪めた。

 拘束から解き放たれた解放感もさることながら、それ以上に森の中から、先程の老人から発せられたものとは比べ物にならないであろう、まるで周囲を完全に照らしだしてしまえるくらいに眩い光が発せられている。 

 あの光は、人の持つ『弱さ』を、光という形で視覚化したものだ。鬼は人の弱さを見破り、発せられる光を吸収することで『力』に変換する能力を持っている。視覚化された恐怖は人間には見えず、その為、突然力を増す理由が分からないまま、鬼に驚いた人間は更に恐怖心を露わにして光を放出するだろう。  

 私は自由になった両腕で金棒を持ち上げると、足に絡まった鎖に振り下ろした。無残に鎖は砕け、後方に目を向けると同じように強い光が森を照らしているのが見えた。

「な、な、なにをしたと聞いてるんだ! ふざけるな!」

「何って、腹ごしらえ。……話が聞きたかったから捕まっていたけど、知りたかった事はだいたい分かったし、もういいかなって」

 知りたい事はまだあった。だが、もう興味が失せてしまったというのが本音だ。鬼として恐怖を食らう。その快楽は人間だった頃の自分をつまらない存在に変えてしまった。

 例え私が元人間だとしてもそれは変わらない。新鮮な恐怖はこんなにも美味しいのだから。

「クソ餓鬼がっ! 気持ち悪い笑顔を向けおって、そこを動くなぁっ!」

「馬鹿め」

 私は金棒を瞬時に握り直すと、まっすぐ跳びかかろうとする老人と対峙した。

 金属同士がぶつかり合う音がして、老人の持っていた棒は手元からへし折れ、回転しながら遠くの木に突き刺さった。馬鹿正直に尖った針を槍の如く突き刺そうとするのなら、そこに角度を合わせて構えていれば、それだけで私の持つ刺の棒が破壊してくれる。

 まさか、これほど簡単に壊れてしまうとは想像していなかったのだろう。何が起こったのか分かっていない表情に、私はお返しと言わんばかりの拳を見舞った。手に歯の割れる感触が伝わってくる。手加減したとはいえ、人というモノはこれほど脆いのか。老人は力なく倒れると、白目を向いたまま動かなくなった。

 その上から、いつの間にか気を取り戻していた先程の少女……葵が老人を守ろうと覆いかぶさり、こちらを見据えた。

「紅子ちゃんお願い! じいちゃんを許してあげて! 殺さないで!」

「殺さないよ。ただ歯が折れただけだ。死にはしないだろう」

 ほっとした葵の顔は私を不愉快にさせた。金棒の先端を目前に突き付け、また恐怖に引き攣った表情に変えてやろうとする。しかし、殺さない、という私の発言に何らかの希望を見出したのだろう。常人では気付かない程度ではあるが、表情に余裕があるように見えた。

「わ、私達を助けてくれるの?」 

「助かったのか考える余裕くらいは与えてやる、自分で判断するんだな。私はお前達を殺さないが、決して生かすつもりもない。望むのは徹底的な支配だ」

 言葉を理解出来ないのか、ただただ茫然としている葵に、私は興味を無くしたと言わんばかりに背を向けた。森に隠れて一向に出てこない敵達に対しても同様の気持で、仲間の人間が殺され掛った状況で誰も助けようとしないのなら、殺す価値も無いと判断した。

 それでも一応、私を満足させる程の『上質な恐怖』が引き出せるかどうか、試すだけ試しておこうかと口を開く。

「私をこのまま村に行かせて良いのか? お前達には守る者がいるのだろう?」

 がさがさと、森の奥から擦れる音が聞こえる。私は振り返らず一抹の期待を胸に、無防備な背中を晒し続けた。だが、いくら待ってもこちらに向かってくる様子は無い。それどころか、恐怖の光が一際強くなったと思えば、徐々に薄れていくではないか。数分もしない内に視覚の感知範囲から離れてしまった。

 つまり、奴等は逃げ出してしまったのだ。

「ふむ、まぁ、正しい判断だな」

 つまらなそうにつぶやくと、私は歩みを再開した。


   ※


「先生、これは本気ですか?」途中で読むのを辞めたアレックスは、目線を正面へと向けて言う。視線の先では、彩音がスケッチブックに鉛筆を走らせている。

「だって、思いつかないんだもん」

 彩音はさも当然のように言い放つと手を止めようともせず、アレックスの驚きに興味を示さない「勿論、アレンジはちゃんと加えるよ。子供向けにね」

 今から数分前、電話で「暇だから来てよ」と、突然の呼び出しを受けたアレックスは、急いで車に乗り込み、彩音の住む洋館へと向かった。

 すぐに到着し、中央にソファーと四角いテーブルがある応接室とは名ばかりの部屋に通される。エレキギターや巨大なスピーカー等の彩音がこれまで買い集めてきた物が散乱された物置のような部屋に招かれると、「アレックスはコーヒーより紅茶だったよね」と言って、こちらが気遣う前に気遣われてしまう。

 まるで大切な客人を相手にしているような対応は有難いと思う一方で、何かの前触れに見えて逆に恐ろしい。

 その予感は、見事に的中していたというわけだ。

「倉庫の中には他にも山ほどあるじゃないですか」

「うん、そうだけど、今回はこれにする」

「これは絵本向けだとは思えませんし、そもそも、私は昨日の打ち合わせの時に言いましたよね。「過去作のアレンジは辞めましょう、作家としてこれから先、生き続ける為にも」と」

「紅茶……冷めるよ。せっかく私が入れたんだから飲んでよ」

 彩音の目は、スケッチブックを睨みつけたままで、依然こちらに向けられていない。ここからでは一体何を描いているのかは見えないが、まともな話し合いをするつもりが無いのは確からしい。アレックスは怒りを堪えて、出された紅茶に口を付ける。

「私ね……気付いたんだ、アレックス」黙っていると、おもむろに彩音が口を開いた。

「何にですか」

「私って、才能無いのよね」

「は!?」

 その思いがけない言葉に、アレックスは目を見開いた。

 今この目の前にいる少女は、これまでヒット作を次々と発表し、今や時の人と化している絵本作家のはずだ。何を言っているのか意味が分からない。

「な、何を言っているのか、意味が分かりません」

 気付けばアレックスは、思ったことをそのまま口にしていた。どうやらかなり動揺しているらしい。それに気付いたのか、彩音は鉛筆を持つ手を止めると、ついにアレックスの方へと顔を向け、口を開く。

「私ね、他のものにも挑戦してみたんだ。絵本以外にも、色々ね」

「それは油絵のこと……ですか?」

「他にも、音楽に、詩に、歌に……まぁ色々やったよ」

 彩音はスケッチブックを畳んでテーブルの上に置くと、自分用に入れた紅茶のカップを手に取り、一口だけ啜る。どうやら、ようやく話し合いをする気持ちになってくれたらしい。他にも色々って、人が真剣に心配していたのに何をやっていたんだ貴女は。と言ってしまいたいのが本音だが、ここで話の腰を折ってしまっても仕方が無いので我慢する。

 いつしか、まともに話そうとしなかった彩音への怒りは消え去り、次に何を言い出すのか分からない怖さだけが胸中で渦巻いていた。今はただ黙って、慎重に話を聞くことだけに専念するべきだと、アレックスは無意識に理解していた。

「で、それらを人知れずネットで公開してたんだけど……いや、絵本作家だってのは勿論伏せてるよ。……それでね、ここからが本題なんだけど」

 彩音はカップをテーブルの上に置き直し、両手を膝の上に置くと、すぅ、と小さな口で息を吸い込んだ。

「それがもう最悪で、全く評価されないの。ダメダメの実なの」

「へ?」

「イラストサイトに投稿すれば「下手すぎ死ね」って言われるし、動画サイトに投稿すれば「音痴すぎ」とか書かれるし、もうイヤーって感じ」

 子供のように両手をぶんぶん振り回しながら、彩音はまるで堰を切ったように話し出した。その突然の勢いに付いていけず、おいてけぼり状態になるアレックス。

 分かるのは、批判されて怒っていることくらいだ。

「私はぶっちゃけ絵が下手だよ。だって人体の比率とか本気で勉強したことないもん。悪かったな!」

「あの……」

「歌だってさ、こっちは本気でギターの練習してさ、歌詞だって考えたのにさ、好き放題言われちゃってさ」

「それでヤスオくんに無理難題押し付けて八つ当たりしてたんですか?」

 ふと、彩音の動きがピタリと止まった。もしかして、図星を突いてしまったのだろうか。

 安雄は高校生なのだから、今頃は学校で勉強をしているはずだ。だから今居ないのは当然としても、また夕方頃には世話をしにやって来る。

 彩音の勢いは消え去り、またスケッチブックと鉛筆を掴み、絵描きを再開した。また自分の世界に入り込むのか、と余計な発言を後悔したが、意外にも彩音は「冷静になったし、そろそろ話を戻すね」と言って話を続けた。

「まぁ、それで、色々挑戦して気付いちゃった。私は才能なんか無い。そもそも、絵本が売れる現状が変なの。妙な違和感があるんだよ」

「違和感……ですか。それはどのような?」

「上手く言葉に変えられないの。だから必死で色々やってみた」

「つまり、才能が無いのに絵本が売れているのが変だと言いたいのですか?」

「……そういうこと。流石アレックス。私の話をちゃんと理解してくれるね」

「それが仕事ですからね」当然のように答えるアレックス。

 きっと、彩音からは頼りにされているだろう。これまで有効な助言をしてきたのだから、この問題にも納得がいく回答を与えてくれるはずだ、と信じているに違いない。だが、実際の所アレックスは内心で焦りを感じていた。

 ついに気付かれてしまった。という思いで胸の中が一杯になり、たまらず彩音から目を逸らしてしまいそうになる。

 この少女に才能なんてものは一かけらとして存在しない。それは事実なのである。

「安雄と再会したのは、失敗だったかなぁ」彩音は手に持ったスケッチブックを額に押し付けると、顔全体を蔽い隠す。

「私は、多分、後悔してるんだ。あの時、バイトをクビになった安雄は、とても辛そうな顔をしていたから……思わず「私の家で働け」って言っちゃったけど、本当は、友達のままでいたかったんだ。仕事を命令して、それを実行するような間柄じゃなくて、ただ、普通の……ね」

 絞り出すような声で、ぽつぽつと話す彩音の表情は見えないが、まるで限界まで溜まってしまった感情が、溢れだしてしまったような印象をアレックスは受けた。

 なるほど、それが本音か……、そう独りごちそうになるのを堪え、徐々に冷静さ取り戻しつつある頭で思案する。

 現状維持か、それとも、腹をくくるべきか。

「安雄からさっき電話が来てね、あいつ、俺がなんとかする、って言ったのよ。……何も知らない癖に、馬鹿としか言えないよね」

「彼がそんなことを……」

 仕事にはノータッチを決め込んでいたはずの彼が、自分から関わろうとしていたとは意外だった。もしかすると、スランプ脱却のヒントになる何かを見つけたのかもしれない。もっとも、もしそれが変わった人間を見つけた程度の発見でしかなかったとすれば、無駄骨としか言えないのだが。

 彩音は、人との会話から創作する方法が使えなくなったわけではない。あくまで意図的に、その方法を封印しているのだ。どんな人間を呼ぼうが決して会おうとはしないだろう。

 それが例え、妖怪に縁がある人間だったとしても。

「だから面倒なことになる前に、さっさと完成させたいから、アレックスを呼んだってわけなのよっと……ん、完成」

 鉛筆をテーブルの上に置くと、スケッチブックをくるりと一回転させ、アレックスへ差し出した。

「な……こ、これは」

「どう? 一ページ目なんだけど、結構良い感じにホラーでしょ」

 頭を殴りつけたような衝撃が、アレックスを襲う。震えた手で受け取り、絵を凝視する。

 描かれているのは、とある室内の中、鎖で縛られた少女に杭を突き刺している男。かなりショッキングな内容だが、驚いている理由ではそれではない。床一面に描かれた、その少女を円の形で取り囲む、何やら呪術に使われていそうな怪しい文字の羅列。

 そこに描かれたものの意味に気付いた時、アレックスの心臓の鼓動が爆発的に早まった。回復しかけていた理性は吹き飛び、額に脂汗を浮かべながら、ぽつりと呟く。

「これは……忘却術式……か? ……いや違う……まさか、封印魔方陣なのか……」

「え、何? 小声で聞こえないよ」

 飛び上がるように肩を震わせ、真っ白になった意識が戻って来る。不思議そうな表情の彩音にアレックスは「なんでもありません」と反射的に答えた。

「ふーん。あ、そう。……じゃあこれで良い?」

 高すぎる完成度。忠実すぎる再現は、あまりにも、想像の限度を通り越している。

 これが彩音の能力。ノンフィクションをファンタジーに変えてしまう。我々では太刀打ち不能な一方的な力を目前にして、アレックスはぶるりと背筋を震わせた。しかも、驚きはこれでだけではないらしい。

 殴りつけられたような音が、窓から発せられたのだ。

 アレックスは立ち上がり、窓を見やる。どうやら突風が吹きつけたらしい。空を見上げると黒い雲が空を蔽い隠し、雨が降り始めていた。今はまだ小さな雨音が聞こえる程度だが、この調子ではいずれ大雨になるだろう。彩音も窓へ目を向け「天気予報じゃ今日は一日晴れって言ってたのにねぇ」と、意外そうに言う。

「意外……本当にそうですかね? 誰かが降らせたのかも」

「何それ? 誰かって……誰?」

「私の敵ですよ、先生」

 アレックスは、彩音の傍まで歩くと、背中と膝裏に手を伸ばし、お姫様だっこの形で彩音を持ちあげた。黒髪がふわりと揺れ、足元まで垂れ下がる。突然ソファーから体を浮かされては、呆気に取られて悲鳴を上げる余裕も無い。

 彩音がはっとして我に返ったのは、アレックスが移動を始めてからだった。

「ちょ、ちょっとアレックス! 何なの!?」

「抵抗しないで下さい、今から貴女を監禁します。今後の展開によっては両腕くらいなら失うかもしれませんので、ある程度の覚悟はしておいて下さい」

「ハァ!?」

「大丈夫です。命だけは奪いませんから」

 有無を言わせず、彩音を抱きかかえたアレックスは応接室を後にした。

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