暴く者と隠す者
苦渋の表情をなんとか押し隠しながら会計を済ませ、甘味屋を後にする。空を見上げると太陽は曇り空の中に隠れていた。朝は気温が熱いくらいだったのに、今は風が少し冷たく感じる。黒い雲からは今にも雨が降りそうだ。これから先は特に面倒だと示唆している様に見えて、人知れず安雄はぶるりと震えた。
いや、面倒くらいで済むのなら、それで良いじゃないか。そう思い直すと、魅紺に確認をとる。
「行き先はこっちで会ってるんだな」
「はい、そのまま真っ直ぐ……十分くらいで着きます」
足取りが重くなっているのが分かる。安雄の後ろから付いてくる魅紺の顔をちらり見やると、この天気に負けないくらい青ざめている。
安雄と出会う前から、既に魅紺の手によって下調べは済んでいたので、何曜日の何時に時哉がどこにいるのかは完璧に把握している。その過程で恐怖を覚えてしまったというのだから、なんとも本末転倒な話だ。
程なくして、目的地には到着した。その建物からはけたたましくて喧しい騒音が外まで溢れ、カラフルな電飾が目に痛い光となって自己主張をしている。
「ゲーセンか……」
「安雄はこんな場所に行ったりするのですか?」
「誘われた時くらいだな。自分からは滅多に行かない」
店内に入ると、騒がしい音がダイレクトに伝わってくる。狐の聴覚は人間よりも敏感なのか、安雄の後を追って入った魅紺は両手で耳の辺りを塞いでいた。
店内は、二十代くらいの男をちらほら見かけるだけで、客は殆どいなかった。後ろでぼそりと「時哉君は……奥の方にいます」と言う魅紺の言葉に頷いて、前へと進んでいく。クレーンゲームコーナーの隣を横切り、レースゲームの筺体を通り過ぎると、そこは、異様な光景になっていた。
人が密集している。学生服を着た男が合計五人が集まって、格闘ゲームの台を虜こんでいる。おそらく、その群れの中心にいるのが時哉だろう。魅紺に「少し様子を見る」と言って、少し離れたゲーム筺体の影からのぞき見た。
彼等はゲームを楽しんでいる様だった。他のゲームの騒音に負けない大声で「ぶっ殺せ!」だの「やっちまえ」だの、物騒な台詞を叫んでいる。大盛り上がりと言っても過言ではないが、安雄には何故か彼等の関係が歪なものに見えた。平日の昼間に学校に居ないのだから、そう見えるのは当然なのだが、何かそれ以外にも理由があるように見える。
そういえば、シルエットタイプ以外の能力者は見えるだけで分かるらしいから、妖怪寄りになっている自分にはそれが違和感として見えるのかもしれない。安雄は後ろを見ずに魅紺に言う。
「よし、じゃあ行ってくる。ちょっと物騒なことになるかもだから、魅紺はここにいろ」
一歩を踏み出すと、魅紺がその手を掴んで止めた。下を向きながら震えていて、怖がっているのは一目で分かる。「私も行きます。この問題はわたしの問題です……」
「わかった。だけどその代わり、危なくなったら絶対逃げること。いいな」
無言でうなずくのを確認すると、安雄は今度こそ、彼等の方へ向かった。
彼等も、安雄が近づいてくるのが目に入ったらしく、途端に睨むような視線を返してくる。こっちに来るな、とけん制しているつもりなのだろう。それを平然と無視すると
「お前、もしかして馬鹿か?」
取り巻きの一人の中でもとりわけ巨体の、一見するとプロレスラーにも見える学生が壁になる。にきびの濃い顔を見上げた安雄は、いかにも中学生らしい、と思った。
友達以外は全員敵だと思い込んでいるのであろう、そんな青臭さを感じさせる。
「俺はそこの時哉くんに用があるんだ」
「敵意丸出しでこっちに寄るんじゃねぇ。俺はお前みたいな奴をいくらでも見てきてるんだよ。時哉は恨みを買うことが多いからな」
「恨みか……でも俺には関係ないな」
「だったら、その目つきを何とかしてから来やがれってんだ」
「おい、面倒ならぶん殴ってさっさと追い返せよ」「そうだ、さっさとやっちまえ」と大男の後ろから別の声が投げかけられる。どうやら、ゲームでの喧嘩よりも、リアルファイトの方に興味が向いたらしい。他の連中がこちらを見ていたが、ゲーム画面は相変わらず戦闘を続行している。時哉本人は、まるで安雄に興味が無い。
「おう、任せとけ」と大男が答える。
「だから、俺は話したいだけだって……なんでそうなるんだ」
「うるせぇ奴だな。もうお前の意志なんでどうでもいいんだよ。……でも確かに、今まで女連れで時哉をボコしに来た奴は居なかったな。もしかして、その綺麗な姉ちゃん、俺らへのプレゼントか? 置いて帰るなら許してやってもいいぜ。なんならこの場の全員で」
安雄によって振るわれた拳が顔面に突き刺さった。
突然の不意打ちに、大男は顔を押さえて蹲る。視界をわざわざ自分で隠してくれるとは有難い。安雄は、追い打ちの蹴りを膝の裏に放つと、男はガクリと体制を崩し、両手を床に付いた。
遅かれ早かれこうなるとは思っていた。とはいえ、本当はもっと挑発してから、表に出ろ! と言われる展開を待っていたのだが、どうやら安雄はよっぽどこいつが嫌いらしい。露骨な嫌悪感を隠さず、ゴミを見るような目で見つめる。
「や、安雄、突然何を」
安雄の背中で隠れるようにして見ていた魅紺が、驚きの声を上げる。
「こいつは酷いことを言おうとした。黙れと言っても無視されそうだったから、ついな」
普段から体を鍛えているわけでもない。だが、意外と引き締まった体をしていて、それなりに腕力もあった。そうなったのは、能力の影響が大きい。
誰かを追いかけ、その後に反動でぶっ倒れる。そんな経験を何度も繰り返していると、いつのまにか少しずつ体が強くなっていった。まるで能力に体が適用するように。長時間走れる体力を手に入れていた。
それに、安雄の副作用はその性質上、敵を多く作ってしまうのだ。安雄は、自分が嫌いに思った人や、気に入らなかったり、納得いかない事柄に対して正直に答えてしまう。その結果、人間関係における衝突は当然のように起こってしまい、場合によっては過激な喧嘩になってしまうことも多々あった。今はそれなりに誤魔化す術を学んだから良い物の、他人と自分は違うと開き直ってしまい、友達を作ろうとすらしなかった時期もあった。
そうした日々の中、いつしか孤独と暴力に慣れてしまい、能力の恩恵も含め、今となってはこれくらいの男が相手でも平気で喧嘩ができるようになっていた。
「お、お前ぇ!」
格闘ゲームをする時哉に張り付いていた連中全員がこちらを見ていた。が、この中で一番強い男がやられてしまったのだ。安雄と対峙するにはよほどの勇気が必要だろう。ちらちらと仲間を横目で見やりながら対峙する連中を見て、安雄は鼻で笑った。群れているだけの奴等にそんなものがあるとは到底思えない。
大人数で掛れば安雄にも勝てるかもしれないが、怖がってしまってはもう駄目だ。誰が最初に行くのか無言で権勢のし合いになって、結局誰も動けなくなるのが見て取れた。
「俺の興味はそこにいる時哉君だけだ。お前等が素直にどいてくれるなら、こっちからは何もしないよ」
慈悲のつもりで言ったわけではない。最初から喧嘩が目的ではないのだ。さっさと時哉と話を進めたい。だが、等の本人はそのつもりが無いらしい「逃げるの? お前等」と言ってゲームを中断するとついにこちらを見た。
尖った赤茶色の髪に、シルバーと青とオレンジというカラフルなナイロンパーカー。両耳には赤と青のピアスが付けられている。
どうやら、このバラバラな色合いを一つにまとめたようなこの少年が、朝倉時哉らしい。
時哉は立ち上がると、笑うように言った。
「あーあ、俺の友達に酷い事すんなぁ……」
うめき声を上げている男の方へと向かった。何をするのか安雄は注意して見つめたが、赤い光が現れることもなく、跪く男の首根っこを掴むと強引に立ち上がらせる。
「ほら、さっさと立てって、もういいからほら、帰れよ。お前が負けたんじゃ、他の奴等で勝てるはずが無いだろ」
時哉は背中を強く押すと、大男は躓いたが、そのまま真っ直ぐ出口へと向かっていった。その姿を安雄は見送ると、「ほら、お前等もだ」と言って時哉は他の連中にも帰るように促す。
その場に残ったのは三人だけになった。
「さて、お兄さん……そこのお姉さんもかな。何か俺に用事かい?」
「ああ、すまんな。わざわざ帰らせてしまって」
「元はと言えば、話に来ただけの相手を殴ろうとするあいつ等が悪い。だからお兄さんは悪くない、負けたあいつ等が悪い」
近くに置かれたまま使われていない椅子を、時哉の脇まで持ってくると安雄は座った。魅紺も、習う様にして椅子を持ってくる。
それを見ていた時哉は片手で顎をつまみ、考えるような仕草を見せて、何かを思い出すようにして口を開いた。
「あれ……後ろのお姉さん、もしかして俺と面識ある? どっかで見たことある気がすんだよね」
「え、それは変です。だって調査は狐の姿でしか」
「調査?」
「なんでもないです。すみません」
ビクリと震えた魅紺は涙目で安雄を見る。
頭の中でまだ考えがまとまっていないが、こうなっては仕方ない。魅紺が隠れて調査していた事がバレると後々で面倒臭い事態になりそうだ。余計なことに勘付かれる前に質問を投げかけて、うやむやにしてしまいたい。そう考えると同時に安雄は右手を差し出し「はじめまして、俺は春崎安雄」と言っていた。
「ああ、あいさつか……朝倉時哉だよろしく。ていうか、こっちの自己紹介なんて必要無いよね」
調査と言ってしまったのは間違いだった。やり辛い相手だろうなぁ、と胸中で舌を巻く。
時哉も右手を差し出し、安雄の手を握り返した。何の変哲もないただの握手だが、初対面でこれをするのは大袈裟な気がして、少しだけ恥ずかしい。だが、視線を安雄に向けさせるという目的は十分に果たせただろう。いつのまにか魅紺が安雄の後ろに戻っているが、時哉はそちらに目もくれず安雄を見て笑っている。
「いきなり握手は変だったか?」
「普通さ、喧嘩してる相手と握手しないよね。何か手に仕込まれてるとか考えないの? もしくは、投げ飛ばされるとか、間接をキメられるとかさ、色々あるでしょうよ」
「そうだな……でも、刃物や画鋲が隠れていたら分かるんだ。俺の能力で」
もし何かが隠れていると、そこから赤い光が発せられるので、安雄に罠や絡め手は通じない。何らかの道具で弱さを補おうとした時点で、既に相手の負けが確定するようなものだ。
「え、マジで? すっげー!」
握手した手を勢いよく振る時哉に、安雄はなされるがままになった。程なくしてその手が話されると、安雄は勢いよく投げ出されそうになる。
「それで、今日はどのような御用件で? もしかして、誰かに敵打ちを頼まれたとか」
「代理と言う意味では正解かな」
「俺と喧嘩をしにきたんですか? もしかして、過去に俺自身がやっちゃった相手? 悪いねー、憂さ晴らしと生じて喧嘩することは多々あるんです」
何が面白いのか、時哉はけらけら笑う。人を小馬鹿にするような、不快感を醸し出す笑顔だ。
「昔から他人の顔と名前を覚えるのが苦手でしてね。だから俺はいつも被害者なんですよ」
「それはもしかして……副作用か?」
その一言で、時哉の笑顔は消えた。笑みは消え、目の色がこちらを探るものに変わる。
どうやら安雄の勘は当たったらしい。
恐らく、顔と名前を覚えられないのは、能力行使における副作用だ。安雄の、他人の隠した何かを暴ける代わりに、嘘を吐けなくなってしまうのと同じだ。時哉の場合は恐らく、姿形を変えられる代わりに、他人を他人としてちゃんと認識出来なくなるのだろう。
自分という存在があやふやなのだ。だから、相手を直視することが難しくなる。
「へぇ、そこまで分かってるってことは、冗談じゃなくマジにそっち関連の人なんだ」
「変身能力、だろ」
「ふーん、俺については完全に把握してるって考えでいいよね。それで何、 俺は裁かれるの?」
時哉はこちらを揶揄するような笑みを浮かべているが、目だけは安雄を鋭く睨みつけている。絶対に露見しないと思っていた能力がばれたのだから、その衝撃はかなり大きいはずだ。軽口を叩いてはいるが、実際の心中は穏やかではないのだろう。
安雄は、何から話すべきか頭の中で考えた。こちらが変身能力を知っていることを伝えた以上、安雄を相手に誤魔化したり、隠すことは不可能だと分かったはずだ。
まずは、時哉の疑問に答える。
「そうだ。と言っても裁くのは人じゃない。英雄が現れて、能力を悪用する者を裁くらしい」
「へぇー英雄かぁ。じゃあそいつにやられる俺は、悪役ってことになるのかな」
時哉に物怖じする様子は無い。
「で、その英雄って奴が現れる証拠ってあるの? 適当言って俺をビビらせようとしてるだけじゃないの」
「証拠は無い。俺も実物を見たことがないからな」
「へぇ、そうなんだ……で、どうやってその英雄とやらの話を信じろと?」
「俺は能力の副作用で、他人に嘘を吐けなくなっている……これじゃ駄目か?」
「でも、その目で見たわけじゃないんだろ」
「まぁな」
「あはは、正直だなぁ本当に! そこは嘘でも見た事あるって答える場面でしょ」
目つきが柔らかくなっている。どうやら、安雄に対する警戒は少しずつ解け始め、今は初めて会った同類と実のある会話をしたいと思っているのかもしれない。
安雄も、自分以外の能力者を見たのは初めてなので、好奇心が無いと言えば嘘になる。
「……面白いなぁ。もしかして、お兄さんがその英雄だったりして」
「安心しろ。どちらかと言えば俺はただのモブキャラだ。今回は成り行きで此処に居るけど、普段は普通に生活しているよ」
「嘘吐けよ。自分が普通だって? そりゃただの願望だろ。お兄さんは、そうあってほしいって思っているだけだ。むしろ、俺と同じで、どうしようもない悪役だろ。嘘が見抜けるなんてさ、メチャ便利じゃん」
鼻で笑う時哉に、安雄は「他人と違うのは確かだ」と、相手の言い分を素直に認めた。だが、認めたその上で強く反論する。
「だけど、能力があるからって、自分が他人よりも上だと考えるのは思い上がりだ」
時哉は、目を見開いて驚いた。
「マジで言ってんのそれ? だって何やってもバレないんだぜ? 物を盗んでも、金を奪っても、罪に問われないんだ。こんなこと他に誰が出来る? どう考えても上だろ。そこはちゃんと線引きをしておかないと自分が損をするだけだぜ」
大声で否定の言葉をまくしたてた後に、
「って、それくらい言われなくたってちゃーんと分かってるよな」
そう時哉は付け足した。
良くも悪くも二人は同類なのだと、宣言するように。
「そうだな。そんなもの初歩の初歩だ。でも残念ながら、俺の能力は使い勝手が悪くてな。条件もシビアだし、お前みたいな好き勝手は無理だ」
「条件とかあるのかよ! ひっでぇ能力だな。そんなんじゃ副作用ばっかり際立って大変じゃん? 嘘吐けないなんて、不便じゃん?」
「大変だけど、もう長い付き合いだから、誤魔化し方くらいすぐ思いつく」
「そんな面倒なことしないでさ、もっと好き放題やるべきなんだよ。俺達は普通の生活が出来ない代わりに、他人と違うことが出来るんだから。……その生き方は損してるだけだぜ、安雄さん」
ふいに、時哉は安雄のことを名前で呼んだ。それに気付いた安雄が一瞬黙ると「俺のことは呼び捨てにしてくれよ。見た感じゃ俺の方が年下なんだろうしさ」と言う。
「ああ、時哉」
「そうそう、俺達は、もっと仲良くすべきだ。名前で呼び合えるくらいにはね」
「確かにそうだな。だけど、俺達には決定的な――」
背中に小さな重みを感じて、安雄の言葉は途切れた。
首だけで振り向くと、後ろで座っている魅紺が、俯いた姿勢で目をぎゅっと閉じ、青ざめた顔をしながら。すがるように、震える両手を安雄の背中に乗せている。
安雄は、ぶっきらぼうに魅紺のストローハットの鷲掴みにすると、豪快にゴシャゴシャと撫でまわした。大丈夫だから心配するな、その想いが伝わったのか、魅紺は小さく頷く。
「後ろのお姉さん、体調悪そうだね。急にどうしたの?」
「俺と時哉が楽しく話しているように見えて、それが怖かったんだろ」
「怖い? なんでまた」
「俺が時哉みたいになったら怖いってことさ。お前の発言は、さっきから物騒だ」
さっき言おうとして言えなかった言葉を、安雄は言う。
俺と、お前は、違うのだと。
「こうして心配してくれる誰かがいる以上、俺は能力の悪用だけは絶対しない」
「へぇ……なんだ、結構楽しそうに話してたから、俺の気持ちに共感してくれると思ったのにな」
時哉はつまらなさそうな顔になると、興が冷めたとでも言わんばかりに、体の向きを変えてゲーム筺体に百円玉を投入した。ゲームのスティックを握り、もうこちらを見ようともしない。そんな様子をただ見ていた安雄は、小さく息を吐くと、背もたれに体を預けて足を伸ばした。
共感。確かにその表現はしっくり来る。
時哉の話は暴力的で、変身能力を利用して罪を犯す酷い人間なのに、話していると何故かこちらが飲まれそうになる。お互い変わった能力を与えられたという特別とも最悪とも言える境遇だからこそ、何か感じる物があるのかもしれない。
しかしそれでも、時哉と安雄の間には決定的な違いがあった。こいつは能力を悪用する。自分の欲望を満たす為だけに他人を利用し、見知らぬ人に罪を被せた。そして、間接的とはいえ魅紺を泣かせた。
犯罪自慢を聞きに来たわけでもなければ、能力談義をしに来たわけでもない。
頭の中に本来の目的を呼び覚ますと、安雄は小さく深呼吸を行い、時哉の横顔に向けて口を開いた。
「なぁ、時哉。こっち向けよ」
「嫌だよ。同類でも兄さんはつまらない奴だから、もう興味無くした。あっち行けよ」
「俺の要件、まだ聞いて無いだろ?」
「うっせぇなぁ、今良い所なんだから邪魔すんなよ」
「お前がそんなにイライラしているのは、俺の言葉に何か感じたからか?」
ぴくりと、スティックを握る手が止まった。ゲームのキャラクターが棒立ちになり、一方的な攻撃を受け、体力が減っていく。それに気付いた時哉は、はっとして操作を再開する。
決して安雄を見ようとせず、画面を見たまま答えた。
「ハァ? 兄さんの生き方なんてどうでも良いっての。ふん、他人の意見でやりたい事が出来ないなんて、不自由にも程があらぁよ。そもそもなぁ」
無情にも、時哉のキャラは敵にやられてしまった。画面が敗北した時のものに切り替わり、ゲームオーバーと表示される。腹立たしげに時哉はゲームの筺体を蹴り飛ばし。その勢いで椅子を回転させ、こちらに体を向き直した。
「俺は人間って奴が大嫌いなんだ。そうやって人に指図して、命令して、格差を作って見下して、ムカつくんだよ」
「分かるよ。俺も学校に友達居ないし。能力を使って報復してやりたい気持ちも分かる」
「はっ、ふざけんな。してやりたいじゃない。俺はしてやったよ。クラスのムカつく連中に成り済まして、何度も何度も何度も、好き放題してやった。人を傷つけ、金を盗み、物を奪ったよ。もうあいつ等の人生は終わりだ。俺が終わらせてやった」
「それで満足したか」
安雄の言葉に、鼻を鳴らした時哉は、この質問を待っていました、と言わんばかりに口の端を釣り上げた。
「ああ、したね。サイコーの気分だったさ」
「じゃあ、なんでお前の周囲には取り巻きがいる」
安雄の質問に時哉の目が丸くなった。時哉にとっては意外な質問でも、安雄にとっては当然の疑問だった。
「それは……俺に恨みを持った奴が報復に来るからだよ。そんな馬鹿共が来るたびに、いちいち変身して姿を隠すのは、面倒臭いだろうが」
「違う。姿形を変えられるのに、お前自身に矛先が向くのはおかしいだろ。変身した状態で揉め事を起こせば、それで済むはずなのに」
そもそも疑問ですらない。質問したのは、自覚があるのかどうか知りたかったからだ。
「……わざわざ取り巻きに役割を与えて、傍に置いていた。その理由は――」
「黙れ!!」
自分を見て貰いたかったんじゃないのか?
そう言おうとしていた安雄は、口を閉じた。
「そうやって、上から目線で見られるのがムカつくから、人生メチャクチャにしてやったんだよ。なんなら今から兄さんの姿になって、人を殺してやってもいいんだぜ? 三人くらい殺りゃ、死刑になるかな」
荒げた声で、挑発のつもりだろうか? 熱くなる時哉とは対称的に、安雄の気持は冷静になり、氷のように冷たい視線を向けた。
魅紺はなんでこんな奴を助けたい、と思うのだろう。ドクズも良い所じゃないか。だが、そんな想いとは裏腹に「いけません!」と言って、後ろで震えていたはずの魅紺がついに割り込んできた。安雄の前に立ち時哉と向き合う
「そんなことをしては、本当に英雄が現れますよ!」
「くだらねぇ、そんなもんが脅しになるかよ」
「脅しではありません。貴方は今危険なのです自覚して下さい!」
「お前もキャンキャン煩せぇな……。そうだ、良いことを思いついた。今から兄さんの姿になって、この女を殺してやるよ。そうすりゃ、恋人同士によくある痴情の縺れ、って判断されて、その英雄さんも帰ってくれるんじゃね? 少なくとも突然通り魔に変貌するよりは、つじつまが合うだろ」
時哉の意外な発言に思わず笑った。
「残念ながら、この人は出会ってまだ二日目の女なんだ。一応そういう判断をされそうな相手は他にいるけど、残念ながら時哉じゃ勝てそうにないぞ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。安雄さん、今、なんと……」
横から安雄を引っ張る強い力。安雄はぐるりと体の向きを変えられると、両肩を抑えつけられ、正面には今にも泣きだしそうな顔をしている魅紺と目があった。
「で、出会って二日目の女……」
「そうですけど、そうじゃなくて! その後の、そういう判断されそうな相手……」
「あぁ、まぁ、いるな一応。向こうはどう思ってるのか知らないけど」
「されそうって言いましたよね? ということは、確実にされる訳じゃないんですよね!」
「……」
「……あ、すみません。どうぞ、話を続けてくださいね。うふふ」
言い返したかったけど、何も言い返せなかった。落ち込んだような顔になっていたに違いない。
少し嬉しそうな顔になった魅紺が両手を話すと、解放された体を再び時哉の方へ向ける。
「……おい時哉。なんで気に入らない張本人が目の前にいるのに、他人を巻き込もうとするんだよ。それと、俺のことを兄さんと呼ぶのを辞めろ。俺の名前は安雄だ。俺の名前を覚えて呼べ。そして、俺が気に入らないなら、ちゃんと俺を狙え」
「兄さん、それで格好付けてるつもりですか?」
「だから、兄さんって呼ぶなと――」
「あーあーあー、分かりましたよ安雄さん。だから、とか平然と言っちゃう辺り、なんだか後ろのお姉さんが可愛そうになってきた」
「可哀そうって何ですか、失礼な!」
「その話題は今どうでもいいんだよ。魅紺、俺が此処にいる理由を忘れんなよ。思い出したなら座ってろ」
不機嫌そうな顔をしながら、魅紺はふんだと言わんばかりに首を振って、椅子に戻った。
正直なことを言えば、魅紺のおかげで場の空気が軽くなった。物騒な会話が馬鹿馬鹿しい発言に押し出され、安雄は少し冷静になれた。時哉もまた同じように、さっきの熱さは何処へ行ったのやら、呆れたような顔をしている。
二人の間に、小さな沈黙が訪れた。鳴りやまないゲームの音だけが聞こえてくる。
その数秒後、「あ、そうだ」と言って時哉が沈黙を破った。
「そういや、なんだかんだで安雄さんの要件、まだ聞いてないや。教えて下さいよ」
「ん、あぁ、本当に今更だけど、そうだな……何と言えば良いのか」
安雄は何と答えるべきか考えていたが、この会話もそろそろ終わらせてしまいたいのが本音だった。馬鹿馬鹿しい横槍のせいで、どっと疲れが表面化していた。
「有り体に言ってしまえば仲良くなりに来たんだ」
「へぇ、そりゃまた、てっきり能力を奪いに来たのかと」
「そういう考えも一応あった。だけど、最善の終わらせ方をするって約束してしまったから」
安雄は正直に話した。あやふやな答えを言って、これ以上喧嘩になるのは面倒だ。
「時哉を改心させて、今までやってきたことの罪をちゃんと償わせ、その上で、尻尾を差しださせる。……それが最善だと思うんだが、どうだ」
時哉は何も言い返さない。馬鹿正直な安雄に唖然としているのかもしれない。そんな様子を無視して、安雄は更に言葉を重ねた。
「聞きたいんだけど、お前もし能力奪われたら、今後普通の人生を送れる自信はあるか?」
時哉は深刻さが増した表情を向けながら、答える。
「俺にとって能力は当然だから、手足を失うのと同じ意味を持つ。だから正直言って分からない。安雄さんだって、明日から足が動かなくなる けど、その後の生活は想像出来る? 聞かれても、分からないでしょ」
「……そうかもな。じゃあ喧嘩は辞めて仲良くするか」
「え、何言ってるんですか? 俺達はもう友達でしょ」
笑みを浮かべる時哉。その笑顔はあきらかに作りものだが、それに対して安雄はどう返答すればいいのか分からない。この複雑な感情は「ああ、そうだな」と肯定しても「ありえない」と否定しても、両方とも嘘になってしまう気がする。赤い光が発していなことから見ても、時哉も同じ気持ちなのだろう。お互いの考え方は大きく違っているのに、共感を覚えてしまう。それが、仲良くなれるのではないか、という錯覚を起こしてしまうのだ。
「……」そう思った結果、無言で返す他なかった。
時哉は、何も言わない安雄に腹を立てた様子も無く、おもむろにパチンと指を鳴らした。口ぶりからして何やら妙案を思いついたらしい。赤い光も見えないし、安雄は素直に耳を傾ける。
「ゲームで決めよう。安雄さんがゲームに買ったら、この尻尾は返すよ。その代わり俺が勝ったら、二度と俺とは関わらない。どうよ」
「いいな、それで決めるか」
「待って下さい!」
魅紺は迷いも無く即答した安雄を後ろから羽交い締めた。
安雄の首の横から顔を出すと、「さ、作戦タイムです。ちょっと待って下さい!」と叫ぶ。それを見た時哉は「お姉ちゃんも大変だねぇ」と言って口元ニヤリと歪めた。
安雄の手を引いて、時哉の元から離れた二人は、壁際まで行くとようやく止まった。
「勝算はあるんですか? 負けたらどうするんですか? 聞かせてください!」
怒鳴る魅紺に気圧されながらも、安雄は「我に自信あり」と答え、親指を立てた。
「もしかして、ゲームとか得意なんですか?」
「いや、全然」
「じゃあどうして!」
「勝負内容は何でもいい。格闘ゲームでもレースゲームでも、とりあえず勝負する。それで俺は負ける」
魅紺の真剣な表情に圧倒されながらも、安雄は自分の考えを述べた。たぶん、この方法なら上手く事が進む。
「その後で俺はごねる。「勝負はこれからだ!」とか、「二回戦突入だ!」とか、負ける度に適当な事を言って何度も食い下がる。それで時哉が「もういい加減にしろ」って言って来たら、俺の勝ちだ」
「……何故です?」
何度も負ければそれで勝ち、という一見矛盾している説明。それについて安雄は答える。
「間違いなく、時哉は逃げる。走って人混みにでも紛れ込んで変身してしまえば、俺達なんて簡単に撒けると思っている。そりゃ変身能力なんてものがあれば自信を持って当たり前だろう。だけど、俺には俺の能力がある」
「え、でも、そんな簡単に上手く行くのでしょうか?」魅紺は話す内容に不安を感じるようだ「もし能力がバレていたら、そんな風には」
「大丈夫だ。俺はあいつに能力の全容を教えたわけじゃない。だから恐らく、副作用だけを知ったことから考えて、俺の能力を『嘘を見抜く能力』辺りだと勘違いしている。まぁもし違う能力を想像していたとしても、完璧に把握されてなければ問題ないだろう」
淡々と、まるで流れ作業を説明するような安雄に、魅紺は戸惑いの表情を向ける。
「そ、そうかもしれませんが」
「そして、あいつの能力は何にでも変身できるわけじゃない。あくまで、他人に変身するだけの能力だ。鳥になって空に逃げたり、魚になって海外まで泳いだり、流石にそこまでされたら負けだけど、他人になるなんて、せいぜい大男になれるくらいだろ。それくらいなら俺の能力の方が強い」
「そうかも……しれませんが」
「魅紺が本気を出して強引に捕まえてしまったら、英雄が現れて大変な結果になるかもしれない。だけど、俺と時哉が能力を使った所で、傍目にはただの追いかけっこにしか見えない。これで英雄問題はクリアだ。後は組み伏せるなり捕まえるなりして、尻尾を取り上げる。これで解決だ」
これからの計画の説明を終えると、魅紺は目つきを鋭く尖らせた。
この計画は納得がいかないと反対しているのが見て取れる。安雄にとって、この反応は予想済みだった。なので、「最悪奪っても良いと言ったのは魅紺だろ」と言って反論を封じる。
「そう……ですけど」
「そもそもお前にとっての最善とは一体何だ?」
「え、それは……さっき安雄が言った通りです。改心させて、尻尾を返してもらうことです」
「俺もそれで丸く収まると思っていたよ。でも、直接話をして考えが変わった。……前提を間違えていたんだ。能力の無力化と、助けることはイコールじゃない。断言しておく、俺達に時哉は助けられない」
これからの話は、魅紺にとってかなり苦しい内容になる。
魅紺は、時哉について調査をしていたと言うが、それはあくまで遠くから動向を監視していただけで、実際に会って話をしたというわけではない。と言うより時哉がどうこう以前に、まず魅紺は人間というものがどんな生物なのか分かっていない。
「俺は一刻も早く時哉と能力を切り離すべきだと思う。そう思えるくらい、あいつは能力に依存しているし、副作用はヤバイ段階に来ている」
安雄の言い聞かせようとするような口調は、魅紺に重い責任を感じさせてしまうだろう。それが分かっていながらも、絶対に伝えなければならないと考えていた。口調がやや高圧的になり、その変化に気付いたのであろう魅紺は言い返すことをせず、静かに安雄の言葉を聞いていた。
「魅紺の話を聞いていた時は、改心させて尻尾を差し出させることが最善だと俺は思っていた。だけど、直接会って話をして、そうは思えなくなった。もし改心に成功して、これまでやって来たことに罪悪感を覚えたとして、それで時哉はどうなる? その後まともな人生が送れると思うか?」
こんな話をするのは嫌だったが、後腐れの無い終わりなんてものは決して存在しないのだと分かってもらうことが、能力を与えてしまった者としての責任なのではないか、と安雄は思っていた。
魅紺は、能力を失えば常人として生きられると考えているようだが、同じように能力を持っている安雄からすれば、その認識は甘いとしか言えない。妖怪は能力を当然のように持っているから、それによる副作用や弊害とは無縁なのだろう。だが人間は違う。不相応な力を与えられてしまっては、心と体のバランスとも呼べるものが狂ってしまう。
例えるなら、無理に速く走れるようにした改造車のようなものだ。普通に道路の上を走るだけならノーマルのままで十分なのに、パワーとスピードを無理矢理上げてしまうと、元から速く走れるように作られた車とは違い、安全性を失ったツギハギだらけの歪な存在と化してしまう。人間に能力を与えるとはそういう事なのだ。
変身能力は一見とても便利なものに思えるだろう。だが、それは要するに人を騙し欺くという行為を容易いものに変え、使用者のあらゆる自分勝手を許してしまうことに他ならない。現に時哉は自分の為だけに能力を使用し、他人の不幸を屁とも思っていない。
しかしその反面、他人から与えられる印象を変えるということは、己の存在そのものを曖昧な生物に変えてしまう。
もしも時速数百キロで走行する軽自動車なんてものが存在したとすれば、それは中身の機械が別物で、燃費や排気量も段違いに大きくなっていることだろう。そんな車は軽自動車だと認められないが、その外見は何処からどう見ても軽自動車なのだ。時哉の精神と肉体にもこれと同じ現象が起こっている。
軽自動車なのに軽自動車じゃない、時哉なのに時哉じゃない。
つまり、他人だけでなく自分自身ですらも欺いてしまうというわけだ。
認識能力を低下させる副作用はその性質を更に強め、自分という存在が一体どういう者なのか分からなくしてしまい、「今の自分に確固としたものは変身能力しかない」と思い込む悪循環が始まってしまう。その結果、薬物に依存するのと同じように、その危険性に気付かないまま何度も変身させてしまう。
「そんな常識を持った時哉を改心させるのは無理だと思う。心が人間じゃなくなってしまったのに、体だけを元に戻した所で、それはもう普通の人間とは呼べない」
変身能力の危険性についての説明を終えた安雄は、小さく息を吐いた。魅紺が理解してくれたのかは分からないが、両目を見開き、体を震わせながら両手を胸に押し付けている仕草からは、かなりのショックを受けているように見える。自分のやってしまった失敗の重さに身震いしているだろう。
ふと、安雄の脳裏に彩音の姿が思い浮かんだ。
才能があれば、ハンデがあっても生きていけるかもしれない。その上で努力を続けられれば、チャンスを掴めるかもしれない。アレックスのような理解者に恵まれれば、成功するかもしれない。
……あくまで、どれも仮定にすぎないが、それもきわめて困難だろう。その成功へと至る過程の全ては変身能力と相反してしまう。他人がこつこつと積み上げたものを、容易に横から掠め取ってしまうことが可能で、実らせた結果だけを頂くのが当然なのだと、そんな身勝手を変身能力は許してしまうのだから。
仮に能力を失ったとして、そんな常識を持った人間に誰が近寄ろうとする? 誰にも理解されず、ただの迷惑な人間に成り下がるのが関の山だろう。
つまり、能力を奪うという選択の先には、時哉自身の救済は含まれておらず、魅紺が想像する最善の結果とはかけ離れたものになる。
しかし、これこそが最善なのだと、魅紺は気付いていない。
「尻尾を手に入れる方法は三つ」
人差し指を立てる。
「その一、『改心』これは大きな時間が掛ってしまう上に、ちんたらしている間にまた被害者が増える可能性が大きい」
続けて中指を立てる。
「その二、『奪う』今俺がやろうとしていること、最も手っとり早くて簡単だ」
最後に薬指。
「その三、『放置』何をやっても結果は変わらない。今後、時哉は副作用に苦しみながら生きていく。だったらもう英雄になんとかしてもらおう。何が起こるか分からない上に被害者は大勢出るだろうが、仕方の無いことだ。俺達にはどうすることも――」
「やめて!」
魅紺は安雄の声を遮り、三本の指を掲げる手を払い飛ばした。そして、ふらついた安雄に向かって力任せに拳を振るう。胸の辺りにぶつかり、どん、と鈍い音がしたが、建物内の喧しい騒音にまぎれて何も聞こえない。魅紺は、何度も何度も安雄の胸を殴った。白くて小さな手が赤く腫れるまでその行為は続く。たまらず安雄が両手を掴むと、次は頭突きをはじめた。
「駄目なんですか、もう無理なんですか!」
魅紺の悲痛な訴えは、安雄の心を酷く苦しめた。どうすればいいのか答えが出ない。「お前のせいじゃない、大丈夫だ俺が何とかする」と、そんな風に言えれば魅紺は安心して泣き止むだろう。例えそれが嘘だとしても、一時的とはいえ落ち着かせてしまえばいい。それで安雄は全てが終わった後に「頑張ったけど無理でした」と言って、申し訳なさそうな顔をしながら魅紺に謝れば、何だかんだで納得してくれるだろうし、こちらの契約も反故にはならないだろう。
……分かっている、それは無理だ。ていうか、それは俺にとっての最善だろう?
安雄は己の胸に顔を埋めている魅紺から目を離し、天井を見上げながら口を開く。何か気の利いた一言はないか、頭の中で思案する。そして、ある一つの考えを思いついた。
「俺は、お前の為に本気で頑張ると決めたからな……」
お前とは誰だ? ハッキリさせる必要は無い。
「安雄……?」
「さっきはキツイ言い方をしたけど、一纏めにせず分けてやれば良いんだ。まず尻尾を取り返す、その後に改心させればいい」
「あ……」魅紺はハッとした顔を見せる。たがその直後に「でも、それは契約に含まれていませんよ」と言って、目を伏せてしまう。
「魅紺一人じゃ荷が重いなら、俺が手伝ってやるよ」
「ほ、本当ですか!」
「でも、能力を失った時哉がどうなるか、俺にだって分からないんだ。成功する保証なんてものは無いからな」
「はい! 安雄、ありがとうございます!」
あくまで時哉から能力を取り返せれば、それで良かったはずなのに……。すっかり明るくなった魅紺に背を向け、安雄は時哉の元へと歩き出した。もうこれ以上の討論は必要ないだろう。言ってしまった後で、安雄は少しだけ後悔していた。
時哉が周囲に与える悪影響を止めるのが自分の役割であって、さっき魅紺が言っていた通り、時哉自身の救済は含まれていない。それをわかっていながら、何故時哉に関わり続けようとするのか。
時哉との会話の中で、何らかの共感を感じたからかもしれない。魅紺と彩音の会話をスムーズに進める為かもしれない。後腐れの無い決着を求めているのかもしれない。
それとも……英雄という奴を、一度この目で見てみたいから……?
「どうしたんですか、安雄?」
追いかけてきた魅紺が背中にぶつかり、衝撃で体が揺らぐ。ごちゃごちゃと悩んでいた頭の中に紛れ込んでいた謎の思考が、安雄の足をぴたりと止めた。
英雄が見たい。確かに、その存在に興味はある。何も無い場所から桃太郎が突然現れて、刀で切り殺してくるのか、それとも、黒いサングラスにスーツを着たエージェントが銃で撃ってくるだとか、そういうビジュアル的な意味では無く、あくまで、どの程度までやれば問題視されるのかが気になるのだ。
人間の世界で発生する非常識を潰すのがその役割なら、安雄が起す能力は、どれ程度危険視されるのか。少なくとも、変身能力のような途方も無い力ではないので、気を付けてさえいれば大丈夫だろう。問題なのは、もし今回の件で英雄が現れたとしたら、その時は、どちらかが犠牲になるということだ。
「ああもう、考えるな!」
安雄は頭を振り、余計な思考を払い飛ばした。色んな話を聞かされて処理しきれていないから、余計な考えが頭の中を過るんだ。最初の目的を思い出せ。俺は彩音のスランプを直すために、魅紺に協力しているのだろう。大切なことを見失うな、他のことなんてその後で考えればいい。
「安雄、大変です!」
いつのまにか、後ろに居たはずの魅紺が、時哉が座っていたゲームの筺体の近くにいる。慌てた様子で辺りを見回し、まるで何かを探しているようだ。
っておい、それってまさか。
「時哉君が居なくなってます!」




