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2話 嵐の前の静けさ

 「じゃあ、私とお母さんは夜まで帰らないからね! 

私達が居ないからってサボるんじゃないわよ!」


 社交界用の綺羅びやかな赤いドレスに身を包んだ瑠璃は、澪を睨みつけた。

 澪は小さく首を縦に振り、深々と頭を下げる。

 瑠璃は馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、ドレスの裾を(ひるがえ)して北にある高級地区、芙蓉街(ふようがい)へ向かった。


 しばらくして、隣にいるおかっぱ頭の使用人――亜子(あこ)に軽く肩を叩かれ、澪はようやく頭を上げた。


 「もう、綾子様と瑠璃様の姿は見えません。頭を上げても大丈夫ですよ」


 「ありがとう……」


 澪は呟くように言うと小さく息を吐いた。


 少なくとも夕方までは辛い思いをしなくても済む。

 彼女との会話のおかげで、感情の出し方を忘れたはずの心がわずかに明るくなっていることに澪自身も気づいた。


 「澪様、私達も朝食にしませんか?」

 

 「はい……」


 澪は反射的に返事をした。

 

 厨房へ向かいながら、澪はポツリと呟く。


 「ごめんなさい。私が弱いばかりに、あなた達まで……」


 「いいえ、澪様は悪くありません。あのお二人がっ……!」


 亜子の声はかすかに震え、目元には悔しさが滲んでいた。


 亜子は朝比奈家の使用人。庶民出身の十三歳で、澪とは五つ離れている。

 彼女が澪を気にかけてくれているのは理由があった。

 

 亜子の失敗を澪が肩代わりしてくれたのだ。

しかし、そのせいで澪はますます瑠璃達から酷く扱われるようになり、亜子は今のように二人がいなくなった時のみ寄り添って、共感を示してくれている。


 「他の使用人――佳奈子達も澪様のことを心配しています。とはいえ、瑠璃様から『必要以上に関わるな』と言われてはいますので、表立っては動けませんが……」


 亜子の声は低くほんの少しだけ震えていた。澪に言葉をかけるたびに、亜子の心の中にある引っかかりが感じられる。


 「でも、澪様のためなら……私達、できることなら何でもしたいと思ってます。せめて、少しでも――」


 言葉が途中で途切れ、亜子は俯いた。もどかしさと悔しさが小さな体を震わせている。


 澪にも亜子達の配慮はじゅうぶん伝わっていた。

屋敷内で瑠璃達と顔を合わせくて良いように、屋敷の外掃除や洗濯、他の使用人の買い出しにこっそり同伴させてもらっていた。



 屋敷の東にある厨房。そこが使用人達の食事場所にもなっていた。

 隅に置かれた座卓にボロボロの座布団を持ってきて、瑠璃達と同じ物を澪達は無言で口に運ぶ。


 食事を終え、一息ついた澪はゆっくり周囲を見回すと、呟く。


 「……佳奈子さん達は?」


 「佳奈子達は別の家事に取りかかっています。私達は基本、バラバラに食事を摂りますので……」


 亜子は一度話を区切ると、少し真剣な顔つきになった。


 「澪様。私、やはりわかりません。瑠璃達がいったい何をしたいのか。なぜ澪様に酷いことをするのか……」


 俯いて、体を震わせる亜子を澪は呆然と眺めていた。


 「あの人達は、この家を好きなようにしたいのだと思う……」


 澪の抑揚のない声に亜子はハッと顔を上げた。


 「み、澪様。失礼を承知の上で申し上げますが、何もされないおつもりですか?」


 「……私が居なくても、誰も困らないでしょう?」


 頼みの綱であるはずの父は帰ってこない。

 ずっと家に縛られてきた澪には他にアテがなかった。


 「そ、そんなことありません!澪様がいらっしゃるだけで、私達は……」


 澪は何とも言えない気持ちで亜子を眺めていた。


 自分を必要だと言ってくれているのは嬉しかった。

でも、それだけでは状況は何も変わらない。


 今更、澪が言い返すようになったとしても、瑠璃達は澪を屋敷の北にある蔵に閉じ込めてしまうだろう。


 「気持ちは嬉しいわ……。だけど、この状況を変えるには力が足りない」


 感情のない声で言う澪に、亜子は申し訳なさそうに肩を縮こませた。


 「あなた達が悪いわけじゃないの。

  むしろ、こんな私を様付けで呼んでくれて、とても感謝しているわ」


 「いえ……その……」


 いきなり感謝されて、亜子は今度は恥ずかしそうに顔を逸らした。


 ふと、澪は自分達の食器が空になっていることに気づいて、亜子に声をかける。

 

 「亜子、もう片付ける?」


 「は、はい」


 亜子は素早く立ち上がると、澪の分の食器も重ねて流し場に持っていった。

 澪はお礼を言いながら亜子の隣に立ち、布巾を手にする。

亜子が洗い終わった食器の水気を取るためだ。


 「お二人が帰宅されるまでは、何も起こらさそうですね」


 ポツリと呟いた亜子に、澪はゆっくりと首を縦に振る。

 澪自身もそう思っていた。


 しかし、夕方に思いも寄らぬ訪問者が現れるのだった。

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