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1話 声なき日常

 霞国(かすみのくに)――皇帝を頂点とする帝政国家。

 五大名家が政財界を支配するこの国の首都、霞都(かすと)

そこから南西の位置に桐ノ原(きりのはら)と呼ばれる名家街区がある。

 昔は多くの中堅名家が屋敷を建てていたが、没落や移住等で人口は減っており、今は見る影もないぐらい廃れていた。 

その一角に、朝比奈家はひっそりと屋敷を構えていた。



 午前五時。

 まだ陽も昇りきっていない薄暗い春の季節。


 屋敷の北側にある四畳半の自室で朝比奈澪(あさひなみお)はいそいそと薄い布団から這い出し、服の裾を整えた。その黒い瞳は無表情で、何も映していないようだった。


 空が快晴でも曇り空でも雨雲でも、澪にとってはどうでもよかった。

 

――外の世界のことなんて、自分には関係がない。

そう思っていたからだ。


 澪は素早く、黄ばみのあるツギハギだらけの割烹着を身に着け、東の厨房に向かう。

そこで、他の三人の使用人と共に炊事に取りかかった。

  



 午前七時。

 中央にある十二畳ほどの畳敷き居間。そこに置かれた個人の膳の上に、澪達はご飯、大根の味噌汁、ほうれん草のお浸しの和食を並べていた。朝比奈家の朝食は和食と決まっている。

 箸置きに箸を置いた直後、襖が開き、 毛先がゆるくカールした背中まで届く艶やかな黒髪の少女が、豪快な欠伸をしながら入ってきた。


 朝比奈瑠璃(あさひなるり)

澪の異母妹で、年齢は澪より一つ下の十七。

外からの評判はお淑やかで華やか。しかし、身内だけになると途端に本性を表し我儘で自分勝手になる。 


 「良い匂いねぇ。

  あら、お義姉さま、居たの?」


 わざとらしくい言う瑠璃に、澪は小さく頷いただけだった。 

 返事をしても難癖をつけられて、酷い言葉を浴びせられるからだ。


 瑠璃は食卓につくと澪を睨みながら言う。


 「お茶」


 「ただいまお持ちします……」


 澪は抑揚のない小さな声で答えると、お茶を淹れた。 

 一口啜った瑠璃は眉をしかめると、いきなり手に持っている湯呑みの中身を澪にぶちまけた。側に控えていた二人の使用人が思わず顔を背ける。


 「熱い! 熱すぎるじゃないの!

今は春よ!? どうしてこんな冬みたいな熱々のお茶を出せるのよ!?」


 澪の顔は熱いお茶をかけられたせいで赤くなっており、艶のない毛先から雫をボタボタと垂らしている。

 それでも「熱い」とすら言わず、ただ唇を固く結んで瑠璃を見ているだけだった。


 瑠璃は何も言い返してこない澪に腹を立てたのか、澪に負けないほど顔を真っ赤にして叫ぶ。


 「何か言い訳ぐらいしてみなさいよ! それともわざと!? わざと熱いお茶を出したっていうの!?」


 「…………」


 「返事がないってことはそうなのね!?

酷いお義姉さまだわ! 私の何が気に入らないの!?」


 瑠璃は澪に思いつく限りの罵詈雑言を浴びせた。使用人達は耐えきれずに目をギュッと瞑って手で耳を覆っている。

 しかし、瑠璃の目には澪しか映っていなかった。


 少しして、継母の朝比奈綾子(あさひなあやこ)も居間に顔を出した。

眼前で繰り広げられている状況に一瞬眉を上げたが、実の娘の瑠璃に罵倒されている澪を見て、冷ややかに笑う。 


 「瑠璃、こんな爽やかな朝からどうしたのです?」


 「お母様! 聞いてよ!

  お義姉さまが私にわざと熱いお茶を出したの!

危うく火傷するところだったわ!」


 「まぁ……。それは本当なのですか? 澪さん」


 「…………」


 澪は人形のように何も反応を示さずに俯いている。

 ここで口を開いても、継母は味方になんてなってくれないと確信していたからだ。

 その様子を見た瑠璃は勝ち誇ったように澪を指差す。


 「何も言わないってことは本当なのよ! 酷いと思わない!?

  今日はあの桂木家から招待されたパーティの日なのよ! 舌を火傷して料理を食べられないなんて嫌よ!」


 桂木家は五大名家の一つで、当主は桂木律(かつらぎりつ)

二十五歳という若さで当主になったもののまだ独身で、不思議なことに婚約者がいるという噂もない。

 それで両親からのプレッシャーなのか、定期的に社交パーティを開いていた。全ての名家の令嬢に招待状を送り、朝比奈家も受け取っていた。


 「そうですよ、澪さん。しかも五回目の招待です。

これは朝比奈家を嫁候補として数えてくれているとみて、間違いないでしょう」 


 綾子の言葉は丁寧だったが、興奮を抑えきれていないのか早口だった。

 五回も名家からの招待状を受け取って有頂天になっているのは明らかだ。


 「ですから、瑠璃の美貌を損ねるような振る舞いはやめてくださいね? 澪さん」


 「あっ! そうそう、いつも通りお義姉さま宛に招待状なんて来てないからね!」


 綾子に不満をぶちまけて少し落ち着いたのか、瑠璃は意地悪そうな顔で言い、母と一緒に笑った。

 

 澪は何の反応も示さずにただ俯いているだけだった。


 何故、自分には招待状が来ないのだろうか。

朝比奈家の人間だと認められていないのかもしれない。


 そして、場にいない父、啓一郎(けいいちろう)のことを考えた。


 朝比奈家は元々、香や薬を扱う商家。

 父は、桐ノ原の北に位置する高級地区芙蓉街(ふようがい)にある店舗「香朝堂(こうちょうどう)」の運営に殆どの時間を割いており、家にいること自体が珍しかった。

最盛期に比べると規模は縮小しているが、それでも変わらず商いを続けていると聞いていた。


 澪が六歳の時に実の母が流行り病で亡くなり、その後すぐに商家育ちの綾子と再婚した。

 「澪に寂しい思いをさせたくない」というのが理由だったらしいが、綾子と瑠璃の我儘な振る舞いに辟易して、滅多に家に帰らなくなった。

 澪にとって、不在が当たり前になっていたのだ。

 


 朝比奈家での澪の味方といえば、五人の使用人のみ。

味方がいるだけマシなのかもしれないが彼等は身分が低いため、継母達の前で澪を庇うことなんてできなかった。


 いつしか澪は希望を失い、感情も表に出さなくなった。

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