11話 初仕事②
午前七時。
無事に朝食を作り終えた澪達は、小ぶりの鍋等に移し替えていた。居間で注ぎ分けるためだ。
「じゃあ、柏木さんはそのお櫃を居間まで運んでね」
「はいっ!」
藤咲の指示で、澪は小ぶりのお櫃を両手で抱えた。
腕にはずしりとした重み。鼻には木の香りとご飯の香りが混ざり不思議なものになっている。
「柏木さん! あたしについてきな!」
「わ、わかりました!」
いきなり名を呼ばれて、澪は小さく飛び上がってから、入口にいる榎田の元へと急ぐ。彼女は小鍋を抱えていた。
埃一つない廊下を歩きながら、榎田は背後の澪に聞こえるように声を出した。
「これらは毎食のことだからね。やり方とか居間までの道順とか、できるだけ早く覚えるんだよ」
「はい! 頑張ります!」
――足手まといにならないようにしないと
澪は答えながら、そう心に誓った。
居間は屋敷の東に位置している。
そこで、本家の人々――律とその両親の膳を用意する。
榎田が片手で器用に襖を開けた。
八畳ほどの畳張りで、壁際に置かれている長方形の座卓の上にお櫃や小鍋を置き、膳を3つ並べた。
白米、豆腐と人参の味噌汁、大根漬け物。それらをお椀やお皿に注ぎわけて、膳の上に並べる。
澪にとっては慣れた作業だったため、手際良く終わらせた。
それを見た榎田が少し驚いたような声を出す。
「柏木さん、ずいぶん手慣れてるねぇ。前の場所でもやってたのかい?」
「は、はい……。食事の準備と、掃除と洗濯と……」
「へぇ。頼りになりそうだね」
「いえ、私なんて、皆さんの足元にも及ばなくて……」
澪が遠慮がちに答えると、榎田は声を上げて笑った。
厳格な雰囲気のあるこの家に笑い声が響き、澪は思わず手を止めて榎田を見つめる。
「そりゃあ、あたし達と比べたらね。でもまだ初日だし、柏木さんは何にもできてないわけじゃないから、もう少し自信持ちな」
「あ、ありがとうございます……」
澪は少しだけ微笑んだ。
一通り準備が終わると、榎田が次の指示を出した。
「さて、柏木さんは一度厨房に戻りな。他の人達と朝食をとって二十分後、またここに来るんだよ」
「わかりました。失礼します」
――桜井さんが言ってたことね
澪は榎田に頭を下げると、居間を後にする。
――大きな失敗をしなくてよかった。これからも頑張らないと
襖を閉めた澪は大きく息を吐いた。
二十分後。澪は再び居間を訪れた。
待機していた榎田がせっせと空のお椀やお皿を重ねて、後片付けをしている。
「す、すみません! 遅くなりました!」
「ん? 二十分ちょうどじゃないか。遅れてないよ」
榎田は掛け時計にチラリと目をやって、不思議そうに言った。
「は、はい。すみません……」
「柏木さん……あんた常に緊張してるし、すぐ謝るねぇ」
「ご、ごめんなさ――あっ」
慌てて口を覆った澪を見て、榎田は少しだけ口元を緩めた。
「いや、怒ってるわけじゃないんだよ。
よっぽど前の環境が酷かったのかと考えちゃって」
「そ、そうですね……」
澪は苦笑することしかできなかった。
薄暗い厨房で亜子達と食事を作ったり、綾子や瑠璃から理不尽なことで怒られたりしていたことを思い出してしまった。
榎田は澪に膳を仕舞うように指示を出すと、独り言のように呟く。
「この家では、頭ごなしに叱られることはないんだよ。基本は注意だけ。
何か失敗をしたら理由を聞いて、本人も反省しているようなら、それ以上は強く言わないんだよ」
「は、はあ……」
――格式の高い家なのに、怒鳴られないの? そういうのには一段と気を遣っていそうなのに……
「まぁ、あまりにも直さなかったらしばらく仕事から外れてもらうけどね」
「っ!?」
仕事から外される。
榎田は何気なく口にしただけかもしれないが、今の澪にとって最も響く言葉だった。
――成果を出さなければ、1日を呆然と過ごすことになる。
それだけは絶対に嫌!
思わず手を止めた澪を見て、榎田は小さく肩をすくめた。
「って、柏木さん。そんなに固まらなくても良いんだよ。
最初の時にも言ったけど、気負わずにやりな」
「は、はい……」
――そうだった。いちいち反応してたら怪しまれるわ
藤村と桜井以外の使用人は澪の事情を知らない。
わざわざ偽名まで用意してくれたのに、初日で疑念を持たせるわけにはいかなかった。
澪は汗を拭って一度深呼吸をすると、再び仕事に取りかかった。
初仕事③に続きます。
長いと思うかもしれませんが、初日の場面なのでしっかり書きたいです。




