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冷酷と噂の名家当主に嫁ぐことになりましたが、私はただの雑用係です  作者: 月森 かれん


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10話 初仕事①

 翌朝、午前五時半。

 澪は薄暗い室内でゆっくりと瞼を開け、次の瞬間、布団をはねのけて起き上がった。


 「大変っ! 今何時かしら!」


 緊張で鼓動が早まった。料理を出す時間を一分でも過ぎれば怒られる。

それでも手早く布団をたたみ、衝立ての奥に押しやる。

そこでハッとして手を止めた。


 「あ……家じゃないんだった」


 自室の広さ、布団の心地良さ。ほとんどが実家とは違うのに、澪はまだ自分がそこにいると思ってしまった。 


 澪はバクバクと脈打つ胸を押さえながら、ため息をつく。

 長年の癖が出てしまっていることに悲しくなった。


 しばらく深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせた。 

 

 「あ、そういえば服を取らないと」


 澪は音を立てないように、そっと襖を開ける。

すると足元に綺麗に畳まれた灰色の給仕服と茶色の前掛けが置いてあった。

桜井達が着ているものと同じで真新しく、シワ一つなかった。


 澪は崩さないように丁寧に服を取ると、襖を閉めた。

それから服を広げて体に当ててみる。サイズはピッタリだった。


 「私、自分のことはほとんど話さなかったのに……」


 驚きながらもすぐに着替えた。

給仕服から漂うほのかな石鹸の香りに、澪は少しだけ緊張がほぐれた。

 着てきた割烹着は目立たない部屋の隅に置いた。

 

 「こんなボロボロの服で、今まで過ごしてたんだ……」


 昨日1日、この姿で回っていたことを思い出して顔を赤くする。

 しかしすぐに打ち消すように首を左右に振ると、桜井からもらった紙にもう一度目を通した。


 「覚えられる自信はないけど、せめて思い出せるように」


 それが終わると澪は胸に手を当てて、もう一度深呼吸する。


 「失敗しないようにしなきゃ」



 澪が厨房に向かうと、すでに中年女性がバタバタと調理器具の準備を始めていた。澪に気づくと驚いたように目を見開く。それから掛け時計をチラリと見て、側まで来た。


 「お、おはようございます」


 「おはよう。まだ五時四五分だよ。随分早かったねえ。

ああ、私は榎田。ここの責任者さ。よろしくね」

 

 「柏木澪です。改めて、よろしくお願いします!」


 「よろしく。

ところで、柏木さんは何ができるの?」 


 試すような言い方に、澪は思わず体を震わせた。 

 継母や義妹に似ていたからだ。


 「え、えっと、野菜の皮むきとか、刻むこととかです……」 


 「そう。じゃあ、流しに人参があるんだけど、それをいちょう切りにしてくれる? 味噌汁に入れるからね」


 「わ、わかりました」


 澪が流しに向かうと、(ざる)に人参が積み上げられていた。綺麗な橙色で十本以上ある。

丁寧に洗っていると、他の使用人達が続々と集まってきた。

榎田から「新人の柏木さんに挨拶しなよ!」と声かけられている。

 そのため、澪の作業はなかなか進まず、十人目の藤咲が挨拶し終わった後に、ようやく水洗いが終わった。

 

 ――やっと終わった。今何時だろう?


 キョロキョロと首を動かすと、中央の柱の掛け時計が目に入った。榎田が見ていたものだ。針は六時五分を指している。

 すると榎田の声が響いた。


 「野菜の切り出しは十分までには終わらせるように! 

いつも言ってるけど、焦らなくていいからね! 早く終わった人はまだ終わってない人を手伝う!」


 至る所から「はいっ!」という緊張を含んだ声が飛ぶ。

 澪は榎田が配慮してくれたように思えた。





 ―一方、書斎では律と藤村が静かに話し合っていた。


 「では、私は午前中に朝比奈家に赴き、澪嬢の待遇とこれからを伝えて参ります」


 「ああ。頼んだぞ、藤村。

 ところで、朝比奈家はそんなに存続が危ないのか?」 


 律は、夜会での瑠璃の様子をを思い出したように言う。

上目遣いや猫なで声。まるで、名家に嫁ぐのを生きがいにしているような態度だったからだ。


 「そのような話は伺っておりませんな。……何かお気に召さないことでも?」


 律は怪訝そうに目を細めると口を開く。


 「朝比奈澪の態度についてだ。良家の令嬢には見えない……藤村から聞いた通りだったが、どんな生活を送っていたらあそこまで怯える?」 


 「おそらく、後妻が朝比奈家に入ったことで澪嬢が追いやられてしまったのではないかと。私が伺ったときもみすぼらしい割烹着姿でしたし、良い扱いを受けていなかったのでしょうな」


 「探りを入れてきてくれないか? わかる範囲で良い」


 「承知致しました。ですが……」


 「ん?」 


 言いづらそうに目を伏せる藤村に、律は首を傾げる。


 「澪嬢は中堅名家の令嬢です。あまり誤解を生むような探りは控えられた方がよろしいかと」


 「心配するな、藤村。俺はただ興味があるだけだ」


 そう答えた律の目はどこか不満げだった。

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