8話 再び剣を手に
公爵邸の裏手にある小高い丘の上。
以前は無かった立派な石碑が立っているものの、それ以外は全く変わらず、野草の花畑が静かに広がっていた。
目を閉じたまま深呼吸すると、草の匂いが鼻腔を擽る。
爽やかな初夏の風が頬を撫で、亜麻色の前髪を揺らした。
(……よし)
右手に短剣を握り締め、左腕を三角巾で吊ったクレンは、ゆっくりと目を開く。
そして巨大な黒鉄のバトルアクスを担いだ筋骨隆々の大男──幼馴染のガイを金の瞳に映すと、地を蹴った。
◆
『右腕一本でガイに勝て。期限は1年だ』
自身の覚悟をアンナに告げた翌日、病室に押し掛けてきたギルバートから開口一番告げられたのは、いかにも彼らしい発言で。
『情報も持ってねー捕虜なんざ、本来なら用済みだが……こっちも被害が甚大で、ぶっちゃけ人手不足でな』
『……はい』
『処刑されたくねーなら、利用価値を示してみろ』
『っ若様!? そんな……!』
ぎょっとするアンナを右手で制し、クレンはベッド上で精一杯丁寧に頭を垂れた。
『承知いたしました。ご温情、感謝いたします』
深々と一礼していたクレンは、腕を組んで自分を見下ろすギルバートの切なげな表情を目にすることは無かったのだが。
(1年か──)
幼少期だけとはいえ彼の性格を熟知していた自分は、その想いを正しく受け取ったのだった。
(ギル。お前の期待に、必ず応えてみせる)
幸い脚には大きな怪我も無い。
片手が使えて、目も見える。
もう一度剣を手に取り、主の為に戦うこと。
それが自分の使命で、贖罪なのだから。
◆
「っおらぁ!!」
「っ、わ……」
ブォン、と大斧を振り回すガイ。
強烈な一撃で地面が抉れたかと思えば、斧を引きずるようにして草原を削り取りながら突進し、斬り上げてくる。
(とんでもない腕力だな……当然だけど、昔とは段違いだ)
直撃でなくとも、射程内であれば間違いなく叩き潰されて即死だろう。
筋力と体格差を考えても、短剣で受けて反撃するなど論外である。
(それに、俺の方も)
脚は意外と鈍っていなかったため、回避はできる。
だが利き手と逆で扱う剣が、どうにもイメージ通りに動かなかった。
左腕のリハビリと並行して右腕もきっちり鍛錬していたつもりだが、やはり実戦となると勝手が違うらしい。
(やっぱいいなぁ、筋肉……)
自分ならば両手でも持ち上がらないほど巨大な武器を、片手で易々と扱う太い腕。
しかも逞しい巨躯に見合わず動きはしなやかで素早く、型に嵌らない立ち回りとリーチの長さも手伝って、なかなか間合いを詰められない。
「ぐはは! クレン、弱くなってねぇ?」
「まぁ、見た通りだな」
「オレっち勝っちゃうぜ? 初勝利貰っちゃうぜ?」
かつてギルバートの覇王ごっこでは敵のやられ役ばかりさせられていたガイは、心底愉しげな表情で一層激しく大斧を振るう。
ギルバートの舎弟から側近へと昇格した彼はクレンと同い年だが、内乱中は公王軍の最前線で敵の集団を容赦なく薙ぎ払う姿から“大斧鬼”の異名で恐れられていたそうだ。
とはいえ、猪突猛進で後先考えない性格は昔と大差ないようで、がむしゃらに突っ込んだ時に付いたと思われる傷痕が腕のあちこちに薄く残っていた。
(……一矢報いる程度なら、いけるか?)
回避を繰り返しながらガイの攻撃をずっと“視て”いたクレンは、ふっと身体の力を抜く。
「っ貰ったぁ──!」
唸りを上げて勢いよく振り下ろされる大斧。
その軌道を読むと同時に、脇を狙って一気に飛び込む。
(一撃当てて、即回避──っえ)
ズガァァン!
ガイの右脇腹に短剣が届く寸前、バトルアクスが地表を叩き割った衝撃で足元に地割れのような亀裂が走り、クレンは大きくバランスを崩した。
(拙い、受け身が──)
「やっべ……!」
運悪く腕を吊った左側へと倒れ込み、しかもガイが勢いよく斧を横薙ぎに引いたタイミングも重なって、巨大な刃先が眼前に迫る。
一瞬で目測を確認しつつ身を捻れば、黒光りする分厚い刃が目と鼻の先を通過していった。
(あっぶな、冗談抜きで死ぬ所だった……)
直後、クレンは仰向けにひっくり返る。
一方、軽い模擬戦で危うく自分を殺しかけたガイはというと、昔と変わらず能天気な笑顔で見下ろしてきた。
「ぐはは! とりあえず、オレっちの勝ちだよな!」
「あぁ。こんなに強くなってるなんて、驚いた」
差し出された手を取りながら、クレンは素直に相手を賞賛したのだが。
「うわっ、ほっせぇ手! 女みてぇ!」
「…………」
悪気は無いのだろうが、昔から気にしているコンプレックスを抉られ、クレンはじとりと大男を睨み上げた。
「……見てろ、絶対お前くらいマッチョになってやる」
「げぇ! ムキムキのクレンとか絶対見たくねぇ!」
◆
その日から、クレンは公爵邸の医務室と裏手の丘を往復し、機能回復訓練と剣の鍛錬に明け暮れる生活を始めた。
ガイは悪天候でなければほぼ毎日手合わせに付き合ってくれていたが、ぶっちゃけ親切心というより連勝記録を伸ばしたいだけのようだ。
「ぅおらぁっ!」
「あ」
カキィィン!
クレンの短剣が森の方へとかっ飛ばされ、ついでに強く弾かれた衝撃で体勢を崩す。
寸止めする気は更々ない様子で大斧を振り下ろしたガイだったが、直後不満げに口を尖らせた。
「あぁもう、避けんなよ!」
「や、避けなきゃ即死じゃん」
「連勝してんのになんか悔しいぜ! 一回くらいまともに当てたいっ!」
「だから死ぬって……」
右手と脚で相手の射程から逃れたクレンは、周囲の地面を踏み固めつつ返す。
初回で結構な範囲の草原がズタズタになってしまったので、そこは鍛錬用と決めて割り切り、後方の花畑や森は荒らさないよう気を付けることにしていた。
「よし、もっかいだ!」
「お前は今から仕事だろ。また次回、よろしくな」
「ちぇーっ。もっとクレンと遊びてぇのに」
大きな子どもを宥めるように送り出し、クレンは短剣を拾うために森の方へと歩き出す。
(さて、後は自主練だな)
ガイの型破りな動きにはだいぶ慣れたが、問題は自分の技量である。
こればかりはひたすら経験を積み、地道に鍛え続けていくしかない。
森の手前で見付けた短剣を回収して引き返し、すっかり草原が掘り返された鍛錬用の場所に立つと、目を閉じた。
(今日は、誰にするか……)
依然として“空白の5年”は思い出せないが、それ以前の視覚記憶はきっちり残っている。
ガイとの実戦練習も大事だが、かつて自分に剣を指導してくれた人達の“映像”を視ながら初心に返って自主練を行うのも、クレンにとっては充実した時間だった。
(──そうだ)
「《映見》」
瞼の裏に、笑顔で木剣を構えるシルベスターが浮かぶ。
前公王のこと、そして養母ユリアのことも含めて、5年間で起きた出来事の詳細を、クレンは未だに知らされていない。
捕虜という立場のため仕方ないと思う一方で、揃って口を噤む幼馴染達の反応から薄々予想はついていたが。
(俺は……いつでも“視て”、逢えるけど)
公王の幻影と剣を交えるように駆け、右手を振るう。
(もっと沢山、お話したかったな)
込み上げる感情を断ち切るように、クレンは辺りが暗くなるまで自主練を続けていた。
◆
来る日も来る日も、クレンは丘を訪れた。
土砂降りの雨に打たれながら、短剣を振るった初夏。
泥の跳ねた石碑を磨き上げ、汗だくになってガイと剣を交えた夏。
辺りに咲き誇る赤い花を摘んで石碑に供えた後、頭上から舞い散る落ち葉に狙いを定め続けた秋。
鍛錬用の場所と石碑周りの雪掻きをしてから、粉雪を斬り裂くように何度も何度も刃を翻した冬。
そしてまた、春がやってくる。




