6話 5年後の目覚め
『失礼いたします』
『おぅ』
ドアをノック分厚い歴史書を持ってクレンが入室すると、部屋の主は特大ベッドに寝転んで熱心に童話を読んでいる所だった。
『これから歴史学のお時間ですが……』
『5分だけ待ってろ。あと、2人ん時はタメ口でいいっつーの』
起き上がりつつ口を尖らせるギルバートを見て、クレンは苦笑する。
『分かった。……ギルって本当、英雄譚が好きだよな』
『世界征服の参考資料にな。いずれオレサマも“覇王ギルバート”の名を後世に残してやるぜ!』
(御伽話が参考になるかなぁ……?)
クレンの疑問を余所に、年下の主は得意げに胸を張ると、また読書に集中し始めた。
彼が読了するのを待つ間、クレンは立ったままサイドテーブルに置かれた本を手に取り、パラパラと目を通す。
『……そっちのはハズレだぜ。全然つまんねー』
気付けば自分も物語に引き込まれていたらしい。
既に本を置いていたギルバートが口を挟んできた。
『ふぅん?』
『まず主人公が上から目線でウゼーし』
(お前がそれ言う……?)
クレンの内心ツッコミなど露知らず、ベッドから降りたギルバートは、ふかふかのソファにどかりと腰を下ろす。
『大体、なーにが奇跡の力だ。そんなんあったら医者要らずじゃねーか』
人々を救って命を落とした男を、救世主が蘇らせる奇跡の物語。
負傷者を次々癒し、神の化身と崇められた聖者の伝説を、どうも彼はあまりお気に召さなかったらしい。
『……まぁ、童話だしな』
『治癒術なんて存在すんなら、とっくに母上も回復して、家に帰ってきてるっての』
(……!)
クレンは咄嗟に返す言葉が出てこなかった。
そんな自分の反応を見て、ギルバートはどうやら違う意味に取ったらしい。
『……。別に、深い意味は無ぇよ。どーせ母上の記憶なんざ皆無だしな』
『……うん』
『だから、アニキがそんな顔すんなっての!』
にっと笑ってそう言う彼に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
些細な動作から真偽を見抜く自分と、公子という立場から腹の底を探る癖が染み付いている彼。
「互いの間に嘘や誤魔化しは無し」というルールを幼い頃から設けてきたのだが、クレンは一つだけ彼への秘密を抱えていた。
(ごめん……これだけは、言えないんだ)
何故なら、公王によって緘口令が敷かれているからだ。
真実を知っていながら、口裏を合わせている内容──それは。
(ジゼル様は──ギルの母君は、戻らないって)
クレンが3歳の頃、公王夫妻は離婚した。
詳しい理由は不明だが、その事実は国内でも公にされず、あくまで“病による自宅療養”という形で知れ渡っている。
またギルバートも「詳しくは成人した時に打ち明ける」という父親の意向を尊重し、あえて詳細は探らずにいるようだ。
『──で、今度はもっとクソつまんねー歴史の勉強ってか?』
そんな彼も、そして自分も、実に子どもらしくない性格であることは自覚している。
だから、こうしてギルバートがいかにも駄々っ子のように感情を表してくれると、何だか安心するのだ。
『世界を制覇するなら、自国の歴史くらい把握してないとな』
彼の好きそうな言い回しで返せば、目に見えて機嫌を浮上させるギルバート。
『言うねぇ。流石は覇王の右腕だぜ!』
『俺、左利きなんだけど』
『細けーことは気にすんな!』
そうして互いに笑い合った、あの頃には。
もう二度と、戻れない。
◆
ぼんやりと目を開けた先には、真っ白な天井があった。
(……ここ、は……どこだ?)
身を起こそうとした途端、全身に激痛が走る。
身体はおろか指一本動かせず、首を傾けることも、声を発することもできない。
唯一自分の意思で動くのは眼球だけで、クレンはどうにか周囲の様子を見渡した。
(病室……どっかの、診療所か……?)
サイドテーブルには包帯や薬品らしき物が置かれ、奥の方にも医療設備が揃っている。
隣にもう一台ベッドはあるが患者の姿は無く、穏やかな陽光が差し込む窓からは、若葉の枝で囀る小鳥達が見えた。
時間帯は恐らく朝、季節は春といった所だろうか。
(そもそも、何で怪我したんだっけ……?)
先程から頭がぼうっとしていて、上手く思考がまとまらない。
普段ならば必要な映像記憶を瞬時に取り出せるはずなのに、何故か怪我の経緯はおろか、意識を失う直前の状況すらも全く浮かんでこなかった。
(最後に、見たのは──)
どうにか記憶を辿ろうとしていると、不意に部屋のドアが開いた。
「──で、まだ“B”の情報は得られねーのか」
入ってきたのは、フードを被った黒ローブ姿の男。
手早く内鍵をかけた彼は、口元に近付けた四角い物へと小声で話している。
こちらに背を向けているため顔は見えず、ぼそぼそと聞こえてくる低音も、クレンには覚えのない声だった。
(誰……?)
「チッ、マジで厄介な呪術だぜ。……復興作業の進捗は?」
彼はどうやら、仕事か何かの大事な話をしているようだ。
人に聞かれて良い内容ではないのかもしれないが、今の自分は声も出せず身動ぎすらできないので、どうしようもない。
「物資は惜しみなく与えろ。民衆の支持を集める為の先行投資だ」
(……偉い人、なのかな)
「──あぁ。よろしく頼むぜ」
話を打ち切った黒衣の男は一つ嘆息し、窓の外へと目を向けた。
すっぽり頭を覆っていたフードから、長い銀髪とグレーの瞳をした横顔が僅かに覗く。
(! ……ギル?)
その顔を見るなり、クレンは何故か若き主の名前が真っ先に浮かんできた。
公王の容姿ともよく似ていて、何より年齢的にあり得ないはずなのに。
(や、まさかな……グレイリー家の、親族とか──)
突飛な考えを打ち消しかけた所で、不意に男がこちらを向いた。
「──!」
(──あぁ)
驚愕に見開かれるグレーの吊り目。
子どもらしさの抜けた精悍な顔立ち。
男の顔を真っ直ぐ見上げた瞬間、クレンは確信した。
(間違いない。ギルバートだ……)
そして同時に悟り、思い知らされる。
自分が、何か大変な出来事に巻き込まれたこと。
そして意識を失っている間に、少年が青年となるほどの年月が経過してしまったことを。