5話 黒幕の正体
「っな、何だ!?」
視界を灼く、激しい閃光。
咄嗟に顔を覆った男は、目の前へと迫る金髪の少年に気付かなかった。
「ぐあぁっ!?」
全力で袈裟懸けに一撃、更に男の脇をすり抜け後方から飛び上がり、短剣の柄を思い切り頸椎に打ち付ける。
公王に手を出した時点で死罪だろうが、彼にはまだ聞きたいことがあるため、あえて致命傷は与えなかった。
「っはぁ、はぁっ……!」
昏倒した男の手からメイスを取り上げ、魔石の埋め込まれた頭部の装飾を破壊する。
(これで、良し……)
不意に強い眩暈を覚え、クレンはその場に片膝を付いた。
(けど……屋敷まで、戻れるか……?)
かなりの出血に加えて無理な動きが祟ったらしく、意識が朦朧としてくる。
背中の痛みすら遠退いてきて本格的に拙いと思ったクレンは、己の身体を叱咤しつつ足を踏ん張って立ち上がろうとした。
「──っ、なん、で」
……のだが。
「嘘だろ……っ!?」
剣を構えてクレンの前に立ち塞がったのは、先程まで微動だにしなかったはずの公王シルベスター・グレイリー。
依然として妖しい紫色に光るその双眸は、彼にかけられた魔術が未だ解除されていないことを意味していた。
(く……っ!)
心では絶望しながらも、隙のない構えに対して条件反射で剣を抜いてしまう自分が恨めしい。
(執事はフェイク……なら、黒幕は……?)
脳裏をよぎるのは、あの執事と馬車に乗っていた貴族の女性。
視界の隅で直感的に察知した──それは、既視感だ。
馬車が通り過ぎた時の視覚記憶を、コマ送りのように振り返る。
帽子の鍔が僅かに上向いた瞬間、微笑む紅い唇の左下に見えたのは、小さな黒子。
(! あの口元、それに──)
公王の虚ろな紫の眼がクレンを映すなり、容赦なく振り下ろされる剣。
辛うじて初撃は躱したが、足元すら覚束ない状況では到底防ぎきれず、受け止めた短剣もろとも地面に叩き付けられた。
「がっ……ご、ほっ……!」
(紫の眼──これが、術者の影響だとしたら)
身を起こすので精一杯のクレンをじっと見下ろす公王の姿が、幼い頃の記憶と重なる。
『ジゼルさまのめ、きれいです。ときどき、むらさきのほうせきみたいにひかってて……』
『……。紫水晶のことかしら。うふふ、ありがとう』
今の今まですっかり忘れていた。
自分が物心ついてきた頃、少しだけ言葉を交わしたことのある女性。
ギルバートに似た猫のような吊り目と口元の黒子が印象的な彼女なら、この魔術工房を知っていることも、公王に魔術をかける機会を得られたことも、全てに説明がつく。
(まさか──元公妃、ジゼル・グレイリー……!?)
無駄に広い部屋を転げるように逃げ回りながら、必死で周囲に視線を走らせる。
(どこだ……っ、駄目だ、魔力がもう……!)
霞む視界を補うために両眼へ魔力を込めたい所だが、先程の閃光で使い切ってしまったため、それも叶わない。
最後に残された道は、公王を見捨てて撤退することだけ。
しかしその狙いも読まれていたようで、シルベスターの絶え間ない追撃により、クレンは徐々に部屋の奥へと追い込まれていく。
逃げるタイミングを計るどころか、肝心の入口が遠ざかる一方だった。
「っ、あ……っ」
脚がもつれ、固い床へと倒れ込む。
頭上で鋭い一撃が空を切る男を聞きながら、どうにか身体を捻って起き上がったものの、右脚を斬り付けられて再度崩れ落ちた。
「ぅぐ……っ!」
もう、立つこともできない。
今度こそ万策尽きてしまった。
(──やっぱり)
そのタイミングを見計らったかのように、こつこつと靴音が近付いてくる。
その女は公王の隣に立つと、しなだれかかるように寄り添った。
(貴女が……!)
ウェーブがかったダークグレーの髪と、黒い眼──魔力を帯びた時だけ、鮮やかな紫色に発光する瞳。
妖艶に微笑む紅い唇と、そのすぐ左下にある黒子。
女──ジゼルは、足元に這いつくばっているクレンへと妖しく微笑んだ。
「うふふ……久しぶりね、従者の坊や」
彼女が身体を寄せても、公王は眉一つ動かさない。
そんな無反応の元夫を見て笑みを深めたジゼルは、こちらに向き直り、冷たく言い放った。
「そして、さようなら」
(……あぁ、情けない)
振り翳される刃を、せめて目は瞑らずに見据える。
(結局俺は、恩返しも、約束すらも果たせずに──)
死の恐怖よりも、弟分との約束を守れなかった悔しさに顔を歪めたクレンは、ただ一言だけ呟いた。
「──ギル、ごめん」
◆
かつて、そんな夢を見ていた──“気がする”。
夢幻を揺蕩うような意識。
どこまでも真っ暗な視界。
暗闇の中で、時折映し出されては消えていく、ノイズだらけで無音の映像。
(…………)
小高い丘で、哀しげに微笑む女性。
彼女は自分を優しく抱き締めた直後、凶刃に斃れた。
その人を、かつて実母のように慕っていた──ような、“気がする”。
(…………)
人里を蹂躙する魔物、屍人、そして武装した兵士達。
女子供関係なく惨殺され、荒れ果てた城下町に血濡れの死体が次々と量産されていく。
そこが賑やかな繁華街だった頃、自分は何度か訪れたことがある──“気がする”。
(…………)
青褪めた顔で得物を構えている騎士の男達。
彼らを押し退けるようにして、輝く銀髪を返り血で染めた若い男が現れる。
(…………?)
地べたに這いつくばっている自分へと、剣を振り上げる銀髪男。
これとよく似た光景を、以前にも一度見た──気が、する。
(……?)
ふと視界のノイズがぴたりと止み、顔を上げる。
視線が交わるなり驚愕の表情を浮かべた青年は、グレーの吊り目を潤ませ、何かを叫んだ。
「────っ!!」
(?)
しかし、まるで音の聞き方を忘れてしまったかのように、何も聞こえない。
──それでも。
その顔を、その表情を、その声を。
知っている気がする。
(……)
手を伸ばそうとするが、両側から騎士に押さえ付けられているため動けない。
「…………」
ならばと口を開いてみるが、何を言えばいいのか分からない。
そんな自分に対し、銀髪男は剣を構えた姿勢のまま微動だにしなかった。
(……あ)
彼の瞳に揺らめく、決意の焔。
真っ直ぐな眼差しに射られた瞬間、吐息のように微かな掠れ声が、自然と漏れ出した。
「……ぎ、る……」
「──!?」
「──、──っ!!」
騎士達の拘束を振り払った自分は、いつの間にか短剣を抜いていた。
依然として、瞠目する銀髪男や周囲で騒ぎ立てる男達の声は何も聞こえないのに、何故だか笑みが浮かぶ。
「──ご、め……ん……」
直後、ぐにゃりと揺らいた視界が、無数のノイズに遮られる。
(……あれ?)
唐突に途切れる映像。
そうして目の前は、再び真っ暗な闇に閉ざされる。
(何だっけ……さっき)
徐々に沈んでいく思考の中、最後に浮かんだのは些細な疑問だった。
(何が、視えたんだっけ……?)




