4話 王を操る男
(ここは……)
壁の向こうにあったのは、下へと続く長い螺旋階段だった。
薄暗く重々しい空気、そして隠し部屋のような造りを見て、その用途に一つ心当たりが浮かぶ。
(グレイリー家の、魔術工房……?)
だとすれば本来、血族ではない自分が勝手に入っていい場所ではない。
だが公王は、ほぼ間違いなくこの下にいるはずだ。
(けど、この下でシルベスター様が倒れたら、誰も見付けられない……!)
このまま進めば処罰されるか、下手をすれば首が飛ぶかもしれない。
それでも大恩ある彼を案じる気持ちが勝り、クレンは足早に螺旋階段を降りていった。
階段が終わると細い通路があり、恐らく屋敷の地下と思われる部屋の前へと辿り着く。
重厚な扉には鍵がかかっておらず、思い切って中へ入れば、ホールと書斎を合わせたように広々とした、しかしどこか息苦しい閉塞感に包まれる空間が広がっていた。
(──っ!)
瞬間、襲い掛かってくる人影。
咄嗟に短剣で受けたが強烈な一撃に吹っ飛ばされ、クレンは後方の壁を足裏で蹴ってから着地すると、身構えた。
(な、んで……)
瞠目する自分へと剣を向けている男の姿に、間違いであってくれと願う。
だが、目の前にある現実を正確に映し見る“魔眼”は、無情にも今の状況が真実であると告げていた。
「シルベスター様……っ!?」
「おや、招かれざる客が紛れ込んでしまったか」
「!」
向こう側の壁際にある本棚の影から現れたのは、仮面を付けた謎の男。
目元は隠れているが、それ以外の身体的特徴を“視た”クレンは、即座に男の正体を見抜いた。
(この前、貴族の馬車に乗ってた執事……?)
「っあんた、シルベスター様に何をした!?」
めくら滅法に斬り付けてくる剣を躱しながら、クレンは公王の顔を見やる。
切れ長の目はギルバートと同じ灰色だったはずが、今は鮮やかな紫色に光り、焦点も合っていない。
(暗示の術か? だとしたら、早く解かないと……!)
重い一撃を受け流し、素早く思考を巡らせる。
衰弱した公王の身体では、無理に酷使され続けるのは勿論、峰打ちで気絶させるだけでもかなりのダメージを与えてしまうだろう。
ならば術者を止めるべきなのだが、見たところ執事の男が何かの魔術を発動している様子は無い。
(術者は誰だ? あの男か、それとも別の──なっ!?)
力で押されて体勢を崩したタイミングに合わせ、執事がマスケット銃を構える。
その照準が向けられた先に気付くや否や、クレンは公王に対する防御を捨てて銃口の先へと割り込んだ。
(よく視ろ──っ、今!)
魔力で視覚を強化し、短剣の刃を当てることで、どうにか銃弾を逸らす。
剣の柄を両手で力一杯握り締めて受けたのだが、あまりの衝撃に手が痺れ、クレンは短剣を取り落とした。
(ぐ、っ……!)
直後、背中を焼け付くような衝撃が襲った。
「っあ、ぐっ……!」
重い公王の剣をまともに食らってしまい、思わず膝を付く。
(っ拙い……詰んだ、かも)
止めを刺される覚悟で辛うじて顔を上げれば、公王は剣を振り上げた体勢のまま、時が止まったかのように固まっていた。
(え……?)
「ふはは、なんて王だ! 身を挺し庇ってくれた忠臣を、躊躇なく斬り捨てるなんて」
「っうる、さいっ……」
クレンはよろめきつつ立ち上がり、執事の男を睨み付ける。
彼がコートの裏から小振りのメイスを取り出したのを見て、内心舌打ちした。
(く、魔術じゃなくて、魔道具の効果だったのか……)
「今キミに死なれたら困るんだ。本当はもっと後で出会う“計画”だったのに……」
(どうする……この傷じゃ、間合いを詰めても返り討ちだ)
どくどくと脈打つように痛む背中は熱く、じっとりと衣服の濡れた感触から、かなり出血しているようだ。
このまま放っておけば、間違いなく失血死するだろう。
「どうしよう、予定が狂っちゃったよ」
(こっちの台詞だ。ギルと約束したばっかなのに……)
悔しさのあまり、クレンは唇を噛みしめる。
どんなに優れた視覚を持っていようとも、身体が動かなければ何の役にも立たない。
だから自分は、この眼の能力に見合う力を得るため、日々鍛錬を重ねてきたというのに。
(この状況を打破するビジョンが、見えない……!)
衰弱した身体を酷使させられている公王も救えず。
手も足も出ないまま、自分は無様に死んでいく。
弟分との約束を果たすどころか、彼を絶望の底に突き落として──。
(っ、駄目だ)
左手で足元の短剣を拾い、魔力を込める。
『魔力の強い方が利き手だ。クレンは左利きのようだな!』
(俺が、シルベスター様を救けなきゃ)
幼い頃にギルバートと2人で、公王から魔術を教わった時の光景が脳裏に蘇る。
『何でだよ! オレサマと逆じゃねーか!』
『逆でも悪くないと思うぞ? ──ほら』
当時は何でもクレンの真似をしたがっていたギルバートに、シルベスターは笑顔でこう言っていた。
『2人が並べば、右も左も敵無しだ!』
(それに……ギルを1人残して逝くなんて、できないっ!)
辛うじて短剣を構えたクレンを見て、執事は眉を寄せる。
「……無茶はやめときな。冗談抜きで死ぬよ?」
(一瞬でいい、なけなしの魔力を──)
男は、クレンが死んだら困ると言った。
ならばこれ以上、シルベスターに自分を襲わせることはないはずだ。
また銃やメイスを扱っていることと、きっちり間合いを維持していることから、彼は接近戦を嫌う術士適性と思われる。
自分の機動力が落ちている今、魔術を使われる前に相手との間合いを詰めるためには──。
(凝縮して、放出するんだ)
向こうの動きを、止めればいい。
「《光閃》」
瞬間、クレンが掲げた短剣の切っ先から、強烈な閃光が炸裂した。