3話 ヴォルティガ公王
「もう! またこっそり魔道具弄りですか!?」
ユリアと共に公王の寝室を尋ねたクレンは、養母の怒声を聞きながら嘆息する。
父の部屋へと勝手に潜り込んだギルバートが、共通の趣味であるメカ作りに没頭し、親子揃って乳母や侍女長に叱られるのはもう何度目だろうか。
「はっは! メカは男のロマンだからな! なぁギル?」
「おぅよ! こいつが完成したら、離れた場所でも会話できるんだぜ!」
(うわ、すっごい複雑な回路……)
ギルバートの手元にある小さな四角いメカの中には、電線と細かなパーツが緻密に絡み合っていた。
先日「目が疲れないのか」という質問には否と答えたが、あまり情報量が多い物を長く見過ぎると流石に負荷が掛かるため、クレンはそっと目を逸らす。
「雷魔石が組み込まれているんですか?」
ついでに一瞬見えた物を口にすれば、シルベスターはやつれた頬を緩めてにっこりと笑った。
「さすがクレン、正解だ。こいつがあれば、部屋に来ずとも毎日私と話せるぞ!」
「そーいうこった! だからユリア、完成まで見逃してくれよ?」
悪戯っ子のような顔で乳母にねだる銀髪親子を、ユリアは冷えた眼差しで見下ろす。
「完成って、あと何日かかるんです?」
「「…………」」
「大体、ギルバート様はお休みになる時間です! クレン、今すぐ部屋までお連れして!」
「了解です」
「アニキ、裏切るのか!?」
「健康第一です」
可哀想だが問答無用でギルバートを連れ出せば、意外と大人しく付いてくる。
彼の気持ちも痛いほど分かるだけに何も言えず、クレン達はしばし無言で廊下を進んだ。
(2週間ぶりくらいか)
初任務の後、シドに頼まれた件は一通り公王に伝えておいた。
騎士団の方でも調査隊が動き始めたそうだが、あれ以来シドから任務には呼ばれていない。
だがその理由は実力云々ではなく、家庭の事情──公王の病状悪化により不安を抱えるギルバートの側に居てやれという遠回しな配慮であることを、クレンは何となく察していた。
(前に話した時より、更に痩せられたな……)
公国有数の医師達も原因が分からないという謎の病により、日に日に衰弱していく公王。
しかし本人は気丈どころか、元気な頃と全く変わらず陽気に振る舞っていた。
だから父親の前では、ギルバートも普段通りの態度を精一杯心がけているようだが……。
(ギルが一番、辛いよな)
ニヤリと笑う猫のような吊り目。
口角の上げ方と角度。
話しながら時折前髪に触る仕草。
長年彼を“視て”きた自分には、その微妙な差異が文字通り一目瞭然だった。
「……その魔道具作り、俺も手伝おうか」
「アニキは眼がしんどいだろ。それに、こいつは雷魔術が得意な奴じゃねーと厳しいぜ」
公王の寝室にいた時とは一転、暗い表情で俯くギルバート。
せめて力になれればと思ったのだが、魔術絡みとなると属性的な問題もあり、自分の出る幕では無いようだ。
「雷属性なら、シドとか? 俺と同じで生活魔術レベルの魔力量らしいけど」
「はっ、使えねー奴。魔戦士適性のオレサマとは雲泥の差だろーな」
「……ごめん」
「アンタじゃねーし! シドにマウント取ってんだっての!」
ギルバートは噴き出すと、じゃれつくように肩を組んできた。
「ギル……?」
「……アニキは、長生きしろよ」
思わず彼の顔を覗き込めば、強い意志の焔を宿した眼差しが真っ直ぐクレンを映していた。
「ずっとオレサマの隣に居ろ。従者として、右腕として──家族として、だ」
「……あぁ。勿論」
どこか縋るような色をしたグレーの瞳。
クレンは頷き、ぽんっと彼の頭に手を置いた。
「ギルが白髪の爺さんになるまで──“覇王様”の一生を見届けてやるから、安心しろよ」
「へっ、頼もしーこった」
子ども扱いを嫌うギルバートだが、珍しく今は黙って撫でられている。
(俺が、しっかり支えてやらないとな)
そんな決意を固めた矢先、事件は起きた。
◆
数日後。
夜間の見回り当番だったクレンは、屋敷の廊下を一人歩いていた。
(ランプ無しで行けそうだな)
短剣の先に灯した光で、回廊の先を照らす。
自分が使えるのは小さな明かりを点ける程度の生活魔術だが、暇を見つけては訓練を重ねた成果か、持続時間は伸びてきた気がする。
(火種不要で経済的だし、練習しといて良かった)
一応、自分の眼なら暗闇でも普通に見えるのだが、気分の問題である。
それと以前、ランプ無しで見回りをしていた時に侵入者と間違われ、屋敷中が大騒ぎとなってしまったのだ。
公王親子は勿論、働き疲れた使用人達と鉢合わせて無駄に驚かせてしまうのも忍びないので、以後は明かりを欠かさないようにしていた。
(よし……後はシルベスター様の寝室前だ)
見回り経路の最後を公王の寝室前にしたのは、正直ただの思い付きだった。
先日通った時は咳き込む声が聞こえたため、穏やかな寝息を確認し、安心してから休みたかったというのもある。
(──あれ)
しかし次の角を曲がった先、長い廊下の先に居るはずのない人影が見えた。
「シルベスター様?」
そこそこ声を張って呼び掛けたにもかかわらず、夜着に身を包んだ背中は早足で遠ざかっていく。
まるで重病人とは思えない足取りに、クレンは何故か得体の知れない恐怖を覚えた。
「っ、お待ちください、シルベスター様!」
(おかしい、あの身体でそんなに走れる訳──?)
全速力で追い掛けるが、全く差を詰められない。
不安を拭うように疾走しつつ、クレンは彼の行き先を推測した。
(この先は、公務用の書庫しかないよな)
この辺りを訪れたのは、自分も片手で数えるほどしかない。
しかし前を行く公王が、突き当たりを左ではなく右に向かうのが見えて、一層困惑する。
(え? あっちは行き止まりじゃ──)
ようやく突き当たりを曲がると、公王らしき人物は忽然と消えていた。
目の前に立ち塞がるレンガ造りの壁を、クレンは睨むように見据える。
(絶対、見間違いじゃない)
普通の人なら幽霊や幻、または勘違いだったと思い直すことだろう。
だが自分は──この眼は、違う。
クレンの“魔眼”は、目の前にある現実を正確に映し見るのだから。
「《映見》」
両眼に魔力を込めて壁や床の隅々まで視線を走らせ、普段より数ミリ手前に飛び出したレンガが1つだけあるのを発見する。
(あれだ)
それは手の届くギリギリの高さだったが、迷わず背伸びして手を伸ばし、奥に押し込んだ。
「! なっ──」
瞬間、どんでん返しのように壁が180°回転し、クレンは声を上げる間もなく壁の向こう側へと放り込まれてしまった。




