20話 旧友の安否
霧深い山岳地帯を越えた先にあったのは、砂漠ではなく一面の荒野だった。
「? 地図ではほぼ砂漠だった気が……」
『火熱の地ファバードは大半が砂漠だニ、でも東端はこんな感じニ』
『グランティとの境界で、砂漠の方ほど暑くないニ』
一応地図を広げれば、左右から妖猫達ひょっこり覗き込んでくる。
「東に大回りしたってことか……」
どうも予想していた地点よりも東寄りまで送ってくれたらしい。
このまま南下すれば目的の都市はすぐそこで、改めてクレンはデスヘイズ山のルートを選んで良かったと実感する。
「こんなに早く着けるなんて、本当助かった。妖猫様達にも、感謝いたします」
『水臭いニ、レンの兄貴! ダムと呼ぶニ!』
『おいらはディーだニ! また遊びに来てくれニ!』
「……分かった。ダムとディーも、ありがとな」
「“レン”。気を付けて行け」
クーガに左手を差し出され、クレンは握手に応じようとした。
だが自身の左腕はだらりと脱力して動かず、肩を竦める。
「……ばれた?」
「王と共に昨日の話を聞いていたからな」
あえてその左手を持ち上げて握ると、クーガは薄く微笑んだ。
「お前が利き手で扱う剣は、さぞ鋭かっただろうな」
「どうかな。今後は右手のが巧くなる予定だし」
「ふっ、違いない」
右手を振って彼らと別れ、クレンは荒野へと足を踏み出した。
気温もやや暑く感じる程度で、何より足元は砂漠に比べて格段に歩きやすい。
とはいえ荒れた地には大きな岩や礫も多く度々見通しの悪い場所があるため、魔物不在のデスヘイズ山とは違い、辺りを警戒しながら進む必要があった。
(岩は地図に載ってないもんな)
小さな丘と見紛うほどの大岩を回り込みながら、クレンはギルバートお手製の方位磁針で方角を確認し、視覚記憶の脳内地図と照らし合わせる。
荒野を南下した先にあるのは、目的地であるファバード領の中心都市ヴァミリオだ。
(ギルに預かった手紙、渡せるといいけど……)
鞄の奥に仕舞ってある、利き手と逆で書き殴ったように下手くそな宛名の書かれた封書を思い浮かべる。
視察任務中のシドから何度か公国へ届いた手紙によれば、彼は現地でも騎士団に所属しているらしいのだが──。
◆
昨夜、妖猫王への謁見を終えたクレンは、クーガに頼んで里外れの墓地を訪れた。
『……先日、ファバードの調査隊が山へ入ってきた。偵察していた同胞達の話では、行方不明の子供を探しに来ていたそうだが──』
夕暮れの下に佇む無数の墓標を眺めつつ、クーガは静かに語る。
『幻覚に飲まれ、崖から落ちて全滅だ』
『…………』
作られたばかりと思われる墓標に、それぞれの遺品と思われる衣類や武器などが丁寧に供えられている。
クレンは祈りを捧げた後、墓標を一つ一つ見て歩いていた。
『ファバードに、知り合いでも居るのか?』
その行動から何となく察したようで、クーガが気遣わしげに声を掛けてくる。
『……幼馴染が、騎士団にいるらしくて』
『そうか……特徴は?』
『髪は栗色、身長は今の俺くらいかな。筋肉質で、前は雷属性のサーベルを使ってた。あと、外面は爽やか好青年だったから、貴族の女性に人気だったな』
ギルバートと同程度に親しかった、年上の友人。
記憶映像の彼は6年前の姿なので、今は多少変わっているかもしれないが。
『人間の美醜はよく分からん。だが、お前みたいな顔が“好青年”なら、該当する男は見かけなかったと思うぞ』
(あんまり参考にならないな……)
相変わらず眠りが浅く、ぼんやりした半開き気味の金眼。
加えてあまり仕事をしない表情筋のせいで、気怠げな無表情が標準装備の自分は、どう見ても好青年とは言い難い。
『……多分、大丈夫。強かで要領もいい人だし、死んでるイメージ湧かないし』
『ふ……そうか』
ぽんっと軽く肩を叩いてきた手の感触が、やはりシドと少し似ているような気がした。
◆
(──何で俺まで? 目が虚ろで死体っぽいから?)
遠くでハゲワシのような魔物の群れが屍肉を喰らっていたため、クレンは充分な距離を取って素通りしようとした。
だが一羽がこちらに気付くなり、残りの魔物達も一斉に襲い掛かってきたのだ。
(それとも一度“仮死状態”になったせいか……?)
ハゲワシ風の群れを痺雷刃で一掃し、さっさとその場を離れた。
元々クレンは、こういった数に物を言わせた対集団戦の方が得意である。
ヴォルティガ島ではあまり相性の良くないパワーファイターや巨大な敵とのタイマンが続いたが、当分は勘弁してほしいところだ。
(やっぱ“呪術”も“シビル”も、情報が少なすぎる)
礫の転がる足下に気を付けつつ早足で歩きながら、クレンは思考を巡らせる。
(ギルやジェーソン様達も、あれ以上のことは教えてくれなさそうだし──げっ、またか)
そこそこ大きな岩場の向こうに、再びハゲワシ風の魔物がバサバサと飛び回り群がっていた。
一先ず距離を取ろうとしたクレンだが、襲われていた相手が一閃させたサーベルを視認するなり、目を見開いた。
「──シド?」
「! クレンか!?」
更に聞き覚えのある声が、自分の名を口にする。
彼は負傷した仲間を庇いながら戦っているようで、あまり優勢とは言い難い様子ではあるものの、安堵せずにはいられなかった。
(良かった、生きてた)
「今行く」
「いや、お前は向こうの空を“視て”くれ!」
直ぐに駆け付けようとしたが、何故かシドは後方の空を指差して叫ぶ。
(空?)
反射的にそちらを向けば、鳥のような影が山の方へと飛んでいく所だった。
両眼に魔力を込めて目を凝らしたクレンは、視えた存在に思わずぎょっとする。
(……え、あれって──子ども?)
巨大な怪鳥が、幼い少女を鷲掴みにしたまま悠々と羽ばたき、連なる山々の向こうへと遠ざかっていく。
(救けたいけど、遠すぎる──せめて、行方だけでも)
子どもを攫った怪鳥が岩壁の向こうへ姿を消すのを確認すると同時に、背後から駆けてくる足音。
「ふぅ……最近この辺りで禿隠鷲が増えた上、やけに人間を襲うようになってな。困ったもんだ」
大袈裟に肩を竦める仕草にも見覚えがあり、クレンは思わず目を細めた。
「お疲れ様。……久しぶり、シド」
「大きくなったな。それなりに元気そうで何よりだ」
彼はクレンが捕虜として捕らわれ、治療により一命を取り留めたのを見届けた後、任務のため公国を発ったという。
流石に自分の記憶よりは若干大人びているものの、殆ど容姿は変わっていなかった。
「──で、視えたか?」
懐かしい笑みで軽くクレンの肩を叩いた後、即座に表情を引き締める。
「あぁ。あっちの山にある岩壁に飛んでった」
デスヘイズ山のすぐ奥を示せば、彼は眉間に皺を寄せた。
「やはりデスヘイズ山か……実は、前も子供が連れ去られてな。調査隊もまだ戻らないし……」
「そっちじゃない、隣の低い山だ」
「……何!?」
シドが驚愕の表情を浮かべる。
怪鳥の飛行していた軌道的に、そう見えても無理はないと思う。
ただクレンの眼には、魔物がデスヘイズ山の周辺に至った時、恐らく魔霧を避けるために隣の山へと進路を変えたのがはっきり視えたのだ。
「魔霧を恐れたんだと思う。今ちょうど山岳側を通ってきたけど、あの幻術は魔物でも相当きついはずだ」
自分達の後方では、シドと同じ騎士の制服を着た数名の男達が戸惑ったような表情で聞き耳を立てている。
視界の隅でそれを捉えていたクレンは、あえて妖猫関連も含めて直接的な表現を避けたのだが、旧知の友は多く語らずとも概ね察してくれたらしい。
「──成程。お前みたいな能力が無ければ、という訳か」
「あぁ」
言葉少なに返せば、一つ頷いたシドは再び爽やかな笑みを浮かべた。
(今度は半分本心、半分演技の笑顔だな)
「改めて歓迎するよ。あぁ、俺は今ヴァミリオ騎士団で“出世”したばかりでな。レンデル小隊長と呼んでくれ」
鳶色の眼が悪戯っぽくウインクしてくる。
公国騎士団では第3隊長だった彼だが、異国の地でも実力を発揮しているのは流石の一言だ。
素直に感心しつつ、クレンも小声で返した。
「分かった。──俺は、お忍び旅行中の“レン”って名乗ってる」
「お忍び……? っはは、成程な。流石は若だ」
クレンの服装を上から下まで眺め、シドが軽く噴き出す。
そして不意に背筋を伸ばし、びしりと敬礼してきた。
「では、レン坊っちゃま。これより我々の暮らす都市へとご案内いたします」
「げ、その呼び方“神童”以上にやめて……」
思わずげんなりすれば、目を見開いた年上の友人は、とうとう腹を抱えて爆笑した。




