2話 初任務を終えて
“稲妻の地”として知られるヴォルティガ島は、多い北部に位置する王都から南下すると森や湿地が点在している。
その肥沃な土地を生かして、公国南部では麦や米などの穀類と野菜を中心とした農業が盛んに行われ、特に稲妻の多い年は豊作になると云われていた。
クレンの知る限り、公国が飢饉に見舞われたことは一度も無いが、唯一問題なのは魔物の大量発生である。
落雷が増えると大気中の魔気濃度が上昇し、作物も育つが魔物まで活発になってしまうのだ。
「岩猪の石頭も、俺の剛力で粉々さ!」
「へっ、オレは赤衣狐を5体も仕留めたぞ? 上等な毛皮も手に入ったし一石二鳥、いや五狐か!」
「なにおぅ、こっちは実取野狸で胡桃と肉を同時にゲットだぜ!」
そんな魔物の討伐任務終了後、村に戻るなり早速祝勝会という名の野外飲み会が始まった。
ここは湿地を利用した稲作中心の農村だそうで、村人達から振る舞われた米酒を楽しむ騎士集団を遠目に眺めながら、クレンも隅っこで握り飯を1つ頬張る。
(あ、美味い)
「で、例の“神童様”はどこ行った? 少しは役に立ったのかよ?」
「お、おぅ。ま、所詮はガキんちょっつーか……」
(……面倒だし、絡まれる前に帰ろ)
獲った狐の皮算用をしつつ口籠った男が、クレンを探すようにきょろきょろと辺りを見回す。
残りの握り飯を口に入れたクレンは、見付かる前に騎士達の輪からそっと抜け出した。
この村から公爵邸までは、頑張れば一応歩いて帰れる距離だ。
(──あ)
なのでさっさと退散しようと思ったのだが、村の入口で待ち構える人影があり、苦笑する。
「やはり逃げてきたか」
「……ばれた?」
「長い付き合いだからな」
瓶と杯を持ったシドが微笑み、手頃な石へと腰掛ける。
旧知の仲とはいえ隊長を素通りする訳にもいかず、クレンも隣に腰を下ろした。
「俺も、若が痺れを切らす前に帰らせてやりたいが──」
彼が木彫りの杯を差し出してくる。
微笑みつつも、どこか真面目な顔だった。
「一杯だけ付き合え。安心しろ、ただの果実水だ」
「……了解」
(任務絡みかな)
クレンも表情を引き締めつつ、杯を受け取った。
「森の方は順調だったそうだな」
「まぁ、うん」
手柄を譲ると約束したため、詳しく語らず曖昧に頷く。
ちなみに岩猪の方は、土魔術の罠で大半を倒した後、マッチョの皆さんがタコ殴りにしたらしい。
「今回の任務は村に隣接した森と湿地の魔物討伐だ。だが──」
「湿地のが厄介そうだって言ってたよな。何かあった?」
今回は森と湿地が村を挟んだ正反対に位置することと、森の方は過去の任務で視界の悪さに苦戦したことから、視覚能力をもつ自分がサポート役として投入されたのは知っている。
結果的にその作戦は成功し、二手に別れた部隊の被害はいずれも軽傷者数名で済んだため、結果だけ見ればかなり上出来だったといえるのだが──。
「実は、田園周辺で人型の魔物が出てな」
「……え?」
「魔物というか、屍人──恐らく、元は人間だ」
遠くから聞こえる騎士達の賑わいとは真逆の固い声。
全く予期せぬ内容に、クレンは目を見開く。
「死んだ人が、化けて出たってこと?」
「ふっ。珍しく年相応のことを言うじゃないか」
「…………」
無言で果実水を飲み干せば予想以上に甘ったるく、クレンは眉を寄せる。
黙り込む自分をどう取ったのか、友人兼上司は肩を竦めて苦笑した。
「冗談だ。お化けならまだ良かったんだが……」
シドの杯に入っているのは酒のようだが、酔うどころか彼の表情は徐々に険しくなっていく。
「あの魔物から、呪術の気配を感じた気がしてな」
「呪術……?」
「贄や代償を必要とする禁術の総称だ」
初めて耳にする言葉だが、シドの補足で概ね理解する。
屍人の出現。禁忌を犯す魔術。つまり──。
「誰かが故意に、死者を蘇らせた……?」
先程クレンが捧げた祈りを、死者が安らかに眠れるよう願う生者の思いを、そして死を迎えるまで生き抜いた者の一生を冒涜するような行為。
顔には出さなかったが、沸々と腹の奥から怒りが湧き起こる。
「俺は戦士適性だから、詳しいことは分からん。帰ったら、術士の同僚にもそれとなく聞いてみるが……」
「シルベスター様の体調が落ち着いたら、伝えとくよ」
「頼む」
(これが用件か。ある意味、国のトップに直通だもんな)
かつて名家の貴族達は、それぞれ独自の魔術研究を行い他を出し抜こうと競い合っていたらしい。
表向きは大人しく公王の治世に従っていても、旧貴族派の者達が水面下で謀略を巡らせ、それこそ呪術に手を染めている可能性も無くはないのだ。
「──さて、子供は早く帰って休むといい。寝る子は育つというだろう?」
「余計なお世話ですー」
見事な上腕二頭筋を見せ付けられ、つい羨望の眼差しを向けかけたクレンは、慌ててそっぽを向く。
「では、お先に失礼します。お疲れ様でした」
「今度また模擬戦にも付き合ってくれ。左腕同士、良い刺激になるしな」
「はい。是非お願いします」
杯を置いて立ち上がったクレンは、上司に敬礼すると村を後にした。
シドはクレンと同様、騎士団内では数少ない左利きの剣士だ。
理由はどうであれ、隊長から直々に指名されるのは多少なりとも実力を認められている証で、何だか擽ったい気持ちになる。
(『絶対シドより強くなれ』って命令だしな)
若き主のドヤ顔が脳裏に浮かび、ちょっぴり笑みが漏れる。
(成人する頃には、追い付ける……か……?)
力瘤を作ってみた左腕は相変わらず貧弱で、上司の逞しい二の腕には到底及ぶはずもなかった。
◆
「レン君、ギルバート様をお願いね!」
「うん。行ってきます、ユリアさん」
翌日。右手は笑顔の養母に手を振り、左手は鼻歌混じりでご機嫌なギルバートに引っ張られながら、クレンは王都グレイの城下町に向かった。
「昨日の分、一日中付き合ってもらうぜ!」
「はいはい……」
「街では従者モード! オレサマへの忠誠心を平民共に見せ付けろ!」
「かしこまりました、若様」
度々こうして繁華街へ繰り出すギルバートのお陰で、銀髪公子様と彼に従う金髪少年の構図は、城下町でもすっかり有名となっていた。
「あっ、公子様! こんにちは!」
「白いのを2個くれ。ここの米粉パンは、中々悪くない」
「恐縮でございます、公子殿下」
店番をしながら挨拶してきたパン屋の子に銅貨を払えば、慌てて出てきた店主が頭を下げ、1個オマケしてくれた。
不敵な笑みで返したギルバートはひらりと手を振って踵を返すが、クレンは笑いを堪えるので必死だった。
(一挙一動ほぼシルベスター様の真似じゃん……)
「アニ……おい。どーした?」
「いえ」
主が振り返る寸前で、さっとクレンは笑みを引っ込める。
昨日置いてけぼりで寂しい思いをさせた分、今日は極力彼の機嫌を損ねたくない。
「広場へ向かうのですか?」
「いや、鍛冶屋だ。途中にバース商会も寄るぜ」
「……。ガイとアンナですね」
(あー、例の“覇王ごっこ”か……)
ギルバートから舎弟認定されている同世代の友人達を思い浮かべ、クレンは乾いた笑みを漏らす。
公子殿下は、その2人にクレンとシドを加えた“四天王”を従えて世界征服を計画する“覇王ごっこ”が昔からのお気に入りなのだ。
「チッ。最近シドは誘っても全然来ねーしよぉ」
(シドも誘ったんだ……)
「ま、今日もオルブライト覇王とその右腕で、敵役のガイをボコって人質アンナを救出するシナリオでいくか」
(それ5回はやったよな。ガイ泣くぞ……)
内心ツッコミを入れながらも拒否権は無いため、クレンは無言で頷いておいた。
道行く人々が慌てて隅へ寄り頭を垂れる様に、ギルバートはすっかり上機嫌だ。
不審な輩がいないか周囲に目を光らせつつ相槌を打っていたクレンだったが、ふと今朝養母に聞いた話を思い出す。
「そういえば昨日、朝から夕刻まで鍛錬されていたそうですね」
仏頂面で振り向いた彼が、ほんの一瞬だけ目を泳がせるのをクレンは見逃さなかった。
「……あぁ? んなダリーことするかよ」
彼は特に乱れていない前髪を撫で付けると、鼻で笑う。
「朝に軽く汗流した後は、部屋で優雅に読書&ティータイムだ。リッチに蜂蜜たっぷりの激甘パンケーキ、羨ましーだろ?」
「いえ全く」
(相変わらず甘党だな。俺には絶対無理)
眉を顰めるクレンを満足げに見やり、ギルバートは前を向く。
クレンは彼の視界から外れたのを確認し、こっそり微笑んだ。
(いい加減な性格に見えて、実は努力家なんだよな)
プライドの高い主のために、彼の吐いた嘘にはあえて触れないておく。
世間では生意気で傍若無人な問題児と名高いギルバートだが、騎士訓練生の鍛錬に加えて次期公爵としての知識や教養の習得なども案外きちんとこなしており、何より堂々と自分の意志を貫く姿勢は人の上に立つ素質がありそうだと、クレンは常々思っていた。
(周りもよく見てるし。あえて我儘言って反応試したり──ん?)
ふと、視界の片隅に何かを捉える感覚。振り返ると、後方のT字路から貴族の馬車が曲がってきた所だった。
(今、何か既視感が……?)
「どこの貴族だ? また父上にごちゃごちゃ文句付けに来たんじゃねぇだろーな」
「どうでしょう。女性のようですが」
ギルバートを守るよう立ったクレンは、通過する馬車の窓をじっと見詰める。
薄紫ベースの上品な衣装に身を包んだ女で、鍔の広い帽子のせいで顔は確認できなかった。
ただ執事らしき若い男を同乗させていたため、恐らく貴族の夫人または令嬢だろう。
「……相変わらず、すげー眼してんな」
2人の服装や確認できた身体的特徴まで口にすれば、ギルバートが感嘆半分呆れ半分の視線を向けてくる。
「しかも、ずーっと記憶してんだろ。疲れねーの?」
「特には。生まれつきなので慣れてますし」
クレンは目を瞬かせ、さらりと答える。
自分にとってはごく普通のことなのだが、やはり他者から見ると信じ難い能力らしい。
「……まさか、赤ん坊の頃もかよ!?」
「少なくとも、若様の誕生時から今に至るまでのお姿は、全部鮮明に憶えてますね」
「うげっ! 汚点と黒歴史のオンパレードじゃねーか!」
生後間もない彼との出会いから10年分の成長記録もとい、視覚記憶。
それらを脳内スライドショーのようにしみじみ“視て”いると、ギルバートは心底嫌そうに顔を歪めた。
「今すぐ忘れろ、命令だ!」
「そう言われても……」
「わ・す・れ・ろーっ!」
(ギルと過ごしてきた大事な10年間だし。忘れないよ)
隣で喚いている銀髪頭をよしよしと撫でてやれば、顔を真っ赤にした年下の主は、笑顔のクレンに対して怒りと羞恥を爆発させたのだった。




