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18話 夢幻峡に棲まうもの

クレンの戦闘スタイルは身軽さが命のため、旅の荷物やギルバート御用達の貴族風ファッションを含めても、まだ軽装の部類に入る。

魔眼を駆使した回避率の高さから防具は殆ど装備せず、武器も2本の短剣のみだ。

うち1本は公国一の鍛冶屋ビル・ゴルドスミス製で、以前からクレンが愛用していた何の変哲もない量産型の短剣。

そしてもう1本は、同じくビルが打った魔術効果付きの試作品。

(日暮れまでに、一山越えたいけど──)

そんな、いかにもひ弱そうな貴族風青年が一人で森を歩いていたら、当然ながら悪目立ちする訳で──。

(──来た)

先程から身を隠しつつ追ってきていた無数の黒い影が、一斉に襲い掛かってくる。

(獣人、いや猫科の魔物か……?)

見た目は武装した二足歩行の黒猫だが、初見の相手なので正体はよく分からない。

落ち着いて魔導剣を抜いたクレンは、両眼に加えて右手にも魔力を込めた。

(早速、試し打ちだ)

パチッ、と刃に静電気が走るや否や、バックステップからの鋭い踏み込みであえて敵の集団に飛び込むと、集中攻撃を受けるより先に素早く剣を振り抜いた。

『っニギャッ!?』

『ギャンッ!』

ジジッ、バシッ、パチッ!

ヒットさせるタイミングに合わせて失神させる程度の電流を流せば、十数体の猫達は傷を負うことなくばたばたと倒れていく。

(うわ、すっごい便利。ビルさんに感謝だな)

雷属性の小型魔導剣、“痺雷刃スタンナイフ”。

通常の武器と違い、様々な魔術効果を内包する“魔導武器”を扱うには、優れた身体能力と潤沢な魔力が必要とされる。

だがクレンの魔力量は今もそれほど多くないため、魔戦士適性ありと判明したものの、魔力消費の激しい武器は大して扱えそうにない。

鍛冶屋のビルもそれを見越していたのか、はたまた初心者向けなのかは不明だが、とにかく自分にとってこの“痺雷刃スタンナイフ”は予想以上に扱い易かった。

『なっ、こいつ幻術が効いてないニ!?』

『しかも強いニ! 団長を呼ぶニ!』

一方、迎撃されるどころかあっという間に味方の大半が倒されてしまい、後方で見守っていた黒猫達は仰天している。

(あれ、喋ってる? ……話通じるかな)

当然彼らの姿も視認していたクレンは、一度剣を収めて彼らに声をかけてみた。

「えっと、そこの黒猫さん……?」

『失敬ニ! 我らは崇高なる妖猫ケットシー様であるニ!』

(ケットシーって、確か──)

幼少期、童話好きのギルバートに絵本を読み聞かせた時にも出てきた名だ。

視覚記憶でその本を再度“視た”クレンは、人間や魔物等よりも上位存在と思われる彼らに、敬意を込めて恭しく一礼した。

「妖精様であるとは知らず、誠に失礼いたしました」

『えっ? まっまぁ、分かればいいニ……!』

『油断するニャ、下手に出て何か企んでるかもしれないニ』

「自分はただの旅人です。山の向こうへ行きたいだけで──っ?」

穏便に済ませて通過しようと言葉を続けた矢先、大きな黒い生き物が弾丸のように突っ込んできた。

素早く短剣を抜いて敵の攻撃を受けるが、パワーは相手が上のようで、クレンは弾かれつつ後退する。

「貴様、よくも我が同胞を──!」

『『クーガ団長!』』

仁王立ちで槍を構え身構えたのは、クレンよりも大柄な雄の黒豹だった。

(ケットシー達のボスか? 猫というより黒豹だけど……)

団長と呼ばれた通り、歴戦の戦士を思わせる気迫を纏った相手は、鋭い突きを繰り出してくる。

半身を捻って避けたクレンは相手の間合いへと飛び込むが、黒豹団長は猫科のしなやかな動きで身体と槍を翻すと、続け様に薙ぎ払ってきた。

(強いな、この人──いや妖豹?)

槍の特性を活かした高速の連続攻撃を、クレンは紙一重で受け流し続ける。

すると、不意に黒豹団長の黒い瞳と視線が交わった。

「──貴様、人間にしては良い“眼”を持っているな」

「!」

「人間風情が幻術を物ともせず、我が高速の槍術を見極めるとは……目的は、何だ?」

会話の途中で死角から繰り出された不意打ちも、クレンは冷静に受け止め捌き切る。

だが探るような視線に込められた感情は、敵意よりも純粋な疑問の方が勝っているように見えた。

「ファバード領に行きたいんです。船酔い酷いし砂漠越えは不安なので、山側から行こうかと」

「……は?」

「魔霧の幻覚は効かないんで、このルートが最も安全だと判断しました。お騒がせしてすみません」

そもそも討伐任務中ではないし、自分の追っている敵も彼らではない。

なので素直にそう答えれば、一度大きく間合いを取った黒豹団長は、眉間に皺を寄せる。

「……それで貴様を襲った我が同胞達を、皆殺しにしたと?」

「殺してません。気絶してるだけです」

「……」

「……?」

「…………暫し待て」

黒豹隊長は後方の妖猫達を呼び寄せると、失神した仲間達の様子を確認し始めた。

(……とりあえず、一安心か)

クレンは内心胸を撫で下ろす。

相手の攻撃こそ見切っていたものの、反撃のタイミングまでは見出すことができず、このまま続けて勝てるかどうかは正直怪しかったのだ。

(まだまだ強敵がいるんだろうな……やっぱ、世界は広いなぁ)

何やらわたわた慌てている妖猫達を他所に、クレンはしみじみしながら夕焼け色に染まり始めた空を仰いでいた。

 



 

黒豹隊長ことクーガは、妖猫ケットシーの王に仕える獣人だという。

彼と配下の妖猫達に案内されてしばらく山道を進めば、不意に霧が嘘のように晴れていき、広大な峡谷が眼下に広がった。

「すごい……」

夕陽に照らされた風光明媚な光景に、思わずクレンは目を奪われる。

「美しいだろう。己れも初めて見た時は感嘆したものだ」

「はい……秘境っていうか、聖域って感じがします……」

そんな感想を聞いた妖猫達が、一斉にドヤ顔を向けてきた。

『お前、人間の癖によく分かってるニ』

『我らへの敬意が伝わってくるニ』

『何か良い匂いもするし、気に入ったニ』

(匂い? ……あ)

心当たりに気付いたクレンは、鞄の中から大事に持ってきた煎餅ライスクラッカーを取り出す。

「これですか?」

しかし、妖猫達からは一斉に白けた顔をされてしまった。

『いや全然違うニ』

『そんな粗末そうな食糧じゃないニ』

(酷っ。美味いのに……)

軽くしょんぼりしながら米菓を仕舞うと、クレンは改めて峡谷を見下ろす。

何気なく魔力を解除してみた途端、絶景だった谷底は一瞬で霧に包まれ、荒れ果てた岩壁にゾンビ魔物達が蔓延るホラーさながらの光景と化した。

(まるで天国と地獄だな……)

クレンはそっと金眼に魔力を灯して幻覚を解くと、不思議な妖猫一行に続いて谷を降りたのだった。







妖猫の隠れ里へ着いた時にまさかとは思ったが、クレンはそのまま妖猫王キングの城まで連れて来られてしまった。

「侵入者は即打ち首とか……?」

「それは無い。王が是非会ってみたいそうだ」

王の間まで同行するというクーガのお陰で幾分かは安心できたものの、自分的には結構な誤算である。

(当初の予定より遅れそうだな……)

そんなクレンの内心を読んだかのように、クーガが軽く肩を叩いてくる。

「今夜は里に泊まれ。王が許せば、明日の夕刻までにはファバードまで送ってやる」

「えっ?」

まさかの好待遇にクレンは目を瞬かせる。

人の足では到底不可能な話だが、どうやら獣人の彼にとっては然程難しいことでもないようだ。

「己れもお前を気に入ったし、サービスだ。その代わり、明朝にもう一度手合わせしないか?」

「はい、是非お願いします」

願ってもない提案に即答すれば、クーガは鋭い歯を剥き出して笑う。

(なんか、シドを思い出すな……)

そんなことを考えているうちに、クレン達は王の間へと辿り着いた。

「チシャ様、お連れしました」

『入るがよいニ』

老人のような声がした途端、ドアが自然と開く。

だが目の前にある玉座は空っぽで、広間一体を見回しても全く気配を感じない。

「──っ!」

『ほぅ』

気付けば背後を取られていて、クレンは振り向きざま短剣の柄に触れつつ左へと飛び退く。

『報告通りの“眼”をもつ者だニ』

見た目はずんぐりした大きな灰色の猫。

だがその身体は宙に浮かび、不敵な笑みを湛えている。

妖猫王キング・チシャ様──」

その場に跪いたクーガが、主本人に代わって紹介してくれた。

「この方こそが我らの隠れ里、夢幻峡ドゥリムラヴィンを統べる王である」

三日月のような双眸と口元が、誰かと重なる気がしてならない。

そんな得体の知れない心地を拭えず、クレンは身構えたまま静かに妖猫王を見つめていた。

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