17話 オルブライト帝国へ
ヴォルティガ公国とオルブライト帝国の関係は決して良くなく、独立直後からずっと互いに出方を伺う緊張状態が続いているという。
オルブライト列島の最西端に位置し、資源豊かなヴォルティガ島は帝国に食い潰される命運に反発して独立し、勝手に自国の傘下から外れたことを帝国側が良く思う筈もない。
そんな公国が、海を挟んでいるとはいえ一度も大国に攻め込まることなく数百年の歴史を築いてきたことには、勿論理由があった。
「貴族の坊ちゃんが、護衛も付けずに大丈夫か?」
「はぁ……一応、元騎士団の訓練生ですし」
「おいおい、にわか剣術じゃ帝国の魔物にゃ通用しないぜ?」
「まぁ、頑張ります……」
交易船の乗組員達から次々と指摘されたクレンは、虚ろな眼で適当に言葉を返す。
帝国西部を拠点に商売しているシーガル商会は、大型の交易船を所有しており、ヴォルティガ島にも年に数回ほど訪れる。
内乱後は王都から海沿いに移転したバース商会とも、アンナの祖父が商会長だった頃から取引しているそうだ。
今回クレンはその交易船が寄港するタイミングに合わせて港を訪れ、交渉の末にどうにか乗船させてもらえることとなったのだが……。
(ギルが無駄に張り切るせいで……)
いっそ騎士風にしてくれれば良いものを、彼は自身の兄貴分が帝国民から見下されないようにと大層立派な衣装や持ち物を用意してくれた。
『お忍び旅行中の“レン”とでも名乗っとけ。後は周りが勝手に察してくれるだろーよ』
『いや怪し過ぎるし、無理あるだろ』
『ま、オレサマを信じろや!』
お陰でこれまでの道中、黒ローブを纏わずとも自分が“反乱軍幹部クレン・スレイヴ”だとは一度も見抜かれることなく、どこぞの名家子息として扱われ続けている。
得意顔でニヤリと笑っていた主のほぼ宣言通りに事が運びすぎて、あまりの順調さに不安を覚えるほどだった。
「早く乗ってくれ! すぐ出航するぞ!」
「あんたはともかく、ここの空気はオレらにとって毒だからな。長く“稲妻の地”に滞在すると、身体が麻痺して命に関わるんだ」
「だからこそ給金もいいけどな! ま、お貴族様にゃ無縁の話か」
しかも世間知らずのボンボンだと思われているのか、周囲から何かと懇切丁寧に説明されるのだ。
気のいい船乗り達から賑やかに話しかけられて退屈はしないものの、元々饒舌でないクレンは若干くたびれ気味だった。
(知ってるし……俺、そんな世間知らずに見えるのか……?)
船が動き出し、遠ざかっていく島を船縁で眺める。
島全体を覆う白い靄のような物は、ヴォルティガ公国の独立時に貴族派一同が創り上げたという雷魔力由来の結界だ。
(親は帝国民かもしれないけど、俺の生まれた場所は公国ってことかな)
公国内で生まれ育った者は身体に馴染むため無害だが、外部の人間にとってはまさに毒のような麻痺性をもち、一度痺れが発現すれば全身に侵食して二度と治らないという、恐ろしく強力な魔術結界。
異国の血を引く自分がユリアに拾われ、ギルバート達と出会えたのは、実はかなりの奇跡だったのかもしれない。
「大王蛸が出たぞ!」
不意に船首の方から声が聞こえるや否や、船がぐらりと大きく傾く。
「うわっ、と……」
「危ねぇから、坊ちゃんは中に引っ込んでな!」
「いえ、手伝います」
槍を手にした船員達が甲板を駆けていく。
クレンも助太刀するため短剣を抜くと、彼らに続いた。
◆
その後は魔物に遭遇することなく、船も大きな被害は無いまま無事にオルブライト本島西部グランティ領の港町へ辿り着いた。
「……大丈夫か?」
……のだが。
「ぅう……面目無い、です……」
ピンピンしている船乗り達に対し、クレンは全く無事ではなかった。
「気にすんな。船代は多めに貰ってるし、坊ちゃん一人護衛するくらい、どうってことねぇよ」
「今日は風も強くて特に揺れたもんなぁ」
魔物との戦闘序盤、大王蛸の触手がメインマストを掴んで思い切り揺さぶった辺りでクレンは盛大に船酔いし、以後は役に立つどころか船乗り達に介抱される始末だった。
「シーガル商会の船乗りさんって、逞しくてかっこいいですね……」
その場に蹲ったまま尊敬の念を口にすれば、顔を見合わせた船乗り達は豪快に笑い、ばしばしとクレンの背中を叩いてきた。
(ゔぇっ、吐きそ……)
「わはは! ありがとよ、坊ちゃん!」
「また乗せてやるから、次までに船酔い克服しとけ!」
荷下ろしくらいは手伝いたかったが笑顔で断られたため、重ね重ね謝罪と感謝を伝えたクレンは、胃の辺りを摩りつつ埠頭を後にした。
取り急ぎ、船酔い時におすすめだと教わったレモネードを近くの出店で購入しておく。
(あ、確かに飲みやすい)
店先でのんびり飲みながら、クレンは活気ある繁華街を見渡した。
(さてと。ここからファバードへ行くには……)
地図は勿論持っているものの片手がカップで塞がっているため、脳内で地図の映像記憶を思い浮かべる。
この方法は何気に便利でよく活用するのだが、ギルバートには魔眼の無駄遣いだと呆れられたものだ。
(最短の海路は無理、却下。南下して砂漠を超えるか、南東の山岳側から回り込むか……)
当初は海路を使うつもりだったが、まさか自分があれほど船に弱いとは思わず、止むなく予定を変更することにした。
地図上では砂漠ルートの方が半分の距離で済み、山岳沿いのルートはかなり遠回りに見える。
だが現地を見たことが無い以上、クレンは地元民に聞くのが最善と判断した。
「すみません。陸路でファバード領に向かうなら、どのルートがおすすめですか?」
空のコップを返却するついでに尋ねれば、店の女主人は可笑しそうに即答した。
「何寝惚けたこと言ってんだい、海路一択だよ! それとも、お貴族様は無謀な冒険旅行がお望みかい?」
若干馬鹿にされている気もするが、異国の地に疎いのは事実だ。
多少舐められてもガセネタを掴まされるよりは断然いいため、クレンはあえて低姿勢で続ける。
「恥ずかしながら、故郷を出たのは初めてで──そんなに陸路は危険なんですか?」
「そりゃあね。南のベイク砂漠を行くのは過酷だし、何より危険な魔物が多い。かといってデスヘイズ山岳地帯を通るのは論外だ。昼夜問わず深い魔霧に感覚を狂わされ、行方知れずになる旅人が後を絶たない、まさに“死の霧山”なのさ」
(え、ここにも死の山?)
つい最近も聞いたフレーズだと思うクレンを他所に、女主人は怪談でも語るかのように声を低くする。
「噂では、人に甘い幻覚を見せて喰らう闇の魔獣の仕業だって言われてる。少し前に、ファバードの調査隊が山中で丸ごと消えたそうだし──」
(幻覚かぁ……)
「悪いことは言わないから、大人しく船で行きな」
「はい。ありがとうございます」
(よし、山一択だ)
女主人には悪いが、自分にとってはそれがベストだと確信する。
彼女に礼を告げると、クレンは早速街の入口へと歩き出した。
◆
森に囲まれた山道をのんびり歩きながら、クレンは自身の両眼に魔力を込める。
濃霧が立ち込め、毒々しい紫や黒などの怪しげな植物に覆われた森が、瞬きと同時に霧ごと掻き消え、ごく普通の森林へと切り替わった。
(ちょっと面白いな。この魔霧、どんな原理なんだろ)
呑気に感心しながら歩くクレンを見て、もし魔霧に意思があれば「こんなはずでは」とショックを受けたことだろう。
(ジゼル様──いやシビル夫人の使ってた幻覚について知る参考になるかも)
それが、このルートを選んだ一番の動機だった。
あとは未経験の砂漠越えに挑戦するより、自分の戦闘スタイルにも適している山道を行く方が無難だと考えたのもある。
(魔術か、魔道具の可能性もあるよな。どのみちヴォルティガでは聞いたこと無いし、やっぱ帝国絡みか)
ギルバートが敵幹部から盗聴した内容にも、信憑性が増してきた。
ただ、クレンはふと思う。
(コードネームの“C”って、本当に俺か? シビルの“C”なんじゃ……?)
音もなく蔦が這ってきて、クレンの脚に絡み付く。
頭上から怪物のように大口を上げた食虫植物のような花が降ってくる。
公国でも見た弾丸蜂を数倍大きくしたような魔物の群れが襲い掛かってくる。
(でも、そうなると別の“B”が居ることになるし──)
──それらの幻覚映像をまるきりスルーし、思考を巡らせながら緩い傾斜の道を進むクレン。
そんな型破りにも程がある旅人を、辺りの茂みに身を潜めた無数の黒い影達が、物音一つ立てずに追跡していた。




