13話 白を穢すもの
『なんと不敬な、愚か者めが!』
吠えるような怒号が反響し、クレンは耳を押さえつつ唖然と白鉱山の主を見上げた。
(……何で俺、怒られてんの?)
正直、訳が分からない。
白銀の眼を吊り上げ、牙を剥き出した恐ろしい憤怒の形相を向けられたクレンは、意外と冷静なまま首を傾げる。
『穢らわしい蛮族に加担するなど──』
(しかも蛮族呼ばわりだし……)
『聖国の民ともあろう者が、恥を知れ!』
「──え?」
突如、白金鉱でできた巨体が四つ脚で立ち上がり、襲い掛かってくきた。
「う、わっ……」
小さな鉱石でも採掘が困難なほどの強固さをもち、しかもパワー及び重量は言わずもがなだ。
手持ちの短剣では傷すら負わせられない上、当然ながら一撃でも食らえば即死だろう。
(ガイといい、最近こんな相手ばっかだ)
しかもこの空間、外に出られる場所が見当たらない。
ひたすら魔獣の攻撃から逃げ回りながら、しかしクレンは別のことを考えていた。
(けど、聖国って……現オルブライト帝国のことだよな)
オルブライト帝国が建国当初は“聖国”と呼ばれていたことは、かつてギルバートと共に学んでいた歴史学の書物にも載っていた。
だが、今自分が気になっている問題はそこではない。
(この“ピュアライト魔獣”の言葉が正しければ──)
長く鋭い爪を避け、襲い来る牙から逃れながら、クレンは相手の動きを“視て”危なげなく回避を続ける。
そして安全な間合いを取ったタイミングで、山の主へと問いかけた。
「俺は、ヴォルティガの民ではないんですか?」
白鉱の魔獣は、ギロリと白銀の眼でこちらを睨む。
『穢れた地に染まり切った貴様など、もはや蛮族と相違無い』
(何でそんなに公国嫌いなんだろ)
殺気のこもった双眸を、クレンは落ち着いた静かな眼差しで見つめ返す。
(とりあえず、敬意か)
そして、礼儀正しく丁寧に頭を垂れた。
「白鉱山の主様とお見受けします。お気に障る発言の数々、誠に申し訳ありません。すぐにお暇いたしますので……」
『帰り道など無い。我が満足するまで、貴様は何処へも行けぬ』
(えぇー、何その俺様ルール……)
しかし“謙虚さで見逃してもらおう作戦”は失敗に終わり、魔獣は再び飛び掛かってきた。
『蛮族の手先など、我が聖石の糧となるが良い!』
長い尻尾で周囲に立ち並ぶ鉱石柱をドミノ倒しのように薙ぎ倒し、それらを態と勢いよく踏み付ける魔獣。
「!」
砕けた白金鉱の破片が散弾の如く飛来する。
クレンは自身の金眼に魔力を込めて視覚を強化し、きっちり全て短剣で払い落とした。
「……あ」
だが自分の扱っているごく普通の短剣では、超レアメタルの強度に到底及ばなかったらしい。
今の防御だけであちこち刃こぼれが生じており、剣が折れるのも時間の問題だった。
(このまま嬲り殺す気か……?)
相手は戦闘狂という訳でも無さそうだが、抑えきれない激情を抱えていることは確かだろう。
死にたくなければ相手を倒すしかないのだが、自分はパワー不足を脚と奇襲攻撃で補う“刺客”スタイルの戦士だ。
鉄壁の防御をもつ相手に対しては、分が悪いどころか勝算自体が皆無である。
(全身ピュアライトだし、眼も硬そう……だけど)
魔眼で視た所、白銀の双眸はダイヤモンドに近い材質のようだ。
クレンは一度短剣を収めると、ガイに借りたピックハンマーを取り出した。
(ダイヤなら、角度次第で弱い所があるはず)
散々鍛錬していたお陰で、体力的にはまだ余裕がある。
巨大な魔獣の頭まで駆け上がる道筋に当たりを付け、クレンはタンッと強く地を蹴った。
『小癪な』
(四つ脚なら、左右の前脚は同時に使えない)
右、左と鉤爪の攻撃を躱しながら間合いを詰める。
尻尾に気を付けながら後脚の踵を足場にして、意図したとおりに魔獣の背へと飛び乗ったのだが。
(っつぅ……そうきたか)
突如足に激痛が走り、クレンは微かに眉を顰めた。
動物の毛並みを模したように体表を覆う“毛先”。
見た目は柔らかそうだが元がレアメタルのため、足元のブーツを貫いて素肌に突き刺さり、着地時に軽く掠めただけの衣服まで裾がズタズタに切り裂かれていた。
(あと数歩で限界だな。だったら──)
靴の中に血が滲んでいく感覚。
先程立てた作戦を即座に切り替え、再び高く跳躍する。
同時に身を翻した魔獣の右腕が唸りを上げ、迫り来る鉤爪をクレンはあえて空中で受けた。
『……ほぅ』
(よし)
爪の攻撃をピックハンマーで受けて防御し、そのまま狙い通り上方へと吹っ飛ばされる。
上手く体勢を整え、頭上の壁を足裏で蹴れば、白く光る天井に赤い足跡がべったりと付着した。
(さぁ、来い)
あえて魔獣の顔前へと飛び込むように落下する。
そうすれば、当然相手はその鋭い牙と強靭な顎を向けてくる。
(狙うは鼻先か、駄目なら牙の側面──)
敵の動きを注視し、“毛”の無い部位に手か足を掛けてから眼を狙う。
そんな作戦の鍵となるのは、実は眼でも脚でもなく、リハビリ明けの左腕だった。
(鼻先を掴めればベストだ。頑張れ、俺の左手)
しかし、気合いを入れて手を伸ばした瞬間、白鉱の魔獣は明らかに顔を背けた。
(えっ?)
『其の手で触れるな、穢らわしい!』
そのうえ嫌がるように飛び退かれてしまい、仕方なくそのまま着地する。
熱く脈打つような痛みを訴えてくる足裏には構わず、クレンは素早く思考を巡らせた。
(背中乗るのは黙認で、鼻は駄目?)
だが大袈裟なほど後退した所を見ると、特に鼻だけが嫌という訳ではなさそうだ。
(いや、この左手か……?)
自身の手を一瞥し、ふと気付く。
左腕を覆っている、黒の指抜きグローブ。
シルベスターが飛び石として洞穴に並べた円い黒石。
黒石に寄り付かない鉱巨人。
白鉱の魔獣。
穢れ。
「……これ、嫌ですか」
魔獣に向けて左手を掲げ、クレンは尋ねる。
「それとも、怖いですか?」
『っ、黙れぇ!』
激昂した魔獣の雄叫びが響き渡る。
(……多分、あの飛び石と同じ効果だ)
黒地に混ざる艶々した色合い。
恐らく、このグローブには浸鉄鋼と同じか類似した成分が含まれている。
つまり、白鉱山の鉱巨人と同様、目の前へと迫っている魔獣はこの左手を忌避するということで。
(弱点、見っけ)
足裏はぼろぼろでも、脚力に影響はない。
痛みを無視し、クレンは先程と同等以上のスピードで駆け出した。
『潰れるが良いっ!』
予想通り、接触を避けるように周囲の鉱石柱を使って攻撃してくるのをハンマーで防ぎつつ、相手の死角から飛び出す。
『!?』
「失礼します」
丁度振り下ろされた左前脚が地響きを立てたタイミングで、クレンは鉤爪の1本へと左手で触れる。
『なっ!』
そして、魔獣がぎょっとして脚を引っ込めるより先に、右手のピックハンマーを振り下ろした。
(んっ?)
パキィィン!
根元付近で折れた鉤爪が足元に転がる。
左手でそれを拾い上げながらも、クレンはハンマーをもつ右手を見ていた。
(……なんか今、魔力が)
『何ということだ……!』
だが頭上で魔獣の呟きを聞くなり、即座に間合いを取って身構える。
(余計怒らせたかな……)
「すみません。これ以上は触りませんので。帰らせていただけませんか?」
あくまで低姿勢で尋ねれば、身を震わせ俯いていた魔獣が、不意に天井を仰いだ。
『──愚か者は、我であったか』
かと思えば、今度は平伏すように巨きな身体を屈めてくる。
「……は?」
『穢れた地にて燦然と輝く幼子よ。時が来たら、再び此の地を訪れるがよい』
「え? えっと──」
(いや意味不明なんですけど……?)
これまでと打って変わって穏やかな口調で告げられた途端、魔獣の身体が真っ白に輝き出した。
『其の爪はくれてやる。我を満足させた礼だ』
溢れ出した光が空間を満たした後、ふっと消える。
その光と共にクレンの姿と消え失せ、後にはそこら中で壊れた鉱石柱と、あちこちに赤い足跡の残る白い空間だけが残っていた。
『──面白い』
荒れ果てた光景を眺め、白鉱山の主は緩く口角を上げる。
『待っているぞ。聖国の──』




