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10話 鈍色のノイズ

固く冷たい石壁に、赤い飛沫の花が乱れ咲く。

ザンッ。

ズシャッ。

ビチャッ。

グヂャッ。

『──っ!』

『!? ──、──!』

飛び散る血と共に、人々が断末魔の声を上げている──ような、気がする。

ドンッ。

パァンッ。

ダダダダダンッ。

周囲で火の手が上がり、更に次々と銃火器の音が鳴り響く──ような、気がする。

立ち上る黒煙と紅蓮の炎で、視界が覆われていく。

何も聞こえず、働かない思考。

それでも勝手に動き出す、自身の身体。

『──、──』

周囲の人間が全て骸と化した頃、誰かに呼ばれた気がして振り返る。

そこには、執事のような服装の男と、貴婦人らしき女。

揃いのメイスを持った2人の魔術士は、妖しく口元を歪めて嗤う。

『……?』

途端、ノイズの奔流に覆われる視界。

それはやがて暗転し、目を閉じる。

「……?」

再び瞼を開ければ、目の前には見慣れた天井があるだけだった。


 



「うん、問題無しだ。訓練も今日で終了だよ」

肩辺りから手の甲まで黒いロンググローブに覆われた左腕の動きを入念にチェックし、アンナは満足げに頷いた。

「ありがとな。お世話になりました」

「そのグローブは補助具も兼ねてるから、基本着用するようにね」

「了解」

ぺこりと頭を下げたクレンは、伸縮性のある指抜きグローブを付けた左手でグーとパーを繰り返す。

剣を扱うほどの握力は無いが、切断寸前だった腕が日常生活に支障のない程度まで動くようになったのは、彼女のプロデュースによる機能回復訓練リハビリの賜物だろう。

「しっかし、すっかり男前になったねぇ。少し背も伸びたし、ガリガリだった身体も──」

「マッチョになった?」

思わず食い気味に尋ねたが、アンナは曖昧な笑みを浮かべる。

「うーん、まぁ……細マッチョ寄りに、見えなくもないかな」

「お世辞はいい。率直な意見は?」

「細身の青年だね」

今度は即答され、クレンはしょんぼりと肩を落とした。

(理不尽だ……絶対ギルやガイより鍛えてんのに……)

人は生まれつきの魔力量により、戦士適性と術士適性に分けられる。

魔力は乏しいが体格や運動神経に優れ、筋肉が付きやすく身体も丈夫な戦士適性。

潤沢な魔力をもち、自身の属性に応じた魔術を扱える反面、身体能力は今一つの術士適性。

ちなみにクレンやガイは前者だが、ギルバートは両方の長所を併せもつ稀少な魔戦士適性だ。

(やっぱ、眼のせいか? 身体能力がそっちに全振り的な……)

「元気出しなよ。あ、この煎餅ライスクラッカー食べるかい?」

さり気なく米菓を差し出され、釈然としないもののありがたく受け取る。

直後、それを口にしたクレンは目を見張った。

「……え、何これ美味っ」

「バース商会で作った試作品だってさ」

「今は親戚が経営してるんだっけ。これ絶対売れると思う」

2枚目を手に取るクレンを微笑ましく見ていたアンナも、煎餅ライスクラッカーを手に取りつつ呟く。

「クレンは今のままでいいと思うよ。女子目線でも細マッチョ位の方が人気あるし──」

「でもアンナはギルの筋肉が好きじゃん」

「っ!?」

ジト目を向ければ、ぱっとアンナが頬を染めた。

そして例の如くサイドテーブルにひっそり置かれていた通話用魔道具を手に取ると、素早くスイッチを切る。

(……また盗聴してたのか。仕事しろよ公爵殿下)

「た、体格だけじゃないよ! 人として尊敬──」

「まだ、片想い?」

「……当たり前じゃないか。あたしは平民、相手は公爵様だよ」

今度はアンナが落ち込んでしまい、クレンは失言を悟る。

幼い頃は何度か恋愛相談に乗ったものだが、一途な彼女はずっと恋心を秘め続けているらしい。

「……ごめん」

「何であんたが謝るんだい。ほら、少しは笑いな。ずっと仏頂面じゃ色男が台無しだよ!」

両手で頬を挟まれるが、クレンの口角は全く上がらない。

実は結構前から感じていたことを、この際だからと伝えてみる。

「……あのさ。表情筋って、鍛えられる?」

「──え?」

「上手く笑顔が作れないんだ」

途端、アンナが顔色を変える。

クレンの頬に手を添えたまま、顔のパーツを確かめるように目を走らせた彼女は、最後に目元の辺りを指でなぞってきた。

「薄く隈があるけど、睡眠は摂れてる?」

「いや、あんまり。うたた寝程度かな」

「は……!?」

信じ難い物を見るような顔を向けられ、クレンは肩を竦めた。

「内容は全然憶えてないけど、悪い夢見てる気がするし。目覚める度に、瞼の裏で変な白い線が──」

「ちょっストップ! 何の話だい、聞いてないよ!」

「聞かれなかったし。それに腕の治療や訓練と、眼の話は無関係だろ?」

首を傾げるクレンを他所に、アンナは慌てた様子で通話用魔道具のスイッチを入れると、早口で呼び掛けた。

「若様!」

『おいアンナ、なに途中で切りやがっ──』

「“呪術”絡みの再検査を行いたいと、ジェーソン様にお伝え願えますか!?」

『……何だと?』

何やら切迫した様子の会話が飛び交うのを他人事のように聞きながら、クレンは嘆息した。

(はぁ……腕の次は、眼かよ……)





そうして、引き続き医務室で治療の日々──とはならず、“検査”はその日の内に終了した。

結果が出るには数日かかるらしく、以後クレンは公爵邸の敷地内ならば自由に過ごしていいと言われたものの、正直暇を持て余していた。

迂闊に辺りをうろつけば嫌でも使用人達と顔を合わせてしまい、しかも向けられるのは怯えや恐怖憎悪の視線ばかり。

結局クレンは、人目を避けるように医務室と丘を行き来する生活を続けていた。

(俺、相当ワルだったのかなぁ……)

全く記憶が無い上、視覚映像を思い出そうとすれば鈍色のノイズに遮られる。

酷い時には頭痛や吐き気を伴うこともあり、アンナの師ジェーソンには下手に当時の記憶を探らないよう固く止められてしまった。

(とりあえず、丘に行くか)

「っぜい、はぁ、ここにいたのか……!」

いつも通りに庭の隅を通って裏手の丘へ向かおうとした時、丘の上から見覚えのある男が駆け降りてくる。

(あ、監視役の……)

ギルバートに命じられたらしく、いつもクレンの訓練時に姿を見せる若い使用人だ。

やや気弱そうだが仕事はきちんとこなすタイプのようで、側から見ていても退屈だろうに、延々と自主練を続ける自分を茂みに隠れて毎回しっかり覗き見ている。

尤もクレン目線では全く隠れられておらず、一度ギルバートへの伝言メモをお願いしたこともあるため、最近では普通に顔見知りの相手となりつつあった。

「こんにちは、フォードさん」

「捕虜──スレイヴ。公爵様がお呼びだ」

「……?」

素性を隠すためだろう、渡された黒いローブをクレンは素直に羽織る。

そのまま使用人に連れられて向かった先は、何故か厩舎で。

「行くぜ」

「はい……?」

「それ着てさっさと準備しろ。馬の扱いくらい覚えてんだろ?」

準備万端のギルバートに急かされ、クレンも用意されていた黒馬に跨った。

(シドに呼ばれた初任務以来だな。帰りは徒歩だけど)

懐かしく思ったついでに、何気なく尋ねる。

「シドって、生きてるよな?」

「! おぅ。今は視察任務で隣国に行かせてる」

軽く目を見開きつつもすんなり答える反応を見て、クレンは内心ほっとした。

(良かった。嘘じゃなさそうだ)

「アンタにも働いてもらうぜ。オレサマの“裏幹部”クレン・スレイヴの初任務だ」

「お前なぁ……」

ちゃっかり側近枠にされていて内心呆れるが、彼の役に立ちたいと思う気持ちに変わりは無い。

使用人に見送られ、公爵閣下とその従者は揃って馬を飛ばして出発したのだった。

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