第4話 燃ゆる追跡者
私は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐のガキどもを除かねばならぬと決意した。私にはあの子らの考えが理解できる。
私が戦わず逃げるなりしてしまえば、この巨躯から繰り出される圧倒的な筋力によるスピードに魔物は追いつけない。そうなれば魔物たちは彼女らへの追撃に向かうだろう。
けれども私の魔物、いや獣としての本能は外敵に対して人一倍に敏感であった。この種族としての衝動が逃げる怨敵を殺せと雄叫ぶ。
元人間の私が人間を?そうだ、殺すのだ。
だがまずは目の前の魔物どもを殺さねばなるまい。この身に付着した粉は大変魅力的らしく、私の腹も少々刺激されている。
子分が何匹やられても撤退しないほど執念深い魔物どもにとっては、おいそれと大型の魔物が手を出せない私であってもお構いなしなのだろう。ギラギラと目を光らせ、涎を撒き散らしながら向かってくる。
だからすまない。先に謝罪しておこう。
ブチ切れてしまった私は、もはや諦めるのを待つという生易しい手段を取らない。
リーダー格が吠え、一斉攻撃の合図を出した。次々と魔物たちが私の背や頭に飛びかかり、爪や牙を突き刺そうとする。
しかしそれらは頑強な肉体には歯が立たず、赤熱化した私の皮膚や体毛が放つ高熱から逃れようとするものも少なくない。子分たちが身を焦がされ悲鳴をあげる様子を見たリーダー格の魔物が狼狽えるがもう遅い。
「ウオォォオオンッ!」
咆哮とともに再び火炎が爆発する。そして跳躍すると、爆発によって宙に舞う子分たちを灼熱の火炎を纏わせた尻尾で薙ぎ払った。
残らず子分たちは焼き尽くされ炭化する。さすがは群れの長を務めるだけあるのか、自分の失態を悟ったリーダー格の魔物は踵を返して逃げ出した。
こちらとしても助かる。背を向けてくれるのであれば、窮鼠猫を噛む心配がないのだから。
熱が腹を通り、喉へ。口の端から僅かに火を零しながらも溜めて溜めて⋯⋯放つ。
吐き出した火球の速度は魔物の健脚を優に超え、寸分の狂いもなく直撃した魔物はたちまち物言わぬ炭へと化した。
さて、雑魚はいなくなった。メインディッシュを平らげてこの怒りを鎮めるとしよう。
四肢に力を込め、韋駄天の如く駆け出した。このスピードであれば一分、いや三十秒で追いつくだろう。
◇
博士を担ぎながら、相棒のブネとともにアズールは木々の間を疾走していた。
魔物同士をぶつけ、その間に自分たちは見通しの悪い森へと逃げ込んだ。しかし脳裏に焼き付いたあの魔獣の咆哮。怒りに支配された凄まじい雄叫びに晒された歴戦の勘が、未だに警鐘を鳴らし続けていた。
あの巨大な魔獣は獣脚類型の魔物たちではなくまっすぐとこちらを睨めつけていた。そのため少しでも時間を稼ぐために一度怯ませ魔物たちをけしかけたが、逆に怒らせてしまったことはあの咆哮で察せられた。
だから走る。だいぶ長い距離を走破してもなお走った。彼女たちは間違っていない。木々が生い茂る森は、身を隠すにはうってつけなのだ。離れれば離れるほど追いづらくなる。
「っ!ブネ、躱して!」
「え?わっ、わー!?」
しかしそれは、獲物を追い詰める能力に長けていない敵に限る。
いくつもの火炎弾が背後から飛来し、三人を襲った。咄嗟に躱すものの爆発を伴う業火は木々をへし折り、橙色で彩って道を塞いだ。
「これじゃ進めない⋯!」
「アズール!後ろじゃ!」
木々をなぎ倒しながら巨体が躍り出る。横へ飛び退いたアズールは博士を放り出し、先代勇者の遺物『魔回銃』を手に取った。ブネも双剣を抜き放ち油断なく構える。
進路を塞いでいた倒木を粉砕した魔獣が三人へ振り返れば、改めて凶悪な外見が恐ろしさをかきたてた。
口を閉じていても覗く二対の牙。剛爪を冷たく輝かせる太い脚。そして灼熱の火炎を纏う刺々しくもたくましい胴体。
まさに体の全てが凶器。魔物とは何度も戦ってきたアズールだが、ここまで敵を殺すことに困らない存在と出会うのは初めての経験だった。
「気をつけるのじゃぞ二人とも。あ奴はこれまでの敵とは別物じゃぞ」
「わかってるから、博士は少し離れておいて〜。この⋯⋯猫さん?狼さん?は私らが相手するからさ」
「う、うむ」
魔獣は博士を一瞥するが、すぐにアズールへと視線を戻した。狙いは一撃を与えたアズールか。全員が悟ったのと同時に、魔獣が吠え天高く飛び上がった。
手のひらに火炎が収束し、空中で回転しながら地面へと叩きつける。火炎が爆発し、ブネと大きく引き離されたアズールへと魔獣が突進した。
「くっ!やっぱり私に来るのね!」
銃口が火の代わりに魔力を吹く。流石と言うべきか、咄嗟に発砲したというのに吐き出された弾丸は右目を貫く。悲鳴をあげた魔獣がアズールの横を通り過ぎ大木に激突した。
「ナイスショット〜!」
「今のうちに逃げるわよ!博士、こっちへ⋯」
「ダメじゃ!まだ終わっとらん!」
アズールの背後で動く影がある。一見すると豊かな毛で形すら見えない尻尾だが、毛に隠れた部分はとても太く力強いらしい。アズールは薙ぎ払われた尻尾に強打され、付近にあった大岩まで吹き飛ばされた。
「ごはっ⋯!」
「アズール!」
魔獣が力強く大地を踏みしめ、咆哮する。つい先程撃ち抜かれた目の傷は、完治寸前にまで癒されていた。
「魔物は魔力による属性行使を身体能力に結びつけることが多いが⋯⋯まさかあ奴、代謝か!?凄まじい新陳代謝によって傷を修復しておるのか!」
「ウオオォォオオオォンッ!!」
「ちょっと待った!アズールのもとへはいかせないよー!」
追撃をかけようとする魔獣の行く手をブネが阻み、前衛らしく前腕による叩きつけを双剣で受け止めた。
自身よりも圧倒的に体格の劣る相手に渾身の一撃を受け止められたことへ魔獣は警戒を示した。しかしそれもすぐに攻撃の準備へと移る。
力で押せないのであれば焼けばいい。手のひらへと火炎を収束させ、再び前腕を叩き付けアズールもろとも吹き飛ばそうとする魔獣。その眼前に何かが投げ込まれた。
小さな球だ。そう理解した魔獣を強烈な閃光と爆音が襲った。
「ウオォォオオンッ!?」
悲鳴をあげた魔獣の顔面へ、さらにかぐわしい瓶が投げつけられる。それを見たアズールはすかさず銃を構え瓶を撃ち抜くと、凄まじい激臭が魔獣の鼻と目を潰した。
「どうじゃ!魔物の中でも悪臭を放つことで有名なキングの体毛が入っとる!目も鼻もしばらく効かんじゃろ!」
「今のうちに逃げるわよ⋯!ブネ、博士をお願い!」
「はいはーい!」
魔獣は痛みに悶えながら辺りをやたらめったらに攻撃する。それに巻き込まれないように三人は密林から元きた道へと引き返して行った。行きと帰りを一緒にすることで、鼻が復活した際に匂いによる追跡を誤魔化すためである。
結果的に、この試みは成功する。火炎属性の魔力による熱探知に切り替えた魔獣は途中までは追えたものの、鼻がほとんど効かない状態では正確な追跡が困難となった。
そうしている間に過激に働いていた本能は落ち着きを取り戻し、獲物も何も得ずに終わった戦闘に辟易とした魔獣は平原にとぼとぼと戻っていったのであった。