静かな侵略
花はアルバイトの勤務先として、真紀子の職場を考えていたが、母は反対した。
公私混同になりそうだ、というのが第一の理由だ。
理由はもう一つあり、むしろこちらが本音に近かった。正直スタッフのレベルが低く、「お手本」に出来る先輩スタッフが、限られてしまうからだ。
OJTにつくスタッフは固定出来ないから、変な拘りのあるスタッフに、原理原則から外れた、妙な考えを花に吹き込まれたらたまらない。
沖縄で痛い目にあって、多少はマシになって帰ってきたとは言え、花の思い込みが激しい性格は、そのままだろうから余計に心配だった。
それに最近、真紀子の施設では、団塊世代の生活保護案件の割合が増えている。利用者とその家族からの、理不尽なクレームも比例するように増えており、その対応というか、あしらい方がなかなか難しい。
これは完全に真紀子の主観だが、生活保護受給者は扱いが難しいことが多い。
花でなくても、仕事も人生においても経験不足のスタッフでは、トラブルの元だ。
職場の空気全般も良いとは言えないから、管理職としての自分の力量不足でもあるとはいえ、真紀子は初めての現場としては、お勧めできないのだ。
代わりに真紀子は、彼女自身が最初に勤務した施設に連絡をとって、花と加奈子が初任者研修を修了したら、面接を受けさせてもらう段取りをつけた。
当時の同僚とは、ちょくちょく近況を交換しあっていたのだ。それを信じるなら、真紀子が新人の頃に、彼女をイビったようなスタッフは退職し、逆に信頼できるスタッフは残っているらしい。
少なくとも、真紀子の施設よりはマシなはずだ。
花と加奈子が、大手の介護事業者が開催する、介護職員初任者研修に通い出したある日。職場の休憩室で真紀子は、部下の勝部と雑談を交わしていた。
勝部はまだ経験が1年にならないが、ビジネスマンあがり(しかも商社)で、噂話(というより陰口)が大好きな職員の中にあっては口が堅い。
介護技術はまだまだなところはあるが、コミュニケーション能力が高く、入居者の意思を尊重(当たり前のようでいて、これが出来ない「ベテラン」は多い)するので、入居者からも人気があった。
そもそも、勝部はネットに広まる、沖縄の学生組織とNPOの良からぬ噂を知っていた。そのため真紀子が、娘の花がSONの活動にのめり込んで、学業をおろそかにしていると愚痴を言った時に、警告してくれていたのだ。
そういった経緯もあって、例外的に真紀子は勝部にだけは花の話をすることがあった。
「というわけで、アルバイトをさせてみることにしたの。かわいい子には旅をさせろって言うけど、案外その通りだったのかもしないわね。」
「なるほど、それで初任者のお金も負担してあげて、八木さんの古巣でバイトさせながら、もう一度受験をと?うまく行くといいですね。」
頭の回転が速い勝部は、真紀子の言葉の行間から、彼女が言いたいことを読み取っていた。
勝部自身も先輩スタッフの大半に、内心低い評価を与えていたのだ。
勿論口に出しはしない。
彼自身は先輩からOJTの段階で、真紀子や施設長、入居者やその家族への文句を、軽々しく口にする彼等に不安を感じていたのだ。
そして勤務して1年になろうとする現在、彼は内心で、スタッフの大半に厳しい評価を与えている。プライドばかりが超一流で、一流企業並みの待遇を会社に要求し、介護技術と接遇態度は二流以下、というド三流介護士ばかりだ。
では何故、そんな職場に勝部が留まっているのかというと、彼自身が自分の介護サービス事業所を立ち上げる時のために、「最悪」の現場を経験しておくのも悪くない、と思っているからでもある。
彼は上場企業と、介護現場では組織の回し方が、根本的に違う部分があるのだと、興味深く真紀子のマネジメントの苦労を見ていた。
真紀子もまた、勝部の本音には気付いている。
勝部を採用する面接の時に、なんでまた商社を辞めて介護職に?という当然の疑問を聞いていたからだ。
雑談をしながら昼のニュースで、二人は気になるニュースを聞いて、話題を変える。
田中政府は唐突に「大麻合法化」を検討すると言い出したのだ。経済的なメリットと、合法化により、密輸を企む反社の資金源を断つことが出来るらしい。
それ自体には一理ありそうだが、真紀子は疑問を口にした。
「うーん、これ。私は反対かな。大麻と一緒に、危険な薬物への抵抗も薄れる人も多いんじゃないかな?」
「ああ。八木さんもそう思います?ネットでは、さらにヤバイ噂が流れてまして。本当かどうかは分からないんですが。」
そう前置きした勝部によれば、大都市や沖縄の若者達に、フェンタニルの使用が流行しているらしいのだ。
一見キャンディに見えるそれは、本来は鎮痛剤として使用されるが、ヘロインよりも毒性が高い。既にアメリカでは深刻な被害が発生している。
安価に手に入ることもあり、「大麻も合法化されるんだし、似たようなもんでしょ」と安易に手を出してしまうのだ。
介護施設でも末期癌の利用者に、麻薬を使用することはあるが、その管理は厳重だ。酒や煙草の延長のような感覚で使ったら、事故は避けられないだろう。
沖縄でも流行っていることから、米軍の備蓄から横流しされているのでは?という説がネットに流れている。
実際、米軍の救急キットのタグが刻印された物もあったことから、米軍を非難する向きもあった。
既にネットの情報だけを根拠に、連立与党の「米軍嫌い」達は、大喜びで米軍の管理体制を批判し始めている。
「その噂が本当なら深刻ね・・・。」
素直な感想を、真紀子は口にした。
勝部と真紀子は気付いていない。真実はより深刻なのだ。
フェンタニルの流入は、中国人民解放軍情報支援部隊の「作戦」の一環だったからだ。
彼等は、長期的に日本社会の治安を悪化させ、国力を低下させる目的で、中国で製造したフェンタニルを組織的に密輸していた。密輸には中国の輸送船と、日本の反社組織を使っている。
(場合によってはドローンも使っていた。)
さらに、やはり人民解放軍サイバー空間部隊が、巧妙に「大麻合法化」の動きを刺激して、若い世代の薬物使用への抵抗感が薄れるように、ネット工作まで行っていた。
おまけに米軍の管理不行届きを装うために、イラク、アフガン、ウクライナで鹵獲された、本物の米軍の装備を入手して、密輸品に紛れ込ませることまでしていたのだ。
真紀子と勝部のところに、施設長がやって来た。休憩時間だというのに、お構い無しに仕事の話をしてくる。
「ああ、八木さん。例の新規案件決まったから、入居の段取りお願いね。急ぎだから面談は無しで。」
「え!?面談無し?」
施設長が話しているのは、施設の空き部屋に、新たな入居が決まったということだ。
通常は、本当に受け入れが可能か、何か問題は無いかを確認するめに、入居希望者に真紀子のような管理職クラスが面談を行う。
だが、施設長はその手順を省くと言っていた。悪い予感しかしない。
「でも、施設長。あの案件は、外国の方ですよ?もっと慎重になった方が・・。」
問題になっている案件は、外国から難民として日本に入国した高齢者を、保護する活動をしている、NPOが持ち込んで来たものだった。
彼等は、行き場に困った高齢の難民を保護し、日本の高齢者施設に入居させる活動をしているという。
田中政権は、これまで慎重だった難民の受け入れを「人手不足を解消」するためとして、受け入れ拡大に舵を切っていたのだ。
だが、不思議なことに「難民」は高齢者を中心に、働くことが出来ない者が多く、日本に入国すると同時に、生活保護になる場合が殆どだった。
田中政権の方針転換と同時に、中国人を中心に、その数は一挙に増加しつつある。
しかも、いつの間にやら、そういった難民を支援するNPOが多数設立されており、田中政権は彼等に少なくない資金(無論税金だ)を与え、その活動を支援していた。
今回のNPOも、田中政権誕生とほぼ同時に設立されている。
正直、真紀子は花のこともあったから、NPOと聞いただけで、「うさんくさい」と思ってしまう。
(それが偏見だとは分かっていたが)
実際、「営業」にやって来たNPOの話は、正直厳しい内容だった。
一部屋だけ空いている、夫婦部屋への入居を希望しているのは、最近香港から政治的迫害により、日本に亡命してきた、高齢の中国人夫婦。
日本語はある程度出来るが、既に生活保護で、現在はNPOの運営する一時滞在施設(といっても、普通のアパートだ)で生活しているが、定住先を探しているとのことだ。
生活習慣と言葉の違いの問題で、入居は難しいからと、真紀子は断ろうと施設長に伝えていた。だが施設長は、NPOに聞かされた件の夫婦の境遇に過度に共感し、勝手に入居を決めてしまったのだった。
「大丈夫、大丈夫。日本語は少しは出来るらしいし、ウチには李ちゃんも居るでしょ?あの子に通訳してもらえば大丈夫よ。」
日本で生活して10年になる.女性中国人スタッフのことだ。働き者で、日本人と結婚している。真紀子の部下の中では、勝部同様に、彼女が信頼する数少ないスタッフだった。
納得できない真紀子は食い下がる。
「でも、李さんは毎日居るわけじゃないですよ?」
「八木さん。心配性ね。大丈夫よ。それにNPOさんの話は聞いたでしょ?あんなに可愛そうな人達を、放っておくわけにいかないわ。差別は良くないわよ。もう決めたから!」
「ええ?でも、やはりせめて面談を・・」
「それが、NPOさんの都合が中々合わないの。」
(それって会わせたくないってことなんじゃ・・・?)
真紀子の悪い予感は当たった。
実際に入居すると、夫婦は全く日本語が話せなかったのだ。
しかも生活保護制度も理解していないから、使える金が限られることも理解しておらず、「あれが要る」「これが欲しい」と文句ばかりだった。(特に食事に対するクレームは酷かった。)
李を通訳に真紀子は、生活保護費に自由に使える金は殆ど無いことを説明するが、中々伝わらない。
そもそも二人ともに、認知症が疑われた上、夫の方は頻繁に転倒するものだから、別の病気の疑いもあった。
何回目かの転倒で、表皮剥離を生じた夫の処置をした看護士は、施設に2週間に一度、往診にやってくる医師に連絡をとって相談した。話を聞いた医師は、自分が病院への紹介状を書くからと、大規模病院での受診を指示してきた。ブラックボックスだった二人の体調が、はっきりするのは助かるが、それはそれで大変だ。
というのも真紀子の施設では、入居者が病院を受診する場合、その送迎と付き添いは、入居者の家族が行うことになっている。
だが、身寄りの無い生活保護の入居者の場合、それが出来ない。
この場合、致し方無く真紀子が施設の車を出して、通院させるが、その場合は彼女の仕事のスケジュールに、大きな遅れをもたらす。
しかし、件の夫婦の案件の場合、通院が必要な場合はNPOが、自分達のスタッフと車を出すと言っていたのだ。
それは安心材料の一つだったので、施設長の受け入れ判断に繋がったのだった。
だが、蓋を開けてみれば、NPO側はスタッフと車両の都合が付かないと言って、非協力的だった。
ちなみに入院や、救急搬送という事態になった時も、手続きはNPOの人間が行う建前だ。
だがこれでは、特に夜間や休日に救急搬送になった時、NPOが約束通りに動くか、怪しいと真紀子は思った。
結局ところ、NPO側は入居が決まった後は、施設に面倒な対応は丸投げする気ではないか?真紀子はそう疑い、そしてそれは当たっていた。
施設長は自分の判断で入居させたにも関わらず、自分では動こうとしない。結局は真紀子が李を連れて、泣く泣く病院に二人を連れていくことになったのだった。
受診の結果は、二人ともに認知症。夫に至っては、指定難病のパーキンソン病、という診断だった。
指定難病の入居者は、スタッフにとっては大変だが、事業者にとっては売上増になるので、施設長や本社のマネージャー連中は、むしろ喜んでいた。
だが、それは結局日本人の金で、難病の中国人の面倒を見るということに他ならない。
李は真紀子にこう語った。
「これダメだよー。日本優しいから、中国に利用されてるネ。中国人ズルいから、この調子だと、面倒な人をどんどん「難民」にして送りこんで来るネ。早く止めないと、キリが無い。日本人のお金、どんどん中国人に使われちゃうヨ?最近日本、世の中がおかしいよ。」
李の感想に、真紀子は返す言葉が見つからなかった。




