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一億総オカルト社会と霊感ゼロ  作者: すずなり
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国民全員霊視能力ありの一億総オカルト社会で、霊感ゼロの私が生きていけると思いますか?



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涼北大学文学部日本文化専攻2年生の有坂鷹穂は、大学構内にある人のあまりやってこない森に設置された寂れたベンチに腰掛けながら、手の内にある公務員模試の散々たる結果に大きくため息をついた。学術試験はそれほどひどい出来ではないのだが、返却された作文試験の答案には、元が赤い紙だったのではと見紛うほどに至るところに訂正が入っていた。ほとんど殴り書きのような、書き手の苛立ちがヒリヒリと伝わってくるほどの筆致だ。鷹穂は思わず顔を顰めた。

「身霊対策局での勤務を希望する意向は汲み取ることができましたが、エピソードが真っ赤な嘘では、志望動機として誠意が感じられません。心理的ストレスにより一時的に幽霊が見えなくなるという症状はごく稀に聞きますが、生まれてから一度も幽霊を見たことがない人間など、現代社会においてありえません。模試だからといって、ふざけてよいとでも思っているのでしょうか?心霊対策局は、国民の健全な生活を支える重要な任務を担う機関です。なぜ身霊対策局に入りたいのか、具体的な体験談を根拠として述べ、局でどのような働きが自身に出来るのかを明確に述べること、この二つが志望理由書に必要な要素です。水を飲んだことがないから水道局員になりたいですと面接で言って、なれると思いますか?もっと真剣に、現実的に考えましょう。」

鷹穂は真っ赤な答案の上に力任せに書かれた真っ赤な嘘という文字から、しばらく目を話すことが出来なかった。これまで幾度となく嘘吐きという言葉を様々な人から浴びせられてきたが、今日ほど頭に鳴り響いた時はなかった気がする。鷹穂は眼球の丸みを瞼でそっと撫でるように、ゆっくりと瞬きをした。だが、いくら瞬きをして瞳の水分を飛ばしたところで、紙面の赤色の割合が変わるわけもなく、ただただため息が溢れていくだけで、涙腺がじくじくと針のようなもので刺激されたような感覚から逃れることはできなかった。しばらく我慢していた鷹穂だったが、もう一度赤ペン先生の言葉を読む頃には、涙腺が臨むままに涙に頬を伝わせ、真っ赤な嘘と刻まれた紙面が滲んでゆくのを眺めていた。


たとえ他人から真っ赤な嘘となじられたとしても、それが本人にとって疑いようのない真実である時、人はそこから立ち上がらずにはいられない。鷹穂も例に漏れず、立ち上がってずんずんと県境の森へと分け入っていた。話は3時間程前に遡る。鷹穂は確かに落ち込んでおり、握りしめた模試の結果は、くしゃくしゃになっており、もうほとんどの文字が読めないくらいに濡れていた。だが、「具体的な体験談を述べ」という部分は、涙の浸食を逃れるように、かろうじて残っていたのだ。鷹穂はふと思った。具体的な心霊体験さえあれば、心霊対策局への入局の道が開かれるのではないか、と。


「一番幽霊が濃く見える場所を教えてほしい?」身霊研究部の部室で、鷹穂は正座しつつ、首が取れそうなほど何度も頷いた。8畳ほどの狭い和室に所狭しと置かれた実験用具に囲まれた部屋で、一人座っていた青年が、鷹穂の言葉に手を止めてこちらを見た。彼は虫眼鏡で観察していた心霊写真のネガから顔を上げると、産毛ひとつない、きっちりと整えられた眉を顰めている。その瞼には紫色のアイシャドウが光り、マスカラのたんまりついたまつ毛をふちどるように、綺麗に左右対称の黒いアイラインが引かれている。青年を表す人称代名詞は「彼」か「彼女」か、初対面の人間なら迷うだろう容貌だ。だが、鷹穂には彼の化粧を気にしている様子は微塵もなかった。二人は中学からの付き合いなので、お互いのことはよく知っているのだ。吾妻信之介は、鷹穂が霊感ゼロであることを信じている、たった一人の友人だった。怪訝そうな顔をした信之介に、鷹穂はもう一度同じ言葉を繰り返した。

「そう、心霊体験が私には皆無でしょ?だから、強い心霊スポットに行って、就活で話せるエピソードをどうにかして作って、何とか心霊対策局に入局したいの!」

鼻息荒く詰め寄ってきた鷹穂の勢いに、信之介は思わず身を引いた。

「そんなこと言って、あんたどうせ心霊スポットに行ったとしても、まーた何も見えずに帰ってくるだけに決まってるわよ」長く伸びた襟足を細長い指で遊ばせながら、信之介が興味なさそうに返事をする。

「行ってみなければわからないじゃない!ものすごく強い霊だったら、霊感ゼロの私でも何か感じられるかもしれないし!」鷹穂の目は新たな可能性にキラキラ輝いている。だが、信之介はため息をつくばかりだった。

「ものすごく強い霊なら、もう既にここにいるわよ。でもあんた、あろうことかその霊の上に座って、耳の横から地縛霊を生やしてるじゃない」

ギャッと叫んで、鷹穂が弾けるように右側に仰反り倒れた。

「ここ霊いたの?!」鷹穂は慌てて右側にいざり寄る。すると信之助が「その姿勢だと今度は足のちぎれた女の子を食べてるみたいに見えるわよ」と肩をすくめる。鷹穂はまたとび起き上がると、今度は部室の隅に避難した。信之介は哀れむような目で差し向かいで所在なさげに縮こまる鷹穂を見つめている。

「心霊研究会なんだから、霊の一匹や二匹、いるに決まってるでしょ。研究に耐えうる強度の例なんだから、そこら辺の地域霊より強いわよ」

「へえ……」鷹穂はちょっとバツの悪そうな顔をして聞いていたが、諦めなかった。

「でも研究実験用の霊なら、エネルギー量が人に無害なレベルのはずよね?人に危害を加えないレベルの霊なら、やっぱりそこまで強いわけじゃないんじゃない?」澱んだ空気を払拭しようと、努めて明るい声で鷹穂は尋ねた。信之介が眉を顰めた。

「確かにそうだけど、あんた、幽霊が見えないからって、舐めすぎよ。毎年何千何万っていう人が、心霊現象で死傷者を出してるの、知らないわけじゃないでしょう?」

「そうだけど……」

決まり悪そうな鷹穂を横目で眺めながら、信之助は立ち上がって読んでいた本を棚に戻した。

「それに、あんたそれで幽霊から逃げたつもりなんでしょうけど、今のあんたがいるところ、さっきの地縛霊たちがかわいく見えるくらい身体が変形したデカい幽霊がいるわよ。破裂した心臓があんたの胸から飛び出てる」

鷹穂はまたもや飛び上がる形になった。

「もっと早く言ってよ!」信之助のそばに戻ってきた鷹穂が眉を吊り上げて怒鳴った。だが信之助はどこ吹く風で、部室のテーブルに肘をついて、呆れたように肩越しの鷹穂をちらと流し見るだけだ。

「心霊現象を体験したかったんでしょ?私のおかげでこの部屋で三つも経験できたんだから、これが優しさってもんじゃないの?」信之助が鼻白らむ。

「皆が嫌がってるものを楽しめるほど無神経じゃないわよ!」鷹穂が叫ぶ。

「こういうのじゃないの!私が感じられないなら意味ないの!私はみんなと同じになりたい!みんなが見てるものを見て、みんなと同じようになりたいの!」そう言って鷹穂が拳を握りしめた。駄々をこね始めた鷹穂に向き合うように、信之助がこちらを向いた。

「別にあんたが思ってるほど、幽霊の見え方って、統一されてないと思うわよ。いいじゃない。霊が靄くらいにしか見えない人間だってこの世にいるんだから、全く見えなくても、まあ………」

そう言いつつ、信之助は鷹穂を初めて見かけた日を思い出した。あれは二人がまだ中学生の頃だったろうか。学食には素っ裸の中年男性の霊がいると有名だった。ただ彼は毎日決まった席に出現するわけではなく、日替わりで出現箇所が変わるため、生徒たちは彼が出た時は、必ずその空間から距離をとっていた。ところが霊の全く見えない鷹穂は、中年裸男が席にいるなど知りもしないため、誰も座っていないその席に腰を下ろしてしまった。そして、あろう事か霊の股間に顔を埋めた状態で、笑顔で学食を食べ始めたのだった。霊の見える人間からすれば、鷹穂は敢えてあのおぞましい席を選んで座っているようにしか見えない。当然ながらドン引きされた鷹穂は、あの一件以来、中学では信之助以外の全ての友人を失っていたのだった。りんごみたいなほっぺから、小汚いオヤジの尻を生やした無邪気な笑顔の鷹穂の姿…信之助の脳裏に過去が鮮やかに蘇ってきて、信之助は思わず涙ぐみそうになった。

「………まあ、見かけで人を判断する人間なんて器が小さいだけだから、気にすることないわよ…」

「気にするでしょ!今回は人生がかかってるの!」鷹穂は息巻く。

「ね!お願い!こんなこと頼めるの、信之助しかいないの!」両手を擦り合わせて鷹穂が懇願する。

「そりゃ霊感ゼロで友達もゼロだからね」カチンときたが、スルーする。

「いいじゃん!心霊スポットを教えるだけで、信之助に失うものなんか、何もないじゃない!私が霊と望まぬドッキングをしたところで、信之助の人望が揺らぐわけじゃないでしょ!」

「あんたの人望はますます地に堕ちていくけどね」

「霊がすし詰め状態だったB棟トイレに入ったせいで4体の霊をボディーガードのように生やして企業インターンシップに行った私に、そんなものがまだあると思う?」

「まあ、ないわね」信之助が紅茶を啜る。

「じゃあいいじゃん!もういいじゃん!何がダメなのよ!」

鷹穂の言葉に、信之助は音を立ててカップをテーブルに下ろした。信之助が鷹穂をキッと睨みつける。

「あのね、そういうとこがだめなの!生死に関わることなのに、投げやりで危ない場所に飛び込もうとするなんて、間違ってるの。そもそも、幽霊が見えなくたって人間は生きていけるでしょ?あんたが何よりの証明じゃない!確かにあんたは周りから変人扱いされてるけど、食べて、寝て、学べて、こうして何不自由なく暮らせてる。仕事だって選ばなければ何でもできて、自立した女になれる!それなのに現状に不満ばかり言って、自分を満足させるために何の関わりもない霊をダシにして、他人に迷惑をかけるなんて失礼でしょ!第一、」

信之助のお説教モードが始まってしまった。こうなると、しばらく形勢は逆転できない。鷹穂は思わず唇を噛んだ。身寄りもなく、友人と呼べる存在が信之介しかいない鷹穂にとって、信之介は唯一残った「幽霊が見えることが普通の世界」との架け橋なのだ。だから信之介に断られたら、鷹穂にはもう当てがない。信之助のお説教をBGMにしつつ、鷹穂がどう説得しようか考えていると、畳の上に無造作に置かれたメモの切り抜きが目に入ってきた。鷹穂が手に取ると、信之介が話を止めて焦ったような声を上げた。

「あっ、ちょ!それ触っちゃダメ!」

手を伸ばしてきた信之助をひょいとかわし、鷹穂はメモに目を通した。心霊研究部の日誌の一部のようだ。日付とその日の特筆事項が書いてある。

「八木沢橋付近で心霊強度5のエネルギーを感知……調査の結果、八木沢の上流に未通報の心霊の可能性あり……」

殴り書きを鷹穂が読み上げると、信之介はしまったという顔をして、手で顔を覆って項垂れた。

「これって……今日の日付よね?」

信之介は黙っている。

「八木沢橋って、県内有数の自殺の名所で、よく心霊の目撃情報が出るところよね」

「・・・・・・」

「心霊強度5って、確か心霊対策局でも緊急調査本部を設置しないといけないレベルの幽霊が出た場合よね」

「・・・・・・いや、震度5の地震って、揺れだけだと意外と大したことなかったりするじゃない?心霊強度もそんな感じで、……えーと、そう!がっかりする!がっかりするわよ!あんたが思ってるほどの霊なんかきっといないんだから…」信之介の目は泳いでいて、やけにしどろもどろである。

鷹穂はすっくと立ち上がった。慌てた信之介が、鷹穂の服の袖を掴む。

「ちょっと!あんたまさか八木沢橋に行こうってんじゃないわよね?!」

「まさか」鷹穂はポケットからスマホを取り出して、地図アプリで八木沢橋と検索しつつ答える。ここから車で40分くらいの場所だ。近い。鷹穂はにんまりとした。

「あっ!ヤダ!あんたのその気持ち悪い笑い方!いつもの幽霊を探しに行く時の顔してる!絶対やめなさいよ!ほんとに危ないんだから!」信之介が両足をくの字にしてしなだれかかるように鷹穂の肘に縋り付く。全体重をかけて鷹穂を止めるつもりなのだ。鷹穂は立ち止まり、信之介の頬にそっと手を添えて、にっこりした。

「信ちゃん、いつも心配してくれてありがとう。私ももう二十歳になるし、物の道理が分かってきたよ。信ちゃんのいう通り、行っても多分、幽霊なんか一目も見れないまま帰ってきて、これまでと同じように変人として生きていくだけだよね・・・」

悲しげな鷹穂の言葉に信之介はハッとして、気まずげに目を逸らした。重たい沈黙が部屋に満ちる。「でもね、」鷹穂が打って変わったように強い口調で続ける。

「霊感ゼロには立ち向かわないといけない時があるの!」

鷹穂はそう言い切ると、ポケットに入れていた色付きリップを素早く取り出して、信之助の眼前で止めた。信之介が不思議そうに鷹穂からリップへと視線を移す。その瞬間、鷹穂は持っていたリップの蓋を片手で開けて目にも止まらぬ速さで繰り出すと、信之介の顔全体にリップを容赦なく塗りつけた。信之介が断末魔のような悲鳴をあげて、鏡を求めて部室内の洗面所に走っていく。「今日の化粧最高の出来栄えだったのに!こんなんじゃ外に出られないじゃない!」怒りに震え始めた信之介の後ろ姿に向かって、鷹穂が叫んだ。

「それはね、幽霊が見えないなんておかしいって言われた時と、幽霊がいるって誰かに言われた時だよ!」鷹穂は信之介の背中にもう使い物にならないリップを投げつけると、「メイク台無しにしちゃって、ほんとごめんね!でも、見た目で人を判断するなんて器が小さいこと、信ちゃんはしないよね!」そう言い捨てて、制止する信之介の声を背にするりと部室の扉を抜け、駐車場へと走り出ていった。

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