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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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「それで、私に何の得があるのかしら? リッシュモンさん?」

「あ?」


 いつもの調子。いつもの笑み。

 俺に対するのと同じように、一見しただけでは邪悪にも見えるような笑みを浮かべて、やってきたリッシュモンに相対する黒衣黒髪の少女。漆黒の闇を湛えた瞳は燭台に灯された蝋燭の明かりを受けても尚、深く、昏い。

 黒いドレスから伸びる白い指が微かに傾げた整った顔の頬に当たる。

 黒と白のみで構成されたような美しい少女の、そこだけわずかに赤い唇から洩れ出た言葉に声を失うリッシュモン。


 武装した一団を引き連れてやって来たリッシュモンと、通る、通さぬの押し問答の末、『穏やかに会話するくらいならいいけど、騒がしくなりそうだから帰る、じゃ』と言って食堂を出かかった黒衣の少女を引き留めるために一同が出した結論は、武装を解除したわずかな人数での会見ならば良しとするというものだった。


 引き止める一同の思惑は様々。プリュエルあたりは本当に名残惜しいといった理由だろうが他は知らん。謎そのものが二本足で立って歩いているような奴だ。出来るだけ長く観察したくなるのは当然のことだろう。


 俺は俺の理由で必死に引き止めた。一緒に連れて行ってくれとの願いに返事をもらっていない。ここでルルに見捨てられたなら次にいつ会えるかもわからない。そうなったら俺は女としての生涯を送らねばならない。足が震えた。

 いや、置き去りにしようとしたからもう答えは出ているのか? 俺の力などいらないと。いや、いいや、まだだ。まだはっきりと言葉にされていない。否定も肯定もされていないのだ。まだ希望はある。


 目じりや口元にシワのある、中年といってよい男の鋭い眼光が黒衣の少女を睨みつける。


 不正を許さず、悪事を許さず、それが故に王からも疎まれ政治の中枢から遠ざけられた男の衰えぬ眼光を正面から受けてもルルは知らぬ顔だ。そよ風が吹いたとも思っていない。この魔女のような……魔女か、魔女だ。この魔女を揺るがすには剣でも威圧でも駄目なのだ。


「神の奇跡に対価が必要だと申すか?」


 あえぐように絞り出されたリッシュモンの声に余裕は無い。

 屋敷を締め出された連中と教会の連中は今も外で睨み合っているのだろう。


 黒死病の発生。


 ルーアンの町で聞いた話では黒死病にはいくつかの段階があるという。

 多くの者が様々な憶測を加えて語られる恐ろしい病の話の中にも、それなりに共通する特徴はある。先ず町の誰かが倒れる。そいつは体のどこかに、こぶし大のコブが生まれて苦しむのだと。これが最初の段階だ。

 最初はゆっくりと、だが確実にそうして苦しむ者が増えていき、いつか血を吐き、のたうち回る者も現れる。そうなるともはや誰の手にも負えない。近しいものから一斉に倒れて行き、同じように血を吐き、やがて体のあちこちが黒ずみ死んでいく。町ごと滅びたという話もよく聞く。恐ろしくも悍ましい、黒き死の病。


 リッシュモンが南部から引き連れてきた部下に黒死病の最初の段階と思われる患者が出た。屋敷まで連れてきたらしいが、ここにはいない。屋敷の外のどこかで看病されている。

 黒死病は見るだけで人にうつるなどとも言われているのだ。マロー司教がここに入れるわけがない。


 一番広いという理由でリッシュモンたちを迎え入れた食堂には他の部屋から多くの燭台も持ち込まれ、今は簡易な祭壇まで作られている。急ごしらえの祈りの場だ。食事もワインも片付けられた。


 リッシュモン、たち。

 彼に伴われて入って来た面々は、ほぼ彼の側近が占めるが、そこには何故か涙目で震える偽ジャンヌもいた。いつも連れ立っていた処刑人のジョフロワはいない。


 偽ジャンヌ。本名もまたジャンヌ。

 終末の予言に踊らされ混乱するオルレアンの町を静めるため、処刑された聖女ジャンヌの再来であることを望まれた少女。髪型はほぼ同じ。本物のジャンヌよりも髪の金色が鮮やかで、顔立ちは、まぁなんとなく似ているかと言えるくらい。

 前は服も本物ジャンヌが着ていたものとほぼ同じものであったが、今は焼けて違う服だ。

 男物ではなく、女性の着るドレス。

 上等なものではあるが簡素な白いドレスを着た偽ジャンヌは男物の服を着ていた時よりもずっと落ち着いて自然に見える。


 目が合ったので、何をしているのだ? と意思を込めて彼女の目を見る。

 涙目の偽ジャンヌは俺に何か言いかけてやめる。

 ふむ。つまり、何だ、わからん。


 神への祈りも早々に切り上げての本題。偽ジャンヌを癒した時のような奇跡を自分の部下へ向けてくれないかとのリッシュモンの言葉を受けて、黒衣の少女が発した言葉。それで私に何の得があるの? と。


 ルルの言葉は酷薄にも聞こえる。あるいは、何かよこせという催促にも。


 片付けられた椅子をわざわざ引っ張り出して祭壇の近くに腰掛ける黒衣の少女。立ったままのリッシュモンが重ねて問いかける。強い感情を声に潜ませて、言葉を区切りながら、言う。


「神の、奇跡に、対価を差し出せと、そなたは言うのだな?」

「そうじゃなく、リッシュモンさんは先ほど私に何とかしてくれと頼んだのよねえ? で、その願いを聞いて、私の得は何になるのかしら? 私は何を得るのでしょうね? 神様に奇跡を祈るのなら神様にどうぞ、そして必要な対価も神様に聞いて? 私じゃなく」

「…………」


 ルルの奴のその顔、その態度、どうだ? リッシュモン。腹が立つだろう? わかるぞリッシュモン。


 敵意すら滲ませてルルを睨みつけるリッシュモンだが、今の所、手も出さず口調も荒げない。

 決して騒がない、騒動を起こさないと約束してこの屋敷に迎え入れられたのだ。


「……神は唯一奇跡を為せる。そなたが祈り、神が応える。そなたの祈りの対価には敬意を支払おう。それとも神へ祈る為には金品が必要か?」

「あー、これは……どうしましょうかしらねー」


 疑いの目で自身を見るリッシュモンから視線を外し天井を仰いで頭を指で掻くルル。


 リッシュモンは全く勘違いをしている。

 それでは駄目だ。それでは。


 俺が倒れた後、残されたリッシュモンらは大いに混乱をしたのだと言う。

 片付けの最中にゴウベルらから軽く話を聞いた。

 混乱も当然。

 想像も容易だ。


 死の間際から復活した女。リッシュモンの手勢、イングランド勢、悪魔教の者たち。

 そこに加わる三体の骸骨兵と黒衣の少女。

 倒れ動かない、女と変わり果てた俺。

 ひたすら悔い改める者、ひれ伏し地面に頭を垂れて一心に祈る者や、偽ジャンヌにすがる者、もはや誰も事態を鎮静化できる者が存在しない中、これ幸いと逃げ出す悪魔教の者たちも多く出たのだとか。


 奇跡を目にした者たちが信仰を偽ジャンヌやルルに向ける中、リッシュモンは一人で懐疑の目をルルと倒れた俺に向けていたらしい。

 一体何者なのかとルルに詰め寄るリッシュモン。相手にせず悠々と躱すルル。

 だが多勢に無勢とでも言うのか。自分らが目にした奇跡に浮かれる者たちの中にあっては、リッシュモンほどの者であろうとも持論を曲げざるを得ず、ルルらを神の使いと認め、捕縛できる悪魔教の者たちだけ捕縛して、皆連れ立って目的地でもあったパリへと向かったらしい。


 あのポンコツ骸骨共を召喚した理由。

 彼らに守らせなければ倒れた黒騎士さんはもみくちゃにされてたでしょうね、とはルルの談。不用意に俺に近づく者をその異容でもって追い払っていたのだと。


 転移して無人島にでも行けばよかっただろうにと返すと、混乱する人たちがどういう行動をするのかを学びたかったのだと抜かしやがった。阿保か。高みの見物で混乱する人を見て楽しんでいただけだろうが。


 それは口にしなかったが、夕方になって暗くなり、俺の体を光らせた時が一番盛り上がって面白かったとルルの奴は自白していた。おのれ。俺で遊びおって。


「一刻を争うのだ。祈って欲しい。祈るだけでよいのだ。死の病を退ける癒しの奇跡を求め、神への祈りを望む。そなたらがいかなる立場の者であれ、それが出来ない理由もないだろう? ん?」

「はてさて」

「何を悩む? 何かそなたらには人には言えぬ深い事情でもあるのだろうか?」


 俺の横に居るルルに、時に俺に向けて、鋭い視線を飛ばすリッシュモン。


 リッシュモンめ、本心ではこう聞きたいのだろう。お前たちは宗教を騙った奇術師や詐欺師といった類ではないのか、と。あるいは邪なる悪魔が天使の振りでもしているのか、と。

 場の雰囲気がそうさせないだけで。


 リッシュモンが連れてきた連中がリッシュモンの強い口調を窘めようとしているのが態度でわかる。

 強い疑いを持っているのはリッシュモンだけなのか。


 だがリッシュモンの疑いこそ事実に近いのではなかろうか、騙す気もなければ神を騙る気も無いが、神でも神の使徒でも天使でも何でもない俺たちの素性は。


 天使ではないと何度言った事だろう。誰も納得しないだけだ。説得力が無い。ルルによってもたらされた圧倒的な奇跡の数々の前には正しい言葉も意味をなさない。

 それこそ、言葉の表面ではなく為した事を見よ、というやつだ。


 ただやはり、リッシュモンは致命的なまでに根本的なところで勘違いをしている。


 リッシュモンも含めた大勢が目にしたあの奇跡。

 あれは神の為した業ではなく、ルルが持つ力をルルが振るっただけのことなのだ。止まった時間の中、治療に回るルルの姿を俺だけが見ていた。その術は俺が間近で見ていても理解の出来ない代物ではあったが、確かにルルは怪我人の症状ごとに治療を変えていた。俺はそれを見ていた。


 見ていないだけだ。


 彼らは何も見ていない。

 俺たち以外の者にとっては、あれは突如として天より光が降り注ぎ、そして、偽ジャンヌを中心として癒しが行われたとしか理解出来なかったはずだ。

 途中が抜けている。

 1と1を足せば2になる。その1を足せばの部分を見ていない。知らされていない。1が奇跡で2になったのだと思い込んで、それを疑問にも思わない。


「神の慈悲はすべてに降り注ぐ」

「へぇ、そうなんだー」

「もしそこに偉大なる神の癒しの奇跡を独占する者がいるなら、そやつは悪だ。あまつさえ対価として金品を要求する者がいるならば、それは許されざる悪だ。正しくない。わかるか? 悪は正されねばならない。私の言う事に間違いがあるだろうか?」

「貴方の中の正しさは貴方の中にしか存在しないわ」


 奇跡の裏側で、奇跡に見えるように動いた者がいるなどと、思考の端にも上がらない。


「そんなことは無い。神の定めし正しさもまたすべての者にとっての正しさでもあるのだ」


 俺もまたそうだった。

 考えたことも無かった。昔の俺は。

 リッシュモンの居る場所は、昔の俺が居た場所だ。


「へー、そうなんだー」


 頭を掻いた指先で、そのまま自分の髪を絡めとり、何度も回すルル。俺でも見た事の無い仕草だな。態度が悪いぞ。真剣な話を聞く態度じゃない。


 当然ながら、俺がルルという少女の姿をした何かの全てを知っているわけでは無い。だが、ルルは会話に飽きている、そう感じた。


 ぞんざいな態度で話を聞くルルと、まるで出来の悪い生徒を教える、立場の弱い雇われ教師のような忍耐強さで話を続けるリッシュモン。睨みつけるのを止めない。


 途方もない力を目の当たりにしただろうに、明らかにリッシュモンはルルを侮っている。


 見た目だけなら無害で無力な少女に見えなくもないからな。詐欺もいいところだ。

 もし今、ルルが持つ姿の一つ、ねじくれた角と牙を生やした巨大な悪魔の姿であったのなら、リッシュモンも態度を変えて言葉も選んだだろうに。


「よいだろうか? 人を救う力があるならば、人を救うために惜しみなくその力を振るうべきだ。そうは思わんか?」

「んー、どーだろーねえ」


 リッシュモンは……駄目そうだ。

 このままではルルを説得することなど不可能だろう。


「今一度、今一度、皆の前で奇跡が為されるのを披露してくれまいか。出来るのだろう? それともこう言うのか? 今は出来ませんわかりませんと……」


 リッシュモンがしている勘違いがもう一つ。

 ルルは最初から対価など求めていないのだ。

 今の俺ならわかる。

 ルルはさっきからこう聞いている。


 それを為した結果として、自分は満足できるのか、と。


 リッシュモンに聞いた形になっているが、実際には他者に答えなど求めていないかもしれない。

 奴にとって重要なのは、自分が満足できるかどうかだ。


 いかなる権威も金銀財宝も、奴にとっては取るに足らないもの。感謝や祝福すら求めていない。神ではないが神のごとき力を振るい、それでいて信仰すら必要としない奴を動かすものは、もっと、こう……


 ……何だ。何を差し出せば奴は満足するのだ?


 俺が労働を対価にすると言ってもなびかないのなら、やはり美少年か? 美少年を用意するしかないのか? 奴は好きだからな、美少年。


「あー、そういう? へー、ほー」


 ルルが完全に会話に飽きてこの場を立ち去る前にリッシュモンに助け舟を出してやらねば。


「金品が必要なら用立ててやろう。望むままだ。それで人々に安寧がもたらされるのなら」


 うむ、駄目だな。

 とりあえず一度、駄目で元々で美少年を提案してみるか。違っていたら違っていた時で。

 そう思って口を開きかけた時。


「もう我慢ならん!」


 意外にも、というほどでもないが、マロー司教が激高してリッシュモンに詰め寄る。


「先ほどから黙って聞いておれば! リッシュモン卿よ! 神の奇跡をなんとお思いか!?」

「! マロー司教よ、落ちつかれよ」

「落ち着いていられるか! 出来るならやれなどと! 金品などなんだのと! 奇跡を皆に披露しろなどと! 敬意の欠片も見えぬ! 配慮の欠片も見えぬ! 天使に、芸人に芸をねだるようにして奇跡を求めるなど! くぁあ、なんたる思い上がり! なんたる、なるたるああ、利用してやろうという魂胆が透けて見えるではないか! なんたる! なんたる! くううう!」


 言葉になっていない。

 先ほどから歯ぎしりが聞えてきそうなほどだったからな。

 激高するマロー司教の顔色は、さっきの俺の顔色よりずっと赤いのはないか? 完全に血が昇っている。倒れるなよ、マロー司教。


「神を疑い! 神を試すようなことまでしている! もう見過ごせないぞ! 天使様を前にして何様だリッシュモン卿!」

「だがッ!」


 激高するマロー司教にも怯むことなくリッシュモンも声を荒げる。


「ここで我らが見誤ればッ! 迷惑をこうむるのは民衆だッ! この世にある人々だッ!」

「なにぉ!?」

「神を疑うことが罪ならばッ! 私はその罪を背負うことになるだろうッ! だが恐れない! 私は罪を恐れない!」

「罪人めぇ! リッシュモン卿はか、神を疑う異端者で……」

「まー、まー、まー、落ち着いて欲しいのは私もよ? マローさん。ふふ。茹でたタコのよう」

「ゆ、茹でたタコぉ……?」


 激高する二人の間にあって、いつもの冷静さ、不遜さを失わないルルがマロー司教の顔を見て笑う。


「私なら怒っていないわ、マローさん。そこにある便利なものを使いたいのは人の性というものよ。原理はわからなくても人は火を使うでしょ? それと同じで奇跡もまた例外じゃない。あれば使う。使えるなら使う。わからなくても使う。普通。とても普通の事だから」


 その笑顔の緩さ、穏やかさに二人は声も無い。


「騒々しくしないと約束させた人が一番先に騒々しくしてどうするの? ふふ」

「で、ですが……あまりにも……」

「そうじゃなくて、ちょっと気になったのは」


 白く繊細な指。

 それが部屋の隅にいた一人の少女を指さす。


「彼女が、ええと、ジャンヌちゃん? 彼女がね? ここに来てからずっと悲しそうで苦しそうで泣きそうなこと……」


 そしてそのままリッシュモンを指さす。


「もしかしてだけど、リッシュモンさん? さっき私に迫ったのと同じように、彼女にもそんな感じで迫ったのではないのかしら? だとしたら……好きじゃないわねえ」


 そして自分を指差し、魔女が、まるで本物の魔女の様に、口の端を上げて笑う。


「私は、好きじゃない」


 星の浮かばぬ夜空のような漆黒の闇が、リッシュモンを見ていた。






年末!

もうすぐ100話! この話、最初5話くらいで纏めようとしてたってマ?


読んでくださった方、ブックマーク&評価してくださった方、ありがとうございます!

自分の作品が皆様の心の中に少しでも残れば、それ以上は無い誉です。

一年間、お疲れ様でした!

来年もまた拙作にお付き合い願いましたら幸いでございます。

よいお年を!


さーて、孤独のグルメ見て年越し蕎麦食べるかー。ではでは!

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