92
何かが引きちぎられるような、何かが壊れるような、そんな破滅的な音を聞いた。
それで世界は終わった。
いや、元々映像の世界。
兜から覗き見る世界のすべてが歪み、ひび割れ、崩れ、耳障りな音を残して消え去る。
暗闇の中に放り出された俺は、荒れ狂う激流の中に放り込まれた木の葉のように翻弄され、天地もわからなくなっていく。自分は今、どうなっている? 世界は、どうなっている?
アアアアアアアアアアアアアアッ……
か細い悲鳴を上げているのは俺の喉だろうか。
無力な幼子の様に、弱く、か細く、絶望の声を上げているのは、俺だ。
暗闇の世界から、日の下へ。
光が、世界を包み込んでいる。
そこで俺は片膝をつき、頭を両手で抱えている。
頭を、両 方 の 手 で 。
「あっ、あっ、ああああっ!」
何故疑問に思わなかった。
吹き飛んで欠片も残さず消えたはずの右腕があることを。
骨の躰で復活したことと比べれば、そんなことは些事だと思って……いや、違う。気にも留めなかった。何の疑問にも思わなかった。
「この躰はッ!」
ゴミのような、あの男のものだ。
「俺はッ!」
その躰を使う俺は、誰だ?
時々、俺の意思とは無関係に心の奥底から湧き上がってくるような憤怒の正体。その真の持ち主。
理解出来ない程に狂った復讐心と、煮えたぎる悪意。制御の出来ない感情の由来が。
「あいつだった!」
未来から来て過去の俺を殺した俺。
どこで手に入れたのかもわからない知識の切れ端が。
そんな事実は無いはずなのに、自分が焼かれた記憶が。
思い出せてしまう。
黒猫により消された記憶が、封印が、綻び始めている。
「ジル・ド・レ!」
「ジル・ド・レ殿!」
「骨の道化師ぃ!」
「死者殿っ!」
あいつの、あの、ゴミの、あの、子供殺しの、ジル・ド・レという罪人の、俺の……
「黒騎士さん、隙だらけよ」
俺の名を呼ぶ者の中、一人、冷静に俺を黒騎士と呼ぶ、少女の声が聞こえ、
「今なら子供でも君を倒せそうね。うりゃ」
間の抜けた掛け声と共に放たれた蹴りが、黒い鎧で包まれた俺の胸を打ち、俺は後ろに倒れ込んで、地面に尻と両手をつく。
草と地面に触れた感触。匂いも。ここは現実か?
「しっかり気を持って? じゃないと、ほら、消えかけている」
黒衣の少女がその深く黒い瞳で俺を見下ろしている。
ゆっくりと、穏やかに。
全身から立ち昇る白い煙は、骨の躰が修復されていく時と逆の作用か。
「……ねこ……黒猫……ルル……魔女よ……何ていうものを、俺に、見せた」
「びっくりだわ。未だに私の事を魔女と呼ぶのねぇ」
多くの物を知ったはずだ。だが、その存在を表現するのに魔女以外の言葉を知らない。目の前にいる者は、そういうもの。俺に罪を突きつけ、俺を終わらせる者。それはきっと、俺にとって悪魔と何も変わらない。だが本当の悪魔こそ俺で、ジル・ド・レで。もう何も考えられない。考えが、纏まらない。
考えたく、ない。
力が出ない。
俺の存在が薄くなっていく。
終わりが近づいている。
「ここに魔女はいないし、魔法は無いし、神秘も奇跡もここには無いのよ。それに、君が望んだ事でしょう? 知りたかったことを知った、ならば、満足した、そういうことなのでしょうね」
「…………」
消えて行く。
消えて、終わろうとしている。
これが終わりか。
死。
こんなものが。
「理解出来ないのだけれど、と、いうか、盛大に勘違いし散らかしているみたいだけれど」
「う、あ」
黒衣の魔女の俺を見下ろす瞳の奥にある感情は何だ。
あきれ? 蔑み?
「それでも満足して消えたいと願うのなら、それはそれで君の意思を尊重して最後まで見守ってあげたい気持ちもあるのだけど」
その赤く小さな唇が歪み、弧を描く。邪悪な微笑み。
「私に悪いと思わないの?」
抜き身の剣を持ったままの黒衣の魔女は再び足を上げ、俺を蹴る。
吹き飛ばす程の勢いは無く、だが、それでも、何度も。何度も。
その度によろめく俺に、魔女はさらに追い打ちをかける。
「手間と時間をかけさせてさぁ……実に……楽しくない終わりを迎えるものね、黒騎士さん、骨が無いわよ、骨が。むしろ君には骨しか無いのに、恥ずかしくないの? ねえ、無駄骨ポンコツさん」
嘲りの言葉と共に放たれる蹴りに反撃する余裕も無い。その気持ちも……
「ジル・ド・レ!」
「ああっ、どうして!」
「ぬぅ、骨の道化師め、何故反撃しないのだ!? 魔女に何かをされたのか!? 魔法か? 魔法だな!? 邪悪な魔法で動きを止められているのか! 立て! 立って戦え! 骨の道化師ぃ!!!」
「戦ってぇ! 戦うのであるであるぞ! ジル・ド・レ殿ぉぉ!!!」
うるさい。
リッシュモンやうるさいゴウベルの声に混じっておかしな男言葉を使うのは偽ジャンヌか。
俺の事はジル・ド・レと呼ぶなと、何度も言ったはずだ。
だが、もういい。
俺は消えるべき人間で……いや人ですら無かった。
悪魔ジル・ド・レ。その躰を使い、その記憶を持つ、この世に在ってはならない亡霊で……
「様ぁったらないわね。知りたい知りたいと喚いて実際に知ったら、後は知らぬとばかりにさようなら? 大したものよ、大物よ。ありがとうの一言くらい欲しかったわね。手間を掛けさせて済まなかったとかでもいいけど。で、知ってどうしたかったの? 何かいいことあった? ほんとーに無駄骨お疲れさん、いえ、これはとんだ無駄骨を折ったのは私の方。だよね。反論ある? なんてことかしらね、無駄骨さんは私のことだった? はぁ、受け入れて欲しかったのに……残念だわ」
黒猫のその最後の言葉が、僅かばかり残っていたらしい俺の反抗心に風を送り込み、消えかけていた熾火に熱を与える。
「何が……受け入れろ……だ」
馬鹿野郎めが。
受け入れたから、この様なのだ。
すべてを知った。
俺が見せられたものに嘘はない。断言はできないはずだ。だが断言できる。黒猫の悪魔は嘘をつかない。そういう奴ではない。
ジャンヌの処刑の後の俺は悪魔そのものとなり凶行と後悔を重ねて生きる。そして自分自身の処刑の後、黒猫によって過去に連れてこられて過去の俺を殺し、満足し、果てた。
はずだった。
それで終わりのはずだった。
なのに黒猫はわざわざ俺を蘇らせて、記憶まで封印して……俺は……誰だ?
「どっち……なんだ……」
殺された記憶がある。
記憶にない記憶も。
「……黒猫……答えてくれ……俺は、どっち、なんだ?」
「どっち、とは?」
「知らない筈の事を知っている。俺の魂は……あの邪悪な男のものなのか? それとも……俺は……」
「魂ね」
俺を蹴るのを止めて、肩をすくめる魔女。
「微妙な所ね。魂には詳しくないのだけれど、それが記憶を指すのなら、殺された側の君こそが、今の君、のはず、よ、たぶん」
随分と曖昧な返答に苛立ちを覚える。
「君の体を作った時の素材は彼の物。見せたわよね。君の方の体は片腕が無かったからね、作業的に楽をしたわけで」
「素材……作業……人の亡骸を……悪魔め」
「はいはい悪魔悪魔。で、記憶の方はというと、これはちょっと判別が難しいのよね。時系列に沿った記憶、その途中まではほぼ同一と言っていい代物であり、私の干渉によって変化した部分をどう扱うかによって返答は変わるもの……彼の記憶を途中から消して君の記憶を付け足すのも、君の記憶はそのままにして彼の記憶に上書きするのも、出来上がるのは同一のものだから」
「理解が……」
「理解出来ない? そうね、じゃ、これだけ知っていればいいわ、君は彼じゃない」
「俺は、奴では、ない」
「ええ、君の記憶はなるべく手を入れずにそのままにしてあった。消したのはあの日の短期記憶だけ。だから、君は君よ、安心した? 黒騎士さん」
「本当、に?」
「……ええ、まぁ、おそらく?」
「そこで……何故断言してくれぬ……」
指を頬に当て軽く首を傾げる美しい少女の姿は、見る者によってはさぞ愛らしく映ることだろう。
「俺には俺の身体が焼かれた記憶がある……あの熱さを……思い出して」
「ええと、それは完全な思い込みね。彼の死体が焼かれた時にも彼は熱さなんて感じるわけないのに、どうして黒騎士さんがそれを知っているというの?」
「どうしてなど……」
それは俺が聞きたい。
「人の記憶というのは、確りしているようで、結構あやふやに出来ているものなのよ。誰かに聞いた記憶を自分の物と思い込んだり、ね。人が嘘を吐く前に、記憶すら嘘を吐き、嘘を信じる。そういう生き物よ。生きている内に君が焼かれた記憶なんて近隣世界のどこにもない。思い込み。それだけ。以上」
「ではっ! 俺の中の制御できぬ激情を何と説明する!?」
俺は奴ではない。
ただ受け入れればいいだけの黒猫の言葉にも、つい反抗してしまう。
意固地になっている。
俺が奴でないなら、それは喜ばしい事のはずなのに。
「俺の持つ復讐の心……これは奴の感情ではないのか?」
ジャンヌが処刑され、世界を憎み、復讐を誓った時のことを、今ではよく思い出せない。それは借り物の怒りだから、借り物の復讐心だったから……
「そのせいでいくつもの失敗をする……黒猫……いつか、お前に斬りかかったあの時にも、俺は奴に操られていたのではないのか……俺の中には、俺に制御できぬような狂気が存在する……ッ……何故蹴る?」
「蹴りますとも」
かなり強めに蹴られて揺らぐ躰。芯の無い男の、無様な姿。
「人の持つ激情とは本来そういうものよ? 皆がそう。皆が皆、心の中の激情と戦っている。あったわよね、知ってる? 七つの大罪、確か、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲、肉欲、あとはええと……性欲?」
色欲と肉欲と性欲は同じだろう……
七つの内の三つとか、どれだけ強い色欲に支配されているのだ。
「手に負えないから人は悩むわけで、よそ様のせいにしたくなる気持ちもわかるわ。大罪の悪魔とか作ってそいつのせいにするとかね。けれどそれらは全部、人の身の内から出てくるものよ。どっかからやってきて付け足されるものじゃない。人の一部であり、人を構成する重要な要素。それを言い訳に使うのはやめることね」
再び俺を蹴る黒衣の少女。
「ましてや、それを、可愛いだけの無力な猫に刃を向けたことへの言い訳に使うなんて、何て恥知らずなことかしらね! えい、恥を知れ、えい」
何が無力な猫か。
ついうっかりで世界を滅ぼしてしまえる程の存在が。
蹴られても痛みは無い。厚い頑丈な鎧が俺の躰を守っている。鎧などなくても少女の蹴りなどたかがしれている。
だが何故だろうか。
蹴られるたびに、俺の躰から何かが抜けていく気がするのは。
赦されている。
どうしてだか、不意にそう思った。
少女に責められ足蹴にされて、怒るどころか楽になっていく自分を自覚する。
俺は、俺の罪を責めてくれる者の存在を求めていたのかもしれない。
「わかった……もうわかった……黒猫……俺はあいつでは無い……」
蹴るのを止めてこちらを見る黒衣の少女。魔女。悪魔。
あいつを導き、俺をここまで導いた、何か。
いつの間にか躰から立ち昇る白い煙は消えていた。完全には消えていない。今でもうっすらと立ち昇っている。それはおそらく、俺がすでに受け入れてしまっているからだろう。
何を?
「受け入れろ……そう言ったな? 俺があの悍ましい男である事実を受け入れろと言ったのではなかったのか?」
「酷い誤解ねえ」
「だろうな」
黒猫はずっと俺の事はあいつとは別人だという扱いをしてきた。
違う世界の別人だと。
俺があいつであることは、違う事なのだ。
ならば何を受け入れろというのか。
黒猫とのやりとりのすべてを思い出すことは出来ない。だが一つの明確な答えに至る。
死を受け入れろ、と。
そう言っている。
人は死んだら生き返らない。何度もその言葉を聞いた。
死んだ人間がそこらの道を歩いていていいものではないのだ。
人生を終わらせたジル・ド・レ。悪魔と出会い、殺された俺。どちらも、もう死んでいる。
今いる俺は、その亡霊でしかない。
この世界での使命なんてものもない俺は、世界から消えるべきなのだ。
黒猫によって、俺の願いは十全に叶っていた。願いが叶い、消えて行ったあいつのように消えるべきなのだ。
さっさと、消えるべきだったのだ。
今いる世界はジャンヌのことを認めた世界。
間違いを認めた世界。
罪に相応しい罰を受けた、そういう世界。
これ以上この世界に居た所で、一層の混乱と混沌をまき散らすだけの存在になってしまうだろう。
恨みを忘れた亡霊は、もう消えるべきだ。
それに気がつくのに随分と時間をかけてしまった。
「ここに来て愚かな俺にもすべて理解できた。黒猫よ、受け入れよう。わかった、満足だ。それから、手間を掛けさせたな。本当に済まない。ありがとう。俺はここで消えることにしよう」
「なんでだよっ!?」
「ふぐあっ?」
強烈な蹴りが、俺を頭部を襲った。
「痛い」
「痛い、じゃないわよ! どうしてそうなるの? 理解できるように説明して!」
頭が跳ね上がる程に蹴られた頭が痛い。眩暈がする。
「そういうことだろう? 死を受け入れろと。貴様は俺に満足して消えて欲しかったのではなかったのか?」
「そういうことだけど! そうじゃないでしょ!」
「どういうことだ。貴様こそわかるように説明しろ」
「満足したのは幸福になったから? いいえ、黒騎士さん、今の君の満足は諦めの満足よ。もういいや、これで、という妥協の満足。それでいいの? 私はね、黒騎士さん、君に幸せになって欲しかったのよ」
「幸せに、だと……」
黒猫にはさんざん言ってやりたいことがあって、どれもこれも一言二言では伝えられない事ばかりだが、これだけは一言で済む。
「なれるかっ! こんな骨の躰でっ!」
「ぶわっぷ」
地面を掴んで砂利交じりの土を投げつけてやった。
どんな攻撃でも身軽に躱す奴でも、全面に広がる土は避けられなかったようだな。
幸せになんぞなれるか、こんな骨の躰で。
「悍ましいわっ! 恐ろしいわっ! 何が幸せに、だ、ふざけるな、なれるか、動く骨だぞ、誰が俺をもともに扱うものか、馬鹿が、常識が無いのか! 常識で考えろ、常識で!」
言いたいことが口からあふれ出してくる。
常識が無いのではなく、常識が違う。俺と黒猫では、見ている常識が違う。
「しかもっ! これが奴の躰だと知った今では、もはや一秒たりとも我慢ならん! 消える! 欠片も残さず消えてしまえ! 消えたい! 消えろ! さあ消えろ!」
「ただの素材でしょ。出所とか、気にしなければ問題ない」
「ないわけあるかっ!」
「おっと」
二度目の砂利攻撃は相手が遠ざかって効果を発揮しなかった。
とことん常識が違う相手との会話は、こうまで食い違うものか。
死体を玩具のように弄ぶなど、事情を詳しく聞けば、100人どころか、一万人に聞いても全員が奴の方がおかしいと答えるはずだ。過去や未来においても、絶対そうだ。
「君の体の元となった相手が悪事を働いていたから不快とか、黒騎士さんて、ちょっと繊細な所あるよねー」
「繊細とかいう言葉で……」
地面に落ちていた剣を拾い、立ち上がる。
「誤魔化そうとするなあ!!!!」
技も何も無い。荒ぶる感情のまま振るった剣は、当然のように奴に躱される。
「おお、立ち上がった!」
「立った! 立った! 死者殿が立った!」
「よしっ! 骨の道化師が邪悪な魔法に打ち勝った! そのままいけぇ!」
「ジル・ド・レ殿ぉ! がんばれ、ばんばれえええ!」
「うるっさいわっ」
ゆっくりと頭が働き始め、ここがどこだか、自分が何をしていたのかを思い出していく。
悪魔教の奴らとの揉め事。磔にされた偽ジャンヌたち。リッシュモンの襲来、そしてイングランド兵との混戦、その最中、黒猫が現れて、俺は未来、いや、奴の過去へと誘われて。
時間が経っていないのか?
偽ジャンヌの服も焼けた時のそのままだ。肌が露出しているが、本人含め、誰も気にした様子がない。
そして何一つ事情など知らぬくせに、俺と黒猫が戦っている姿を見学して応援を寄こす。いらんわ、その応援。
「とはいえ謝罪も必要ね。配慮が足りなかったわ、あと……相性が良過ぎたことも」
「相性?」
剣を振るい、躱され、向かってくる剣を躱す。
何度めかの応酬の途中で、黒猫が話し出す。
「その体に、君の精神は、相性が良過ぎた」
剣を振るい、躱され、向かってくる剣を躱す。
お互い、本気ではない。剣の型の練習のような剣戟の応酬。その流れに淀みは無く、時々打ち合う剣の刃が硬質な音を響かせる。
「念話の要領で君は君自身の体……つまり彼と会話のようなものをし始めてしまった。そこから記憶だったり感情だったりを読み込んでしまったのよ。無いはずの知識が混入してしまうのは、それが原因」
「なんだと……だったら先ほどの」
「そうやって言えば満足した? 気分良く逝けたのかしらね?」
「それは……」
「それはとても些細な影響よ。君の精神には無視できるほどに些細な影響しか与えたかったはず。だけど、そんな些細な事でも一度気にしてしまえば、人はそれを頼って自分の行動を選択しはじめる、だから駄目よ、言い訳に使っては」
「…………」
繰り返される剣の応酬。単純なやりとりで、思考が澄んでいくようだ。
「黒猫よ、何故、俺を蘇らせた?」
「全部見て知ったでしょう?」
「お前の口から聞きたい」
黒猫の目には、俺は被害者に見えていたらしい。ただ道を行くだけで殺された、哀れな被害者だと。
今の俺の持っている感覚とは、少し違う。俺には殺されるだけの理由はあった。それが、未だ犯していない、未来での罪からくるものだとしても。
「何故俺のような奴を生かした? いや、お前の言い分では、俺は新たに生み出されたのだったか? 違いが判らんが、今はいい……何故、俺はここにいる? 俺に、何を求めていた? 貴様の見返りは何だ? 貴様にとっての得は?」
「それはねぇ」
かなり強めの斬撃が俺の喉元を掠る。
「自分の為よ、自分の為」
「どんな善行でも、結局は自分の為だという、あれか?」
こちらも強く鋭く振るう。奴は危なげもなく躱す。
「そうね。それが満足のいく答えじゃないのなら」
剣を振るのを止めて、俺を見る黒衣の少女。真剣な表情だ。俺もまた動きを止めて奴を見る。
「生きたいと願って泣く子供を見過ごせなかった。そんな所ね」
「子供だと」
「泣いて喚いて子供のようだったわよ? あ、剣を振り上げないで聞いて」
命乞いの時、そういう態度もした。
忘れたい。
「人が困っている子供に向ける感情、ただ救いたかった。そういうものに、あの時の私は突き動かされて行動した。それは見返りを求めない、無償の行動。自分でもびっくりよ。人の真似事をするために生み出された私の話を覚えている?」
あまりにも連続で衝撃が続くため、頭の隅に追いやられていた。
巨大な瞳。アレを人に作られた道具であるといい、自分はその指人形に過ぎないと語った。
理解の範疇を超えている。
「人を理解したいと願い、人の言動を真似て、それでも心までは理解できなかった。そんな私に初めて生まれた、言葉では説明の難しい感情……それはおそらく人の間で”愛”と名付けられるもの……だから、受け入れて欲しかった」
微笑み、剣を持たない方の腕を伸ばして、差し出される手。傷の一つも無い、白い手だ。とても繊細そうな、何も出来なさそうな、そんな手。
だが、何でも出来る者の手だ。
黒衣の少女は苦しそうに微笑んで、語る。
「心が苦しいまま消えようとしないで」
少女は悲し気に微笑む。
「人が生まれて生きるのに使命なんて必要ないの。生命はただ生まれ、増えようとする。けれど、だけれど、生まれた事に意味は無くても、黒騎士さん、君は私に望まれてこの世に生を受けたのよ」
黒猫の手によって、俺は生み出され、使命の無いまま放り出されて。
「私が望んだから……命を与えた。体を与えて、幸福を願った。だから……どうか……黒騎士さん」
一度差し出した手を戻し、自分の胸に置く黒衣の少女。
少女は恥じらうように微笑んで、言葉を紡ぐ。
「私の、愛を、受け入れて」
なんと言うことも無い。
なんと言うことも無い答えだ。
ただ、助けた。
それだけの事だったのだ。
使命だの役割だの言い出して訳がわからなくなっていたのは、俺が勝手にわからなくしていただけでは無かったのか。
見返りも無く人が人を助けることは、よくある事。
奴もそれを実行しただけ。
人には能力の限界があるので、死んだ人間を蘇らせることなんて出来ないが、奴にはそれを為せるだけの力があった。
全知でもなく全能でなくとも、それくらいは。
見返りもなく、得も無く、ただ蘇らせた。
使命も無く、役割も無く……
「……そんなこと、あるか」
声が上擦る。
滲んで前が見えない。
こんな途方もない話を聞いたことが無い。
何もかもが無茶苦茶だ。
だが。
俺は受けていた。この身で、確りと。
愛を。
泣きそうだ。いや、泣いている。
「……涙が」
兜の中、頬を伝う、熱い涙の感触が、ある。
皮膚が……頬が……ある。
「私はね、黒騎士さん。これでも結構反省する時はするのよ。君に与えた骨の体は、ちょっと色々と問題があったようで、うん、反省しているの。いくら格好いいとはいえ、この時代にはそぐわなかった。私がここに来た理由、覚えている?」
「俺は、今」
どうなっている?
「骨の体でいるのはおしまい。これからは、ちゃんとした普通の人の体、生きている体でいなさいな。見た目だけで人に恐れられることも無くなるでしょう。今まで不便をかけたわね。だから受け取って」
「普通の、人の体……」
「先ほどから、何の話をしているのか。生きている体だと? どういうことだジル・ド・レよ」
「さっきから外野がうるさいけど、無視して兜を取って自分の顔をご覧なさいな。皆に見せてあげて、そして私にも見せて、黒騎士さんの新しい顔を、体を」
剣を持たない方の手を、ゆっくりと上げる。
震える手で、兜に手を掛ける。
「ジル・ド・レ殿ぉ」
「骨の道化師!」
「死者どの!」
「ジル・ド……誰?」
兜を脱ぎ取ると、はらりと落ちて伝う、長い黒髪。
「?」
鏡面のように磨き上げられた剣の腹で、自分の顔を確認する。
白い肌は黒猫譲り。
抜けるように白いが、決して病的なものではなく、活力すら感じる、きめ細やかな白。
黒く整った眉と、黒檀の様に光を受けて艶めく長い黒髪。
豊かなまつ毛に縁どられた形の良い瞳の瞳孔は赤。
灼熱した鉄のように鈍く煌めいている。
そして呆けたように開く口が、俺の意思に沿って、閉じたり、開いたり……
「お」
「気に入ってくれたかしら? 黒騎士さん」
「お」
「お? おおいに気に入った?」
「お」
「驚きの美しさ?」
「女になってるう?!!!!!!」
叫び声まで、女の物だ。
驚きに固まる俺の前。黒衣の少女は満面の笑みだ。
それはそれはもう二度と見られないくらいに、全力の笑み。
「がんばっちゃった!」
悪びれる様子など一切無く、
俺に笑顔を向けてくる少女を見ながら、
今度こそ完全に力が抜けて、
「きゅう」
俺の口から信じられない程可愛い悲鳴が零れ落ちて、俺は意識を失った。
ようやくここまでキターーーーーー。
TSタグ要ります? 要らないよね、当然の流れでの女体化だから(何が)




