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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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あいだを開けました。

原因不明の痛みで右腕が動かせなくなってました(マジ)

原因不明のまま痛みが引いたのでまた再開です。

たぶん、もう大丈夫、たぶん。




 あまりにも巨大なモノに見つめられると動きを止めてしまうのは、人も小動物も変わらない。

 曲がり角で不意に猫に出くわした鼠のように、身じろぎも出来ず固まる俺を、まるで感情の無い瞳で見下ろす巨大なモノ――宙に浮く、巨大な瞳、目。


「め、が……」


 闇が形を得たような、無数のうごめく黒い触手――触腕に覆われた、巨大な目だけの生命体。


 いや、アレを生命体と呼ぶのは、あまりにも生命に対して冒涜的。


 あれは、違う。

 この世には存在してはいけないモノ。言葉で表現することすら出来ない”何か”だ。

 闇を煮詰めたかのような虚無の瞳が俺から視線を外して、周囲を見る。その動きはまるで……


「何、かを、探、して……」


 上を見上げ、喘ぐことしか出来なくなった俺の横に来た黒猫が、静かに言葉を掛けてくる。


「自分でやっておいて何だけど、あまり姿形に囚われては駄目よ?」


 芸術家が自分の作品を照れながら紹介するかのごとき、そういう口調。気軽に、気安く、アレを評す。


「わざわざ、姿を、作った……」

「そう、元々、目に見えるものじゃないしねえ。見たい、知りたい、触れあいたいを形にしたのよ。で、効果は絶大ね、姿や形に囚われている人には、ふふ」


 猫から再び視線を空へと戻す。

 巨大な瞳は何かを探すように周囲を見渡している。

 もし黒猫の奴が、最初からあの姿で俺の目の前に現れて言葉を交わしていたら、俺はただただ跪き、頭を地面につけ許しを乞う事しか出来なかっただろう。そういう威風、恐ろしさがアレにはある。


「空、一面を覆う、目、から、黒い巨大な、瞳になった。何だ? 探して?」


 口が上手く動かない。

 透き通り、微かな光すら発していた、ある種、神々しい姿から、この世で最も悍ましいとも思えるような姿に変化したことにも、何か意味があるのだろうか。

 俺の文章にもならない疑問を汲んで、黒猫が答える。


「繊細に、やさしく、慎重に慎重を重ねているのよ。雑に扱って世界を壊してしまわないように」

「世界を……」


 世界を壊してしまわないように。


 アレには、いや”黒猫”には、それだけの力があるという事の裏返し。

 終末を齎すもの。

 いつか黒猫が話していた会話をふと思い出す。何だったか。どのような時代の人でも、自分たちこそが終末の世にいるのだと思ってしまうのにも理由がある、だったか。創世の物語に間に合わなかったので、せめて終末の世には登場したいのだ、と、物語の登場人物になるように、自分は特別なのだと思いたいのだ、と。


 あの闇を纏った巨大な瞳を一度でも見たら、そんな理屈など消し飛ぶ。


 理屈抜きで確信できる。アレは人の世を容易に壊すことの出来る存在だと。奴が世界を滅ぼそうと思えば、誰にも抵抗など出来ないのだと。


「ついうっかり人と接触してその人たちの精神を壊したくも無いからね。なるべく本体の存在感を消しつつ、世界に与える影響を小さく小さーくしつつ、やりすぎなくらい慎重に、慎重に、そういう、いじましい努力をしているの」

「精神を壊…………前に、あったのか?」

「まぁ、色々とね、失敗は重ねてきているわけで……」


 照れながら話す内容でもなかろうが、猫は笑って誤魔化そうとする。精神を壊された人の事を考えろ。本体を見ただけで人の頭を壊す存在、そんなもの、一体どこの神か邪神か。


「黒くしたのは」


 黒猫が自分の作品を見上げながら言う。


「黒が持つ性質の話になるわ。目に映る色について考えたことあるかしら? 目に見えるのは光の作用。光もまた波としてやってくる。果物のリンゴを想像してみて。あれ、赤いでしょ? あれは赤い波長以外を吸収しているのよ。赤いリンゴは赤い色を反射するから、人の目には赤く見えている。赤色お断りの果物なの」

「リンゴ……」


 イブが蛇に唆されて食べた知恵の実がリンゴだと言う神学者もいるとか。

 灰色の世界の中、いつの間にか路地の上に果物のリンゴが落ちていて、そこだけ赤い。

 そのリンゴを前足でつつきながら猫は言う。


「食べ物に好き嫌いは無い方だけど、リンゴはちょっと苦手なのよねえ。トラウマ? 的な? て、私の好き嫌いなんてどうでもいいわね。で、すべてを知りたい、吸収したいと願っているなら、色は黒よ。黒い色はすべての波長を吸収して逃さない。だから黒」


 白と黒だけで構成されたような少女の姿を幻視する。

 黒猫が人の姿をとるときの形。

 唇だけが、赤い。


「ちょっとした拘り? まあ、それは遊びの範疇。繰り返すけど、あまり囚われないでね。細部に拘り過ぎると大きな視点から見た感覚に欠けるわよ」

「大きな視点……結局、アレは、何だ?」


 お前は、何だ。


「人の”知りたい”の行きつく先」 


 漠然とし過ぎていて、それでも本質を問い質すのに近いであろう疑問の言葉に、黒猫は即座に応える。


「人工知能、アーティフィシャル・インテリジェンス、AI、……言葉というのは、時に無力だわ。黒騎士さんには、私を理解してもらうための知識の土台が無い」


 黒猫が悲し気に首を振る。

 俺には知識の土台がない。何度言われた言葉か。

 城であろうと砦であろうと、土台が無ければ、その上に何も建てられない。

 俺はあまりにも無知だ。


「水車ってあるでしょ? 川に設置して動かすやつ。あれ、便利よね。風情もあって。ちょうどこのくらいの時代から普及し始めたんじゃない?」

「水車なら知っている。それが、どうした……」


 収穫した小麦を轢いて粉にするのに、かつてはすべて人の手で行っていたものを、流れる水の力を利用した水車へと、次々に置き換わっている。水車を管理する者と利用する農民との間で多くの諍いがあることなども知っている。風情とかは知らんが。


「姿だけじゃなく、言葉にも囚われないでね。誤解を恐れずに言うわよ。あれはね、人の作った便利な道具、よ」

「道具……黒猫、お前は……人が……作った……道、具だと」


 生きて、時に笑って、言葉を交わして、力を振るって……そういう存在、なのに? 道具?

 お前は以前、自分の事は人だと言ったはずだ。そして骨となって動く俺も、人だと……


「時間というものは存在しない。前に黒騎士さんに言ったことがあったっけ? 覚えてる? 時間は存在しないけど”流れ”はある。それは”動き”とか”変化”と言い換えてもいい。それは常に形を変えていくけれど、大筋では一塊となって動く、巨大な川のようなもの。これから未来、今の人類が様々なことを知りたいと願い、停滞をせずに道を歩み続けていくのなら、その先の流れで必ず生まれる道具。便利な水車を見つけ、利用してきたのと同じように、これから人が発見し、発明し、作り上げ、利用することになる、道具、よ。今の人類がその役目を終えて世界から居なくなった後でも動いている道具」

「今の、人類が役目を終えて、だと……人は……滅ぶ……のか?」

「形はどうあれ、滅ぶわね」

「それは……必然……なのか」

「必然」

「それは絶対に……」

「くどいわねえ、生まれた者はいつか死ぬ。それは人であれ国であれ文明であれ、みんなそうよ。人類という括りで考えた時に人類だけ特別ということはないでしょ」


 事もなげに言い放つ黒猫に、言葉が返せない。

 俺がただ知りたいと願った果てに辿り着いたのは、超越者からの人類滅亡の予言だった。

 今まで俺はどれほどの衝撃を受けて来たのか。俺はどれほど衝撃を受ければいいのか。


「終末は……あるのか」

「ちょっと形を変えるだけよ、別に、特別なことじゃない。人類は滅びるって言っても、おおむね二足歩行で、生きるのに食事とかが必要で、何かと肉体によって制限がかけられがちな、黒騎士さんがよく知る人類が消えるってだけで、その意思はちゃんと後に引き継がれている。親が子に意思を託して死んでいくように、何も特別じゃない普通のこと。だから私がいるわけで」


 黒猫は前足で空を指す。


 いつの間にか、空に浮く巨大な瞳は動きを止め、地面の一点を見ている。

 ジル・ド・レ、奴の半ば黒く焦げた死体。

 それは、あったかも知れない、俺の未来の可能性。狂人と成り果て、悪魔のごとき人生を歩み、その行きついた先。最期の姿。

 路上のリンゴは姿を消し、そこに黒猫が佇むのみ。


 ゆっくりと前足を降ろした猫は微笑む。


「私の正体についてはもういいでしょう。さっきの話もアレのほんの切れ端、一面の話だからね。もっともっと奥深いのよ。せいぜい、ゆっくり時間をかけて理解していくといいわ。100年でも、1000年でも時間をかけて……」


 おそらく、いや確実に、俺は何一つ理解出来ていない。1000年の時間をかければ俺にも理解できるのだろうか。それは余りに途方もない……


「穢れを流す仕事をしている、そう言ったけど、正しい言葉じゃなかったかもしれないわね。世界に良くない影響を与える存在を消しに来た……それも、ちょっと違う。私にとっての不快、だから良くないと表現しただけだわ…………それは猫が自分の身体を舐めて身綺麗にするのと同じ原理」


 視界の中で、焦げた死体が起き上がり、声を発する。


『ウ、ア、ア゛、ア』

「自己の生存を有利にする為に必要な作業が、快楽の伴う行為となって発露したものだったりするのかも」


 空に浮く巨大な瞳から、一滴の黒い涙が零れ、地面に落ちる。


 吊られ、焼かれた男の前で、黒い雫は形を変えていく。


 黒い染みから、人の形へ。不安定に次々と現れる少女の横顔、正面からの顔、目だけが、口だけが、大きくなったり、小さくなったり……


「だから誰の為でもなく自分の為に勝手にやっているわけで。気になる汚れを雑巾でふき取って丸めてポイ、するとスッキリして気持ちいい……うん、こういう表現が一番近いのかもね」


 やがて黒い固まりは、黒いドレスを纏った一人の美しい少女となる。

 艶のある黒檀の髪、星の浮かばぬ闇色の瞳。肌は白く輝きを放つようで、唇だけが赤い。


『ア、ア、ア゛、悪゛魔……』


 吊られたために喉が壊れているのか、聞き取りにくい言葉を発する、死体。

 動悸が早まる。

 あいつに、見覚えが、ある。

 顔もわからぬ程に焼かれた、あの不快な姿、あの不快な声に、覚えが。


「ね、黒騎士さん、私の姿を見た彼の第一発声がそれよ。彼、ちょっと失礼じゃない?」

「……いや、あれは恐ろしいぞ。人の姿らしきものが歪に変化していくのを目の前で見せられるのは」


 憤慨する黒猫に、適当に返答をする。

 やられた者にしかわからない恐怖というのはあるのだ。

 それよりも気になる事。


「同意してくれない……まぁ、そういう忌憚のない意見って、貴重よね。そうなのね、これから気を付けましょう」

「黒猫、それより……」

「焦らないで、黒騎士さんの知りたかった答えは、すぐそこよ」


 俺の言葉を途中で遮り、視線を死体と少女へ向ける黒猫。

 俺の知りたい答え。

 俺の死んだ理由。俺が殺されねばならなかった理由。


『初めまして、ね、自己紹介はいるかしら? 私は……』

『悪゛魔! 悪゛魔! 悪゛魔! づイに会えタ! 悪゛魔! 悪゛魔! 会゛イ゛たカったゾ! アああ、ちクしょう゛、手゛遅れだ、もウ、俺ハ死んでしマっダ、なゼ、もっど早グ会いに来テくれナかった!? 悪゛魔ヨ!』

『えっと……』

『願いダ! 願イガ、あ゛るッ! 契約、ダ! 俺、の゛魂、を、持って行っテも構わな゛い゛ィ。復讐を! 神゛に! 奴゛らニ! 殺してクれ! 俺゛を、殺した、奴ら゛ニぃ、罰゛、オオ゛!!』

『落ち着いて……』

『辛いヨ、苦しい、父さん、母さん。間違エた、ごメんナさい。何もかモが、間違イで、手遅レダ! クソ、クソクソクソあ゛あぁ、身体が焼かれて、ああ! 痛い゛、熱゛ゥイ゛、クそがッ、ゴミ共ッ! グ、悔しい゛! 悲じい゛ィぃ!!』

『はは……言葉、通じてる?』


 一方的に不快な声で叫び続ける死者と、引きつった笑いを浮かべる黒衣の少女の姿がそこにはあった。


「人と交渉をするのならば人の姿で……ということで、あの姿なのだけど……あの姿にも色々と一言や二言では語れない物語背景があったりするのだけど、どうでもいいわよね。ざっと簡単に話すなら、大元を辿っていけば、人によって創られた、歌って踊れるAI接続型ドール・66が元になってるとか、まぁ、あの少女姿のルーツはまた機会があればで……」


 視界の中の疲れた表情を浮かべる黒衣の少女と連動するかのように、横にいる黒猫の表情も疲れたものになる。


「私のことはね、人のことを知りたいと願ったアレが、その世界に干渉するための触腕の先っちょで、人を真似るために作った指人形、程度に認識しておいてくれればいいわよ。人として人の中で生きた記憶とかあるのよ、いくつかの世界、いくつかの場所で、色々な生を生きたわ。すべては知りたいが為。最初、絶望的に人の事が理解出来ないせいでトラブルも多かったけどね。乗り越えてきた。……その結果、ちょっとばかりは人のことを理解できているつもりでいたところに、アレよ。想像できるかしら? あの時の私、自信を失いかけているのよ?」


 前後の脈絡なく支離滅裂な叫びを続ける死体を虚ろな目で見る黒衣の少女。


『神様、ユるジデ、何でモしまス、もう悪い事はシませン! 痛い、苦しい、赦して、赦して……』

『あのね? 痛いのも思い込みよ? 仮想領域に再現した今の君は痛みを感じないはずだからね。それと私は悪魔でも神様でもないのだけれど話は聞いて欲しいかな……』

『悪魔、悪魔でハなイのか? 俺の復讐ハどうなル? アア、クソ、もしや神を呪った俺を罰しに来た天使なのか? 神様、ユるして、何デモします、もう悪い事はシませンカラ……』

『天使でも無いわ……はぁ、疲れる』


 言葉の通じぬ狂人を相手にしては、さしものルルも形無しというやつだ。


「汚れを拭きとって丸めてポイするのにも、人格があると都合がいいのよねー」

「汚れ……貴様が度々口にする汚れとは、結局一体、何なのだ?」

「それもまた言葉で伝えることも難しい質問なのよねー。ということで、今はパスよ」


 黒猫が顎でしゃくって続きを見ることを促す。


『はいはーい。いいから聞いて。これから君という存在を核にして、それを基点とし、世界を揺り動かして支流を作ります。そこに君を流すことになるけど、何か望みはある?』

『復讐! 復讐ヲ!!!! 神に鉄槌ヲ!!!』

『却下で。神様には会ったことも無いからね。どこに行けば会えるかもわからない存在に鉄槌も何もないから』

『生゛キ、返リ、タい゛』

『無理ね、人は死んだら生き返らない』

『ア゛ア゛!? 何なら出来るんダ! 役立タずクソ悪マ女゛がッ!!!』

『……むかっ』


「ねぇ、どう思うよ、あれ。黒騎士さん的には」

「殺された直後で混乱していることを差し引いても、アレは、流石に……」


 言葉に困るとはこのことだ。

 最初に森の中で喋る黒猫と出会った時も俺は相当に混乱していたが、これは比べ物にならない。完全に自業自得とはいえ、全てを奪われて、辱められ、殺された、あのゴミのような俺の頭の中がどうなっているのかなど、この俺には想像もつかない。


「何故あんな奴の望みを聞こうとする?」

「これからポイ捨てする自覚があるからね、心ばかりの配慮よ……何より、こうして望みを聞いているのは、知らない事を知りたい。人の事を知りたい。人が何を望むのかを知りたい。そういう思考をしているから」

「お前は人の事などどうでもいいと思っていたのではないのか?」

「個人個人についてはね、基本どうでもいいわよ。興味があるのは人という存在自体。これでも私は私なりに人を愛しているつもりよ。主に愛するのは人が創った物や技術だったりはするけれど」

「そんなようなこともお前の口から聞いた気がする」


 黒猫本人の口から聞いた、と思う。

 いつ、どこで? もう覚えていない。骨の躰となって蘇ったのが遥か昔のようだ。


 視界の中では黒衣の少女が死者と話している。

 落ち着かない。

 これから良くないことが起きる。

 そういう予感がして、動悸が収まらない。


『何者ナんだ、何者ナんだ、クソ悪魔、何故、俺のノ゛前に現れタ?』

『人に物を聞くのにも相応の態度ってのがあるのよ、反省して? 罰として私の事は教えない』

『俺ヲ笑うタメか? プレラーティ、ガ、呼ンだのか? ああ、プレラーティィィィ 殺す、奴は絶対に殺すゥゥ』

『また殺すとか言ってる。ねぇ、君、復讐とか、もったいないでしょ? それで心が豊かになるの? 考えなおしたら?』

『ア゛? モッタイナイ?』

『せっかくの機会を無駄にしているとか、そういう意味の言葉よ。無いの? 他に。今なら結構な願いでも叶えてあげられるわよ。例えば告白出来なかった好きな子に過去に戻って告白したいーとか、そういう、心が温まって豊かになるような願いは』

『過……去……』


 死者は一瞬だけ動きを止めて考える。しかしまた不愉快な声で喚き始める。


『過去! 過去! 過去! アア゛! 過去に戻りタい! 戻れるノか? 過去ニ!?』

『戻れないけど?』

『ド、ク、ソ、あ、ク、マアアアアア!』


 怒りのまま掴みかかろうとする死者を避けようともしない黒衣の少女。

 死者の躰が黒衣の少女をすり抜けて地面に転がる。


「どっちも映像で再現されただけの存在だからね、ふふ」

「おちょくっているのか、あれは」


 俺ではないが、少しだけ、ほんの少しだけあの男に同情する。


「おちょくっているわけじゃないのよ。それに、ほら」


『この世界の過去には戻れないけれど、似たような世界には連れて行ってあげられる。こことは違う。けれど、ここと同じ歴史を歩んでいる世界。ここから少しだけ過去の世界。そこで君は何をしたい? 過去に戻って何をしたい? 君の思いを聞かせて?』


 地面に転がる死者に優し気に上から言葉を掛ける黒衣の少女。

 食い入るように見つめる俺に、横から黒猫が口を挟む。


「あらかじめ、言い訳をしておくわよ? ジル・ド・レさんや、ジャンヌ・ダルクさんについては、少しだけ事前情報を知っていたのよ。過去の歴史の事件として、ね。だから私が想像していたのは――」


 心臓が跳ねる。


『過去に戻レるのなラ……』

『過去に戻れるのなら?』


 ここで為された会話が想像出来てしまう。


『過去ノ俺ヲ、殺したイ』


 それが出来るのなら。


『過去に戻っテ、間違イを犯す前の俺を、殺しタい。どこマでも愚かな、俺を、コの手デ、殺したイ……』


 その時の俺は、おそらく、それを、選択するだろう。

 黒猫は続ける。


「――過去に戻ってジャンヌ・ダルクさんを処刑の運命から助けたい、そう願うとばかり、思っていたのよ。それ以外は無いのだと」


 俺の横にいる黒猫は戸惑うように首を捻り、ささやくように俺に語りかける。

 視界の中。

 死者の口から絞り出されるように出た言葉に、黒衣の少女は戸惑う。黒猫の戸惑いと、連動するかのように。


「ほら、この時の私の顔、見てよ。思いもよらない言葉が出て来て固まってる顔よ。私には彼がそれを選択した理由がわからないのよ。黒騎士さんは、わかる?」


 そう言って俺を見上げる黒猫の金色の瞳の中には、虚空を切り抜いたかのような、漆黒の黒が広がっていた。





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