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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 イングランド軍に四方を包囲をされているオルレアンへ物資を届ける。その道中。


『神の声を聞いた乙女というのはお前のことだな?』


 最初に声を掛けたのは俺の方だ。

 合流してすぐ、男たちに囲まれていた小柄な少女を見つけて声を掛けた。


『オルレアンの町を完全包囲せんとしたイングランドの補給線を叩くために行われた戦い。その結末を予言してのけたそうだな? 負ける、と』


 その戦いの余波で魚のニシンが大量にばら撒かれて、今ではニシンの戦い、などと呼ばれているとか。

 くすんだ金髪を短く切り揃え、体に合った小さな鎧を着こんだ少女は、どこか初陣を控えた少年の様だ、そう思った。


『謁見の時、シャルル王太子の姿を真似た男がシャルル王太子ではないと看破できたのも神の声が聞こえたからか?』

『…………はい。すべては神の導きのままに』


 しばしの沈黙の後、頭を下げてそう答える少女。名乗りもしていなかったことに気づいて、慌てて自己紹介をする。


『レは所領の名だ。お前が神の意思の代行者ならば、ここにいる何者よりも地位は高いのだろう。俺の事はジルと、そう呼び捨てにするがいい』

『ジル・ド・レ様。貴き方。それはできません。神の意思の代行者というのなら、ここに集まる皆が皆、神の意思の代行者なのです』


 田舎の農家の何も知らぬ無学な小娘。

 そう思って接していた俺に、知的な言葉で返してくるジャンヌ。その意外さに虚を突かれる。

 怖気もせず堂々たる態度で真正面から俺の目を見返してくる少女。その瞳の奥に宿る強い光を確認して、一歩、後ろに下がる。


『ジル・ド・レ殿よ。その神様狂いの女に言ってやってくれ。俺に告解をしろしろうるさいのだ』


 ラ・イル。

 傭兵頭。

 戦地での略奪を最高の娯楽と言って憚らぬ男。


『……ラ・イル様』

『おっと、いかんいかん。よく鳴く子犬に目を付けられた。また吠えられる』

『あははは』


 勝利をもたらす予言の聖女として、王太子の命で軍にやって来た、いかにも物珍しい女。

 最初は皆が彼女を侮っていた。

 俺もまた、同じく。

 未来を言い当てるという予言も、神の言葉を聞くという預言も、様々に伝え聞こえてくる奇跡も、すべては半信半疑であり、見極めの最中。

 王太子の命もあり、厳しく当たる者こそいなかったが、道化師の演目を見るような、そんな見物気分でいた。


 場面が変わる。



『駄目だ。許可しない。防御側は圧倒的に有利な立場なんだ。それを自分から捨ててどうするのか』


 大敗北を喫した数年前のアジャンクールの戦いで捕虜となったオルレアン公に代わり、この町の兵を率いる総指揮官、オルレアン公の異母弟ジャン・ド・デュノワ。

 俺より三つほど上だったか? 若き領主代行の眉間に皴が寄る。


 いくらか敵の配置が手薄な東、サン・ルー砦。そこを守る敵兵を、オルレアンから出てきた兵で引きつけておき、その間に無事に通過して町へと辿り着いた俺たち。

 心もとない物資を補充しにやってきた俺たちは熱狂でもって迎えられた。

 休む間もなく開かれた、その後の会議での場。


『このまま引きこもっていては何も出来ません! 今が攻める時なのです! ここで動けば勝利を手に入れる事が出来るのです! どうか!』

『それは噂に聞く予言かな?』

『神を信じて行動する者に勝利が訪れるのです! 私はオルレアンを救いに来たのです! 兵をお出しください! いえ、私に兵を預けて下さい、この町を囲む四方の敵を追い払って見せます!』

『具体的には、どうやって?』

『堂々たる布陣をもって。私が敵の前で神の勝利の旗を振れば、自ずと彼らは下がりましょう』

『…………』

『ええい、戦術のなんたるかも知らないその女を軍議の場から追い出せ』


 言葉を失うデュノワ伯の代わりに彼の取り巻きが声を上げ、追い立てられるようにして部屋から出て行くジャンヌ。


『あの狂人め、町に物資を届ける前にイングランド軍に攻撃せよとか喚いていたぞ』


 荒くれラ・イルに狂人扱いをされるなど、相当な物だ。


 ジャンヌはオルレアンの町の近郊に着くや否や、持ってきた物資の町への補給など後回しとばかりに砦を攻撃しろとか言っていたが、そんな無謀な作戦を受け入れる者もなし。物資を町に入れることで、ジャンヌ以外の全員の意見は揃っていた。

 物資の供給は何よりも時間を優先するため川を使う。

 オルレアンの町の南を流れるロワール川を、敵に妨害されぬように町の船を使って素早く行う。もたもたとしていれば他の砦から敵が出て来て囲まれる。時間との勝負。


『何事も無く物資を届けられたのは僥倖』

『途中、都合よく風向きが変わったからな』

『それは、もしや神の奇跡……』

『まさか! ただの偶然だ!』


 補給作戦を始めた時、風は川上へと吹いていた。

 町から出て俺たち補給部隊のいる地点に向かう時には有用であった川上への風が、町へ戻る時には逆風となり船速を落とす。ひとつの懸念材料ではあったが、その心配は杞憂に終わる。ジャンヌのいる補給部隊と合流し、船に物資をすべて詰め込んだ途端に町へと向かう川下への風となったからだ。


『偶然、だろうか?』


 軍議の場で、一人つぶやく俺の目は、ジャンヌの消えた扉に向かう。

 たかが風向き一つ。

 神の奇跡を名乗るのには小事が過ぎる。


 場面が変わる。



『大した歓迎具合ではないか、ジャンヌ』


 俺たちが町に来て3日。

 ジャンヌの、町を出て攻撃せよ、との意見は無視され続けている。

 なので、やることも無く、手持無沙汰の兵を率い町を練り歩くジャンヌに横から言葉を掛ける。


 町を包囲されて半年。

 攻勢に出れば負け続けて、頑丈な壁の中に引きこもる以外は出来なかった、この状況。

 市民たちのうっ憤は溜まりに溜まっている。

 そこに大量の物資を持って現れた若い女性。一度ならば、それを熱狂でもって迎えるという市民の気持ちは、わかる。

 それが数日経った今でも続いている、むしろ熱狂度では上がり続けているという事実は、少々わからない。

 未だに市民のジャンヌを見る目は熱い。熱というものはすぐに冷めるものではないのか。

 ジャンヌの行く先々で彼女を支持し、応援する声が上がる。


『町を囲むイングランドがさらなる援軍をオルレアンに向けてきたというのは本当でしょうか、ジル・ド・レ様』

『らしいな』

『今こそ攻撃しないと、攻撃をしないといけないのに』

『お前にしか聞こえぬ声で神がそう囁いているのか? 今でも?』

『今は声は聞こえません。ですが、攻撃しないと……』

『は、口を開けば攻撃ばかりか、血気盛んな猛将でもたまには引くものだ。軍略の機微というやつだ、そんなことでは長生きは出来きそうにないな、ジャンヌ』


 俺の軽口に、視線を伏せるジャンヌ。


『……長くは生きられないでしょう』

『は? それは、予言か? 未来の出来事を知っているのか?』

『……いえ……私はとうに、神の使命の為に命を捧げております。ならば私の生死は神の御心に沿ったものになりましょう』

『使命、か、ふん……』


 神の使命。神の命令を聞く、神の使い。

 なんだというのだ。

 俺が神に祈っても神は応えない。

 それなのに、目の前の少女は神の声を聞いたという。天使を見たという。

 不公平とはこのことだ。


 再び視線を上げた少女の瞳には強い光が宿っている。

 使命を持つ者の、意思の光。

 ジャンヌが力強く手を上げると観衆が沸き立つ。市民の熱は時間を追うごとに増していく。


 ふと、自分は何のためにこの世に生まれたのか、そんなことが頭をよぎる時がある。

 使命を受けて迷うことなく進む少女に向ける俺の視線の中には嫉妬と、いくらかの羨望が含まれている。

 熱に浮かれた市民の声援を一身に受けるジャンヌの横で、彼らを見る。

 大きく口を開け、手を振り上げ、泣きながら絶叫する者もいる。


 彼らは剣も振れない、たった一人の無力な少女でしかないジャンヌに何を求めているのか。何が、彼らの心の琴線に触れるのか。その頼りない姿に何を見ているのか。わからない。

 だが、武装した少女がフランスを救うという予言の噂のこともある。熱狂が冷めないのにも何かしらの理由はあるのだろう。そう思って納得することにする。


『こうまで歓迎されるなら気分も良くなるというものだ。恨まれるよりずっといい』

『…………』


 ジャンヌは答えを返さない。前を見ている。

 前を向く彼女の視線の先には、見えない何かがいるようだ。ジャンヌはそこに何を見るのか。己の未来か、使命を己に課した神か、攻撃案を採用しない腑抜けた首脳どもの顔ぶれか、それとも他の何かか。

 そこにいる相手が何にしろ、まるで敵を睨みつけるような、そんな苛烈なものだと感じた。


 場面は変わる。



 切っ掛けは意外な所からやってきた。

 待機を命じられ続けることに業を煮やした一部の兵が、暴走して、勝手に東のサン・ルー砦を攻撃するために町を出た。直後、事後承諾の形でデュノワ伯がサン・ルー砦への攻撃を認め、それに引きずられるようにして、他の兵も動く。という知らせが入って来たのだ。


 その時ジャンヌは、寝ていた。


『出遅れましたっ!? ジル・ド・レ様! もっと早く起こしてくれても……』

『阿保め、最速で叩き起こしにきてやったわ。呑気に昼寝なんぞしおって。そういう予言はなかったのか、予言は』

『そんな予言はありません!』


 慌てて金属板の防具を着こみ、旗を手にするジャンヌ。

 短髪にしているでいで、寝癖が酷い。


『急がないと!』


 暴走した連中に追従してオルレアンの町を出た者の中で、俺たちが一番早かった。

 東のサン・ルー砦に向かうジャンヌの後ろに付き、馬を走らせる。


 ほんのしばらく前まで、ただの農民の娘であった少女が、王太子から支給された金属鎧を着て、旗を手に誰よりも早く馬を走らせる。それは神の加護によるものか?


 しばらくするとこちらに向かってくる兵の一団。


『あれは、味方、だな。ジャンヌ、止まれ。ははは、せっかく急いで来たのに無駄手間だったな。あいつら、どうやらすでに敗走してきたようだぞ。俺たちも町に』

『進め―っ!!!』

『ジャンヌ!?』


 馬を止めず、敗走してきた一団の中央を突っ切り、尚も先に進んでいくジャンヌ。その先に待つのは追撃のためサン・ルー砦から出てきたイングランド兵。


『私に続けーーっ!』

『おい! ジャンヌ! 止まれ! 待て!』


 俺の言うことなど聞かずに、これもまた王太子よりの支給品である旗を振りながら、続け続けと叫ぶジャンヌ。


 死ぬ。このままではあの阿保は死ぬ。


 剣を抜き、馬の腹を蹴り、ジャンヌに先行して馬を走らせる。

 追撃してきたイングランドの兵とぶつかり何人かを打ち倒したものの、何とかせねばならない。このままではジャンヌだけでなく俺まで死んでしまう。

 だが。


『引き返せ! 戦え! 逃げるんじゃねーっ!』

『男の俺たちがなにやってんだ! 逃げてる場合じゃねーぞ!』

『戦え! 戦え! 俺たちの戦いだ! あの戦乙女に続け!』

『うおおおおお!』


 敗走してオルレアンに向かっていたはずの一団が反転し、イングランド兵とぶつかる。

 虚を突かれた形のイングランド兵の指揮が乱れる。乱戦の中。俺は見る。


『戦え! 戦えーっ! 戦う者に神の加護を!』


 敵味方が入り乱れる戦場。馬上にて。喉よ裂けんとばかりに声を上げる、一人の少女。

 剣は振らずとも、旗を振る。その姿は無力さとは程遠い。ただの無力な少女では、ありえない。


 彼女に近づくイングランド兵を斬り捨てる。血が舞い、戦場を彩る。

 一人、二人、三人、もっと多く、何人か。彼女に近づく敵を屠っていく。


 やがてイングランド兵は総崩れとなってサン・ルー砦に向かって退却を始める。

 その時にはオルレアンから来た援軍が合流しており、敵の倍、三倍の群れとなってイングランド兵を追い始める。立場が逆になった。

 ジャンヌに鼓舞されたオルレアン兵はそのままの勢いで砦に雪崩れ込み、イングランド兵を駆逐し、サン・ルー砦を制圧する。

 一報を受けてより、ほんの数時間での出来事だった。


 そしてそれは、半年前よりオルレアンが包囲されて後にもたらされた、初めての勝利だった。


『うおおおおおおお!』

『勝ったあああああ!』

『我々の勝利だあ!!』


 戦闘が完全に終結して後、兜を脱いだ男たちが絶叫する。

 その中心にいるのは、一人の少女。


 ジャンヌ。


「はえー、すごいわねぇ」

「ッ!? ……いたのか黒猫」

「え゛っ!?」


 猫の癖に表情豊かに「何言ってんの?」と顔に書いて俺を見上げる黒猫。

 そうだな。いたな。ずっと俺の横にいて一緒に俺の過去を見ていたな。静かだったから忘れかけていた。


「忘れてなど、いないからな」

「自白してるようなもんでしょ……」


 目的が散るのは、他に重要な事が起きるからだ。俺の過去を見せてくれているのは、俺の問いに黒猫が答えたため。これを見ていれば、そのうち知ることが出来るのだろう。俺の死の理由。忘れていない。完全には。


「なんか集中して見ていたようだから、声を掛けづらかったのよ、なんなら、また黙ってようか?」

「いや、構わない……それにしても……すごいな、これほどまで鮮明に過去を見れるとは」

「映像として認識できるように処理、加工されていることを忘れないでね」

「……わからん」


 処理だの加工だの言われても、そもそもの理屈からしてわからない。だがこれは凄まじい魔法……ではなく、技術なのか。

 完全にのめり込んでいた。

 あの当時の一喜一憂まで思い出せていた。


 視界の中には、血まみれの兵士たちに囲まれて賞賛を受けているジャンヌ。

 戦場に溢れる死体を見て、指先を震わしている。しかし、へたり込むことも、泣き崩れることもなく、凛として立っている。瞳に宿る光に衰えは無い。

 その横には、過去の俺が静かに佇む。

 もしかして彼女は特別なのではないのか、そう思い始めていた俺が。


「だが、彼女がすごいのは、これからだ……」


 俺の呟きを受けてか、場面が変わる。


「トゥーレル砦での戦い……」


 過去何年を振り返って見ても、初めて、そう言っていい程の、イングランドからもぎ取った大勝利の知らせ。それを受けても、デュノワ伯は消極的であった。

 だがすでにオルレアンの兵だけでなく市民にまでもジャンヌの勇猛さは知れ渡っており、彼女の提言する出撃すべきとの意見が、町の意見の総意となり始めていた。

 幾度かの協議の後、結局はデュノワ伯が折れる形で出撃を認めて、作戦が立てられる。


 砦の各個撃破。まずはロワール川を挟んだ南側から。


 どの砦を選んでも他の砦から援軍が出て来て挟み撃ちにあう。だがサン・ルー砦を失ったイングランドならば東からの援軍は来ない。


 こちらの動きを察して、より東に近かったサン・ジャン・ル・ブラン砦を放棄し、トゥーレル砦に戦力を集中させたイングランド兵。

 そこでの戦い。


『前に出過ぎるな! ジャンヌ!』


 火砲の煙が陣地を覆う。弾が砦に当たり、壁に穴を穿つ。怒号と轟音が響く戦場。


『進め! 進め、あ……っ!?』

『ジャンヌ!?』


 最前線に近い場所。ほんの一瞬の油断。敵の矢の一本が吸い込まれるようにして彼女の喉に刺さるのを見る。


『ぐっ、う!』


 直後、彼女は自分に刺さった矢を自分で抜き取る。馬上にて揺れる彼女の身体。

 すぐさまに彼女に近づき、馬から降ろし、傷口を確認する。


『ずれている……良かった。刺さったのは喉ではなく肩だ、出てくる血も少ない』

『ジル……ド・レ……さま……』

『口を開くな。この程度では人は死なない。運が良かったなジャンヌ、お前は助かるぞ。安心しろ』

『馬に、乗せて……ください……旗を……振らなきゃ……』

『阿呆の中の阿保め! そんなことが出来るかっ!』


 致命傷ではないものの、復帰には何日もかかるだろう。戦場から離れるのは彼女にとっては残念なことなのだろうが、終わり。戦場の最前線にて兵士を鼓舞し続けたが、それもここまで。


『殺した! フランスの、ヴァロアの魔女を殺したぞ!』

『やったああ!』

『イングランド万歳!』


 ジャンヌを殺したと思い込んだイングランド兵が勢いを増す。逆にジャンヌが死んだと思い込んだオルレアン兵の勢いが落ちて行く。

 戦意の違いはすぐに戦況に影響を与える。

 トゥーレル砦を落とすことは、もはや無理そうだ。


『引けぇ! 一旦引くぞ!』


 ラ・イルの号令をもって戦場を離脱し始めるオルレアン兵と、追撃のためにトゥーレル砦から出てくるイングランド兵。すぐに他の砦からの敵の援軍もやってくるだろう。これでこの戦いの勝敗は決定した。逆転の目は無い。奇跡は起こらない。

 俺は逃げる味方を一人でも多く助けるために殿を引き受けて最前線へと向かう。が。


『旗は……旗はどこですか……あ、あそこ……敵に奪われて……取り返さなきゃ……』


 戦場から遠ざけるために人に預けていたジャンヌが立ち上がり、覚束ない足取りで、旗を持つ男の方に行く。


『ジャンヌ! 勘違いだ! 旗を持つ奴は味方だ! お前の代わりに持っているだけ……そっちに行くな!』


 旗を目指して再び最前線に戻って来たジャンヌ。俺は敵に阻まれて動けない。


『死んでいないっ! オルレアンの聖女は死んでいないぞっ! 戦えーっ! 反転せよ! 攻撃だ!』

『魔女が!? 確かに死んだのに! 喉を貫かれて!』

『息を吹き返した!?』

『復活しただと!?』

『ひぃ』

『続け! ジャンヌに続けええ!』

『わああああ!!!!』


 戦意の違いは、こうまで戦場に影響するのか。


 今やオルレアンの兵こそが息を吹き返したとばかりに、イングランド兵を駆逐していく。再び響く火砲の轟音。トゥーレル砦に逃げ込めた敵兵は少なく、また意味は無かった。

 あっという間に砦の中にまで侵入したオルレアン兵が勝どきを上げる。


『勝った! 勝利だ! うおおお!!』

『ジャンヌ! ジャンヌ! ジャンヌ! ジャンヌ!』

『我らが戦乙女! 勝利の運び手! ジャンヌ!』


 血まみれの剣を持つ俺の横には、喉に近い肩から血を流して、それでも立っている少女。

 自分の旗を取り返し、微笑んでいる。

 そして、勝利に酔いしれるように、叫びを声上げて全身全霊で喜びを表現し、少女の周りを囲む兵士たち。


『勝った……だと……』


 あの完全に敗戦が決まっていた状況から、勝利をもたらした。


『何が……』


 彼女が何をした? 俺たちは彼女に何をされた?

 自分の見ているものが、わからなかった。


 場面が変わる。


 トゥーレル砦の劇的な勝利から日をまたいだ朝。

 オルレアンの町の北西の平野で対峙する二つの軍。

 東と南の砦を失い、オルレアンの町の包囲を完全に崩されたイングランド。

 それでも一戦に賭け、兵を集結してきた。


 もう一つの軍は、オルレアンの兵を中心とする、民間人まで含めたオルレアン軍。

 老いも若きも、戦場に立ちたがる。相次ぐ戦いの経験も無いような志願兵たちの戦闘参加の要望にデュノワ伯は頭を抱えたが、結局ジャンヌの言葉もあり、すべて受け入れて軍を展開する。

 この戦いで負けたら後が無いのは、むしろこちら。

 各地に余力を残しているイングランドとは違う。オルレアンが落ちたらもうイングランドの侵攻を防ぐ手段は無いのだ。


 それでも。

 各人の顔に浮かぶ表情には、ある種の余裕のようなものが見て取れる。それは諦めとは程遠い感情。彼らは高揚している。何とかなる、何とでもなる、と。


 熱。


 誰も彼もが、熱に浮かされたかのように、振る舞っている。

 その中心。


 傷が癒えぬまま、戦場に立つ少女。ジャンヌ。


 じっとしていろ、と、何度も言った。そして理解した。こいつは何を言っても聞かないやつだと。


『せめて俺から離れてくれるなよ。俺の剣の届く範囲にいろ』

『はい。ジル・ド・レ様。……可能な限り善処します』

『…………』


 まるで彼女専属の護衛のように動いているが、そういえば最初はトレモイユ伯に言われて彼女を監視しに来たのだったな。この時の俺は、それを思い出していたはずだ。


「監視の役目も忘れていないのだぞ? 重要度が低くなっただけだ」

「は? え? 誰に、何の言い訳?」


 俺の呟きをうけて黒猫が聞いてくるが、無視だ。

 守ると決めた。剣の届く範囲ならば。

 いつもいつも目的が散るのは……元々の性分も、少しはある。


『敵が……下がっていきます……撤退、敵が撤退しています! 勝利だ! 我々の勝利だ!』


 この展開も、当然知っている。

 戦力の消耗を嫌ったのか、それともオルレアンの町を背にして布陣する俺たちに何かを見たのか。

 この日、結局、お互いに軍を展開しただけで、戦闘は行われなかった。

 隊列を乱さずイングランド軍がゆっくりと撤退していく。こちらも追撃はしない。


 オルレアンは完全に開放された。

 ジャンヌが町に来てから、わずか9日めの出来事だ。


 ジャンヌの持つ勝利の旗が、風を受けて、なびく。


 総指揮官のデュノワ伯が剣を抜き、天にかざして叫ぶ。


『皆の者! 勝どきを上げよ! 我々の勝利だ!』

『うおおおおおおおおおおお!!!!』

『勝った! オルレアンが勝った! イングランドに勝った! 我々が勝った!』

『見たか! 敵は恐れをなして逃げ出しているぞ!』

『神のご加護に感謝を!』

『ジャンヌ! 我らが救世主!』

『オルレアンの乙女! 聖なる戦乙女!』

『うおおおおお!』


 あの時の熱を、覚えている。

 他人の熱が移ったかのように、熱くなったのを覚えている。


 気がつけば、周りの他の者と同じように、俺も剣を掲げて叫んでいた。


 ここに至るまで、イングランドに負け続けて来た、その鬱屈した感情を解き放つかのように、天に向かい、叫ぶ。


『勝った! 勝ったんだ! 勝てるのだ、俺たちは!』


 怒号、号泣、絶叫。

 誰かに届けとばかりに声を上げる俺たちの中心にいる少女もまた、叫んでいた。


 あの時の熱を、覚えている。




推しの子!


面白いかもしれない、そう思った方、評価してくだ……あ、次の話あたりからの展開に不穏なものが……

次話『ジル・ド・レという男』

一話ごとのタイトル、付けるべきかなぁ。

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