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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 上も下も無い空間。ひたすら続く闇を下地として、数えることもできそうにない程に散りばめられている光の粒。星々。

 それを背景にして異彩を放つ、丸く巨大な青い存在。惑星。あれは俺たちが立つ大地。そう教えられた。


「これは、あの時の」


 ただ圧倒され、言葉に変えることも出来ない絶景。この景色を見るのは、これで二度目。

 全知全能の神がなぜ悪を許すのか、その質問に答えた黒猫に誘われ、見させられた風景。

 あの時と違うのは……


「黒猫、ルル、おい、どこに行った?」


 近くに黒猫の姿が存在しないこと。猫の姿であれ、少女の姿であれ。

 俺の問いかけに返事は無い。

 ただひたすらの、無音。静寂。

 時の止まった世界で孤独な作業を繰り返す黒衣の少女の姿が頭によぎる。


 もしこのまま、この世界に一人で取り残されたなら……


 想像してしまった未来。不安と恐怖で胸が締め付けられる。

 案内役の姿も見えず返事が無いことで、息苦しさを感じ、喘ぐ。


「おい黒猫ッ! いるのだろうッ!? からかうなッ! さっさと出てこい!」


 返事が無い。姿を見せない。

 手足を大きく振っても何も変わらない。何にも触れない。何も掴めない。煌々と輝く星はただそこにあり、虚無の海が広がる。


「冗談だろ……ルルッ、どこだ!? おい! 冗談はやめろ!」


 叫べども変化は無い。

 たが俺に叫ぶ以外に出来ることも無く、ただ一層恐怖し、もはや恐慌に陥りかけた時に、何かに引かれていく感覚が全身を巡る。


「ッ!」


 母なる星。大地。偉大なる青い世界。そこに導かれるようにして、近づいている。

 引かれる速度は増し、吸い込まれるようにして薄い膜を通り抜け、雲を裂いて、落ちていく。そのままの勢いを保ち、尚も落ちて行く途中、視界の中に森に建つ城を捕える。

 あの城の真上へと落ちる。

 このまま城に激突してしまうのか? 激しい衝撃を予測し身構えるも、屋根を壊すことなく俺の躰は通り抜けていった。

 そして気がつけば、俺は見覚えのある場所に立っていた。


 見覚えのある場所、建物、部屋。

 ロワール川のほとり、シャントセの地にある城。ここは俺が生まれ、そして育った城で間違いは無い。その一室。壁には聖印が飾られ、祈りの場として整えられた部屋。

 そして。


『……神様は、なんでこんなに酷い仕打ちを……僕たちに課すの……』


 そこで祈る子供が二人。

 一人は少年といっていい年頃。黒髪、黒瞳。もう一人は彼に似て、ひと際、幼く。


「……これは、あの時の」


 優しい母を病で失い、その心の傷も癒えぬうちに、立て続けに敬愛する父も狩猟中の事故で失った。

 その数日後。

 見覚えがあるこの部屋で祈りを捧げる少年の方は、俺だ。

 10か11、そのくらいの年齢……俺の子供の時の姿に違いない。隣にいるのは弟のルネ。


『お父様とお母様を返してください……ねぇ神様……神様は、なんでも出来るんでしょう? 全部知っていて、何でも出来るのに……なんで……どうして……』


 その時、弟のルネが泣き出した。少年が次にとる行動は……


「……手を握った」


 その言葉に従ってかどうか、少年は泣き出した弟の手を握り、再び、神に祈る。


『心の底からの祈りを捧げます……僕たち、神様の言う事を聞いて、何でもします……だから……神様……』


 天に召された両親を、僕たちから奪ったものを、今すぐに返せ、と……


 これは祈りではない。あの子供は祈ってなどいない。

 頭上の聖印を見上げるその表情、眼……恨みをぶつけるような、怒りをぶつけるような厳しい視線。

 零れ落ちぬ涙を湛え、歯を食いしばり、頭上の聖印を睨みつけている。


「これは、知っているぞ……覚えている……あの時の、悔しさを、己の無力さを」


 両親の身に降りかかった理不尽を嘆き、自分や弟の将来を憂い、途方に暮れ、出来る事と言えば城に引きこもって、会ったことも無い神に、呪いにも似た感情をぶつけることくらい……そんな無力な自分を、苛んでいた。


『応えてよ……神様……姿を見せて……声を……どうか……』


 どれほど祈れど、どれほど憎めど、神は応えない。

 応えてくれは、しなかった。


「ここは俺の過去の世界……なのか? 俺は過去に飛ばされて来たのか?」


 俺の呟きを拾うものは居ない。

 過去の世界であっても、ここに俺は居ないものとして扱われている。

 聖印を睨みつける少年の瞳に、俺は映らない。


「違うわよ。これは人々が個々に持つ記録、記憶を繋ぎ合わせて、他の人でも認識できるように変換、編集したものだから。まぁ記録映像? だから干渉は出来ないわ」

「ッ!? ルルッ!」


 気がつけば隣に黒衣を纏った少女。

 気配も無く佇む少女の黒いドレスから覗く肌は白く、唇だけが赤い。

 緊張がほぐれていく。

 誰ともなく呟いた俺の疑問に答えを返した少女は、俺の方を向くこともなく、少年らを見ている。

 黒く昏い瞳の奥にある感情を読むことは出来ない。


「目に涙を浮かべて悲痛に耐える少年ジルきゅん、かわええ、包んでさすって癒してあげてえ、はぁはぁ」

「待て、そいつに近づくな、邪なる者よ」


 子供時代の俺に不穏な事を呟きながら近づくルルのドレスの首元を掴んで止める。予測不能な行動は止めろ。まったく。


「なぁに? 近くで見るくらいいいでしょ?」


 腕一本で吊られることになった少女が俺を睨む。

 剣では捉える事が出来なかったルルを容易に確保できたことと、腕にかかる小柄な少女のあまりの軽さに驚きつつも返答をする。


「見るな、汚れる」

「酷くないかしら……」

「そんなことより、俺を放ってどこに行っていた? これが記録映像だと? 前のようなやつか?」

「そーよ、その時に説明もしたと思うけど、あれに近い感じ。ただちょっと違うのは、これは君向けに拾い上げていく記録だから、ちょっと、どころか、滅茶苦茶手間がかかるってことね。ま、それはこっちの事情だから気にしないでいいわ……よっと」

「な」


 しっかりと掴んでいたはずの少女の首元が緩み、溶ける。そのまま少女の姿がすべて溶けて影となり、床に落ちる。

 一度、黒い固まりとなったソレは、床の上で再び生き物の形を作る。

 黒猫。

 黒い、猫。


「それから、一応言っておくなら、ここでは暴力は無意味だからね、姿もホラ、こうして自由自在。にゃおー」

「もともと自由自在であろうが……」


 金色の瞳でこちらを見上げて笑いかけてくる、下手な猫の鳴きまねをする猫。人の言葉を喋る黒猫。

 胸に去来するのは懐かしさ。一緒に行動していたのは短い時間であったはずなのに、その短い間に、どれほどの衝撃と混乱を俺に与えてくれたのやら。


「んじゃ、目的の座標まで、絞ってこー」


 猫が喋る。喋る猫に違和感を抱かなくなったのはいつの頃からか。


「座標? 絞る? 何をする気だ?」

「知りたいんでしょ? 余すことなく見せてあげる。君の前に私が現れた理由、というか、経緯をね」

「そうであった」

「……忘れてた、わけないよね?」

「……当たり前だ。忘れてなどいない」

「ほんとぉ?」


 黒猫のすること為す事、その吐き出す言葉ひとつとってみても、いちいちが衝撃的で、いつも本来の目的というのを見失いがちになる。俺は悪くない。こいつは黒猫に振り回された事のある奴にしか理解出来ないものだ。


 ただ、本心を言えば。

 妥協であろうが、なかろうが、黒猫の奴に意見を曲げさせてやったという事実。

 黒猫によって隠されている真実の内容そのものよりも、その曲げさせてやったという事実をもって浮かれかけていた。満足しかけていた。俺もそれなりに口が回るではないか、と。


 が、そんな気分も虚無の海に放り込まれることで一瞬で肝を冷やされた。

 未だかつて、誰も見た事の無いような神秘の絶景ではあれど、あのままあそこに一人で永遠の時間を過ごしていたらどうなっていたのか。

 もしや、しばらく放置したのもわざとか? 意見を曲げさせられた事への意趣返し……いや、それは流石に考え過ぎというものだろう。悪意が過ぎる。そこまでの計算をするような奴では……ありそうなのが、黒猫という存在か。


 恐ろしい目に遭った、そう思いながら子供の頃の俺を見る。

 確かこの後……


『ねぇ神様……応えて……居るなら姿を見せて……』

『駄目です! 入ってこられては……』

『どけ、殺すぞ』

『ああ……』


 酷い音を立てながら扉が開け放たれて、一人の男が部屋に入って来る。

 ジャン・ド・クラン。

 遺言では俺たちの後見人にはしてはいけないと言われていたにも関わらず、そんなことは知った事かとばかりに横暴を通す老人。


 両親を失った俺たち兄弟は、筋金入りの悪党と呼ばれた祖父の下で育つことになる。


 景色が歪み、場所が変わる。


『さあ、ジル、犯せ』

『犯せって、爺様よ……』


 屋敷の中、ベッドの上には震える少女。

 近隣の領主の娘、カトリーヌ。


『教会の連中は近親婚を簡単に認めんからの、この婚姻を事実にするのには犯すしかない、ほれ、ヤレ、見ていてやるから』

『見てんじゃねーよ!』


 当時の年齢は、15だったか16だったか。

 体格はすでに一人の男として成長している。顔立ちにはまだあどけなさが残る。


『てか、これが誘拐までしてすることかよ』

『阿保か、誘拐までして手も出さずにお帰り願うなんぞ、そっちの方が失礼ってもんじゃろ。のう? 嬢ちゃんや』

『ひっ』

『……爺様の失礼の基準がわかんねーよ』


 親戚にあたる家との婚姻を望んだ祖父が手勢を率いて彼女を誘拐してきた。

 阿保かと言ってやりたくなるが、ただの事実。

 領地を広げるための強引な婚姻。複雑な手続きを嫌った祖父のやり口。


『震えてるじゃねーか』

『このまま返しても、もう処女だとは信用されぬ。手遅れじゃ。この嬢ちゃんを行き遅れにする気か? これは先方の家にとっても得の有る事じゃて。……すべては家の繁栄の為。犯せ』

『…………ちっ』


 俺の祖父にとって重要なのは俺の身体に流れる血であって、俺ではない。

 この悪徳爺は人を駒のように扱う。部下であっても、孫であっても。逆らえば誰かの命など簡単に消える。血の繋がりのある俺や弟が殺されることはなくとも、俺たちと関りがあるというだけで命を散らされる。

 祖父に引き取られて数年、それを見て来た。


 見届けたがる祖父をなんとか部屋から追い出して、二人だけになった部屋。


『あー、なんだ……攫われてそのまま事実婚ってのは、まぁ世の中によく聞く話だ、理不尽だと泣きわめきてえ所だろうが、運が悪かったと思って諦めてくれ』


 悪いことをしている、そういう感覚はあった。

 だが家の為ならばと、従った。


 怯えた少女は歯を鳴らしながら声を漏らす。


『か、か、神は、すべてを見ておいでです……どんな悪も、その目から逃れられはしない』

『は、神か、見ててくれるといーな。んじゃ神様に見られてもいい様に、せいぜい優しく扱ってやるとするか』

『い、いや……』


 男は上着を脱いで、震える少女に近づき、肩に手をかけ……


「待て、おい、待て、黒猫、待て、おい」

「何かしら? 邪魔しないで、今いい所……」

「いい所じゃないわっ! 止めろ」

「えー」

「えーじゃない! 止めろ止めろ!」


 世界が止まる。

 世界は灰色になるわけではなく、色はついている。

 視界の中には、この後、俺に犯されて、そのまま婚姻し俺の妻となる少女がいる。出せる精いっぱいの抵抗で男を拒もうとしている。そして、そんなささやかな抵抗も意に介さず、娘の首に手をまわして口づけを交わそうと迫る、当時の俺。


「嘘だろう……おい、黒猫……もしや、人の為した事、人の営み、その全ては、き……記録されている、のか?」

「記録と言うか、……うーん、言葉が難しいわね……ええとね、ある、あったという事実は、手繰れる」

「手繰れる……」


 当時の俺と少女のいるベッドの上に飛び乗って話を続ける黒猫。


「そう、他者と繋がりのない人というのは存在しえないわ、縁の多い少ないはあるけれど。生涯を無人島で暮らした所で、その子を産んだ親はいるものね。それで糸を手繰り寄せるように、個々の記憶を繋げていけば、手間はかかれども、過去にあったことの全てに辿り着くわけで」

「おい……それは……そんなものは……そんなものを覗き見ることが出来る存在など、それこそ神と……」

「神は関係ないかな。技術だし。それを知る者にとっては、それこそ人が本のページをめくるような感覚で行えることよ?」


 恐ろしい。今まで黒猫から聞いた言葉の中でも、ひと際恐ろしい事実だ。


「どんな悪も、その目から逃れられない……あの時の妻の言葉が真実の言葉であったなんて……生前に悪行を為した者は……すべて裁かれることに、なる、のか?」

「生前も死後も関係ないかな。悪行も善行も、それをそうだと決める者がいて決まる。結局は観測する者次第だから、なんとも」

「それを決めるのが神なのではないのか?」

「神様には会ったことが無いから、わからないわね」


 神様には会ったことが無い。神は人が創り出した虚構。

 本当に?

 この途方もない力を持つ黒猫という謎の存在と言葉を交わしていると、すべてが曖昧になる。すべての信仰が、常識が、理性が、秩序が、音を立てて壊れていく。俺の目の前にいる、今は猫の姿をしたそいつが神ではないと、誰が証明出来る? 俺は何を信じればいい?

 ベッドの上の黒猫は続ける。


「記憶は何も人に限った事でなく、鳥や獣や虫、記録が出来るなら無機物や、はては現象ですら、繋がってさえいれば、手繰っていける。それぞれに解読とか、結構面倒な事も必要だけどね。で、これを、ちょっと詩的な言葉で飾るなら、星の記憶、と。じゃあ続きを……」

「必要ないだろうがっ! 見るなっ! 続けるなっ!」


 ベッドの上の黒猫を追い払おうとするが、いつものように機敏な動きで躱される。空を切り続ける俺の腕が昔の俺や妻の身体に当たるが、それらはすり抜けていく。


「俺に見せたいのは、貴様が俺の前に現れた理由だろうが! 目的を見失うな! これが関係あるのか? おい」

「だから、目的の場所に辿り着くために、ページをめくる様にして手繰っている最中でしょうが、これくらいの寄り道、道草は構わないでしょ」

「寄り道と言った! 道草と言ったな! 必要無いのではないか! 必要無いのではないか!」

「焦っちゃってまー」


 ベッドの上から降りた黒猫が微妙な顔をして俺を笑う。

 悪事を見られるのとはまた違う。秘め事を覗き見られて喜ぶ者がどこにいるというのか。


「見たい、知りたいという欲求の敵対者は、いつでも見せたくない、知られたくないという欲求。隠そうとしたらもっと知りたくなるのは、この世の真理よね? 黒騎士さん?」

「真理など知らん!」


 嫌がらせだ。これ。教えないと言った意見を曲げさせられた復讐だ。知りたいと食い下がった俺への当てつけだ。間違いない。俺は今、酷い嫌がらせを受けている。


「と、に、か、く! 目的の場所とやらに直接行け、貴様はそれを知っているのだろうがっ!」

「基本的には私は現象そのものに対処していただけだから、なぜそうなったのか、という深い理由までは知らないのよねー。特に知ろうともしなかったし。だから私にとってもこうした情報は初見よ。勉強になるわー」

「学ぶな、飛ばせ」

「はいはい」


 世界が歪み、違う場面へ。


「まったく、この程度で取り乱すなんて、先が思いやられるわ」

「……ふん」


 なんとでも言え。

 目の前では遊びに来た親戚、アンドレが昔の俺と話をしている。

 フランスの王にとって重要な都市ランスを支配下に置いたブルゴーニュ、対するアルマニャック派。その闘争の隙間を縫うようにして、各地がイングランドの手により陥落しているという状況。


『ちょっと強すぎませんか、ジル』

『剣はいい。あれこれ考えなくて済む。振れば相手は倒れ、相手が倒れるならば俺が正しい。単純だ』

『そんな単純なものでは無いはずですけど』


 祖父によって学問を取り上げられ、政治にも興味が無い。そんな俺は、ひたすら剣術に打ち込んでいた。

 誰にも知られないようにして悪魔や魔術、錬金術に関する書籍を集めるようになったのもこの頃からか。


 当時の俺は、教会が眉をひそめるような書物を集める事を、どのような知識も家の為になるのだから、などと言い訳を作って自分に言い聞かせていたが、その実は、神への反逆心を僅かばかりに満たす行為であった。もっと根の所では、ただ強さへの憧れ、だったのだろう。

 悪魔は強い。強いものには惹かれるのが道理、という奴だ。何も考えていなかったとも言う。


『各地の戦況は良くないようですね……』

『ふん、イングランドめ、海の向こうに引っ込んでいればいいものを』


 当時の俺がよくしていた夢想は、俺が一人でイングランドの本拠地に乗り込んで魔法の剣を振るい、イングランド兵を一人残らず打ち倒すというものだった。

 まったくもって幼稚な夢想。妄想。

 それを為す事が出来ない自分に、腹を立ててまで……


『こんな噂があるのを知っていますか? 噂というか、予言めいた話なんですけど』

『ほう、予言? どういう?』


 魔法に限らず、予知、予言などの神秘にも興味があった。


『東の地に聖なる乙女が現れて、正しき者を王座へと誘う。王は勝利の冠を頭に抱き、やがて戦乱の世を終わらせるであろう……みたいな』

『東の地? 漠然としている。どこだ、それは』

『さあ?』


 そうか、聖なる乙女の予言はどこかで聞いた話だと思っていたが、この時にアンドレから聞いた話であったか。

 リッシュモン元帥は、この噂はヨランド・ダラゴンが流した噂だとか言っていた。後のジャンヌの登場に繋げるための下準備として。これは陰謀の類。さて真相は。


「黒猫よ。星の記憶を手繰れば裏で行われる陰謀など、すべてが丸裸にされてしまうな? この噂の出所を辿れるか?」

「寄り道! 道草!」

「む」


 反論は出来ない。寄り道をするなというのは、俺の言葉であった。


「とりあえず目的の場所まで。どうでもいい事は後回し」

「ジャンヌの事はどうでもいい事か?」

「知りたいなら自分で調べてよと言えるくらいには、どうでもいいわね」

「俺に調べられるわけがなかろう」

「出来るように教育するはずだったけどね。仕事の手伝いをしてくれるのなら、いずれ必須になる技能なのだし」

「それは……」

「ほんのちょっとは私も気になるから……ま、そうね、後で、余裕があれば」


 俺が俺の愚かさによって捨てた選択。ルルの行う仕事の手伝い。結局、その仕事の内容すらわからないまま交渉は終わった。今でも頭を下げて謝れば、許して手伝いをさせてくれるだろうか。おそらくそれが俺の求めていた魔道、神秘への最短距離なのだ。

 口には出せない。

 これでも恥というものを知っている。

 一方的に悪いのは俺だ。

 支払える対価も無い。


 場面が変わる。


『ジャンヌ?』

『そうだ、我が親愛なるジルよ。最近シャルル王太子に接近してきたジャンヌという女を監視して欲しい。そ奴は高慢にも聖女を名乗り、言葉巧みに王太子に取り入り、その兵を借り受けて戦地に赴く。怪しい事この上無し』


 遠縁の親戚。ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユ。

 政敵であったリッシュモンを追い出して宮廷の実権を一手に握る者。シャルル王太子の側近。

 反戦派の筆頭であり、主戦派の者からはよく敵と通じ利敵行為を行う佞臣という扱いを受ける御仁だが、どうだろうな、俺の見立てでは財貨を積み上げ私腹を肥やす事だけに熱意を注ぐ人物だ。平穏に私腹を肥やすのに戦争が邪魔だと思っているような人物。とうてい尊敬など出来たものではないが、その言葉には従わざるを得ない家の事情もある。


 彼の依頼は、聖女の監視。


『その依頼、承った』


 年は24だったか。幾度もの戦場を潜り抜け、幾らか自信も付けた男の口元に笑みが浮かぶ。

 オルレアンに向かう一行に合流し、そこで聖女を見極める。その役目はおそらく、誰に押し付けられなくとも自ら望んで行ったことだろう。

 過去に聞いた予言と相まって、聖女を名乗る者への興味は高まる一方。


 そこで出会う。

 瞳の奥に太陽を閉じ込めたかのような、苛烈な眼差しを持つ少女に。


 場面が、変わる。





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