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「天使か? 悪魔か?」
黒衣の少女に問いかける口調は激しくはない、ただ、向ける視線は厳しく、向ける剣の切っ先は震えている。
リッシュモン元帥は緊張した面持ちで少女への詰問を続ける。
「それともいずこかの力ある魔女か? 奇跡を行使する者よ、雷を纏って現れし者よ、どちらにせよ、ヴァロアとランカスターの対立、カペー朝の断絶より混乱続くこのフランスの地の王位継承に関わってくるのは、己がこの地を支配するためか? そこの男、アルマニャック派の貴族、ジル・ド・レとの関係はどういったものだ? 手駒として何をさせん? ランスにいるシャルル7世王との関わりは? ジャンヌという聖女を担ぎ上げてきたのは、そなたの入れ知恵なのか? 陰謀の徒、奸臣トレモイユや女傑ヨランド・ダラゴンとの繋がりはあるのか?」
「あ、面倒くさそう、どうしよう黒騎士さん、何かまた誤解されているわねぇ、権力とか支配とか陰謀とか、そういうのにはこれっぽっちも興味無いってこと、黒騎士さんの方から伝えてくれない?」
「知らん、誤解なら自分で正せ」
神の声を聞いたというジャンヌ、神の力を行使する謎の存在。それらを結び付けて考えるのは自然の流れというものだ。口下手な俺では誤解を解けようはずもない。なにしろ俺自身がまだ心のどこかでひっかかっている事なのだ。
ジャンヌと黒猫は無関係? 本当に?
ジャンヌの処刑に合わせるようにして姿を見せたのはどういう意味を持つ?
ただ実際には本当に関係無いのだろうと心の大部分では納得もしている。政治のあれこれを忌避する性質の俺だが、黒猫には近いものを感じる。よほど親しい相手か、本当に必要でもなければ人の名前や地名すら覚えようとしない性質。
「最近の一連の奇跡や終末の騒動は全てそなたの仕業か? イングランドと共謀しているのか? ……ジル・ド・レにより向けられた凶刃から落雷をもって助けられた……それは事実、救われた事を感謝をせねばならぬ」
「そーね、感謝して……」
「ジル・ド・レは手駒ではなく、彼と敵対している勢力であるのか? 先ほども剣を向けられていたが、どうにも敵対しているというわけでもなさそうに見えた」
「あー、まーね、一言では伝えられない複雑な関係って感じのあれねー」
「白皙の肌、美しい顔立ち、ゲルマン、ゴート、北方の出か? そもそも人ではない。だが人の姿だ。神? まさか。ドルイド、シャーマン、復活の奇跡……癒しの大魔法……真なる唯一の神よ、私は幻覚を見せられているのでしょうか? 私は今、起きながらにして夢を見ているのでしょうか? それとも邪悪な秘法の手中に落ちてしまっているのか……答えが導き出せぬ、……そなたよ、私の正気は今どこにある?」
「知らんがな……」
混乱から立ち直ったように見えて、まだ絶賛混乱中だったらしい。よく見ると視線が定まっていない。間近に落雷を受けたからな。落雷を受けた本人の俺が言うのもなんだが、よく無事だったものだ。
会話になっていそうでなっていない会話を続ける黒衣の少女は呆れて白目を剥いている。実に適当な返答をしている。こういう時の奴は。
「よし、逃げましょう! 黒騎士さん! 面倒! 静かな場所にいきましょう」
「言うと思った。無責任な奴め」
相対していたリッシュモンから視線を離し、俺の方を向いて堂々と逃亡宣言をする黒猫。そうくると思った。しかし、そうだな、ここで逃げてもいいものか? 二度の落雷と癒しの奇跡で、なし崩し的に戦闘は終わっているようだが、ここで俺に出来る事は何もないのか? 火傷を治癒されたジャンヌはどうする? 置き去りは駄目だろう。ジョフロワ共々連れて行くのか? 黒猫ならば問題なく可能だろうが……俺から頼むことになるのだろう。ちっ、先ほどの侮辱を訂正させてやりたいのだが。震えながら剣を向けるリッシュモン元帥は、もう無視でもいい。
「待て、どこにも行くな! 逃がすわけには行かない!」
「黒猫よ、あいつ、まだ剣を向けてきているぞ、制裁だ、制裁」
「そうね、リッシュモンさん、で良かったかしら? 剣を向けられるのは苦手なの、悪意や敵意を向けられると恐怖で竦んでしまうの」
「嘘つけ黒猫」
「…………私は貴方たちの敵ではないわ。だから、リッシュモンさん、もう剣を向けないでくださいな。さもないと……これから何度でも雷を落とすわよ? 黒騎士さんに」
「なぜ俺だっ!?」
理不尽過ぎだ。
今後、誰かから黒猫に剣が向けられる度に俺に落雷が降ってくるなど……無いよな? 冗談だと言ってくれ。
「リッシュモン卿! 不敬です! あの方は神の使いに間違いありません。剣を、剣を収めて……」
「む、むむ」
リッシュモンが連れてきた騎兵の一人から声が上がる。それに追随する賛同の声も。
「本物の奇跡です! この目で見ました! あれが神の奇跡でなくて何が奇跡なのですか!」
「しかし、これが邪法、幻覚の類であると……」
「見て下され! 傷が! 傷が癒えているのです! 傷跡が残っている! ついさっきまであれほどの血を流していたのに! こんなものが幻覚であってなるものですか!」
「神の使い様を怒らせては……」
「再誕の聖女様から、温かい光が辺りに散って……貴い……神の意識を感じました」
「リッシュモン元帥、親友が、親友が目を覚ましません、息をしていない……ああ、何で、俺だけ助かったんだ……リッシュモン元帥、親友を助けてください……元帥……」
「待て、私に奇跡の力など……」
「ああ、聖女よ……再誕の聖女様、貴方を信じます、心から信じて全てを捧げます、だから、親友を生き返らせてください……」
「え? え? 私? え?」
「ジャンヌぅ、ジャンヌぅ」
「骨、の、道化、師ぃ! 説明しろ! さっきのあれは何だ! そのジャンヌとかいう短髪の女は何だ!? あの日に処刑されたジャンヌ・ダルクが本当に蘇ったとでも……はっ、もしや光の大聖女たるリュミエラ様の敵になる者かっ!? そこにいる魔女は我らの仇敵のはずっ! 今度は何を企んでいる!? 魔女めっ!」
「何言ってんだゴウベル! 奇跡だ! 本物の奇跡が見れたんだ! 彼女も、それから短髪の人も、本物の聖女だって。敵とかじゃない……たぶん」
「え? え? 敵? え?」
「ルシフェル様ー! 黒翼の騎士様ー! 従順な下僕たる僕を助けてぇー!」
「魔、女! 魔、女!」
「聖、女! 聖、女!」
「神ぃぃ!!!」
混沌。
混沌を体現したかのような場。
大勢に詰め寄られて剣の行き場を無くすリッシュモン。癒された者、死んだままの者、知らぬ男にすがられて狼狽するジャンヌに、まだ転がっているジョフロワ、そして大声馬鹿ゴウベルと泣き虫。柱で泣くプレラーティ。縛られ地を這う者も、馬上にある者も。
誰も彼も。
何もかも。
全てが取っ散らかって収集がつきそうにない。
「……逃げるか」
「だね」
時には諦めも肝心だと思おう。
ここで俺が出来ることは何も無い。
「一緒に来るか? ジャンヌよ」
「え? 黒騎士様? どこに? え?」
「落ち着いた場所に連れて行ってあげる、ジャンヌちゃん」
「え? ジャンヌちゃん? 誰? え?」
「逃がさぬ。……見捨てるのか? 同胞を見捨てて行くのか? ジル・ド・レ」
「…………」
同胞。生前の、戦友たち。戦乙女たるジャンヌの下で戦った精鋭たち……
輝かしい記憶。
胸を締め付ける後悔。
未練が足を重くする。
何もかもを捨てたはずだ……なのに……何故、俺は……
「混沌のみを残して去って行くのか? あまりにも無責任ではないのか? ……流行り病はお前が広めたわけではないという言葉を信じよう……私が間違っていたようだ。そしてもう一度問う。問わせてくれジル・ド・レ。教えてくれ、何があった? 彼女の持つ癒しの力は何だ? あの奇跡は何度でも起こせるのか?」
「知らん。リッシュモン元帥。そもそも何度でも起こせるものを奇跡とは言わん」
「それは、そうだが」
本当は何度でも起こせるのだろう。あれは奇跡ではなく、作業なのだから。
後は黒猫の気分次第。それこそ本人に聞け。
「魔術でも、魔法でも、その力があれば、多くの人が救われるだろう。どうか私と共に来てくれ、死の病に犯された人の疑心暗鬼と不安で南の地はもう暴動が起きる寸前なのだ」
「ふん、つくづく都合のいい話だ。呆れたものだ。役に立ちそうだから正体不明の存在でも見逃してやると言っているのか? リッシュモン、貴様の正義はそんな程度のものだったのか? もっと厳格なものだと思っていたぞ?」
「多くの者が死ぬことになるぞ! 話してくれ、ジル・ド・レ。少なくとも領民に説明する責任はあるはずだ! フランスの貴族としての責務を果たせ! 救国の英雄の魂よ!」
「勝手な……責任など……俺に……」
「そうだ! 納得のいく説明がされるまで逃がさんぞ骨の道化師、いやさ、ジル・ド・レ!」
「死者殿がイングランドの敵としても名高いジル・ド・レだったとは。そういえば真偽不明の噂のうちの一つにルーアンの町の近くで行方不明になったとかいう話を聞いていた……」
「ジル……黒騎士様は、ジル・ド・レ……って、ああっ! ジル・ド・レ様! 私、遠目で拝見させていただいたことがあります! オルレアンで! 聖女ジャンヌ様と共にいらした姿を! とても凛々しくて格好良くて……」
「うるっさいわっ!! ジルジルジルジル! 俺はジル・ド・レではないと何度も言っているだろうが! そいつはルーアンの町の外で野垂れ死んだ! 哀れに! 不様に! 泣き叫びながら死んでいった! いいか!? ジル・ド・レは死んだ! 何度も言わすな!」
「……だから、死んで、今ここにいるのであろうが? そういう話だろう? 間違ってるか? 泣き虫よ」
「……ルーアンの町の外で死んで、骨の躰となって復活されたのが今の姿というわけですね? 合ってます? 死者殿?」
「クソがっ!」
使うなと言われていても、つい使ってしまう言葉もある。今のがそれだ。
「黒猫! 説明してやれ!」
「知らないわー。ご自分でどーぞー」
「ちっ、さっきの仕返しか? 全部知っているのは貴様しかいないだろうが。説明出来るのも貴様しかいない。俺を……じゃない、哀れで無力な貴族のジルをルーアンの町の近くで惨たらしく殺したのは、お前なのだからな!」
「え? ええっ!?」
一番、話を分かっていないだろうジャンヌが一番、大げさな反応をよこして返す。
「……ジャンヌ、ジョフロワの所に行って助けてやれ、まだ転がっているぞ。それからゴウベル! どうだ! 見たか!? 見事に戦を止めてやったぞ! 静かなもんだ、戦争は終わり! 争い終了! 感謝してどっかに行ってろ! ややこしくなるから馬鹿は話に入って来るな!」
「何ぃ!」
「静かと言うか……もっと混乱してるんだけど……」
「ぷ、黒騎士さんたら自分の手柄のよーに」
「うるさい黒猫………………いい加減そろそろ教えてくれてもいいのではないのか? 哀れなジルを殺したのは、何故だ?」
「時にジャンヌちゃん? 男言葉はどうしたの? 男に憧れているんだっけ?」
「えっ!? ええと、それは、そうなのですけど、女ばかりに囲まれて育ったもので、違和感のない男言葉というのがよくわからなくて、どうも下手な言葉になってしまうようなので……」
「そういうのは使っていくうちに上手になっていくものよ? 下手でも始めることが肝心」
「そういうものですか……その……貴女は誰です?」
「あ、か、ら、さ、ま、に、ご、ま、か、す、な」
ジョフロワの所に向かうジャンヌを振り向かせての時間稼ぎ、流石にこれには引っかからない。
つい先ほどは、俺に対してのあからさまな侮辱で怒りのまま流されそうになってしまったが。
「貴様の連れていた、あの悍ましい死霊は、何だ? 俺を直接殺した、アレの正体を、教えろ」
何対もの興味深げな視線が黒衣の少女に向かう。
この話だけ聞いても意味はわからないだろうに。
「はああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーあっっ、と」
周囲をぐるりと見回し、何かを諦めたかのように、大きな、大きなため息を吐く美しい少女。瞳には憂いが纏う。
「嫌だわ。周囲を味方につけての圧力。言わないといけなくなるような気分にさせる雰囲気作り……黒騎士さんたら、ちょっと見ない間に成長しちゃって。どこで身に着けたの、その手練手管」
「俺は何も考えていない。こんなものはただの流れだ。本題に入れ。眠い」
ただ聞いて、ただ真実を知って、ただ気持ち良く眠りたい。今の俺の心からの欲求が、それだ。
戦争や王位継承、政治にまつわるどうこうは、俺の中ですでに興味に値しない。おそらくそれは、ジャンヌを失った時から。
ジャンヌと共に命が果てていたなら良かったのに、そういう妄想に囚われて、だがしがらみにも囚われて、迷い、光を失って。中身が空洞の人形のようになりかけていた所に現れたのが黒猫だ。
それ以降、何かわからん物が沢山詰め込まれた気がする。ゆっくりと考える暇すら与えられなかった。激動に次ぐ激動で、今に至る。
黒衣の少女は口の端を上げて笑う。笑って俺を見る。そこに悪意は無い。ただの、そういう笑い方。
「知らなくていい事、知る必要のない事、どうでもいい事……それでも知りたい? 本当に? 聞いたらあまりにどうでもよくて呆れるような事でも?」
「どうでも良いなら、尚更隠す必要も無い」
「それもそうね……最初に、私に殺意は無かったと言い逃れをするのは止めておくことにする。私にも、少しは、ほんのちょっとくらいの責任はあると自覚しているからね……謝罪する。彼を連れてきて君に引き合わせたのは私で間違いない」
「彼……あの死霊をもし今でも呼び出せるのなら呼び出してくれ。やられたままでは収まりがつかない。あの時のような不様は晒さない……この躰、この剣にかけて、決着を付けてくれる」
剣を持つ手に力が入る。
そうだ。記憶が戻ってから、それがずっと気になっていた。アレを倒す。
あの不意打ちで会った時には、その姿の恐ろしさから何も出来なかった。死、そのもの。半分焼けの腐敗した肉体。だが姿はその本質ではないことを、俺は学んでいる。あの時の奴の動きを思い出す。尋常な剣の勝負であれば戦える相手だと認識している。
心の中の闘志に火が灯る。
奴め、不様に這いつくばらせてわからせてやる。
死霊と骸骨ならばいい勝負になるのではないか? いい勝負どころか、圧倒してくれる。身軽さなら骨だけの俺が上だ。
「あー、そうね。そうしましょうか。じゃあ言うわね?」
黒衣の少女は俺に近づいて声を低くする。
「君がずっと前から知りたがっている、貴族のジルさんが殺された理由、それはね……」
「それは……」
「せっかくもったいぶって来たんだもの、もったいなさ過ぎて、無料では教えてあーげない、あは」
「は?」
少女は両手でこちらを指差して全力の笑顔だ。全力で俺を馬鹿にしている。そういう笑い方。
頭が空白で満ちる。
いや、言う流れだったろう、今のは。
無料では教えない? 金でも取る気か? 貴族の頃なら知らず、今の俺は銀貨の一枚だって持ち合わせていないというのに。
「な、何度も何度も俺を愚弄しおって……」
「そもそも論。私が教えなきゃいけない義理も義務も無いのに気がついたわ。それに、思い出したけど、確かそういうのを教えないっていう罰じゃなかったかしら? 真実を知りたければ自分で手に入れろって、黒騎士さんが私に斬りかかって来た後で、そんな感じの話してなかった?」
「忘れていたがっ!」
「まあ、私も忘れていたしねえ……只では教えてあげないけど、データ取りに協力してくれたら考えてあげる」
「データ取りだと?」
「そう……三人衆、おいでませっ!!」
俺の傍から飛びのいた黒衣の少女がいた場所から、闇が噴き出す。
噴き出した闇は即座に三つの人影となって俺の前に立ちふさがる。
闇が晴れて出てきたその姿は……
「地獄の黒鬼兵と呼びましょう! 見たままね? けど高性能よ? 黒騎士さんと同じコンセプトだけど、パワーもスピードも再生能力も黒騎士さんより上! 彼ら三人と同時に戦って、もし勝てたら、そうね、知りたい事を教えてあげる」
大きい個体と小さな個体、その中間の個体。
巨大な刃まで黒い剣、同じく黒い小剣を二振り、黒槍を持っている。
「髑髏……地獄の黒鬼兵だと……」
俺の鎧によく似た黒い鎧に包まれた姿。明確に違うのは兜。黒い兜に面は無く角が生えている。
兜の中には髑髏が収まっている。
黒い鬼の、骸骨兵士。それが、三体。
それぞれの髑髏の空洞に、灼熱の、赤い火が、灯り、
俺を、見た。
タグに「SF」追加しときます……
サイエンスってほどのサイエンスも出てこないのでおこがましいから迷うんだけど……
そもそもこの作品を歴史ものに分類するのもおこがましいし、うーん……




