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前話の最後のあたり、ちょっとだけ改変しています。ストーリーに変化なしです。
世界に色が戻り、音が戻る。
動き出した世界で最初に感じたのは、強い風だった。
地面に横たわるジャンヌと俺と黒猫。そこを中心とした風が土埃や落ち葉を空へと舞い上げて渦を作る。
巨大な風の渦となったそれは、ついに上に広がる雲にまで伸びて届き、天に大きな穴を穿つ。
穿たれた穴から差し込む光が俺たちを包み込む。
「おお、光が……」
「あたたかい……光が……」
遠目で見れば、光の柱が天地を繋いでいるように見えるのだろう。
俺は口を開けて見ているしかない。俺だけでなく、誰でも。
呆けた大衆の目の前で、傷つき横たわっていたジャンヌがゆっくりと浮き上がる。目は閉じられたまま。彼女の意識は失なわれている。
空から何かが降ってくる。
「これは?」
舞い落ちるそれを手のひらでひとつ受けてみると、それは仄かに光る白い羽だった。大きな、天使の翼を思わせる、純白の羽。
重さを感じさせぬ羽が、次々と天から振ってくる。
それはジャンヌを中心とした場に積み重なり、一面を雪のように覆う。
「神よ……」
喘ぎに似た、誰かの呟きを聞く。
白銀の野と化した場の中、一点のシミのようにして佇む黒衣の少女。
天からの光を浴び、艶のある黒髪が輝く。白い頬には朱が混じる。その整った美しい顔に満足気な笑みを浮かべて佇む姿を見て、あるいは多くの者は慈愛の天使を想像したかもしれない。
だが俺が思うことは他の皆と少し違う。
ひとつは、そんな表情も出来るのだな、という素直な感想。それと……
黒猫よ。
貴様、斬りかかった事を怒っていないなどと言って、めちゃくちゃ気にしていたのではないか。
あの一見、無垢にも見える笑顔は、俺から謝罪を引き出したことへの満足からくるものだ。
絶対にそう。断言していい。
勝ったとでも思っているのではなかろうか。
謝罪ごときで何を、と思うが、人の望む物は人それぞれ。黒猫の求めていた物の中で、俺が差し出せた唯一価値のある物が俺の謝罪の言葉だったというだけの話で……
……疲れる。ものすごく。何の時間だったのだ、さっきまでの時間は。
「はい、一時停止」
もうすべてを黒猫に任せて休もうか、人目を気にせず横になってもいいだろうか、そんなことを思い始めた俺を正気に戻す黒猫の声。
世界は再び灰色の世界へと。
ただでさえ大口を開けて呆けるだけだった人々の動きが完全に止まる。
「また時間を止めたのか……」
「そ、作業に集中したいし」
俺の呟きを拾い、そっけなく返事をする黒猫。
作業。
癒しの奇跡ではなく。
魔法でもなく。
「さて、と。服は邪魔ね、一旦、全部取り払って、と。重度な火傷は両手、背中から顔にかけて……ま、この際だから全部皮膚を新しくしちゃいましょう。交換ね。内臓に損傷ナシ。あとは呼吸器系か、ま、全とっかえでいきましょ、その方が手間が無いし」
止まった世界の中、ジャンヌのすぐ傍にまで近づいた少女は呟きながら指を振る。
浮き上がったジャンヌの身体に集まっていた光る羽が服ごと消える。
黒衣の少女の手が伸びて、眠るジャンヌの身体をゆっくりとなぞる。その手の動きに合わせて、ジャンヌの火傷した身体が癒されていく。
……癒されるというよりは、皮膚が消えて、その皮膚の下の部分が露わになり、すぐさま新しい皮膚で覆われていく。交換されていく。新しい物に。
作業は続く。
下半身から上半身にかけて。
足の先から、腕の指の先まで。
顔。
髪。
すべてを再生し終えた黒猫はジャンヌの口を開けて覗き込んで、ひとつ頷く。
「よし、と、口内も気管支部分も終了。問題はなさそう。綺麗になった。データをとっておきましょ」
無言の時間が過ぎる。
何かをやっているのだろうが、何をやっているのかはわからない。
「服は……どうしましょうね、データが無いわ……まぁボロボロでも、一応隠れる所は隠れているし、良しとしましょう」
火傷の痕跡など一つもなく、むしろ前よりも美しい肌に生まれ変わったジャンヌの肢体に、焼けて破れた服が戻る。
男物の服。俺の知るジャンヌが着ていた物に近い服。
別人だと分かっていても、どうしても彼女と重ねてしまうのは、その服のせいであったりもするのだろうか?
作業のすべてを終えると、ジャンヌの身体に再び光る白い羽が集まってくる。
「終わったのか?」
「彼女はね。地味でしょ? 派手な魔法や奇跡も裏側はこんな感じよ」
裏側。
見えない部分。
「さてと、気になるし、そこいらにいる人たちも治療していきますか」
そういって白い塊となったジャンヌから離れて歩き出す黒猫。
驚きの表情で固まるリッシュモン元帥や間抜け面で固まるゴウベルらの横をすり抜けて怪我人の居る場所に進む。
俺はやることも無く、ただついていく。
「なんとなく、よ」
俺は何も言っていないのに、黒猫は喋り出す。
「この時点で死んでいる人はご愁傷様。重度の怪我人だけを治す。その意味は何、とか、その行動は何故、とか、線引きはどこだ、とか、聞かないで頂戴ね。私は気分屋なのよ。いつもなんとなくの気分で行動している。命の選別も適当だわ。それで、後悔することもある」
「…………」
どう返事をすればいいのかわからない。
俺の言葉を待たず、少女は怪我人たちに近づき、怪我の内容を見ながら癒しの奇跡を施していく。黒猫曰く、地味な作業。
「切り傷で血液が減っているだけな人の処置は楽よね。傷口塞いで血液をコピーして増やすだけだし」
それは独り言なのだろう。おそらく俺に話しかけているわけではない。
きっと、他の誰にも。
一人の治療を終えたら、次の人へと。
治療を受けられる者は、悪魔教の者もリッシュモンの連れてきた騎兵もイングランドの騎兵も関係なく、怪我の酷い者たちだけ。命に関わりそうな傷を負った者だけ。
止まった世界、音もなく、灰色。
作業を進める黒猫の呟く言葉だけが耳に響く。
孤独。
それは、言葉にしようもない、圧倒的な孤独の世界。黒猫だけが居る世界。俺は今、その黒猫の世界を、ほんの少しだけ、覗いている。
覗かせて、もらっている。
誰にも見せる理由は無いであろう奇跡の裏側の世界に招待されている。
何故俺だけが、理由は、などとは聞かない。なんとなくという答えが返ってくるだけだと確信しているから。
時々独り言を呟きながら孤独な作業を続ける黒猫に、かける言葉も放つ言葉も見つからず、物言わぬ影のようになって少女に付き従い、作業を見守る。
「あら、黒騎士さんの兜、発見」
この灰色の、何もかもが停止した世界の中にいると、時間の感覚がわからなくなっていく。黒猫は何人を治療しただろうか。ジャンヌを中心として広がるように何重にも円を描いて治療していったその先で、黒い兜を抱えた一人の男が見つかる。
確かに男が抱えている兜に見覚えがある。二重のスリットの入った黒い兜。黒猫からの贈り物。
男の顔にも見覚えがある。柱に括られた俺を見て笑いやがった奴で間違いない。俺の中に怒りの火が灯る。殴りつけて奪い返してやろうとした所を笑う黒猫に止められる。
黒猫がそっと手をかざすと黒い兜は男の手から離れて、黒猫の手の中へ。
「ここいらにしておきましょうかねえ。キリが無いし。じゃ、癒しの奇跡の効果範囲はここまでということで」
ジャンヌの居た場所に戻っていく黒猫を追って歩く。
「データが集まればこういう作業も自動化出来るんだけどね。ま、今は」
兜を投げてよこしてくる傍らに、そういう事を言う。俺にはよく理解出来ない。俺は兜を片手で受け取り、頭には被らずにおく。視界が悪くなる。今はただ、よく見ておきたい。
全身を白い羽で覆われた宙に浮くジャンヌを見ながら、黒衣の少女は再び手を叩く。
世界が動き出す。
音を取り戻す。
光の中にいる。
ジャンヌの全身を隠していた羽は、鳥が飛び立つような音を立てて散っていく。
そこに残されるのは、火傷の全てが癒された女。全身無傷の女。短い金髪が光に煌めき、服だけはボロ。
大衆が息を呑んで見守る中、宙に浮く足がゆっくりと地面につき、女は目を覚ます。
「あっつぅい! あっつ……熱くない?」
「ジャンヌ! ああっ、ジャンヌ! 無事なのか!?」
柱に括られたままの状態で地面に転がるジョフロワが叫ぶ。
奴め、まだそんな所に、いつまでそんな恰好でいるのか……いや、時間は経っていないのだ、俺たち以外の連中にとって。
今、この時間は、俺がジャンヌとジョフロワを助けた後、すぐの時間。
俺と黒猫との会話も、あの作業の時間も、無かったことになっている。
「何? 私は……え? え?」
事情がまったくわかっていないジャンヌが狼狽する。
「奇跡だ……」
「生き返った! 彼女の肌を見ろ! あんなに酷かった火傷が無くなっているぞ!」
「再誕の聖女……復活の聖女……」
「本物の聖女、様」
「おおお、俺の傷が!?」
「俺も、俺の傷も癒えている! 血が、あんなに血が出ていたのに!」
「神よ!」
「神の奇跡だ! 神を敬え! ああっ神様っ!」
「え? え? え? ええっ!? えええっ!?」
混乱と狼狽は、留まるところを知らない。かつての戦場を喧騒で埋め尽くす。
奇跡の行使。
神の偉業。
空を穿つ光の柱は、未だに地上を明るく温かく照らしている。
辺り一面に落ちていた羽が、再び空へと浮かび上がり、雪が融けるかのように消えて行く。光の粒が舞う。
この幻想的な風景を見て、誰もが神を想うだろう。
自分たちが信じた神は実在したのだと。自分たちは間違っていないのだと。
神を疑った者すら、納得するしかない。こんなものを見せられては。
その裏にある何者かの孤独な作業を知ることもなく。
これは詐欺か? 欺瞞か? 神を詐称し嘲笑する不徳の行為か?
だが命を救われた者もいる、それだけは紛れも無い、事実としての――奇跡だ。
それを為した者は口の端を上げて満足気な様子。
言えた義理でも立場でも無いのだが、それでも口に出てしまう。
「やりすぎ、ではないのか……」
「黒騎士さんと別れた後に色々と作ったもののひとつよ。演出のための舞台背景といった所ね。中々に荘厳で綺麗だったでしょ。我ながら上出来の部類だわ」
「あの白い羽は?」
「特に意味は無いけど」
「そうか」
なんとなく。神聖っぽいから。
黒猫の言わなかった言葉を補う。
意味を探すのは無意味。そういうものも、世の中にはあるのだ。
「さて、じゃあ次は黒騎士さんの番ね。心の準備は?」
この世から消える。終わる。
その為の、心の準備。
「あるわけ、無いだろう。黒猫よ、貴様はいつも突然過ぎる」
「あら?」
突然現れて、事態を劇的に変えてゆく。
「貴様は本当に、何者なんだ?」
「拘るわねえ……私が何者でも、黒騎士さんが面白おかしく幸せに生きるのには関係無いでしょうに」
「その幸せな生とやらが今、摘まれようとしているのだが?」
対峙する少女は肩をすくめて笑う。
口の端を上げる、その独特な笑い方にも慣れた。コイツは敵ではない。
「黒猫よ、生み出した者の正体が気になるのは物の道理というものだろう。それが世界を生み出した神であれ、親であれ。その正体を知りたくなるものだ。黒猫よ、俺は貴様によって生み出されたのだろう? そう言った。俺は確かに聞いた。生み出されたのなら、生み出した者には理由がある。貴様は理由があって俺という存在を生み出したのだ……使命を言え。俺が生まれた本当の理由、そして使命を」
消え去る心の準備はまだ無いが、使命に従う心の準備ならば、ある。
それが相当に理不尽なものであっても。
「何故俺は生まれた? 俺が生まれた意味とは何だったのだ?」
消されるにしろ、消え去るにしろ。
それがわからないまま終わるのは、嫌だ。
「ああ、そうね、そういうことか……私は黒騎士さんに謝らなければならないことが、いくつかあるわ」
「謝る? この際だ、全て言え、包み隠さず、全てだ」
「そうねぇ、やっぱり最初に謝るべきは、私が出しゃばり過ぎてごめんなさい、かしら。これは黒騎士さんが『お供の黒猫、役に立つなぁ、便利だなぁ』程度で済ませてくれれば良かった話でもあるんだけど、実際はさにあらず、気にしすぎて黒騎士さん本人の物語がめちゃくちゃになってしまった」
「物語だと」
「そう、物語。勘違いしてはいけない。これは誰かの書いた創作物、絵物語の住人でしたってオチのつく話では無いの。人は誰でも自分が主人公の物語の中にいる。虚構の中で生きている。認知、認識……目に映る物ですら脳で処理された虚構。手に取れるものですら虚構。人は人の脳が生み出す虚構の世界に物語を作り生きている。例外なく、どんな世界の、どこの誰でも。これは東洋の仏教では」
「待て、わからん話をするな。もしや話題を逸らそうとしているな? 違うか?」
「ちっ」
「おい、舌打ち」
話題逸らしに失敗した黒衣の少女は言葉を続ける。
俺にはもう後が無い。徹底的に追及してやる。
「裏方に徹するべき場所では、裏方に徹するべきだったというのが、私の後悔で、黒騎士さんへの謝罪」
「それが一つか? しかし、それは黒猫のせいというわけでも無いだろう。俺のせいでも無いが」
気になるものは気になる。それは俺の性分でもある。どうしようもない。
それでも誰かのせいにするのならば、やはり俺か。
骨となって生まれ変わった最初に、俺の前から去ろうとする黒猫を引き留めたのは、俺だ。
そもそも俺の生がめちゃくちゃになっているか? なっているな、めちゃくちゃだ。だがそれは謎の喋る黒猫の存在云々ではなく、この骨の姿こそが原因であって……
「姿には理由がある……俺は何故骨なんだ? これは酷く人を怯えさせる姿だ」
「あ、それね、性欲大魔神であらせられる黒騎士さんが肉欲で失敗しない為に、肉欲の源である肉をなんとかする過程のあれやこれやで、最終的にそんな姿になっちゃった。てへ」
「は?」
言葉を聞いても理解が出来なかった。
「性欲は人の三大欲求の一つ、体に付いている肉をゴッソリ消すと同時にそれを消したわけだけど、それが原因で黒騎士さんの頭が常時強制賢者モードになっちゃったらしいわねぇ。わかる? 賢者モード。だから、俺の生まれた意味は何だ―、とか言い出しちゃってるのよ。いっぱしの哲学者かしら、ぷ。いやぁ参ったわね」
「は?」
「色々と案はあったのよ? アレだけをちょん切っちゃうとかね。最終的には格好良い姿だーって感じでその骸骨騎士の姿に決めたわけだけど、その姿のせいで酷い騒動にもなったわねぇ。こういうの、認識のずれって奴よね? 髑髏姿の人が居ても別におかしくないっていう認識が根底にある私と、この世界の人たちとの意識のずれが招いた悲劇だったわ。いやぁ、気を利かせたつもりなんだけどねえ。君には迷惑を掛けちゃったわ。ごめんごめん。ゆるしてにゃん」
「は?」
そこには上目遣いであざとく首をかしげる少女の姿があった。
理解が追いつかない。
この骨の姿は、肉欲を肉ごとゴッソリそき落とした後の姿?
肉欲で失敗をしないように? 気を利かせて?
性欲を消された俺の頭、が? 常時? 強制? 賢者モード?
哲学者ぶって? それで生まれた意味とか考えている?
性欲大魔神?
俺が?
「ばっ……馬鹿にするのもいい加減にしろぉ!」
「あははっ」
しまった、と思う間もなく、俺は黒衣の少女に向かって剣を振り下ろしていた。
かなりの勢いでもって振り下ろされた剣を笑いながら余裕で躱す黒衣の少女。
「待て、今のは無しだ。無意識、無意識だった。剣を握ったままだったのを忘れていて……」
片手に抜き身の剣、片手に兜を持った状態で話をしていたのを失念していた。
黒猫相手には剣を向けただけで雷が降ってくるのだ。剣で斬りかかってしまったらどんな仕返しが返ってくるのか? おのれ、わかっていたのに。もう二度と剣を振るわぬと心に決めていたのに。
「あら? 気にしなくてもいいのよ? 今の私なら、どれだけ攻撃されても平気だわ。そもそも油断さえしていなければ、黒騎士さん程度のへなちょこ剣法ではかすりもしないのだけどね? 試しに、もっと攻撃してきて? 証明してあげるから、ほらほら、ほらほら」
「く、そ、がぁ」
おちょくられている。馬鹿にされている。わざと怒らせるような態度をしているのが思考の端で理解できるが、怒りが止まらない。
人を肉欲に溺れる色情狂扱いしおって。
ないわ。そんなもん。俺がいつ肉欲で失敗した。
ありえない侮辱に視界が歪む。
羞恥と恥辱で頭がおかしくなりそうだ。
かといって、どのような反撃に会うかもわからないため、うかつに次の剣を振るうわけにもいかない。怒りの矛先は行き場を探して、ただ剣の柄を握りしめる力と歯ぎしりをする力だけに向かう。
ぐ、ぬ、ぬ。
く、そ、がぁ。
「ということでえ、謝罪も終わったことだし、黒騎士さんも気持ち良くこの世界を去ることが……」
「出来るかっ! あれのどこが謝罪だ! ふざけるな! この、この」
この身の内に渦巻く怒りを正しく言葉にできないもどかしさたるや。
その時。
「何者、なんだ、その女は?」
俺たちの会話に割って入る声。
「私が見たものは何だ? 何が起きた? 教えてくれ、ジル・ド・レ。そいつは、何だ?」
リッシュモン元帥。
いつの間にか混乱から立ち直った男が強張る顔で、俺たち、いや黒衣の少女に剣を向けていた。
「おい、黒猫、剣を向けられているぞ、奴にも酷い目をあわせてやれ」
「黒騎士さんのそういうところぉ……」
俺が何だと言うのだ。いつも酷い目に遭っている被害者ではないか。
読んでくれてありがとう。
まだまた暑いですが、お体に気を付けて☆評価をお願いします。
(残暑見舞いの文言に自然な流れで評価を狙うスタイル)




