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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 消す。

 この世界から消される。

 俺はルルの手によって消されるのか?

 名や肉だけでなく骨ごと、俺の何もかもが世界から消えたらどうなる?


 ――死。

 それは、死、そのものだ。


 少し前に思った。

 死にたくないと願っているのだから、こんな骨の躰の状態でも俺は生きているのだろう、と。

 リッシュモンに突き付けられた。俺はすでに死んでいるのだとの指摘、弾劾。

 生きている者なのか死んでいる者なのかすらの判別がつかなくなった俺のそんな悩みすら持てなくなるであろう完全な消滅。自己の消失。

 明確な終わりを告げる最後の言葉。突きつけられた、死の宣告。


 色を失ったような薄暗い世界。時が止まった世界。

 空気すら粘度を増し、息苦しさを感じる空間。俺の息づかいの音だけが、鼓膜に響く。その音以外は、耳が痛くなるほどの無音で満たされた場所。

 表情が失われた黒衣の少女の口から放たれた、感情のこもらぬ死の宣言の言葉が、雷が直撃したよりもなお一層強い衝撃を俺に与えている。

 いやだ。恐い。

 思考よりも先に、魂が拒絶を示す。

 首が勝手に動いて、無自覚に周囲に助けを求める。


 腰を抜かした状態で固まっている将軍リッシュモン。こちらを指差し大口の開いた間抜けな状態で固まる馬鹿ゴウベル、その横にいる、目に涙を湛えた状態で固まる泣き虫。柱に括られた詐欺師プレラーティ。地面に転がっている処刑人ジョフロワ。

 そして、近くに横たわる、聖女になれなかったジャンヌ。


 誰も動かない。

 誰も頼れない。

 そもそも、この黒猫の魔女相手にこいつらが動けた所でどうにもならない。

 自分を助けられるのは自分しかいない。ここには自分しかいない。

 自分と、黒猫の少女と。


 恐怖に挫け、座り込み、無力な子供のように泣き叫んでしまいたくなる気持ちを抑え込み、黒衣の少女に対峙する。

 剣は振り上げない。剣ではどうにもならない相手だと知っている。それでも頼るべきものを持たない俺は、剣の柄にかけた指を強く握り込み、呼吸を整える。

 考えろ。言葉を探せ。


 俺が世界を汚している元凶。だから消される。


 どうやらこれは俺が悪いという話らしい。念話を使って世界に穢れを放っているのだと。言い分の正当性は向こうにあるのかもしれない。だが認めたくない。死にたくない。消えたくない。

 反論をするにも念話の理屈も原理も何も知らない。わからない。どうすればいい? 正解は何だ?

 俺にとっての正解、黒猫にとっての正解は……


 ほんの数舜が無限の時間に引き延ばされていく感覚。極限の集中と緊張。

 ジャンヌに向けて放った言葉が跳ね返って、自分にも降りかかっている。


 理不尽には、抗わねば。


「――というのは、冗談でえ」

「おい、黒猫、貴様、ふざけるな、殺すぞ、クソが」


 思考よりも先に正直な感想が単語の羅列となって漏れた。


 冗談だと?

 無表情だった黒猫の少女の顔には今、いつもの人を嘲るような視線が復活し、いつもの嘲笑を口に浮かべて俺を見ている。

 いつものように俺をからかっただけなのか? 俺を消すのは冗談だと?

 完全な無表情は怒気や嘲笑を浮かべた表情よりも恐ろしい。それを知った。少女がなまじ整った顔立ちをしているせいで、完全に人の埒外にある存在になってしまったのだと思ってしまった。血の気が凍るとはこの事だ。

 ふざけた相手に対する怒りとは裏腹に、不本意にも緊張がいくらか解れていく。俺は今、心の底から安堵している。


「そういう所よ、黒騎士さん。……言葉は力を持つ。言葉の奥に宿るものを知ろうとしなさい。世界は波で出来ていて、発せられた言葉というものも波、君が思うよりもずっと根深い場所で影響力を持つのよ。使うなとは言わないけれど、殺すだのクソだのと汚い言葉を放つ行為は、ゴミを周囲にまき散らすのと同じだと自覚してちょうだい」

「…………わからん。どこからどこまでが冗談なのだ」

「さぁてね、ふふ」


 本気の叱責なのか、それとも冗談の類なのか、俺にはよくわからない。世界の真理の一端を語っているようでいて、その内容は母親が子供に言って聞かせるようなものだ。両親は早くに亡くした。以後は、何事も深く考えてこなかった人生だ。言葉の持つ力についてなど思考の端にも上がらなかった。

 少女は笑いを消し、いくらか真剣な表情で俺を見る。


「それに、消しに来たっていうのは本当よ? 君の体についている念話を発する機能を消しに来たのだけど」

「……念話を発する機能?」

「そう。それ。それをね、消しに来たのよ、うるさくて私の安眠妨害だから」

「安眠妨害……」


 そういえば先ほど、念話を受け取っていても無視していたと言いやがったな、こいつは。俺の念話が奴の眠りの邪魔をしていたのか?

 黒猫の奴の冗談と本気の境目が本気でわからない。いずれ理解できることなのか?

 ……理解しようとするな、考えるな。そうだった、今、確実に思い出した。こいつは、そういう奴だった。理不尽の王。邪悪なナニか。混沌そのもの。


「念話を発する機能とやらをどうこうすれば、俺はまだこの世界に居られるのだな?」

「まぁ、そうね、根本的な解決ではないし、応急処置的なアレのソレだけど」

「どれだ」


 応急処置らしいが、その処置を大人しく受ければ問題は無い、と? 俺はどうやら助かる、のか? 消えずに済む? まだ油断は出来ない。確実ではない。根本的な解決というのも気になる。


「貴様は念話を俺が使いこなしていると言っていたが、それも冗談か? 俺の念話など誰にも通じなかったぞ?」


 使えたら便利だろうと何人もの相手に検証してみたが、結局、黒猫以外、誰も俺の言葉を受け取らなかった。意味のない機能、力。しかも唯一受け取れる黒猫の奴は無視するという……

 どうせなら、もっとわかりやすく大軍を薙ぎ払う力が欲しかった。


「受け手にも受け取るための機能が必要なのよ、こういうのは。それに、影響くらいはあったでしょうね。脳の働きの一部が麻痺したりなんかで、個人差もあるけど人によっては寒さを覚えたり、震えを感じたりしたはずよ」

「それは」


 身に覚えがある。泣き虫あたりが世界が震えているどうのと言っていたような気もする。誰も意味のある言葉を受け取らなかったので、そちらにばかり目がいっていたが。


「黒騎士さんはそれを必要以上の出力でやるものだから、わかる者から見れば、その時の黒騎士さんは大音量で無意味な騒音をまき散らしながら進む、歩く公害みたいになってたわね。迷惑ったら」

「……こちらにも言い分がある」


 これは完全に俺の落ち度というわけでは無いはずだ。


「使ってはならぬ力ならば、使うな、と、一言あってもよかったのではないのか」

「そんなヒマも無かったでしょ、首を斬られかけたのよ、こっちは」

「ぐ、それは……そうだが、いや、時間はあった、ルーアンのあの屋敷の前で、貴様は去り際も長々と俺に向けて詐欺に対するなんとやらと話しかけていたではないか」

「……人のせいにするクセも直すといいわ。言い訳になるけど、あの時までは問題も無いと思っていたのよ? ただ黒騎士さんが私の想定をはるかに超えて能力を使いこなしてきたのには、素直に謝るべきね。ごめんなさいね、黒騎士さん、天才、かっこいー、きゃー、すてきー、すごいですぅ」

「く、馬鹿にしおって……」


 何度も手を叩いてわざとらしい笑顔を向けてくる少女の白い頬をひっぱたいてリンゴの色のようにしてやりたくなるが、恐ろしいことになるかもしれないので、しない。魔女め。


「それに、ね、念話自体は問題ではないの、その内容が問題でね、黒騎士さんがまき散らしていたのは呪い、それに近いモノ。世界を良くない方向に引っ張る力」


 言い逃れは出来ない。

 世界は……呪った。


「確かに、そうだが、世界を呪ったのは、ついでのようなもので、俺が本当に憎んでいたのは俺自身なのだが」


 本気で呪っていたのは、何も解決出来ない無力な俺自身だったのだ。


「世界を憎み呪うのと、自分を憎み呪うのは、同じ意味よ、黒騎士さん」

 

 そうなのか。

 よくわからない。

 しかし、受け入れられることもある。

 人一人につき、世界が一つ。

 俺自身を憎むのは、俺の中だけにある世界の全てを呪うことと同じ意味。そんな状態の世界が、他の全ての世界たちを巻き込み穢していくのだというのなら……いや世界たちって何だ。穢れって何だ。

 理解出来ん。わからん。頭が働かない。

 わからんが。

 俺は、俺の世界にいるのに、世界は俺の思い通りにならないと、子供のように癇癪を起して呪っていたわけだ……それは確かに、言い訳の仕様のないほど、俺が悪いな。悪いと言うより、間抜けが正しい表現になるのだろう。天に唾を吐きかければ自分に還る。俺は世界を呪っているようでいて、自分を呪っていたのだ。いや自分も呪っていたけれども。

 緊張から安堵へと揺れに揺れているせいで、頭がついていかない。眠い。


「願うならもっと良い事願いなさいって。美味しいもの食べたいぞー、とか、可愛い子と仲良くなりたーいとか、そういうね、考えただけで心がポカポカと幸せになれるものを」

「幸せ……そうだ、それも言わねばならん!」


 俺の躰について。致命的なほどの弱点、眠気について、他の事も。


「ええい言うべきことが多すぎて困る。黒猫、貴様、貴様こそ俺を呪ったな!」

「何の話?」

「俺の骸の体の話だ! 貴様の仕掛けた罠の話だ! 幸せになると消えるようにしておいて幸せになれなどと、それこそ呪いのようなものではないか! 消滅の罠! ついこの前も、先行きに見通しが立って気分良くうたたねしかけた時にあやうく消滅しかけたのだぞ!」

「え、酷い濡れ衣。そんな簡単には消えないような設定にしてるから。気分良くうたたねとか、そんな程度では消滅しないってば」

「……そうなのか?」

「はーーーーー、やれやれ、だわ。黒騎士さん、勘違いで人を責めるのも禁止ね。悪いクセは直していくように」

「てっきり悪意でもって俺への嫌がらせをしてきたのだと……」

「被害妄想やめて!!! 悪意なんて持ってないわよ! 心の底から、もういい、これで終わっていいと思った時にだけ発動するようにしてあるからね! それも徐々に消えて行くから時間の余裕もいくらかはあるはずだし! はぁ、もう、まったく嫌になるわね。私は心の底から黒騎士さんの幸福な消滅を望んでいたのに」

「結局消滅するのではないか!」


 最高の幸福からの転落を意図した罠にしか思えない。悪魔の仕掛けた意地の悪い罠。悪魔はそれを見て笑うのだろう。


「幸福だろうがなんだろうが、消えてしまえば全ては意味など無いだろうが!」

「それは感性の違いという奴ね、人の生はいつか終わるものよ? 生の全てが意味が無いと思ってるの? 山あり谷ありの人生。道程を楽しむ自由だってあるはずよ。それで最期が幸福で満足がいくものなら、それ以上の何を望むと言うの? いいじゃないの、幸福な最期」

「俺は、それでも、この世界に、もっと……」

「心の底から居たいと願うなら、居続けられる。幸福が足りないなら、満ち足りるまで、いつまでも。そういう力を、黒騎士さんは手に入れた」


 一度言葉を切った少女は俺を睨みつける。恐くはない。無表情より、ずっといい。


「黒騎士さんが望み、学び、実力で手に入れたものでもない力。私が与えた力。知っているかしら? それはこの世界にいる大抵の人が望んでも手にできない力よ。そういう力をずる(チート)って言うのよ」


 わかりやすく怒っている黒衣の少女。だが本気で怒っているのかどうかも、俺にはわからない。


「勝手に押し付けられた力だ……それに、力ならもっとわかりやすいのが良かった。敵を薙ぎ払う力とか、即座に怪我や病を治せる力とか」

「はー、欲に限りが無いのも人の性……そうね、以後の参考にさせてもらうわ」


 そう言って地面に横たわるジャンヌを見る黒衣の少女。

 視線に釣られ、俺も視線を地面に落とす。


 ジャンヌの名を持つ女は火傷の痛ましい姿と時が止まっているせいで死んでいるように見えるが、まだ生きている。まだ、というだけだ。

 人一人につき、世界が一つ。彼女の世界が終ろうとしている。

 それは時間の問題に見えるが、この不思議な世界に時間的な制約は無い。考える時間はある。助けたいが、助ける方法がわからない。どこをどう探しても、俺の世界の中に彼女を助ける術は無い。


「再び、請う。黒猫よ、彼女を助けてやってくれ」

「で、私の得は?」

「…………」


 困っているのだから無償で助けてやれよという理屈は通らない。力を持つ者が振るう力は、力を持つ者が決めていい。そして相手を納得させて動かすのには報酬がいる。まったくもって当然の話。

 用意する報酬は、相手の望む物。

 相手の望む物を与えねば、人は動かない。

 俺の中に、黒猫が望む物は存在するか?

 金、無意味。知識、及ぶべきも無い。力や土地、権力ですら、黒猫にとって価値は無い。

 貴族のジルとして生きた時間を含めても、俺の中に黒猫に与えてやれそうなものは無い。どうやら本当に俺には価値が無いらしい。憎みたいが、迂闊に憎むことも出来ない。

 しかし、そうか、俺の中に無いのなら、俺の外ならば……


「……そうだ、美少年。黒猫、貴様は美少年が大好きであったな。アリセンとユーザスをくれてやる。奴らを好きにしていい。それでなんとかならんか?」

「なるわけないでしょ!!!!」


 即座に否定される。駄目か。


「人を物のように扱わないの! 黒騎士さんの物でもないし……まったく、本気だと伝わってくるのがもう酷い」


 せめて俺が貴族のままで、奴らが領民であれば、融通も利かせられたのだが。


「こんなのは、どうかしら?」


 さらなる答えを探して喘いでいると、見かねた少女の方から声を掛けられる。


「私が彼女を癒してあげましょう、奇跡でももって、魔法でもって、ね。黒騎士さんはそれを見て満足し、この世から去る、というのは?」

「な」


 それは、俺が先ほど恐れていた事、そのもの。消滅。死。

 奇跡、魔法の対価として、助かる彼女の命の引き換えにされるものは、俺の命。


「俺に消えろということか? 黒猫よ。そうまでして俺に消えて欲しいと……それは……死ねと言うことと何が違う?」

「え、違うわよ。けど、この世界にとっては同じ意味かもね。始まって、終わる。けれど黒騎士さんにとっては形を変えるだけ。場所を変えるだけ。黒騎士さんが丸ごと世界から消える、それが私にも一番楽で手間の無い、根本的解決ってやつなのよ。黒騎士さんさえ納得するのなら。それだけでこの急速に成長を始めた世界にこれ以上の穢れを……」

「嫌だ」

「黒騎士さん」


 惨めだと言われても。


「嫌に決まっている! 望みを叶えてやろう、ただし対価として魂を頂く、などと! そんなことを言う者は悪魔だ! 悪魔そのものだ! ああ、そうだったな! 黒猫、貴様は悪魔であった! 一目見た時から知っていた!」


 意地汚いと言われても。

 この世に自分の命に勝るほどの価値のあるものは、無い。

 誰でも、そう。


「黒猫! 今こそ言ってやる! 貴様、俺を殺したな? そしてその忌まわしい記憶を邪悪な秘法で封印したのだ! 何のためにかは知らん! だが俺は思い出しているのだぞ、あの時のすべてを! 悍ましい死霊を連れて俺の前に突然現れ、俺を殺した悪魔! 恐ろしい魔女! それがお前の正体だ!」

「黒騎士さん」


 助けて欲しいと請うた、その口の根も乾かぬうちに、その相手を貶めている。相手を怒らせてしまったせいで彼女を見捨てる決断をすることになっても、それは……


「どうしてだ!? 俺は道を進んでいただけだぞ!? 貴様からやって来た! 悪魔召喚の儀式もしていない! 貴様に迷惑などかけていない! 何故俺を殺した!? それで貴様の得になることがあったのか!? 答えろ黒猫の魔女!」


 殺意を持って俺を手に掛けたのは黒猫の連れてきた悍ましい姿の死霊の方だ。黒猫の方に俺に対する殺意は無く、終始、冷静な会話を望んでいた。致命傷となった怪我とて、こちらから奴を手に掛けようとして剣で攻撃し、思わぬ反撃を受けた、いわば事故のようなもの。それも、思い出している。

 だが、すがる。

 今この場にいるのは死霊の方ではなく黒猫だ。

 黒猫の良心に、魔女にあるかどうかもわからない良心に、すがる。


「俺に骨の躰をよこして復活させたのは謝罪のつもりか? それだけで済まされると思ったか!? しかも、何だ! この不具合に満ちた躰は! すぐに眠くなって、まるで使い物にならないではないか! 驚くし! 人を驚かせるし!」


 一度勢いよく漏れ出した言葉は、容易には止まらない。自分でも何を言っているのかわからなくなってくる。

 本心では骨の躰を気に入っているのだ。文句も不満もあるが。


「何故俺だ!? 何故俺だけなのだ! 何故俺だけが死から復活させられねばならん!? 何故俺だけが再びの生を与えられた!? 俺がここに居る意味を答えろ、黒猫!!!」


 躰の他にも、剣も、鎧も、ローブも。俺は黒猫に貰っている。貰いすぎなくらいに。

 使命だけは、貰っていないが。


「答えられないなら答えないでもいいぞ! だが俺の言う事を聞け! 俺の望みを聞け! 貴様には俺に負債があるはずだ! 俺を殺したという、巨大な負債が! 何が対価だ、得だ! つべこべ言わずに、無償で彼女を助けやがれ!」


 少しでも悪いと、思ってくれるのならば。


 疑い、拒絶し、否定した相手の善意にすがる。

 ……泣きたくなる。今の俺は、惨めだ。


「黒騎士さん」


 思い浮かばない。何も。これでも黒猫が心を動かされないと言うのなら、彼女を助けるのに俺の命が必要だというのなら、世界にとって失われた方がいいのは、どちらだ?

 個々の持つ世界ではなく、皆で共有する、俺たち全員がいる大きな世界。それにとって、邪魔な方……


 ……それは、そこに居るだけで世界の秩序を破壊して混沌を生み出す俺の方ではないのか。


 消えて居なくなるべきなのは、俺。

 死ぬのは、怖い。


 激高する俺と正反対に、黒衣の少女は冷静だ。

 冷静なまま、言葉を発する。


「今の黒騎士さんって馬鹿になってる?」

「は?」

「は、ではないわよ。ちょっと前と比較しても、信じられないくらい馬鹿になってる」

「ば……誤魔化そうとするな!」

「いや誤魔化しとかじゃなく」


 首をかしげて目を見開く少女の顔に嘲りの雰囲気は無い。むしろ驚愕に近い。


「そう、全部思い出しちゃったのねえ、思い出さなくてもいいのに、それはそれとして……黒騎士さん、最後にご飯食べたの、いつ?」

「ご飯、だと……?」


 食事の話が、どうして出てくる? 今、関係あるのか? そういえば最後に食事をしたのは、いつだ? 思い出せない。


「……いや、騙されない。貴様は今、関係の無い話を振って誤魔化そうとしている。俺の記憶が戻って何か不都合なことがあるのだな?」

「疑心暗鬼が酷いわねえ……うーん、酷いね、確かに、無茶しちゃって」


 目を細めて、俺の全身を上から下まで、なめまわすように見る黒衣の少女。何を見ている? 貴様の目には何が見てえている?

 しばしの無言、そして黒衣の少女は口を開いて告げる。


「今の黒騎士さんの体調は、栄養不足!」

「えいよう、ぶそく」

「そうよ。栄養不足と水分不足、それに重ねて睡眠不足も。それによる集中力、思考力の低下ね。眩暈や立ち眩みとかなかった? 吐き気が酷かったり、少し動くだけで酷く疲れを感じたり、すぐ横になりたくなったりは?」


 心当たりがありすぎる。それはここ最近の俺の体調そのものだ。

 いや。しかし。


「待て、俺は何も食べなくても生きていけるのではなかったか?」

「それも、そう。何も食べなくても活動停止は無いわね。だけど君の体を作った時にね、人の生態をなるべく正確に再現するようにしていたから、食事による栄養摂取と体調管理はそこいらにいる人とほとんど変わらない、はず、まぁちょっと、不具合があったりもしたけれど」

「急にとてつもなく眠くなるのも、眠ってしまえば兜を剥がされ磔にされても起きなくなるほど深い眠りなのも不具合か?」

「それは別件も絡むけど、まぁそう、ということで、疲弊、もしくは過労。栄養のある物をたくさん食べて、あとはゆっくり休んで。どうする? ご飯、今から用意できるけど」

「余計な心配をするな! 食事なら自分で用意できる」

「腹が膨れればなんでもいいってわけじゃ無いのよ? 健康の為に必要な栄養と、それを摂るための食材や調理法、わかる?」

「ふん、何だそれは、適当に焼いた肉でも食えばいいだろう」

「甘い、甘々よ黒騎士さん。それだけでは必要な栄養素が足らなさすぎる。野菜や果物、魚や豆類なんかも摂るべきね。重要なのはバランスと組み合わせ。同時に摂ると味的にも栄養的にも良くない組み合わせとか結構あるわよ、具体的には魚介類と赤ワインとかは」

「ふむふ……いや、いやいや、誤魔化されないぞおお!!!!」

「うわ、びっくりした。大声は止めて欲しいわ。怒鳴って何か解決するの? 騒々しいのは嫌いなのよ。お祭りの喧騒とかなら、大丈夫なんだけどね。あ、お祭りと言えば」

「祭りの話もいいッ! するなッ!」


 知識は重要だが、栄養のある食事の知識は今はいらない。祭りの話はもっといらない。

 そもそも何だ、周りを見ろ、こちらを見ながら止まった奴らの真ん中でのんびりと食事など出来るか! 不気味が過ぎる。


「危ない。またしても流されるところだった! 食い合わせの話とかどうでもいいわッ! 誤魔化しは効かない、そう言ったはずだ! 何を隠している? 何が都合が悪い? 俺が馬鹿になっていると断定した理由は何だ!?」

「えー、そういう突っ込んだ話、明日じゃ駄目かしら? 今はゆっくり休むこと、さ、食事の準備が出来るまで横になって休んでて」

「出来るか! 状況を考えろ!!!」


 怒鳴るなと言われても怒鳴ってしまうのは、俺が悪いわけじゃないよな?


「今の黒騎士さんは話が通じ無さそうで嫌なんだけど、そうね、私も意地悪が過ぎたかもしれない。ごめんね、ふふ、悪いと思ったら素直に謝るべきよね」

「謝罪はいらん。それもどうでもいい。意地悪とは何だ」

「あら、ふふふ、黒騎士さん、それは認識不足というものよ。謝罪だって重要なコミュニケーションツールよ? それによって円滑に事が進む場合もあるし、ない場合もある。その方法も機会も考え出すときりがない。決してないがしろにしていいものではないわ」


 攻撃していいか? いいよな? いや、駄目だ。勝てない。勝てる道筋が見えない。

 俺の苛立ち様に限界を察したのか、一つ溜息を吐いて真剣な表情に戻る黒猫。


「そうねぇ、黒騎士さん、未だに私の事を悪魔だというのなら尚更、黒騎士さんは正しい魔法の呪文を唱えるべきだわ」

「は? 呪文?」

「癒しの奇跡を得る為の、呪文。さあどうぞ、正しく詠唱して御覧なさいな」

「待て、いきなり言われても……」


 魔法、呪文、詠唱。

 黒猫が力を振るうのに、そんなものが必要ないのは知っている。いや、遊びか? これはいつぞやの遊びの延長か? 奴の遊びに付き合えと? ならば俺は、適当に、勝手に、それらしい文言を重ねて呪文を作ればいいのか?


「癒しの呪文……神の奇跡、光、いや、ここは闇の安らぎ……」

「……自分で考えて自分で答えを出して欲しかったけど無理そうなので。大サービスでヒントを出してあげる、いい? 私はね、黒騎士さんのある言葉が口から出るのをずっと待っているのよ? それさえ聞ければ今すぐに彼女を癒してあげましょう」


 ある言葉? 待っている? その言葉とは?

 首を傾げる俺に、黒猫は言葉を重ねる。


「私たちが出会った頃に、何の話をしたかしら?」


 出会った頃? 俺たちは何の話をしていた?

 最初の森の中? いや、その前? 後?

 正解を出せない俺に、さらなる助け船を出してくる。


「……魔法は無いけれど……呪いも、そして呪文もあるとかの話、した、わよね?」


 覚えている。印象深い話だった。

 その会話の中に、何かの答えが?


「…………えーと、呪文はね、言葉なのよ、自分がいて、受け取る相手がいて、伝える意思と意味で構成された、ね? 自と他を繋ぐもの。誰かに助力を願うのならば、その相手が誰なのかを、ちゃんと見て? その相手をよく見れば、神の奇跡を願う前に先ずは言うべきことがあるでしょう? それにふさわしい言葉も君の中にあるでしょう? ほら、正解の呪文を、探して。神の奇跡、癒しの奇跡を得るための正解の呪文」


 俺の前には助力を乞う相手、黒猫の少女がいる。黒衣、黒髪、黒瞳、美しい白い肌をした、力ある魔女。

 癒しの奇跡を得るための、呪文。正解の呪文。


 あれは黒猫の用意した朝食を食った後だったろうか。

 魔法は無いと言われて混乱し、ならば魔法の呪文は無いのか、と聞いた質問の黒猫の答え。世界には呪いもあり、呪文もあるとのことだった。その中に癒しの呪文が? どこで出ていた? 覚えていない。

 確りと覚えていることもある。

 黒猫の放った言葉によって俺はまんまと珍妙な行動をさせられたのだ。おのれ。

 剣を天に突き上げて猫のように鳴かされたのが、遥か昔のようだ。


「呪い、呪文……癒しの、呪文」

「………………最終ヒントぉ……黒騎士さんに斬りかかられた後、私は黒騎士さんの口からある言葉が出てくるのを聞いたことがないわ」

「もしや黒猫……謝罪を、求めているのか?」

「さーねー」


 あらぬ方向を向き、腕を組んでいる黒髪黒瞳の少女は、どう見ても無力な少女が拗ねているようにしか見えない。だが超越者だ。とてつもない力を秘めた超越者。

 黒猫、お前ほどの超越者が、たかが俺ごときの謝罪を待っていたと? それで、意地悪を?

 身体から力が抜けていくのを感じる。

 超越者よ。

 もっと、こう、超然としていろよ。持っている力に相応しい態度とか、あるだろう。何だ、それは。超越者がどこにでもいるような娘のごとき反応をするなよ……いや、これは、俺が勝手に思っていることだ。俺の中での超越者像を勝手に押し付けているだけだ。


 だが、わかった。流石に。


 黒猫にとっての正解。癒しの為の正解の呪文とは。


 ここまでされて漸く答えが出てくるなど、俺の頭はどうしてしまった? 栄養不足と睡眠不足はここまで人の頭を悪くするのか。これは本当に黒猫の言葉に従い、一度しっかりと休んだ方がいいのかもしれない。ここでは嫌だが。


「悪かった、黒猫」


 謝罪を待っていたとか、思いもつかなかった。素直に謝れと言ってくればいいものを、呪文だの魔法の詠唱だの言い出すからわけがわからなくなるのだ。

 黒猫が待っていたのは、心の底からの、謝罪の言葉。俺の過ちを認める呪文。

 不甲斐ない。

 これは催促されるまでもなく、俺の口から放たれねばならなかった言葉だ。


「心の底からの謝罪をしよう。俺が悪かった、黒猫のルルよ」

「ふーん、何が悪いと思ったの?」

「自分の頭だけに響く声……念話の存在を知った俺は、神の声を聞いたと言っていたジャンヌはお前によって操られていたのではないかと疑ってしまった。その疑問をぶつけてしまった。そして、ジャンヌが実際に神の声を聞いたかどうかもわからないと言われ、嘘つき呼ばわりされそうになった時、ただただジャンヌを侮辱されたと感じて、思考を放棄した。全ては俺の考え足らずの判断だった……」

「その二つは、問題にならない事よ、君の立場では持って当然の疑問と、譲らなくていい誇り。君は悪くない。君が悪いのは」

「斬りかかったこと」

「そう。殺そうとしたこと」


 超えてしまった最後の一線。関係を断ち切る、最悪な選択。


「それで終わるものもあるし、そこから始まるものもある。絶対に誰も殺すなとは言わないけれど、誰かを殺すのならば、覚悟がいる。殺意には呪いがこもる。言葉が響き合うのと同じく、呪いも響き合う。憎しみは連鎖するものよ、世代を超えて、場所を越えて、当事者ですら、なくとも。勘違いでも、思い込みでも、誰かを憎めば世界を巡って自分に返ってくる。それはとても怖いこと。恐れるべきこと。覚えておいて」

「ごめんなさい」

「そう、それが」


 黒衣の少女は俺に顔を向ける。


「正しい、呪文よ」


 そして花が咲くような笑みを浮かべて、手を叩く。


 世界に、色が戻った。

 世界が、再び、動き出す。




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