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おのれ、おのれ……
「何かさ、寒くない?」
不甲斐ない、不甲斐ない……
「曇ってんからなー、最近、天気悪いよな、雨でも降るのかね?」
憎い、憎い……
「世界が滅びるのなら、こんな感じの天気が似合ってるわな、終末って感じよ」
「ひひ、わかる」
力の無い己が憎い。力が欲しい。
怒っている。限界が近いのを感じる。だが、どうだ、俺は今、冷静でもある。
俺の中に、煮えたぎる湯の中にいるような俺と、それを冷静に見下ろす俺を感じる。
怒りは限界を超えると、こんな感じになってしまうのか?
俺は今、どういう心の状況なのだ。
「なぁ、これ、例の翼によぉ、どうすりゃ変わるんだ? 呪文はこうだったよな……ウイングモード! ウイングモード!!」
片足をあげたり、広げたり、両手を上下に振ったりして、俺から奪ったローブを翼に変化させようとしている新しい悪魔教の頭領。名前は知らない。聞く気も無い。
大きな図体をした壮年の男が真面目な顔をして行う、子供じみた行動。
その愚かしくも滑稽な姿を直視して、胸の中で煮えたぎっていたはずの怒りの感情が、どこかに散っていってしまいそうになる。
俺の目に映る男は、力を手に入れた、もしくは、手に入れることが出来るかもしれないと思って、大いにはしゃいでいる。
見ていられない。
何だ、この感情。もしかして、いつかの俺も、あんなだったのか? 黒猫と出会い、骨の躰の能力を知って、受け入れてしまってからの、しばらくの間のこと。
空を飛びながら高笑いとかも、していた気がする。消したい。消してしまいたい記憶だ。消すのならこういう記憶を消せ。黒猫。
「ウィングモーーーード!!!」
まだ続けている。
阿保か。言葉による呪文じゃないのだ。そのローブを様々な形に変化させる鍵は心の意思、念話だ。
確かに俺は崖から飛び降りる時にそうやって叫んだが、ちゃんと念話も同時に発していた。そもそも念話が使えない奴にそのローブを変化させることは不可能だ、そんなことも知らずに馬鹿が。
……もしかしてだが、俺が着ていない状況でも俺の念話であのローブを変化させることが出来るのだろうか?
疑問に思ったので即検証。
(ローブよ、黒のローブよ、パレードモードとなってあの軽薄な音と光を発せよ……それから馬鹿男、死ね)
遠くから念話でパレードモードを起動しようとするも不発。やはり、俺が着ていなければローブの変化機能は発動しないらしい。あいつにもパレードモードの恥をかかせてやろうと思ったが、残念。
念話も男に通じない。
結局俺の念話は黒猫との間でしか使えない能力だったということか……これでは何の役にも立たない、よこすのならもっとマシな力をよこせ、黒猫、聞いているか、おい。
思いつきの検証の失敗を受けて、怒りの方も消えかける。
どうも最近怒りが長続きしない。これは冷静沈着で知性派な男を目指す俺にとって、いい傾向なのかどうか。
「……変わらねぇな、発音が違うのか? あいつの真似をすればいいのか? たしかこんな感じの発音だった、ウィーングモードッ、ウィングモッドッ、ッウィィィングモォォドゥゥ!!!」
消えかけた怒りが再燃する。
馬鹿にしやがって。そんな阿保の子がするような発音で叫んではいない。
俺の顔は今どうなってる? 白いはずの髑髏が赤くなってはいまいな、怒りと羞恥で。
「あいつ、怖くないのか? 天使様の聖なる衣類を、あんな雑に……神罰を恐れない奴……悪魔の使徒め」
柱に括られたままのジョフロワがつぶやく。聖なると冠されるような物ではないが。端が擦り切れたかのようになったボロだし。むしろ死神の、だの、呪われた、だのといった言葉の方がしっくりくる。
「ねぇ天使様、天使の羽って脱着可能だったんですね、知らなかったなー。羽は天に帰る時に必要なんですか? やっぱり普段は邪魔だから脱いでる感じで? 天使って普段どういう生活をしているんです?」
同じく柱に括られたプレラーティがしつこく俺に質問を投げかけてくる。
知らん。俺に聞くな。本物の天使に会った時にそいつに聞け。
駄目だ、怒りが持続しない。眠さまでぶり返してきた。本気で調子が悪い。これでは怒りに集中出来ない。
だが怒れ、ここは怒る場面だろう? 怒っていい。怒りを力に変えろ。力、力が欲しい。
何かないか? この状況を打破する何か……
「天国ってどういう所ですか? 地獄でもいいですけど、ええと天使様は普段どちらで生活を?」
「……しつこいぞ、本気で黙れプレラーティ」
「そんなに睨まないでくださいよ、おお怖い怖い。あれ? 目玉が無いのに睨まれたってわかるの、何でかなあ?」
「…………」
誰ぞに俺は顔に出やすいなどと言われたのを思い出した。
あの時は俺の意識が念話によって漏れ出ているのではないかと疑ったが、こうまで念話が通じる相手がいないのを見るに考えすぎというものだったのか。ならばそれは単に雰囲気から察するという奴だろう。他人の勝手な感覚だ、知らん。どうでもいい。今はどうでもいい。
首を捻って下を見る。丈夫な鎖によって何重にも執拗に縛られている。
大木の幹と俺の躰を繋ぐ鎖は鎧の中身の骨に食い込まんばかりにきつく巻かれており、相当な力を持つ骨の躰であっても動くことが出来ない。変に縛りやがって。
どうにも体勢が悪い。少しでも腕が動かせるのなら、どこか一か所に力を込めて鎖を引きちぎるなりして脱出することが出来そうだが……
「聞きなさい! 浅はかにも力を求める愚か者!」
「なんだジャンヌ?」
「天し……黒騎士様の事では無くて……」
力を求める者という言葉に、つい返事をしてしまった。そうだな、俺の事ではないよな。俺は力を求めているが、愚かではないからな。
「俺らかよ、嬢ちゃん」
「悪魔の力を求めて何をするの? どうせ争い事に使うだけじゃないの」
「いいんじゃね? それで。神様じゃ力をくれないなら、悪魔にすがるしかねぇじゃねえか」
「くだらない、本当にくだらない。争ってばかりじゃ天国の門は開かない。こんな酷い状況なのに、人同士仲良く出来ないの? あんたたちがそんなだから、私は大切な髪まで切って聖女を演じることにしたのに……もう……嫌になる、争い事なんて、世界から全部無くなればいいのに……神様……」
「神様ねぇ、ひひ」
黒い鞘に収まった剣を上下に揺らしながら、男は近づいてくる。俺の剣、絶対に奪い返す。
「その神様ってのがよ、争いを望んでんじゃねーかって、俺は思うわけよ。だってそうだろ? 神様は何でも知ってるし、何でも出来る、けど世の中には争いがある、ってことはよ、神様が争いのある世界を望んでるってこったろ?」
「ち、違う、神様は争いを望んではおられない」
「じゃあ何で争うの?」
「それは、悪が……悪魔が悪の種を人に植え付けて争いを……」
「ひひ、ひひひひ、その悪魔を創ったのも神様なんでしょ? それとも万物の創造主は悪魔だけは創って無いって、そう言うわけかよ?」
「そ、そうよ」
「都合がいいよねえ、ひひひ、それで誰かを騙せるんかよ、大嘘つきのお嬢さん」
「私はっ! わ、私は、嘘つき、だけど、神様は、神様は……」
この会話は。
「だから俺らはまっとうでっす。俺らは皆、神の子でーす。犯すのも奪うのも殺すのも、神の認めたせいとーなる権利ってやつよ」
「違う、そんなのは違う……」
ジャンヌ似の女と、男。
このやりとりは。
「つってもよ、最近思うんだよ。やりたいようにやってよー、殺したい奴を殺してさー、そういうことしてっとよ、わかる事があんだよ、嘘つきの嬢ちゃんよ……どーやらこの世界には神様なんて、どこにも居ないんじゃないかってよ。だって天から罰、降ってこねーもん」
「神を……神の存在まで否定するというの? なんていう邪悪、天罰ならあなたに下る、絶対に……」
「だから、いつだよ、それ。悪い事やって罰が下るってんなら、悪い事した時に下せよって話じゃね」
「すぐよ、すぐに下るわ……もう手遅れ、悪、悪人、悪魔に魂を売り渡した大罪人、あなたは神様にも救えない」
「ししし、いーよ、神様に救ってもらえないなら、悪魔の方に頼むから」
あいつは、俺だ。
立つ場所を一歩間違えた場所にいる、俺だ。
黒いローブを着て、黒い剣を持って、人を見下して笑っているあいつは、もしかして、そうであったかも知れない俺。
神に疑問を持ち、神を否定し、神を拒絶しながら、それでも神に縛られている、愚かなままの俺。
黒猫と出会わなかった世界にいる、俺。
「悪魔に魂ねぇ、ひひ、悪魔なら、ちょうどそこの木に括られているぜ」
「黒騎士様……」
剣を持つ方の手で俺を指差して笑う男の姿は、とてつもなく不愉快そのもの、だが、俺の心は不思議と落ち着いている。
「ししし、噂も頼りにならねぇな。地獄から来た悪魔がどれだけのもんかと思ってみれば、実物はこんなにも無力な存在だったなんてよ。惨めだぜ、俺もお前もよ、おら、何とか言えよ」
言葉では強がっていても、ある程度以上、近づいてこない。
他人を見下し、高圧的であっても、自分の安全を一番に考えている。そういう所まで似ている。心底嫌になる。
「期待してたんだぜ。何もかもを吹っ飛ばすようなどえらいモンがやってきたってよ。救いの神様は居ねぇけど、終わらせてくれる悪魔は居たってよ。けどどうだ? 俺らに追われて逃げるしか出来ねー、てかそれも出来てねー、空飛んでもすぐ落っこちるし、ここでこうして縛られて何も出来ねぇ、惨め過ぎじゃねえ? 何なの、お前?」
俺が何なのか、それを俺が一番知りたい。
「おい、松明持ってこい。燃やすぞ、一人ずつ」
「な!?」
「いけません! 駄目ですよ! 燃やしてはいけません、神、いや悪魔の王が目覚めて、ここにいる誰もが死よりも恐ろしい目に会いますからね、私は悪魔の王と話した事があるので知っているのです。誰か、彼の暴挙を止めさせて」
「黙れや、ちんけな詐欺師ぃ。いつもくだらねぇ事言って俺らを混乱させやがって、燃えて死ね」
「何故俺たちまで! ジャンヌは関係無いだろ!」
「へ、処刑人、何故かって聞くなら教えてやる。ついでだよ、ついで。ただのついでで殺されろや、俺らはそれ見て笑うから」
「ついでだと……」
呪いの装備云々を言うのなら燃やすのは俺だけで良かったはずだしな、何故ジョフロワやジャンヌまで括られているのかと思ったが、そうか、ついでか、疑問が一つ解けた。
「火を……着けるのなら、私を最初にして……」
「ジャンヌ……」
「もう嫌、こんな世界に居たくない……辛い……ジョフロワが殺されるのも見たくない……ああ……もう……」
目に涙を浮かべて、泣き言を言うジャンヌ。ジャンヌという名の、偽物のジャンヌ。
ジャンヌと同じ服、同じ髪型。
夜に一目見た時には、そっくりだと思ったが、昼の明るさの下で見る偽ジャンヌは、顔立ちが違う。髪の色も違う。彼女の、俺の中にいる彼女の金髪は、もっと地味に、くすんでいる。そんなにも鮮やかな色ではないのだ。だから。
「……似てないな。ああ、そうか、すっきりとした。お前はジャンヌではない」
「え? 黒騎士様?」
覚悟は決まった。
「聖女ではない、ただのジャンヌよ。お前に再び問う。お前はここで死にたいのか? 神などどうでもいい。それだけ答えろ」
答えも、何でもいい。
ただの切っ掛け、最期の一押し。
「神は、私を……」
「神は関係無いと言った、ここで死ぬのがお前の望みか?」
「わ、私は、死ぬほどの罪を……」
「犯していない。俺が断言してやろう。聖女の名を騙るのは死に等しい罪ではない。お前の罪すらも、どうでもいい。生きたいのか、死にたいのか」
「わた、わたし……」
「泣くな。顔を上げろ、目を見開け、そこに敵はいるか? いるなら睨みつけよ。選んで叫べ。本心から望んでいるのは死か、生か」
彼女はそうしていた。自身が傷を負う事すらいとわず、常に最前線にて敵を睨みつけていた。ならば。
「死、死ぬのは、死ぬのは、怖いよう……」
「顔を上げろ、選んだのなら、叫べ」
「死”にた”く、ない……っ!」
「ならば、生きろ」
興味深げに俺とジャンヌの会話を聞いていた男たちが、松明を持って、ゆっくりと近づく。
黒いローブを纏った男は、動かない。俺の敵は、そこ。嫌なうすら嗤いを顔に張りつけている男。
眼の中に映る敵を睨みつけて、叫ぶ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「何だ!?」
やる事は単純。結果は一か八か。
この、骨の、躰を、砕く。
「ぐががががっ!」
全身全霊、持てる力のすべてを出して、全身を揺らす。骨の部分を鉄の鎖に擦り付けて、削ぎ落す。
かつて、黒猫は言った。
俺の躰は粉々に砕かれても復活するのだ、と。
どうなるのかわからない。どうやって復活するのかも、どれほどの時間で復活するのかも、そもそも本当に復活するのかも、何もかもわからない。
気まぐれの冗談で言った可能性すらある。
だが賭ける。
かなり分の悪い賭け。
失敗したら目も当てられない。自殺と変わらない。無意味な死に繋がるかもしれない行為。
死ぬのは怖いな。
ジャンヌよ、ああ、死は怖い。だが踏み込む。俺は一度、死んだことがあるから、踏み込める。死んでたまるか。
「ええい、頑丈に造りおって、く、そ、がああっ!!!!」
「なァ!?」
骨と鉄がこすれ合う音が、実に耳に心地悪い。
痛い。なんだか、とてつもなく痛いぞ。
骨の躰になり、痛みや刺激に関して鈍感になっていたが、これは、痛い。文字通りの、身が引き裂かれる痛み。ちゃんと痛覚は存在したのだ。この痛み、パリで空から落ちた時の比ではない。だが、その甲斐あって。
「は、は、は、右、腕! が! 落ちた! 落ちただと!? 落ちるでないわ、おいぃ!?」
中身の骨ごと、一度は地面に落ちた黒い小手が、不自然に宙に浮き、あるべき所に収まる。すなわち、俺の右腕があるべき、その場所に。
「意思! 意思だ! この世界は、意思で出来ている!」
自分で言っておいて意味が分からない、が、そうであれと強く願えば、そうなる、気がしてきた。俺は粉々になっても、すぐに復活する存在。あると感じた場所に、俺は在る。
続く左の腕も、足も、首も、胴も、自由になった片腕で引きちぎる。自分で自分の身を引きちぎる感覚で、眠気など吹き飛んだ。代わりに沸き起こる感情。それは高揚に近い。面白い。ああ。面白いぞ。
引きちぎられた部分部分は、一度は地面に落ちようとするが、意思の力で引き止める。
「骸よ。あるべき場所へ戻れ」
躰のいくつかが抜け出したために、大きく緩んだ鎖から、鎧も含めた全てが解き放たれる。幹に沿って地に落ちる鎖。
俺は要所要所が砕かれ、千切れた躰だが、一応、人の姿を保っている。どうだ、賭けに勝った。自由に、なったぞ。おっと、気を抜くと首がずれる。
「あ、あ、あ」
「ひぃ」
「あわ、わ」
そんな姿を見ていた者たちから、悲鳴にならない悲鳴が上がる。
解き放たれた俺を見て、慌てて逃げ出す男たち。俺のローブを奪った男も逃げ出す。だが逃がさん。一番の標的はお前だ。次は兜を奪った奴だからな。
だが。
「あ」
「あ」
男を捕えんとばかりに踏み込んだ足が、横にずれる。
つられて胴体も崩れ落ち、躰がいくつもに別れて地面に散らばる。
「ひいいい、く、くるな」
散らばる俺から藻掻くようにして遠ざかる男、だが。間に合った。
遠くに飛んだ俺の右腕が、指が、奴の着ているローブの裾を、掴んだ。
「マフラーモード」
極めて冷静に、静かな発音で念話を送る。奴の着ていた黒いローブは姿を変える。すぐさま決して逃さない意思を込めて右手を引く。男が倒れ込む。
「ぐええ」
マフラー、首巻の名の通り、首に巻き付いた長い帯状の布の形態。
右手に掴んだマフラーの端を、さらにしっかりと握りしめて、ゆっくりと相手の体を手繰り寄せる。暴れながらも、徐々に近づいてくる男。
「ぐ、ぐ、ぐぐう」
同時に散らばった躰を、意思の力で再び元のあるべき場所に戻し、立ち上がる。
マフラーモード、聞いた時は使いどころなど、どこにも無いと思ったが。
「人を吊るのにちょうどいい、クク、クククク」
黒のローブ、そして剣。奪い返してやった。




