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ローブの透明モードを解消して姿を露わにし、声に導かれるまま、騒動の中心を目指して走りだす。
「な、なんだっぁ!?」
「黒い何かがっ!?」
「あひっ!?」
「だばっ!」
同じ方向に走っていた男たちの横を、一塊の黒い暴風となって通り過ぎる。
その際、何人かを弾き飛ばし、悲鳴を上げさせるが、別に気にする必要も無いだろう。
……む、いかんな。
動きが雑になっている。眠いからだ。
だからと言って動きを変える気も起きず、その後も何人かを吹き飛ばしながら進む。むしろ男どもの悲鳴が心地よい。
元々少なかった森の木々はさらに疎らになり、見通しが良くなってくる。
やがてすぐに騒動の中心に辿り着く。
そこで俺が見たものは……
「近寄るなっ!」
一段と開けた場所。
小高い丘。
その先端。
一人の少女が倒れた男を庇うようにしている。
ドクン、と。
無いはずの心臓が跳ねた。
短く切り揃えられた髪。
周りを囲む男たちが持つ松明の明かりを受けて、淡く金色に輝いている。
少女が着ている男物の服は、見覚えがあるものだ。
オルレアンの町。
我が戦友、ジャンヌ、彼女がオルレアン解放の際に着ていた服。オルレアン公から贈られた物だったか、それによく似ている。
「ひひひひ」
「それ以上近寄ると自害するっ! 来るなっ!」
少女の声は……喋り方は……わからない。
もっと近くで見なければ……
「ひひひ、どうやって死ぬんでちゅかー? その崖は死ぬにはちょっと高さが足りないよぉ。せいぜい骨が折れるくらいだって。それに死ぬなんて悲しいこと言わないでよぅ、生きていないと楽しいことも出来なくなるじゃないの、ひひ、ぐへ」
「なんだぁ、後ろが騒がしげふ」
少女に近づいていた男二人に後ろから近づき、服の首元を掴んで、持ち上げる。
息が詰まり、首に手をやる男たち。足掻き苦しむ男たちを後ろに放り投げることで解放してやる。盛大な音を立てて地面に叩きつけられたようだ。だが、どうでもいい。今は……
ジャンヌ、お前か?
お前なのか? お前までこの世に舞い戻って来たのか?
死後の世界から?
生前の姿のままで?
少女の前に出て行き、顔をよく覗き込む。
突然の事に驚き固まる少女。俺を見上げる少女の瞳は濡れている。
別人だ……
いきなり現れた俺を見上げる短髪の少女の表情は驚き、震え、不安げに揺れている。俺の知っているジャンヌは、そんな表情はしない。彼女は自分の置かれた状況が危機であればあるほど、瞳に強い光を宿し、敵や相手を睨みつけるのだ。そういう奴だった。
さらによくよく見てみると、顔の形も少し違う。
目鼻立ち、輪郭。
似ては、いる。
だが違う。別人だ。
男物の服を着て髪の毛を短く切り揃えた少女は、美しい少年のようにも見える。
髪型もまた完全にジャンヌと同一ではないが、それはジャンヌに似せる様にと意図して作られた造形であることを主張している。偽物だ。偽物の、ジャンヌ。
今にも泣き出しそうな少女の顔を見ながら声を掛ける。
「ジャンヌ……再誕の聖女とは、貴様の事だな?」
「あ、あ、そうだ、である。名前、ジャンヌ、ジャンヌだ。あ、貴方様は……あ、き、貴様は……悪魔、悪魔教……敵?」
混乱冷めやらぬジャンヌの名を騙る少女の質問に答えてやる。
兜を被っているので中身は骨であることには気づかれていない。会話の為にも兜は脱がない方が賢明。知性派の骨は平凡な人の振りもできるのだ。
「俺か? 俺はこいつらの仲間ではない。だからお前の敵ではない。ふむ、まあ、ただの通りすがり、一介の、普通の、平均的で、ごくありふれた騎し……」
「で、出た……」
「黒騎士、悪魔の将軍……」
「髑髏悪魔大将軍だっ!」
「髑髏悪魔大将軍が現れたぞぉっ!!!」
「……違うぞ。ただの騎士だぞ」
俺が応える前に、俺を囲む男たちの方から声が上がる。髑髏悪魔大将軍はもういい。兜も被っているだろうが。
「何が起きて……」
ジャンヌによく似た男装の少女は、震えながら、その傍で横たわる見知らぬ男に身を近づける。
その姿を見て、普段、俺の胸の奥に静かにとぐろを巻き、うずくまっているような、そんな得体の知れない感情が鎌首をもたげてくる……何だ、この感情は。
後悔と嫉妬が混じり合ったような感情。この状況でか? まさか。
前からだ。
前から時々現れて、俺の心と体を支配しようとする、俺の中にある、この気持ちの悪い感情は、何だ。
復讐しろ、許すな、戦え……
今も、ジャンヌに似ているとはいえ、見知らぬ女が見知らぬ男を守ろうとしているだけではないか。俺には関係ない。どこに嫉妬の感情が入り込む必要がある?
……あるいは本物のジャンヌと守る事の出来なかった俺、そうした関係を思い起こしたものであれば、沸き起こる後悔に理由もつく……のか。それにしても、嫉妬は無いだろうが。いちいち出てくるんじゃない。理性と知性に溢れた思考の邪魔だ。
「う、う……」
「ジョフロワ!」
石でもぶつけられたのだろうか、頭から血を流している男が意識を取り戻そうとしている。
「そこの人……人? いや、いい、誰でもいい。何でもいい。悪魔でも、いいのである。汝、黒い騎士よ、我輩らを助けるのだっ!」
「……何だ、その喋り方は?」
「しゃ、喋り方? あ、あた、わ、我輩は、こういう喋り方であるっ。御託は良いのである。早急に我輩らを安全な場所まで送るのであるぞ」
「ジャンヌはそんな喋り方はしない……」
ジャンヌに似た少女の、あまりな言葉遣いに、頭が痛くなる。
姿が似ている分、落差が酷い。
ジャンヌは男物の服を着ていたとは言え、別に男のような喋り方はしていなかった。普通だ。普通に喋っていた。戦場に立つにあたって、敵にも味方にも舐められぬよう、文句を言ってくる頭の固い奴らを黙らせる意味もあって男物の服と鎧が必要だっただけだ。ジャンヌは別に男になりたかったわけでもないのだからな。気の強い女ではあったが男言葉になるように気を配ってなどいなかった。
そもそもこの少女の喋り方は、男言葉というか、別物だが。
今時、ワガハイとか使う男がどこにいるのか。
助かる為に必死さを隠そうともしない男装の少女を見ながら、思う。
もし。
万が一。
ジャンヌ・ダルクが復活していたのなら。
見物、見学、まぁ一目くらい? 見てやるか? どうでもいいのだが、そういう余裕を取り繕っていても、実際の心の奥底では期待をしていたのだ。
あり得ない、そんな事は無いと知りつつも、ジャンヌが生き返っているのなら会いに行かねば、そんな思いに駆られて、こうしてここまでやって来たが、噂の再誕の聖女は、まったくの別人で間違いはない。
噂はしょせん、噂でしかなかったらしい。
どこぞの吟遊詩人が言っていたままだ。
俺のような例も、あるにはあるのだ。死者の復活、あるいは、それに似た、何か。だから期待してしまった。
期待をして、裏切られた……誰が悪いのかと言えば、俺が悪い。
期待をすることが間違っていた。当の偽聖女本人には俺を裏切ったという思いなんぞあるわけもない。勝手に踊ったのだ、俺は。
ただ、この件、聖女が復活したと、そうやって皆を騙そうとした者がいる。この涙目を浮かべて震える少女が率先したとは思わない。誰か、だ。誰かが聖女の復活を望んだのだ。
見た目は、まぁ合格点ではなかろうか、本物のジャンヌを遠目からしか見た事のない人間ならば、騙せそうだ。だが中身はまるで違う。声も、喋り方も、その動きの癖も、全てが違う。作り込むなら、もう少し、やり様はあったのではないか、そう思う。雑な仕事をしおって。
そんなことはどうでもいい。聖女が復活せねばならなかった理由。聖女の復活を望んだ理由は、今の俺には思いつくことがある。
暴走する人々を静め、統率する、その中心となる、象徴。そういうものが必要だったのだろう。ルーアンの町では、それで上手く回り始めた。オルレアンでは……悪魔教徒どもの暴走には対処できなかったようだがな。
とにかく、ここにジャンヌは居ない。どこにも……
やはりか、という思いと共に、今までの疲れがどっと押し寄せてくるようだ。
「どうしてくれようか」
もういいか。
どうでもいい、どうなってもいい、全ての事に投げやりになり始めている自分を自覚する。
ひょっとして自分でも知らぬ程、再誕の聖女に期待していたのだろうか、その反動が、酷い。
「助けて……」
自分を見下ろす黒い影――俺を、涙を浮かべた瞳で見上げて、少女は助けを乞う。
周りの男たちに目立った動きは無いが、次々に増えている。悪魔教徒ども、本人たちに自覚も統率も無い、ただ欲望に忠実な荒くれの集団ではあるが、今ここに居るのは何人くらいだ? 少女、ついでに少女と縁がありそうな倒れている男も助けるとなると、相当に厄介だ。自分一人なら鼻歌を歌いながらでも切り抜けることが出来るのだが……
「助かりたいのか?」
聖女であることを、偽る。それはどれほどの罪なのだろう。
少し前の……この躰になる前の俺ならば、問答無用で斬りかかっていたかもしれない。聖女を騙るなど何事だ、大罪である、と。
今は、違う。
人が神を求める理由も知り、聖女が生まれる理も知った。そこに悪意は存在しない。悪意の存在しない罪もあるのだと、俺は知った。
プリュエルやリュミエラの事もある。
俺にはこの少女を責める気も、また資格も無いのだ。
罪があり、罰が必要なら、それは教会の連中や、この少女に騙されたと怒る連中が考えればいいことだ。俺には関係が無い。
悪魔教徒共に追われる羽目になったのも、わざわざ聖女を騙ったからだろう。何がどうなって、今の状況になっているのかは知らないが。
自分の行いが自分に跳ね返った、これはそういう話だ。
終末を叫ぶ者に騙されて身を持ち崩した奴らと何一つ変わらない。自由の行動と、その責任。
だが。
助けが欲しいか、との問いに、少女は答える。
「助けて……我輩を」
「……ワガハイ言葉、止めろ、気が抜ける」
「ええぇ……」
誰に指導された? それとも自分で勝手にやっているのか? どうでもいい。どうでもよすぎる。
聖女の名を騙り、自分の名前すらジャンヌだと言ってのける、そんな女など、どこぞで勝手に滅んでいろ。そう思う。嘘偽りのない、今の俺の気持ちだ。
だが。
助けを求める声があるのならば、聞いてやってもいい。
「助けてやろう」
振り返り、ジャンヌによく似た少女を背にして、悪魔教徒どもを睨みつけて威圧する。
一歩後ろに下がる男たち。
誰かを助けてやるのは、誰かを思っての事ではない。ただ自分の気分を良くするための行為。
悪魔教徒どもが絡んでこなかったとしても、この少女は出る所に出れば罪人、悪人として裁かれ、聖女の名を騙った魔女として火あぶりにされる、そういう運命の奴なのかもしれない。だが知らん。俺が助けることで、この少女の運命がどうなるのかも、知らん。
今、助けたいから、助ける。
なんとなく。
気分で。
俺は今、すこぶる自由である。
「さてどうする? 悪魔教徒どもよ、俺が敵になったぞ?」
ざわつく悪魔教徒ども。手に持つ松明が不安気に揺れる。
俺たちを囲む男たちの数は知れず。
うかつに手を出しては来ないが、それは俺も同じ。気分良く助ける、とは言ったものの、はてどうしようかと思い悩む。計画性が無い。いつものことか。
後ろは崖、とはいえ、それほど高くも無い。
最悪、男と少女を落っことせば、悪魔教徒どもも追ってこないのではないか? 骨折で済めば御の字というやつで。
男たちは武器を構えて騒いではいるものの、こちらに向かってくる者は居ない。
悪魔なんちゃらとか言い出した奴が居るには居るが、俺は兜を被っているので、まだ普通の人間だと思っているのでは無いだろうか? だとしたら手をこまねいているのは何故だ。数の力で押して来てもおかしくは無い、そういう状況。
兜を脱いで正体を表し、言葉の力で威圧するか? 言葉ならば、どんな言葉を?
人であると思っているのなら、余計な騒動を起こさない為にそのままがいいのだが。
出来ればこのまま、ただの通りすがっただけの腕の立つ善意の騎士として……
「見たんだ! 何も無い所から突然現れたんだ!」
「俺も見た! 奇跡だ! 本物の奇跡を俺は見た!」
「俺もだ! 驚いた! あるんだ! この世には、本当に、魔法も奇跡も、あるんだ!」
「じゃあ本物? 本物の天空の黒騎士……」
「降臨だ、降臨してきたんだ」
ざわめく男どもの言葉の切れ端を拾う。
とっくにバレていた。
透明を解除して現れると、奴らの目には何も無い所から現れたと映るのか。そうか、そうだな、当然だった。
自分自身は、透明であるかどうかに関わらず、ずっとそこに居て動いているから、そこまで驚く事かと思ってしまうが、どうやら見る側の事をあまり考えてなかったらしい。だが、そうか、人物が何も無い所から急に出てきたのなら、奇跡か魔法を見たことになるよな。何も間違っていない。お前たちは何も。
何とか、と呼ばれた、未だ倒れている男、ジャンヌ似の偽聖女、黒騎士の俺、囲む男たち。どちらにも動きが無いまま間の抜けた時間が過ぎる。
何人かを見せしめに殺したら、恐れをなして逃げて行ったりしないだろうか? そんな願望めいた計画を立てていると、ふと人垣が割れて、一人の人物が前に出てくる。
「プレラーティ!」
誰かが、そう、呼ぶ。
今日二度目、心臓が、跳ねた。
出てきたのは若い男。
黒いローブに金の装飾を施した出で立ち。
その顔、美しく整った目鼻立ち。白磁の肌に、赤い唇。蜂蜜の色をした髪は長く、軽く波打っている。纏った雰囲気は妖艶、見る者によっては男とも、あるいは女とも。
「恋い焦がれ、身を焼く思いの果てに……」
プレラーティと呼ばれた美しい青年は、俺に向かって手を伸ばしてくる。
間合いは、まだ遠く、刃の届く範囲には居ない。
「……何度もの魔法の儀式を重ね、悪魔にも身を捧げて……」
髪と同じく、蜂蜜色をした瞳を潤ませて、言葉を紡ぐ。
優しく紡がれる言葉は毒となって、俺の心に入り込む。
抑えつけたはずの感情が、再び鎌首を持ち上げてくる。名前の付けられない感情。黒く、うねる、蛇のような、嫌な、モノ。
俺の心をざわつかせる青年は、続ける。
「愛しい方よ、ようやく会えました」
その瞳から、琥珀色をした大粒の涙が、零れ落ちた。




