65
ぬるっと再開。
突如震え出した娘の様子を見て、いぶかしむ男たち。
すぐ横ならともかく、遠目から見てランタンの炎程度が照らすだけの暗がりでは、全身鎧の狭い隙間から覗く白い骨には気がつかない。
動いてまわる鎧の中身が白骨、などと、誰が思う。
それにしても、ジャンヌ似の聖女はパリへ向かった、だと?
俺が来たシャルトルの町は北西であり、パリへ向かうのならば北東の道だ。行違っていたとしても遭遇することは無い。
どうする?
選択だ。ここでも選択。選択の連続こそが人の生だ。
選んだ方、選ばなかった方の道の先が知りたい、選ぶ前に、だ。
「あ、あ、神様、私、呪わないで、悪魔、ヤダ、お願い、ああ……」
「……娘よ、逃げたくば逃げるがいい、選択肢はお前にある。お前は自由だ」
俺を見て怯える者の姿を見ることで、少しだけ、ほんの少しだけ愉快な気持ちにはなるが、後ろめたさ、という感情も生まれてくる。それはおそらく、背徳感の裏返し。
悦に入るのもここまで。
すまんな、娘よ、助けた俺が真っ当な人ではなく、骨で。
助けてやった恩を返せとも思わないし、俺に怯える娘にくれてやる使命も思いつかない。
騒がれても事だが、懐かれるのも面倒、ここで大人しく消えてくれるならば、それでいい。
「さあ、家族の元へでも、帰るがいい」
軽く後押ししてやると娘は、俺から目を逸らさずゆっくりと後ずさり、十分に距離が取れたところで立ち上がり、背中を見せながら走り去る。神への祈りの言葉を吐きながら。
俺を猛獣か何かと思っているのだろうか? 俺が悪人どもから助けてやったことは記憶から消えたのか?
……そうか、悪魔か。猛獣ではない。
一人に一つ持つ自分だけの世界、あの娘の虚構の世界の中、そこにいる「俺」は、完全に悪魔なのだ。
黒い鎧に覆われた、動く骨の悪魔。
俺は何もしない、しないのに、娘が見てしまった「呪われた骨の悪魔の姿」に、勝手に怯えて、自分にとって都合が良いはずの俺という実在から遠ざかっていく。
あの娘だけではない、人それぞれの中に、悪魔は存在している。なんだ、黒猫よ、悪魔はしっかりと、居るではないか。虚構の存在であれ、そこに居る。ならば神も、また……
何かを掴みかけるが、それは言葉にはならない曖昧なまま、俺の中に沈んでいく。
知識を得て賢くなれば、そういうものも言葉にすることが出来るのだろう、が、今は、まだ。
再誕の聖女もプレラーティもいないのであれば、もうこの町に用事は無い。すぐにでも出ていくし、多少騒がれるだけならば、心も痛まない。
娘がこの後、家族や周囲に何を言って回るのかなど、わかりようもないが、大きな騒ぎにすればするほど、首を絞められるのは自分たちだ。
それこそ井戸端会議で世界が滅ぶ、だ。
はは。黒猫め。殴ってやりたい。何故、俺という存在を生み出した? 骨だぞ、骨。騒ぐに決まっているだろうが。殴ってやりたい。
「さて、お前らだが……」
「大将!」
「誰が大将か」
「俺たちの大将になってくれ、あンたの強さにホレたッ!」
「阿保を抜かすな悪人ども。何がホレた、だ。くだらんことが言えなくなるまで顔面を殴ってやろうか?」
「そういうトコぉ! それ! 暴力! あンたの暴力で世界を盗っていこーぜ!」
「俺は悪人でもなければ、暴力ですべてを解決していく気もないぞ……」
何だ、世界を盗るとか、頭のことでは他人を馬鹿に出来ない俺でも、こいつらは飛びぬけて馬鹿だろう。
「嘘だぁ、悪だって! あンたはとびっきりの悪! 俺ぁ見抜いたね! ホレボレする位の悪人たぁ、あんたの事だ。自分が気持ち良くなるために、気に食わねぇ誰かをぶん殴るとか、もう、それ悪人だからぁ! あンた位の力があれば、何だって好きな事が出来るよ! だからよ、俺たちの大将になってくれ!」
「なるかボケどもっ!」
自分程度の力で好きな事が好きなだけ出来る世界ならば、どれほどよかったか。
実際の世界では剣を多少振り回せるくらいではどうにもならないことが多すぎるのだ。夢を見るのも大概にしておけ。
なんだ? この流れは。なんでこんな馬鹿な悪人どもから慕われねばならんのだ……暴力か、暴力だな。先ほど気ままに振るった暴力が原因だ。うむ、やはり暴力は控えよう、よろしくない。俺は知性派でいくと決めたのだから俺を慕う奴も知性派がいい。
「……お前ら、力が欲しいか?」
ふと思いついた事があり、コイツらで実際に試してみることにする。
「欲しい!」
『君の欲しかった物が地面に落ちているなら、君は拾うでしょう? 詐欺師はそこに穴を掘って待ち構えているのよ。金が欲しい相手には金を置き、腹をすかせた獣にはおいしそうな肉を置く。ハメたい相手の望む物を置いてくる。だから詐欺師は常に騙したい相手の望みを知ろうと探ってくる』
……とかだったか。
「力、欲しいです!」
「力が欲しくて俺たちはあいつに従ったんだ!」
「なるほど? 悪魔教に入信したのは、力が欲しいからだな?」
「あ、悪魔教とかは、他の奴らが勝手に言ってるだけで、あ、俺らの中にも言ってる奴がいるけど」
流石は悪魔教といったところか。好きなことをしろという教義。それぞれが好き勝手をして統制など存在しない。そんなものが組織としてまともに機能するはずもない。馬鹿の集まりだ。
「そうか、力が欲しいか? 欲しいんだな? くれてやれると言ったら、どうだ?」
「欲しいです! なんでも従います大将!」
「大将を止めろ、ぶんなぐ……りはしない」
殴って言い聞かせるのを止めたなら、どうすればいいのか? 話か? じっくりとお話でもして言い聞かせるのか? なんて面倒なんだ、知性派とは。
「力、か……」
力への憧れ。
爪や牙、ウロコや毛皮や角に強靭な四肢……悪魔の姿の原型、だったか。人は太古の昔より、力に憧れる。それがコイツらの望み。
「ならばいい事を教えてやろう。大事な話だ、よく聞け……鼠……鼠だ。猫でも聖女でもない。悪魔に捧げるべきなのは、実は鼠だったのだ」
「ね、鼠?」
「そうだ、鼠だ、最近増えているだろう?」
「そういえば、そうかも」
「それは悪魔が鼠の血を欲しているからだ。鼠を殺して捧げよ、そうすれば、きっと悪魔はお前たちの前に姿を現し、望みを聞き届けるだろう」
「ねずみ……」
ごくり、と唾を呑みこみ、俺を見上げる悪人ども。
信じたか? 馬鹿は馬鹿なり、せめて疫病の蔓延防止の役にたて。
「な、なンで、鼠なんですかい? 鼠じゃないと駄目なンですかい? 悪魔様が欲しがるのは」
「ふむ、理由か?」
しまった。理由までは考えていない。
疫病を防ぐためだと言えば、それは多くの人にとって良い事であり、善行だ。悪魔らしくない。
「……悪魔、悪魔はな、鼠がな、大好物なのだ、それはもう美味しそうに頭から喰う、ボリボリ、バリバリとな」
食べませんけどぉー!?
あの黒髪の少女の姿をした悪魔、悪魔じゃないが、あの少女が慌てて訂正をする姿を頭の中で幻視した。
まぁ今更だ。魔女扱いされても平気だったのだから、鼠を食べる習性が付け加えられても困りはせんだろう。猫だし。
「逆に、聖女だろうがなんだろうが人は駄目だ。人も食べない。人の血とか内臓とか捧げても、むしろ怒りを買う。馬鹿にされるだけだからやめておけ」
黒猫と出会った日の会話を思い出して身もだえしそうになる。
悪魔に捧げる供物には臓物が良いとか適当に書いて残した奴らめ、信じて馬鹿にされたではないか、そいつらも殴ってやりたいくらいだ。
「猫も駄目だぞ? 聞いたことは無いか? 黒猫は魔女の使いだとか、そういうのを。猫殺しは止めさせよ、でなくば魔女に呪われるぞ? 魔女の呪いは恐ろしいからな、怒らせない方がいい。アレを怒らせたら、お前たちなんぞ簡単に鼠に姿を変えさせられて、頭からボリボリと貪り喰われてしまうことだろう……」
俺の前に整列して座る男どもは再び、ごくりと唾を呑みこむ。
この真剣さなら、信じたと見てよいだろうか?
「供物は多ければ多いほどいい、良いか? 数人が少しくらいの鼠を殺した程度では、おそらく姿も見せないであろう。……そうだな……大量、大量にいる、この町から鼠が消えて無くなるほどの量……仲間に声をかけて協力してもらえ……これは秘密の中の秘密だぞ? お前たちの仲間以外には、言ってはならぬ」
こういうのは悪魔教の中だけで完結するのが一番だ。神の代弁者を気どる聖職者どもに知られては、どういう扱いの話になるかわからん。
俺の話を聞き入り、茶化す者はいないが、行動に移すかどうかは疑問。もうあと一押しといったところか。
兜に手をかけ、脱ぐ。
息を止める男たち。
『……望め。強く望むのだ。世界の果てまで届けようとする意志があれば、悪魔に届く……なれば力も不死も、思いのままだ……』
兜を脇に抱えて立ち、念話に乗せて静かに言葉を紡ぐ。
黒猫よ、届いているか? 俺の言葉が。
言い訳の仕様が無いほど完全な俺の失態とはいえ、中途半端なままに終わった俺とお前の関係に、お前は何か言いたい事は無いか? 俺の方には山ほどあるぞ。
だから、聞け、届け。
石像のように固まって動かない男たちを尻目にして、その場から悠々と立ち去ることにする。
これで、この町には完全に用は無くなった。行動に移すかどうかも、奴ら次第。鼠殺しで悪魔なんぞ召喚出来ないのだから詐欺だが、知らん、悪人ども、騙される方が悪い。出てこない悪魔を信じて鼠を殺していくがいい。
奴らの世界の中で、「俺」はどういう存在になったのだろうな?
「……ど、髑髏悪魔大将軍」
後ろから聞こえる誰かのつぶやきに力が抜けそうになるが、ここは威厳を保っておく。
◇
「馬の奴め、どこにいった?」
男どもの視界から消えた後、急いで馬と別れた場所まで戻ってきたが、馬がいない。
「盗まれたか? それとも……」
一日中走らされて疲れた体を休ませるために、どこかに行ったのか?
周囲を走って確認するが、どこにも姿は見えない。
(どこに居る? 馬よ、答えよ)
兜を脱いだままの姿で周囲に向けて念話を飛ばすが、返答は無い。
使えない。今の所、俺の念話に答えてくれる者が見つからない。俺と黒猫の間、限定での力でしかなかったのか……
「疲れて休んでいるなら近くに居るだろうが、もし盗まれたのなら……」
盗んだ者は今頃、馬を引き連れて遠くに行っていることだろう。
持ち主に会いたいと願う盗人なぞ居ないからな。
周囲を見回しても、誰もいない。生きて動いている人は。
この町に来た時と違い、道の横に積み重なる死体を見ても、いくらか息苦しさは和らいでいる。
どうやら人を助けたという行為が、俺の心に平常心というものをもたらしているらしい。必要な事だった。とはいえ、
「時間をかけすぎた……」
まだ盗まれたと確定したわけではないが、盗まれたと仮定する。すると、架空の盗人に対し、ふつふつと怒りが湧いてくる。汝、盗むべからずとか、教わってこなかったのか? クズども……
「馬よ! 隠れているなら出てこい!」
平常心はどこへやら、つい怒りに任せて大声を出してしまう。
が、そのおかげで建物の中に、いくらかの気配があるのに気がついた。
「隠れているな!? どこだ!」
気配の元に向かって走り、建物の壊れた窓から飛び込む。
「ひ、ひいいいいいい!?」
「キャーーーッ!?」
「うわーーん」
目に写り込んだのは、建物の隅、暗がりの中で一塊になって怯えている男と女、それから子供。家族か?
馬泥棒ではなさそうだ。馬は近くには居ない。
「お前たち、馬を知らんか? ……おい」
俺の問いかけも一切聞かず、半狂乱になって扉から出ていく三人家族。
やがてその悲鳴は、波が広がり伝播するように、周囲に飛び散って大きくなっていく。
「しまった……」
ついうっかり、兜をしないまま話しかけてしまった。
俺の脳裏に、上空から見たパリでの騒動が思い起こされ、映像付きの記憶となって再現される。
そうだった、あの時も、広がる波のように、騒動は大きくなっていったのだ。水面に落とした石、最初は小さなもの、徐々に大きく……
止む様子なく広がっていく騒動に、俺は選択を迫られる。
どうする?
一旦、馬を探すのは諦めるか? それとも……
こんな状態になった町でも意外と人は残っていたのだな、息を潜めて隠れていたとは。焦る頭の隅でそんなことを考えながら、次の行動でとるべきものを探す。
今日の馬は疲れ切っている。取り戻しても走れはしない。
なんとかして馬を取り戻したとしても、歩いてパリへ向かうしかないだろう。なんなら完全に足止めだ。ならば……
「馬よ、無事でいてくれよ」
俺だけならば、夜通しだって走れるのだ。むしろ馬がいない方が早い、まである。
眠気は……若干感じ始めている。だが余裕で耐えられる範囲。問題は無い。
騒動から逃げ出すようにして、急いで開きっぱなしの門をくぐり、町を出て全力で走る。
ようにして、ではなく、逃げ出した。
ほらな、見て見ろ馬鹿ども、単純な暴力ではどうにもならない問題など、いくらでもあるのだ。騒いではならないと殴って回れば解決できるのなら、そうしている。こういう場合、逃げるしか道は無いのだ。
黒猫がいつも逃げる逃げると言っていたのを思い出し、苦笑する。そうか、奴もまた、こんな気持ちであったのだろう。
つまり、知らん、後の事も、だ。
後ろを振り返る。
オルレアンの町。
ジャンヌとの思い出も残るあの町は、これからどうなっていくのか。
治安を乱しに乱しまくっている悪魔教どもは、正規の兵が来たら、ただ潰され、消えていくだけの存在でしかないので、その次だな。
イングランドが取るか、それともリッシュモン元帥の兵が先か、どちらにせよ、俺は知らない。それでいい。
馬には後ろ髪を引かれる。髪も無いが。
もしやこれで馬の奴とは永劫の分かれ、ということは、無いだろうな?
それでは、さすがに、少し、寂しい。
必ず戻って来て見つけてやるぞと固い決意をして、今は次に進む。
いや、やはり、戻って馬を探すか?
いや、しかし……
いつも目的を見失いがちな俺の二本の足は、それでも前へ前へと、俺を掻き立てるようにして、大地を蹴る。
進むのか? 進むのでいいんだな、俺よ?
進むのなら北東だ。三度目のパリへ。
あ、だが、戻ろうかな? 馬を見つけて一日休んで……いや時間が。どうしよう? ああ、悩ましい。悩ましいし、不幸だ。この怒り、誰にぶつければいい? 出てこい黒猫。
俺は。
お前と。話がしたいのだ……
黒騎士さんがフラグを立てたようです。
評価(作家への燃料)、誰か、評価(作品を完結させろとの意思表示)を……




