60
空を飛んでいる。
雲を突き抜けて地上の近くまで降りて、また空へと駆け上がる。
またがる馬の足取りは軽く、黒い蹄鉄が何もない場所を蹴る度に、乾いた蹄の音が生まれ、強く豪快な旋律を空に刻んでいく。
夢を見ている。
夢だと分かる。
天上にある巨大な満月は、明るく世界を照らし、激しく明滅する星々の光は、夜の天幕を所せましとばかりに飛び回っている。踊るような星の躍動にあわせて、俺の心が弾んでいく。愉快。愉快な気持ちだ。自由に空を飛ぶのは楽しい。
地上に目を向けると、そこは舞踏会の会場になっている。
ただし、そこで踊る人々は、人では無く、骨だ。
大勢の骨たち、かつて生者であった者たちが、光月と銀星の下に集まり、めいめいにパーティを楽しんでいる。
大きな輪の中にいる人物は、リュミエラだろうか。
さしたる疑問も無く、あれはリュミエラの骨になった姿だと確信する。髪型と服装でなんとなくわかるものだ。リュミエラだと確信する理由はもうひとつある。彼女の片方ずつの手が繋がれた先には、アリセンらしき骨と、ユーザスらしき骨が居て、お互いの手を繋ぎ合って、楽し気な笑い声を上げ、くるくると回っている。彼らの周りに居て、その様子を見る者たちの中には、ジェルマンやトムスやリュミエラの母らしき骨もいて、並々と注がれた赤ワインのコップを片手に、やはり楽し気に囃し立てている。
どこか軽薄で、軽快なリュートの旋律が耳に入る。
音と旋律に合わせて、骨たちは踊る。
リュートを弾いているのは骨の吟遊詩人。
ゴウベルらしき骨と泣き虫の骨が肩を組み、足を大きく上げて踊っている。
それを見て手拍子を合わせているのは修道服を着た骨のプリュエル。周りにはマロー司教らしき骨もいる。他にも、どこかで見たことのある奴らの骨、骨、骨。
あちらにいるのはアンドレか。アンドレらしき骨と、ベッドフォード公らしき骨と、医者のナゼルらしき骨が、やはり肩を組んで踊っている。なんだ、それは。仲良しか。いつの間に仲良しになったのか、お前ら。それにしても皆、随分と楽し気だな。
馬はいつのまにか居なくなっており、俺は地上に降りている。
どれ、ひとつ俺もパーティに混ざってやろうか。
足を止める。それ以上には進めない。近づけない。
駄目だ。
俺は、駄目だ。
その楽しそうな輪の中に、俺は、入れない。
楽しんでいはいけない。満足してはいけない。幸福になっては、いけないのだった。俺は、永遠の不幸に囚われる身だった。身も無い、骨なのに。
音楽が止み、輪が崩れ、一人の女性が現れる。
ジャンヌ。
ジャンヌ・ダルク。
オルレアンの乙女。神の声を聞いた、農夫の娘。
楽し気な気分は、すっかりと消え去り、俺の胸の中は後悔と贖罪の気持ちで満ちる。
ジャンヌは、くすんだ金髪を短く切りそろえ、男物の服を颯爽と着こなしている。その華奢な身には武骨な金属鎧をまとっている。
いつもいつも思い浮かべていた、あの姿、いつもの、姿。俺の戦乙女よ。
彼女は骨になっていない。燃えてもいない。生前の凛々しい姿そのままで、そこにいる。
彼女の瞳は苛烈な光をたたえ、俺を貫いている。
謝らなければ、いけない。
俺は彼女に謝罪をすべきなのだ。
聖女であれと、人々に願われた、乙女。
俺が彼女に願ったのものは、なんだ?
俺は彼女の足元に跪き、頭を垂れ、懺悔をする。
一万リーブル。
それが、虜囚となった彼女が、イングランドへと売られていった、彼女の値段。
大金だが、集めよう思えば、俺は集められただろう。なりふり構わず、物事の良し悪しも、政治も家も後先も、何も考えずに、ただひたすら彼女を助けようとしたのなら、それが出来た。兵を集めて彼女を奪還することも出来る立場に、居たはずだ。
だがしなかった。それが、俺が下した選択であり、覆せない結末。
「お前を見殺しにしてしまった……済まない、ジャンヌ……」
己の欲望の為に、見殺しにした。神の助けが、くるのだろうと、神の奇跡を見てみたいと、そう願って、何もしなかった。
見ていただけ、それが俺が犯した罪。
この記憶を持つ限り、決して消えることのない、罪。
お前は俺を許してくれるだろうか。
見上げると、そこには、いつものように、何かに戦いを挑むかの如く、いつものように、胸を張って立ち、一心に前を向く彼女の姿。いつもの、姿。
一目でも、俺を見てくれは、しないのか……
ふと、誰かに馬鹿にされた気がして、周りを見る。
猫だ。黒猫が居る。
世界には、俺と黒猫のみ。
猫の口元は楽し気に歪み、俺に向かって何かを言っている。
聞こえない。
何一つとして言葉は聞き取れないが、俺を馬鹿にしていることだけは、この上なく正確に伝わる。
「黒猫、貴様……」
黒猫の傍に近づこうとして、出来ない。距離が縮まらない。
「貴様にも、謝らねばな……そこを動くな、動くなよ、おい、どこにいく! 行くな! 貴様にも謝ってやるから、謝って……」
猫は笑っている。
その余裕の浮かぶ表情に、段々とムカムカしてくる。
「いや、何故貴様に俺が謝らねばならん。むしろ言ってやりたいことが山ほどあるぞ! 満足したら消える仕様とか、なんて酷いものを俺の躰に仕込んでいやがった、馬鹿なのか貴様……行くな……ぶん殴ってやる……だから……」
性悪の黒猫は、俺の言葉を無視して一方的に俺を馬鹿にする。クソがっ。なんて楽しそうなんだ。
何だ、何なんだ、貴様は! 俺に何が言いたい? はっきりと言葉にしろ! 貴様にはそれが出来るだろうがっ。
笑いながら俺を小馬鹿にする黒猫に、どうしても近づけない。
やがて世界は闇に包まれる。
世界には、俺一人だけが取り残される。
怖い。恐ろしい。嫌だ。孤独は、いやだ。
闇の中に、小さな光が生まれる。
手を伸ばした先には、上下の二本の光。二重になった、光の線。
「!?」
目が覚めた。
暗い。
急に息苦しくなり、動悸が激しくなっていく。
半ば無意識な動作で兜を脱ぐ。
「は、はは、寝ていたのか……いつの間に」
髑髏の顔を露わにして、大きく深呼吸して、激しく上下する胸を落ち着かせていく。
大丈夫。視界が暗かったのは、俺が死の世界に放り込まれたからではない。視界が暗かったのは、兜を被っていたからだ。兜を着けたまま寝て、目が覚めただけ。俺はまだ、生きている。
手に持っている、二重のスリットの入った黒い兜を床の上に置いて、周りを見る。
「昨日の会議をした場所か……」
しかも、床の上だ。
昨日の場所のまま、床の上に横になって寝ていたらしい。外はもう十分に明るい。
上半身を起こして頭に残る眠気を追い払い、思考を明瞭にする。
徐々に昨晩のことが思い出されていく。
「確か、吟遊詩人の奴に、下らん話を延々と聞かされて」
俺に服を掴まれて身動きがとれなくなった吟遊詩人がしていた雑談。
俺から金を引き出す事を諦めた奴が話す内容は、自分は猫派ではなく犬派、だの、犬の躾は厳しくしないと誰かを噛んだり飼い主を噛んだりするから大変、だの、寒いのは苦手だけど虫が嫌いだから冬が一番好きだの、イングランドには美味しい食べ物があるだろうかといった、本当に、心底、どうでもいいような話ばかりだった。やがて若い吟遊詩人はリュートを構えて音を鳴らし始めて、む? 意外に美しい旋律を奏でるものだな、などと感心して…………眠った……のか?
記憶は完全にそこで途切れている。
つまり、眠ったのだ。
おい、おいおい……あんな、どこの馬の骨とも知れない奴の音楽を聴きながら、眠ったのか? そいつの傍で? おい? 正気か? おい、おい、俺よ? 本当に? 嘘だろう?
あまりに迂闊な自分に愕然とする。
当の吟遊詩人は何処にもいない。
広い講堂の中に一人取り残された俺は、両手で頭を抱える。あまりの衝撃で眩暈がするほどだ。
……体は、無事だ。何もなっていない。剣もある。
それから何も盗られていないのを確認する。剣以外の俺の持ち物は、ボロボロに見えるが、実は汚れもない丈夫なローブ、ひとつのみ……俺から盗れる物など、最初から碌に持ってはいなかったな。今の俺は無一文なのだ。それでも盗れる物といえば、あとはこの鎧とか、手足そのものとか、髑髏の頭とか……
ゆっくりと立ち上がり、背伸びをする。
いくら寝不足が続いたとはいえ、これは本気の反省が必要だ。酷い失態だ。油断しきっていた。もう二度と人前で寝るような不様はしないと心に誓う。緊張感を持たねば。
今は朝か? 陽の光の差し込み具合を見るに、昼が近いのかもしれない。
意図せずに、ただの結果としてではあるが、かなりしっかりと寝れた。
これで何か事が起こっていたら、あまりの自分の間抜け具合に、もはや二度と立ち直れなかったかもしれない。無事でよかった。それこそ黒猫にでも知られようものなら、奴が大笑いすること確定ものの失態を犯してしまった、が、災い転じて何とやら、最近の寝不足がいくらか解消されている気がする。鈍っていた思考力が戻っている。
兜を拾い上げて、よく見る。
夜の闇の中では漆黒だが、陽の光を受けると一転して、艶めくように光る黒い兜。黒猫からの最後の贈り物。
繊細な加工が施された黒兜には傷の一つすら存在しない。同じようにプリュエルに贈られたナイフが人の手で傷を付ける事は不可能だとかいうのは、本当だろうか? 剣も鎧も、素材は普通の鉄だと思っていたが、別の、俺の知らない何かなのだろう。これも同じだろうか?
万が一にでも傷がつくのが嫌なので検証はしない。
黒猫が居れば、修理も出来るだろうから、色々と試せるのだが……
黒猫……
荒唐無稽で支離滅裂な夢を見た。
ジャンヌを夢で見たのは、久しぶりな気がする。少し前なら、寝ても覚めても、彼女の事を想っていたはずなのに……
夢だと分かっていて見る夢。
そこで俺に何かを伝えようとしていた黒猫の姿が気にかかる。いや、実際には、ただ馬鹿にされていただけだろうが、いや、実際にはというか、ただの夢だが。
気にしているのは俺の方だ。
昨日、南部を襲う黒死病の話を聞いた時から、ぼうっとした頭で考えていた。俺には何か、思いださなくてはいけないようなことが、あったような……
……やはり思い出せん。
思考する力は戻ってきたが、記憶は違う。うっかり聞き流してしまった言葉を後になって拾い上げることは、難しい。あの時、奴は何を話していた? 疫病についての、黒猫の語った言葉。目に見えない程の小さきモノ、その前後……
「おいコラ! いつまで寝とるか! 骨の道化師よ!」
大きな音を立てて、講堂の扉を蹴り破らんとばかりに横柄な態度で入って来た大柄な男が、その美しくもない大声を室内中に響かせる。
イングランドのゴウベル。何かと俺と縁が出来てしまった阿保。長い付き合いになるとはルーアンで最初に戦った時には思いもしなった。人生は奇異なものだ。ただ、この先は別に長くもない。オルレアンまで一緒に行けば、後はもう知らん。
「馬鹿ゴウベル……おい……死者の安眠を妨げるな……」
続いて泣き虫も入って来る。
はて、泣き虫の本名は何ていう名だったか、オードリー、オリバー……なんか、その辺りだ。どうでもいい。どうでもいいが、俺は死んではいない。死者の安眠とはなんだ。いや安眠はしたが、迂闊にもしてしまったが。
「なぁにが安眠か、安眠出来ていないからこの世を彷徨い歩いとるのだろうがっ、おう、起きていたのか! 出発するぞっ! のんびりしていると本隊に追いつかれてしまう!」
「だから大きな声を……って、ひえっ……髑髏!」
兜を脱いだままの俺の姿を見て驚く泣き虫。今更、何を驚くことがある。見慣れろ。皆、意外と早く見慣れるものだ。人とはいい加減に出来ている。
「死者よ……お、お、おはよう? ございます? 安眠? できましたか?」
「何故疑問形なんだ?」
「死者の安眠は永眠以外にないわっ! 先遣隊が本隊に追い抜かれてしまっては恥だぞ! 恥! さあ出発だ!」
うるせえ……
ゆっくりしようが急ごうが、先遣隊を本隊が抜くことがあるわけがなかろうが。せいぜい本隊が足止めを喰らうことくらい……それでも、まぁ確かに恥か。
死者の安眠は永眠以外に無い、か。ふん、ゴウベルは阿保のくせに時々、核心にせまるような事を言う。死者は死者であり、軽々しく蘇ったりはしない。俺は死者ではなく、身体が骨で出来ているだけの存在で、生きているから関係ないのだが。
「い、急ぎすぎも良くないんじゃないか? だって、ほら、南部に広がり始めたと言う黒死病の報告を本隊に送ったので、それの返事を待たねばいけないから……ひょっとして、オルレアンに行くことが取りやめになるかも……帰れる?」
「まぁだ言っとるのか!? 軟弱者め! 病気ごときで戦争が取りやめになるわけあるか! 戦争は決行だ、決行!」
「ゴウベル、貴様はもう少し物事を考えろ、貴様のような奴が病を広めるのだ」
「なんだとぉ!?」
病を、広める? 何を、介して?
自分で言った言葉に自分で引っかかる。
それが目に見えぬようなモノか。目に見えないのにそこに在るとは、どういうことだ? 汚れた空気、瘴気とは違うのか?
まるで神や人々の噂話のような掴みがたい話ではないか。見えぬものを見るには?
「死者殿の言う事をしっかりと聞けよ。お前のような考え無しの馬鹿こそ黒死病を恐れるべきべきなんだ。恐ろしんだぞ! 死ぬんだぞ! しかも悪魔に呪われ、悪魔の手先になった、なんて言われて遺体を焼かれて、ああ、恐ろしい、なんて恐ろしい……」
その場に居なかった泣き虫だが、話は伝わっていたのだろう。
吟遊詩人が語った南部の状況には、そういうのもあった。
死後の復活を信じる者たちにとって、死体であれ、肉体を焼かれるのは、とうてい受け入れがたい恐ろしい話なのだ。実際には、生きながらでも焼かれる、しかも愛する家族の手によって、とかいう、もっと恐ろしい、欠片も救いのない話を語っていたが。
「猫を殺すのも良くない……すごく良くない、そういうのは、良くないんだ……」
尻すぼみに小さくなっていく泣き虫の言葉。
死霊の黒騎士と黒死病の噂が広まるにつれ、南部で行われ始めたという猫殺しの風習にも触れる。
そんなものは無意味で馬鹿馬鹿しい人の愚かな行いであり、良くない事は分かっているが、どう良くないのかは、俺自身でも良くわかっていない。ただただ不愉快なだけであり、それだけで十分、否定をする理由にはなるのだが。
「どう良くない?」
「えっ!?」
なので聞いてみた。
俺に話を振られたことが意外だったのか、泣き虫は髑髏の俺の顔をなるべく見ないようにしつつ、しどろもどろになりながらも返答をする。
「ええと……だ……その……輪っか……そっ、そうだ、輪っかの様だって、ばあちゃんが言っていた」
「輪っか?」
「ばあちゃんのように、うまく説明できないけど……あー、人も動物も植物も、何かを食べて、何かに食べられて、そういうものの輪の中にいるんだって。葉っぱを虫が食べて、虫を鳥が食べて、鳥を人が食べる、みたいな話。それは輪のように、すべて繋がっているんだと。あ、私の母方の実家が狩人もやっていたから、そういう、森の? 営み? 的な、ですね……」
「人を食べる奴はおらんだろうがっ! 鬼か? おまえの所の森には人を喰らう鬼でもいるのか?」
「そういう話じゃない……」
「茶々を入れるなゴウベル。続けろ」
「だ、だから、人が勝手に何かを弄ると、良くない事が起きるんだって、その、人がシカを狩り過ぎると、やがて、シカを襲えなくなった狼が、シカの代わりに人を襲い出す……みないな」
「よくわからんな……」
「よくわからん!」
しまった。ゴウベルの阿保と同じことを喋ってしまった。昨日から俺は迂闊だ。これでは俺まで阿保扱いされてしまう。
「それで、猫を殺すと、どうなるんだ?」
一度俺の口から吐いた言葉だが、猫を殺しただけで世界が滅びるなど、本気で信じてはいない。ルルのような奴が、そこら中にいるわでもあるまい。
「どうなるって、わからないけど、猫が居なくなれば、猫が捕っていた鼠が、増える、とかかなぁ、だってほら、鼠にとっての敵が居なくなるわけだし……」
鼠が、増える。
鼠。
ねずみ……
死体を、齧る、鼠……
「それだあっ!!!」
「ぎゃひい!?」
俺に肩を掴まれた泣き虫が珍妙な声を上げて、震えあがる。奴の目には涙。すまんな、驚かして。
だが。
「思い出した。鼠だ。病を得た死体を齧った鼠が走り回り、人の世に病を広めるのだと、奴は言っていた」
「どっ、どっ、どうした道化師、いきなり大声を出して……俺も驚いた……奴?」
「奴は奴だ! 黒猫だ! ああ、そういう話だった! 病の広まる原因は、鼠だ!」
鼠という、たった一つの言葉を切っ掛けにして、あの時の情景まで思い出していく。死体の溢れるパリの町を抜け出す、その馬上にて為された会話。死体を恐れないプリュエルの行動について、人は何故、死体を忌避するのか、とか、そういった話の中での一幕だった。
いつも難しい話をする奴であったが、死の病を運ぶ鼠ならば、俺にも理解できる範囲だ。
「医者はどこだ!? いや、吟遊詩人だ、奴は今、どこに居るっ!?」
猫殺しは、何としてでも辞めさせないといけない。
猫を殺せば、鼠が増える。
鼠が増えれば、病が広まる。
早くしないと本当に世界が滅びてしまうぞ。
もののサイトによると当時の一万リーブルは約7億円だとか。
はぇーすっごい。
物価や身代金には色々な話があるようです。
この作品では、ということですので、あしからず。




