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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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「重ねて問うが……黒死病によると思われる死者はルーアンの町の中、そして町の外にいる連中にも出ていないのだな? ナゼルよ」

「は……はい、まだ……まだですが」

「そうか……」


 驚かしおって……

 俺の発した開門の命令によって、外の疫病を町の中に引き入れてしまったのかと思ったではないか。


 よくよく聞けば、黒死病が猛威を振るい始めたと言われているのはフランスの地の南の方の地域なのだと言う。オルレアンよりさらに南、アキテーヌとか、その辺りから始まっていて、まだこの地域までは来ていないのだとか。

 未だに混乱続くこのルーアン町の差配を臨時で任されている医者のナゼルが、町の外からやって来た男に、そうした話を聞き、恐れ、慌てて門を閉ざしたのだ。

 疫病が猛威を振るう時は門を閉ざせとは、古くから言われている事ではある。

 門を閉ざしたところで、どれほどの効果があるのか。

 死の病は、そこに何かの意思が働いているかのように、人から人に移り、広がっていく……そして、そうなっていく明確な理由は、わからない。ただ門を閉じただけでは、死の病の広まりが収まらないことは歴史が証明している。

 疫病はどこからか入って来て、町を滅ぼして、どこかへ去っていく。

 水瓶に蓋をするようにはいかない。

 だが閉じざるをえない。

 わからない者はわからないなりに、出来ることを、少しでもやるしかないのだ。


 ナゼルが固く門を閉じたのは、狼に襲われた子供らの集団が到着する少し前からだという。時間にしても、それほど経っていない段階で、再び開いた。検問すらせずに、一切の外界からの人の出入りを断とうとはしたものの、とうてい現実的には無理な話だったようだ。門は開いたままになっている。検問はあるが。

 ルーアンから逃げ出した市民たちの中には、町へと戻ってくる者たちもいるようだ。その中には無視できない有力者もいる。だがそんな者たちすら締め出すようにして門を閉ざしたのも、町にいる市民らの要望からだったそうだ。

「そのくせ誰も町の外の門番をやりたがらないもので……」とナゼルが申し開きをしてきたが、俺に言われてもな。

 町から戻ってくる者の中には貴族や有力な市民がいたらしいが、その者たちは逃げ出さなかった市民たちと折り合いが悪く、ナゼルはそのままズルズルとルーアンの町の代表なんてものをやらされている。門の開け閉め一つにすら強権を振るう事も出来ずに、住民同士の意見の取り纏めですら苦心、そうして右往左往している所に俺が戻ってきた、と。


 昔の俺なら門を守る者がいなくて、なんのための門だと怒鳴っていたことだろうが、今の俺に、そんな怒りを発する資格があるのかどうか。

 疫病の対策として閉じていた門を無理やり開かせた件……面と向かって謝りなどはしないが、申し訳ないとは思っているぞ? すまんな、仕事を増やして。

 黒騎士の威光、あるのかどうかは知らないが、そんな暴力的な威圧でもって軽々しく門を開放させてしまったことを、これでも一応は反省している。

 また何か、俺の考え無しの行動によって罪科が一つ加わってしまったのかと焦ってしまったではないか。考え無しの黒騎士が病を町に引き入れたという罪科。

 俺の一声で開かれた門の前で、医者のナゼルから黒死病の話を聞いた時は焦り、その後、町の中の大きな建物に移動してから、詳しい話を聞く。町の中や外に黒死病に罹った者はまだいないと聞いて、ようやく胸を撫でおろしたわけだが、よく考えてみれば、わかったことではある。

 黒死病に侵された者には、わかりやすい特徴があると聞く。

 町の外にいた連中に、少しでもその兆候が見られたのなら、こんな俺でも一目でわかったはずだ。見てわかるような不調な者も、体を崩した者もいなかった。むしろ騒動になるほど元気ではなかったか。ナゼルに言われるまで疫病の事は完全に頭から抜けていた。

 咳をした子供だって、ただ咳をしたというだけ。薄汚れ、飢えて、ただ体調を崩しているだけだ。

 黒死病を持った者はここにはいない。

 いや。

 わからない。

 まだわからないというのが正解なのだ。

 町の中にも、また、外にも黒死病の兆候は未だ見られていないが、これからどうなるのかは、誰にもわからないのだ。

 ある時、すぐ近くの誰かが倒れ、身体を黒くするのかを。


 ルーアンの町の住人の様子は浮つき、乱れている。乱れているのは今更であるが、それに一つ、また新しい混乱がもたらされたといった所か。

 この世界に混乱をもたらした原因の一つに、骨として動いている俺の存在が関係しているのは、まぁ認めざるを得ないと自覚しているが、さすがに疫病どうのこうのの混乱に俺は関わっていない。疫病の恐怖は、昔から俺たちの身近にある恐怖なのだ。

 住人たちが恐れるのも無理はない。

 様々な立場の者によって残された絵や言い伝え、親から子への寝物語によって、あまりにも生々しく語られる黒き死の病の話は、この世に生まれた者の誰もが恐れる話のひとつ。終末を恐れるより、より、近い。家族や自分の命に、直接係わる恐怖。

 黒死病。

 死に至る病。その悪病に襲われた者は体の何処かが腫れあがり、その後、皮膚は黒ずみ、苦しみながら死んでいくのだと言う。その病に侵された者が助かる道はない。ないと、される。

 どれほど熱心に神に祈ろうが、無駄。聖職者であろうと、王侯貴族であろうと、その残忍な黒い悪魔の手に捕まったら最後、逃れられない悍ましい死を迎える。

 黒い死。

 親の親か、さらにその親、そのくらいの世代を大いに苦しめた大疫病。

 大きな町であろうが、小さな町であろうが、容赦なくその病魔は襲い掛かってくる。あらゆる町の道端には弔われることのない、黒ずんだ死者たちの亡骸で埋め尽くされていたという。家族に罹った者が出たのなら、泣き叫ぶ者たちの涙ごと、家族により外へと捨てられて、頼る者もなく死んでいく。そんな話ですら、病魔を恐れる者たちの手によって、罹った者の家族ごと家に閉じ込められて、外から釘を打ち付けられて出られぬようにして、そのまま全員が死んでいった、だなんて話と比べれば、救いのある話だろうか。それは家族を閉じ込めた他の者たちも、同じ運命を辿る、と続く。

 そんな悪夢の再来。

 南から来る黒死病の猛威。


「その情報をもたらしたのが、そいつか?」


 年齢は二十台にもいっていないだろう、楽器を手放さない、若い男。

 町から町へと流れゆく吟遊詩人。

 宮廷楽師や教会のお抱えの音楽隊などと違い、流れの吟遊詩人は身分が低いとされる。だがジャンと名乗った吟遊詩人には、下賤な者が発するような卑しい態度は見受けられず、その瞳には強い好奇心が宿り、光っている。

 ナゼルによって連れて来られたこの場所は、大学の講義にでも使われていたのか、広くて、それなりに豪華に造られている。俺や何人かの町の有権者たちに囲まれた吟遊詩人は、萎縮するでもなく周囲を観察し、時に俺に視線をよこして微笑みかけてくる。豪胆なのか奔放なのか、それとも頭が少し足らないのか。

 貴重な町の外の情報源として連れて来られた吟遊詩人が声を上げる。


「この相棒たるリュートの澄んだ音色に誓って、私の見聞きしたものは全て真実であります。ここで一曲、今、フランスの南の地で繰り広げられております地獄絵図の詳細を、軽快な旋律に乗せて……」

「ええい、歌わんでいい! 楽器から手を離せ!」


 頭が足らない方だったか。

 よくこの地に住まう人の前で、この地で起きている地獄絵図を軽快な旋律に乗せて歌おうとしたな。どういう神経をしているのか。いや、吟遊詩人とは元々そういう者か。雇い主に不敬を働いて斬られてしまうなんて話は、昔話にするでもなく、よく聞く話。法で守られる立場でも無し、命知らずなことだ。

 額に青筋を浮かべたナゼルに怒られても平然としているあたり、この男もまた覚悟が決まっている。

 吟遊詩人が語る話の内容は、ナゼルが何度も聞いたことらしい。

 オルレアンより南の地で黒死病と思われる死者が出はじめたことと、そしてその地域が広がっていること。それによる人々の混乱も。


「して吟遊詩人よ、黒死病について知っていることを話せ。罹った者はどうすればいい? この死病に対抗する手段はあるのか? 聖なる光に祝福された者たちならば、その病に罹らなかったりするのか?」

「いえ、あの、医者でも聖職者でもないあたしに聞かれてもぉ、困るというか……」

「そうだな、当然だ、ああ、そうだった。医者は私だった、ああ、もう」


 頭を抱えるナゼルを周りは白い目で見る。

 医者が一介の吟遊詩人に病の治療法を聞いてどうする。

 どうも色々と極まってきているな。

 発言力も無いのに代表者などやるものではない。例のリュミエラが光の聖女だのと呼ばれるようになった騒ぎの当事者の一人として、その立場に居続けているのだろうが。本人は本気で嫌がっている節がある。他に誰も声を上げないので、しかたなく代表をやっているのだろう。責任感のある者は、いつの世も苦労をする。

 ふ、こいつもまた、あの邪知暴虐なる黒猫の被害者か、我が同類よ、増えて嬉しい。少しは優しくしてやろう。


「私どもはどうすればよいのでしょうか? 神の使徒……聖なる光の黒騎士様」

「俺に聞くな。それから何度でも言ってやるが、俺は神の使徒ではない。それと聖なる光のどうこうも付け加えるな。黒騎士、ただの黒騎士と呼べ」

「ぐぅ……」


 こいつらの立場としては俺が神の使徒でないと都合が悪いからな、何かあるごとに俺を神聖な何かに仕立て上げようとする。リュミエラと違って、俺は大人しくそんなものになる気は無い。そこは諦めろ。

 俺が発言したのを見て吟遊詩人が俺をキラキラとした目で見てくる。何だ、その憧れの聖人でも見るような目は。やめろ。俺は決して神聖なものではないからな?


「町の者たちには、どう説明しましょうか? 聖女リュミエラ様の御威光を持ちまして……黒死病はルーアンの町には入ってこない、と公表してもいいでしょうか? このまま何もせずともよかったりして?」

「それも俺に聞くな、だが……駄目だろう、疫病の対策はせねば」


 御威光だけで病が防げるのならば、世界で病に苦しむ者はいない。ましてや、それが茶番で生まれた聖女の、ありもしない御威光だと言うのなら、尚の事。


「おい、道化師よ、翼の悪魔を退けたるリュミエラ様の御威光を持ってしても、死の病を防ぐことは難しいのか?」

「病と悪魔を同列に語るな、それらは違うものだ、ゴウベル」


 この場にも何故か居るゴウベルに答えを返す。

 ここはルーアンの町の今後を決める場ではないのか? そもそも俺が居るのもおかしい。のだが、ゴウベルには気にした風もない。何故俺たちがこの場にいるのかと聞くと「光の戦士だからな!」と返される。

 もう話にならない。こいつの頭の中では、自分の体が光ったのがよほど嬉しいらしい。すべてそれで説明しようとしてくる。子供か。


「医者としての意見は無いのか、ナゼル?」

「黒死病……黒死病……ええと、確か、かの病は、他の病もですが、腐った水、瘴気を発する汚れた空気によって広がっていくと、確か、ええ」


 かつて黒猫は病の事をどう言っていた? 確か二度目のパリの後で、そんな話もしたはずだ。昔の事だと言うほど、昔ではないはずだぞ。だがしっかりと記憶していない。思い出せ。目にも見えないような小さき者たちが、どうこう……ええい、奴のあやしげな話は、とりあえずでも何でもいいから、一言一句、文字に書き記して残しておくんだった。黒猫とのやりとり、そのすべてで後悔が過ぎる。


「邪悪なる瘴気は毛穴を伝って人の体内に入って来るのです。汗や汚れで毛穴を塞ぎ防御することで、死の病を防ぐことが出来る、そう、確か、そんな話であったと。腐った水に触れないためにも、風呂に入らないのが一番ですな。確か、ええ」

「それは有効なのか?」

「少々匂いが酷くなるのを我慢すれば、ええ」


 医者の発言を受けて、町の有力者たちの中には「聞いたことがある」だの「風呂に入ることを禁止にしよう」だのといった声が上がる。

 本当にそれで病魔が防げるのか? いかにも効果が無さそうだが、どう効果が無いのか、あるいはあるのかを説明することが俺には出来ない。これまでの人生で何も学んでこなかったからだ。黒猫とのやりとりだけではない、俺の人生そのものが後悔の連続であった。


「わ、私は、神によって祝福された土地の土を食べると良い、と聞いたことが……」


 町の住人からの声を皮切りに、様々な意見が飛び交い始める。

 予防のために神へ祈る事は基本、全身の皮が破けるまで、むち打ち苦行をすることで病から逃れたという者の話。人が集まって密談をすると病の悪魔が覗きにやってくる、だの、生の野菜は体に良くないため口にしてはいけないだとか、酢や水銀を飲めば病は癒えるだの、感染してしまったら浣腸と嘔吐によって体内に食べ物が無い状態にすると良いという話だったり。中には知り合いの死体回収人の中にはハーブや香辛料を詰めた口当てを使っている者がいるぞといった具体的な話まで。


「黒き死の病のことを想像して声に発するだけでも悪いと聞きますぞ? 私の先祖の家族がそれで病を得てしまったとか……ですので、今後は、例のアレとか、他の何かに言い換えるべきでは」

「……おお」


 他の者が感心しているが、俺はまったく感心していない。馬鹿か。そんな誤魔化しで病が治ったり防げたりできるものかと。

 もどかしい。

 的確に、そして明確に否定することが出来ないのがもどかしい。

 何が正しくて、何が間違っているのか。


「ではナゼル殿、予防もむなしく黒き死の例のアレを得てしまった場合、腐った血を抜けば良いんですな?」

「ええ、確か、それは大変有効な手段だったかと、その前に膨らんだ箇所の切除、黒くなってしまった手足を切って落とさねばなりませんが……」


 死ぬだろ。それ。病気関係無く。

 反論や異論を唱えるだけの知識がないことを悔やみつつ、だがそれゆえに俺は学びたいのだと、そう思う。

 完全に引いてしまった俺を取り残して、議論は熱を帯びていく。


「ユダだ……ユダの民に気を付けろ。俺の親の親の親が言っていた。井戸に毒を投げ込まれたのだと」


 誰かのそんな発言で、会場内は一層熱を帯び始める。どうやら会議の席にはユダの民に連なる者がいたらしい。しばらく「やった」「やってない」の口論が続き、やがて意見交換だったはずの場は、互いの胸倉を掴んでの喧嘩にまで発展していく。


「道化師よ、なんとかならんのか? もう会議どころではないぞ、出て行ってもいいだろうか? 報告や協力は取りつけたのだし、もうここに居る意味、無いぞ」

「最初から無かっただろうが。……俺も出ていこう」


 イングランド兵にルーアンを攻撃する意思がないことは、すでに伝えてある。

 オルレアンに向かう2000程の兵が通る際に警戒こそ必要だろうが、元々時間稼ぎとしての捨て駒にされかかっていたルーアンにとってみれば、一も二も無く了承できる話だ。政治をわかる者がいれば、あるいはいくらかゴネて、町にとって有利な交渉が出来たかもしれないが、生憎、今の町の代表は求心力に乏しい町の医者だ。


 重要な話はもう聞けまいと、立ち上がり、後にしかけた会場にポロロン、ポロロンとリュートの音が響く。

 それは軽快な旋律であり、一層喧嘩をけしかけるようにも、あるいは馬鹿にして辞めさせようとしているかのようにも、どちらにも感じた。

 笑顔のままリュートを引く男に、一同は喧嘩を止めて視線を集中させる。


「おい! 楽士! 何で楽器を弾いているっ!? ここは真剣な議論の場だぞ? 馬鹿にしているのか!?」

「あれ? 議論の場です? 喧嘩の場でなくて?」

「喧嘩をしているからといって音楽を奏でる奴があるか!」

「あ、いえ、音楽があった方が盛り上がるかなって」

「盛り上がるかっ! ていうか喧嘩を盛り上げるな! 馬鹿かお前!?」


 喧嘩をとめる方ではなく、けしかけようとして楽器を鳴らしていたのか。

 だが楽士の意図とは逆に、喧嘩は止んでいた。ただし、その矛先は喧嘩を止めた吟遊詩人に向かう。


「何十年も前の、会ったことも、見たことも無い人の事件でよくそこまで熱くなれるものだと感心しておりまして、いやぁ皆さま、想像力が素晴らしいことこの上なし。見ているだけで楽しくなってきたのですよ。こんなにあたしを楽しませてくれたのなら、せめて音楽で報いようかと……」

「報いるな阿呆が!」

「今は町の大事だぞ!?」

「茶々を入れて口を挟むからには相当の覚悟を持っているのだろうな、楽士よ!?」

「えええ!? ありませんよ! そんなもの! 町の方針に口を出す気はこれっぽっちもありません。嘘や出鱈目な噂に踊らされて無実の者を貶める覚悟も、あたしにはございません」

「なんだと貴様っ!」

「吟遊詩人風情が生意気な口を聞きやがってっ!」

「生意気ですいませんですよぅ。噂も好きですしぃ。人がそんなにも噂好きだから、南の地では猫が殺されて、死骸がうずたかく積み上がっていくのですよ……可哀そうに。可愛いだけの生き物なのに、罪もないのに可哀そうに、ああ可哀そう」


 大げさに嘆いた吟遊詩人は、手に持つリュートをポロロンとかき鳴らす。

 その態度が一層、男たちを激高させる。


「猫だと?」


 また、猫だ。

 激高した男たちが吟遊詩人に詰めかけようとする光景を見ながら、考える。

 猫、猫、猫、……黒猫。

 オルレアンで悪魔教とやらが悪魔召喚の生贄として殺しているという話とは、また別の話か? 気になる。知らねばならない。


 兜を脱いで、思念を発する。

 ここに至るまでも、何とか念話を通そうとしたが、うまくいかなかった。どうにも髑髏の顔をすべて覆う、この兜が良くないのではないだろうか。


『黙れ』


 静かな声が、喧騒に満ちた会場に広がる。

 今のは、どうだ?


『口を閉じろ、お前ら、黙れ』


 再び、声に意思を込めて放った。今回はうまく出来たような気がする。

 ちなみに、黙らないと首を絞め殺すぞという強い意思を込めた。

 果たして結果は……激高していた男たちは、動きを止めて、口を閉じ、こちらに見入っている。

 胸倉を掴まれた吟遊詩人だけが口を開いて喘いでいる。


「……道化師、お前の声はずいぶんと聞き取りやすいなあ」


 失敗か? いやアホ鈍感ゴウベルの意見はどうでもいい。

 男たちが俺を見る時の恐怖に怯える表情こそが結果ではないだろうか?


「皆、黒騎士様のことを、恐れていますから……だから誰も私の代わりをしようとしないのであって……」


 ナゼルのボヤきが耳に入る。俺のつぶやきを拾っただけで、念話とまでは行けてなかったか?

 とにかく、いい。場は静まった。


「お前たち、いいから座れ。座って、その楽士の話を聞け。楽士よ、猫がどうした? 話せ」


 兜を被り直して、俺も椅子に座る。呆然とした表情で大人しく従う町の有力者たち。念話の内容までは伝わらなくとも、なにかしらの反応はあった。念話に手ごたえあり、だ。あとはこれを磨いていくのみ。武術と同じだ、こういうのは。繰り返しの練習が必要なのだろう。

 吟遊詩人は服の乱れを治して楽器を撫でる。


「では黒騎士様の要望に応えて一曲、軽快な旋律に乗せて……」

「いらん。楽器は邪魔だ、そこらに置いておけ」


 なんでもかんでも軽快な旋律に乗せようとするんじゃない。猫が殺されているという話ではないのか。

 男は楽器から視線を放さずに言葉を続ける。


「では無音にて…………旋律があった方が聞きやすくないですかね?」

「音楽はいらん! 普通に話せ! 普通に! 楽器を置け、いいから!」


 俺に怒鳴られた吟遊詩人は、それでも楽器から手を放そうとせずに続ける。


「では一曲、ではなく、普通に……今、南の地を賑わしている、猫殺しの風習と……」


 若い吟遊詩人が俺を見る。


「……死を振りまきつつ、彷徨い歩く騎士……死霊の黒騎士についての話を」


 俺を見るその瞳に、畏れは、無い。ただ純粋な好奇心からくる強い視線が、俺の黒い全身鎧に注がれていた。


「したいと思います」


 ポロロン、と、吟遊詩人の手にあるリュートが鳴った。





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