57
満足すると消える。
満足、すなわち、幸福の状態。
心が満ち足りた状態で眠れば、その後、目覚めることも無く消えてしまう。
それで俺の骨の躰での生は終わる。
二度目の死。
黒猫によれば、俺はわずか数日前に生まれたのだとか。それを聞いた時には到底信じることの出来ない戯言だと一蹴したが、それを額面通りに受け入れとってしまえば、初めての、死。
前から、なんなら、黒猫に出会ってから一番最初に言われていたような事ではあるが、その後に受けた数々の衝撃や、受け取った情報量のあまりの多さに、これまで深く考えることをしてこなかった。
だが実際に消えかけて――いや、まだわからない。
本当に、ただの居眠りをしていただけなのかも……
……それは無い。
いかな俺とて、流石にそれほど緩い、気の抜けた性格はしていない。
今は敵ではないものの、何事かあれば、すぐにも敵になりそうな者たちに囲まれて呑気に居眠りをするほどの愚鈍さは持ち合わせていない。そう信じたい。信じている。
だから、村での先ほどの件は――本当に消えかけていたのだ。
村での休憩もそこそこに切り上げ、急いで向かうルーアンの町への道すがら。
後ろに付き従うゴウベルと泣き虫の会話が耳に入って来る。
「泣き虫め、二度と故郷に帰りたいなんぞと口にするなよ?」
「おいゴウベル、いい加減、私の事を泣き虫呼ばわりするのはやめろ! そもそも何だ!? お前、口の利き方に気を付けろよ? 私の家は……」
「ベッドフォード公や黒太子にも繋がる名門、の末端の末端、だろうが? 実はな、ベッドフォード公に、お前が次に不様に逃げ出すようなら後ろから斬ってもいい、と、そう言われているのだ! 逃げ出す時には背中に注意しろよ? がはは!」
「そんな……」
厳しい処分とは思わない。家の恥を増やす位なら身内であろうといっそ殺してしまうという感覚は理解できるものだ。敵を前にしての逃亡は不名誉極まりない事柄だからな。むしろ身内であるからこその処分。最初はジャンヌが処刑された日のルーアンか? 地獄の軍勢が攻めてくると聞いて真っ先に逃げ出して後を追う者を増やした。次はルーアンでは受け入れきれないパリの町からの避難民を殺す役目からも逃げ出した、三度めはルーアンの町の門を守備する役目を放棄して……いずれも、俺に関わっているな。敵は俺だった。すまんな。恐くて。
「俺だって一刻も早く真の聖女にして慈愛の乙女であるリュミエラ様の元に馳せ参じたいのだ。それを堪えて軍の作戦に従事している。平和を乱す悪魔教の悪漢どもを誅するのは光の聖女であるリュミエラ様の願いでもあろうからな! これも光の戦士に選ばれた者の役目だと言い聞かせている」
「光の聖女て……教会が正式に認めたのはパリにいる銀の聖女の方だろう……」
「何が銀の聖女か! いきなりパッと出てきおって、怪しい事この上ないわ! いいか? リュミエラ様はな、あの方を殺そうとした愚かな俺にまで慈愛を授けてくださる方なのだぞ? 恐ろしい魔女によって無残に殺される寸前であった俺の命を救ってくださった……光の力を持つ真の聖女。どちらか聖女かなんぞ、考えるまでもないわ! 教会のボンクラどもめ」
「その教会関係者が多くいる前で銀の聖女は奇跡を起こしたのだろうが。実際に見た者によると世界の星々がすべて地上に降りて来たのかと勘違いしたほどの銀の光の奔流だったとか」
「リュミエラ様だって光っておったわい。魔女退治を為した偉業は永遠に語り継がれねばならん。聞けば銀の聖女とは盲目の僧侶らしいな。教会の関係者ではないか。年もそれなりだとか。若くて愛らしいリュミエラ様の方がずっと聖女らしい。な? 骨の道化師?」
「…………」
「無視はやめろって言ってるだろうがっ!」
どちらかといえば、より聖女らしいのはプリュエルの方だがな。
盲目の身でありながら、神罰を待つだけの町に一人残って死者を弔い続けるなど、常人に出来るものではない。
調子よく走る俺の馬の躍動に合わせて身体に伝わる心地よい揺れに再び眠気を誘われる。二度三度と強く頭を振り、頭の中にいる、しつこい睡魔を追い出して、考える。
頭の中が完全に手遅れなゴウベルのことはどうでもいいとして……
あの時、ゴウベルの馬鹿に肩を揺すられて起こされなかったら、どうなっていたのだろう?
死した俺の為に天国への扉が開かれることは……ないだろう。心の底から神を呪った時もあるのだ。ならば地獄か? いや、どちらも無い。それらは人が妄想の上に創り出した虚構だからだ……それも本当か? 何を信じればいいのか、わからない。意識は残るのか? 魂の行く先は?
恐ろしい。
死を考えるのは、恐ろしい。
何もわからないから恐ろしい。
黒猫は死に対して何と言っていたか? 船を降りた者、だったか? やはりよくわからない。
黒猫をして、死した者を知らないという。死者には会ったことが無い、だったか? 死後の世界を語る者の言う事を信じるなと、何故ならそいつは生きているからだ、と続いたか。いや、それは詐欺の手口の話の中の一節だったか。この世に存在しないものを信じさせる時の詐欺師の手口。時間が経つにつれ、記憶は曖昧になっていく。
奴の話の多くが俺には難しい。
理解するための土台が無いからだ。
わからないだらけの中、理解できたこともある。
死にたくないと願うのは、俺が今、生きている事の証明。そこまでは理解できた。
この身が骨であろうが、俺は生きている。
認めた。
認めた上で、次に生まれた問題も。
俺は生きている間、永遠に満足することが出来ない、そういう存在である、ということ。
「これ、俺、詰んでいないか?」
俺の小声でのつぶやきは、前を行く軽快な馬の進みともに、後ろに流され、拾う者はいない。
黒猫に近づくために学びたいと強く願った。あの力に憧れた。その願いを叶える為の時間はある。満ち足りなければ永遠に存在できるこの身なのだ。だが黒猫に近づけば近づくほど、力を得れば得るほど、俺の心は満たされていくのだろうと、それが容易に予想できる。いつか、どこかで、もうこれで十分だと思ってしまう事があるんじゃないだろうか……それで、消える。消えて、終わる。学んだことが、すべて無意味になる。
ならば、俺の生に何の意味がある?
怒りや不満を持ち続ける事が俺の生だと?
永遠に生きるということは、永遠に死への恐怖に怯え続けるということと同じ意味なのだ。
これが神を呪った愚か者の末路か? 哀れ過ぎるだろう。なんて救われない、終わる事のない悪夢か。
いや……救いは……あるのか……
憂いなく満足したら、それが救いだ。
知識を得たい。力を得たい。幸福にはなりたい。だが死にたくはない。それこそ、悪魔に頼ってでも、生きていたい。生きていくためには幸福を望んではならない。
ああ、なんだ、これは。
手詰まり。俺という存在は最初から手詰まりで出来ている。
生きていたくば永遠に不幸でいろと。
理不尽の極み。
魂の牢獄。
これほどの罰を受けるような罪を俺は犯したか? 周りに流されて悪いことも多くしてきた自覚はある。記憶にあるのはろくでもない生涯だが、こんな罰を受けるほどの大罪は頭の中の記憶のどこを探っても出てこない。考えれば考えるほど、心の中で怒りがどんどんと大きくなっていく。怒り……怒りが俺の生の活力。歪。あまりに歪。
こんな歪な存在を、何故生んだ?
(答えろ、黒猫。俺を生んだのは黒猫、貴様だろうが?)
天の彼方まで届けとばかりに、黒猫へ向けて祈りを、いや、念話を送る。
かつてないほどの真摯な祈りを、そして、怒りを込めて。
俺の持つ怒りが理不尽な怒りであるならば、理不尽だと言いに来い、どこにもいない神とは違い、お前にはそれが出来るだろう? 出てこい、俺の祈りが通じているなら出て来て説明をしろ、それが、俺を生んだ者の責任だろうが、と。
祈りは届かず。
返事は、無い。
◇
何度かの休憩を挟み、ルーアンの町の北の門の前に到着する。
途中、この地の住民たちとの間で諍いが起きそうになったが、兜を抜いで髑髏を晒した俺のひと睨みですべて平穏無事に解決した。
「ええい、恐怖を振りまくな! 道化師!」
「存在感というか……威圧感が……」
機嫌の悪さはいかんともしがたい。
顔に出ていたか? 表情もない骨なのに?
この地に平穏をもたらしに来たとのイングランド兵の説得も霞むほど、俺を見た住民たちは萎縮していたようだが、特に争いは起きなかったのでよし。問題はない。俺の心以外は。
ルーアンの門は固く閉ざされていて、町の中に入れない人々が群れている。
俺たちを見て慌てる住民たちに丁寧な態度で接するイングランド兵の先遣隊を横目で見つつ、ひとりごちる。
「どうした? 何故、町の中に入れない?」
それが門の役目だと言えばそれまでだが。
固く閉ざされた門の前に門番なども配置されておらず、助けてくれと、町の中に入りたいと懇願する民の声にも無反応。急ごしらえで修復された門を強く叩く者を咎める者もいない。
「不穏な感じだな? 町の中で何かあったか? これでは中に入れない」
「骨の道化師は空を飛べるではないか。あの日の夜みたいに羽を生やして飛んで入ってくればいいのでは?」
「羽は生えん。それからもう空は飛べない」
「なん、だと?」
実際に空を飛んでいたし、疑うこともなかっただろうが、改めて聞かれたら、そう答えるしかない。飛べないものは飛べない。羽も生えない。いや羽は生やせる、ローブを変化させれば、一応。しないが。
「どうして飛べなくなったのだ? はっ……魔女か? あの魔女に呪われたのか?」
「そうだな、そんな感じだ」
もう、そういうことにしておけ。飛べないのが普通なのだと説明するのすら面倒だ。
またひとつ、ルルの罪を増やしてしまった……許せ。言い訳や罪をなすりつけるのに悪魔や魔女は……便利すぎるのだ。
これもまた理解できた。人が悪魔を求める理由。こうして人の身勝手により悪魔は生みだされ、育っていくのか。人という生き物はなんて罪深い生き物だ。
ルルに関しては……まあ、自分から魔女を名乗るような奴だから、許してくれるだろう。
俺にいたずらを仕掛ける時の奴の悪い笑顔が思い浮かび、怒りが再燃する。
あの性悪猫め、俺の躰に理不尽な罠を仕込みおって。邪悪、やはりあいつは邪悪な何かで間違いはない。どうせこの世界にはいないのだ、これからも罪をどんどん被せてやろう。もし文句があるならさっさと出てこい。おのれ、手の届かない所に逃げおって。
何処に行ったのかもわからないが、俺が手も足も出せない場所にいるであろう黒猫に、じっとりと怨念の籠った念話を送りつけていると、俺の連れてきたイングランド兵たちと民衆の間で諍いが起きる。
「お前たちのせいだ! お前たちが聖女を処刑したせいで!」
「聖女を殺した本当の犯人は実在する魔女なんだ、俺たちイングランドも被害者、いや、俺たちの間違いは、決して償いきれない間違いとして受け入れる準備はある。だから、これから悪魔教を名乗る者たちを滅ぼしに行くのだ、奴らは悪魔を召喚した疑いがかかっている。そのために力を貸してくれとは言わない、ただ通っていくのを許してくれれば……」
「勝手な事いいやがって!」
一触即発の空気だが、遠慮なく割って入る。
「争うな。話だけは最後まで聞いてやれ。それ以降は知らん。だがここでは争うな、誰も殺すな、俺の目の前では許さん」
「くっ、黒騎士……本物?」
数の上では圧倒的に民の方が多い。呑み込まれればひとたまりもない。だが、それで怯む理由にはならない。俺は幸福になるだけで死ぬんだぞ? わかるか? お前ら? 睡眠が深い以外に特に欠点など無いと思っていた便利で上等な躰、それには特大の罠が仕掛けられていたと知った時の気持ちがわかるか? 満足したら消えて無くなるこの身の理不尽さが? ああん? おおん?
そういうものだよと、始めから明言されていたにも関わらず、今さらになって、ようやく本当の恐ろしさに気がついたような、間抜けで考え足らずの人骨が振りまく威圧に押されて静まり返る民衆。
八つ当たりか? 知らん。
静まり返っているのはイングランド兵も同じく。
「空気が……震えて……」
ポツリと泣き虫がつぶやいた。
あ゛? 黒猫でもなし、空気を震わすような力は俺は持っていないぞ?
……ふと、思い当たる。
……念話だ。
先ほどの俺は、俺の想いよ、黒猫に届けとばかりに念話を送っていた。その名残、要領でもって、強い怒りの感情を周囲に振りまいていた。
念話、声、声は振動……心に響く声を、空気が振るえていると勘違いしている?
威圧感の正体とはそれか?
今まで黒猫以外に試したことは無かったが、ひょっとして俺の念話を周囲の奴らは受け取っているのか?
もしや、アリセンあたりに、俺は顔に出る、などと言われていたのも、俺が無自覚に周囲に垂れ流していた俺の感情だったのか?
(馬鹿、ゴウベル、馬鹿、ゴウベル、馬鹿、愚か、阿保、間抜け面、聞こえているなら答えろ、阿保ゴウベル)
ゴウベルの方を見ながら念話を送って見るが、奴は怪訝な表情で俺を見返すのみ。使えん。
「……騎士、様? 黒騎士様!」
念話の標的を泣き虫に変えて、あらん限りの罵倒を送っていると、民衆を掻き分けて、一人の少女が俺の前に立つ。
狼を斬った時に村にいた娘だ。十をいくらか過ぎただけの、幼さの残る娘。
「お礼を、お礼を騎士様に。皆がそろって無事にルーアンまで辿り着けました」
幼い少女の後ろに子供らが並ぶ。あの時にいた全員か。
「礼はいい。それよりだ。無事に辿り着けただと? 町の中には入れていないではないか。町に何かあったのか?」
「わ、わかりませんが、入れて貰えないんです……」
「俺の名は出したか? いや名では無く、黒騎士と。リュミエラでもトムスでも構わんが」
「き、聞いてくださる人が居なくて……」
要領の悪い娘だ。
あれからすぐに狼を捌いて歩いてルーアンに向かったのだとしても、ずいぶんと町の外に放って置かれたのだろう。髪も服も汚れまくっていて、最初に見たプリュエルの姿を連想させる。いや、あっちはもっと酷かったが。
「埒が明かないな。とにもかくにも町に入らねば」
子供らを引き連れて門の前に行く。
子供らに続いて、大人しくなった民衆も。
「聞け! 黒騎士が戻って来たぞ! 開門せよ! 開門せよ!!!」
念話の要領。発声と同時に行う。
これで反応が無ければ門ごとぶち壊して入ってやる、そうした意思を込めて、放つ。
泣き虫が手で耳を押さえている。
失敗か? これでは念話の籠った声では無く、ただの大声か。やはり念話と同時に何かをするのは難しい。
しばらくして、門の向こう側が騒がしくなり、もうしばらくして、ゆっくりと門が開く。
解き放たれた門の向こう側には、大勢の市民に交じって一人の凡庸な男。
「せ、聖なる光の黒騎士様……」
何だ、その名は。
聖と光と黒を混ぜるな。
「はて、誰だったか?」
「ナゼルです。医者のナゼルです」
そうだった。俺と魔女との戦い、その茶番を間近で見た目撃者の一人。大物が次々に逃げ出したルーアンの町で民衆の代表をやっているのだったか。
町に入りゆく俺たちに続いて民衆が雪崩れ込む。
門は門の役目を失った。
「ああ……入って来る……しかし、聖なる光の黒騎士様が……ああ……」
聖なる光の黒騎士という呼び名は改めさせるとして、今は聞くべきことがある。
「どうしたナゼル? なぜ民衆を町に入れない? 人手が足らんのだろう? 町の中で何か問題があったのか? 問題は食料か?」
町の中に入って来る民衆を見ながら呆然としていた男に問いかける。
「食料に問題はありますが、違います。問題があったのは町の中ではありません、聖なる光の黒騎士様……問題があったのは、町の外……」
町の外? 町の外に何があった? 助けを求めていただけの、それほど多くは無い民衆と、あとは俺たち。俺たちは今着いたばかりであり、問題にはならんだろう。
医者のナゼルは続けて言う。
「固く門を閉ざして誰も町に入れなかったのは……病が……今、巷で疫病が流行しているとう話を聞いたからです。いえ、聞いただけでなく、実際に外に居て体験した者が言うには、今、酷い勢いで病に罹る者が増えているのだと……それに罹った者は、脇や股が見る間に腫れて、やがて全身が黒ずんで死んでいく……おそろしい病……黒き死の病……」
肩を落とした男が俺の後ろを見ながら、つぶやく。
「黒死病が……黒死病が再び、この地で猛威を振るい始めたのです……」
男の目線に釣られて、後ろを振り向く。
俺に連れられて入ってきた子供の一人が、
ゴホンと咳をした。
黒猫「黒騎士さん、私の事、好き過ぎない?」
疫病のターン。苦手な方はご注意を。
評価、批判、レビューなど……か、勝手にすれば、いいんじゃないですかね、そういうことされても、ほら、作者が喜ぶだけだし、うん。
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