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回想の続き。
悪魔の召喚を成功させたという男。見目の良い若い男だとか。
今、その男の周りに悪魔の信者を名乗る者たちが集まっているらしい。
各地から集まって出来た集団は自ら悪魔教と名乗り、オルレアンの町を襲撃して落とした。
オルレアン。要衝の地。
ほぼ二年も前になる。長らくイングランド軍の包囲を受けいていたオルレアンの町は、補給を届けにきたジャンヌが到着して、わずか数日で開放されることになった。
長く続く戦いで疲れ、精神が擦り切れ、まるで眠ったように動きの鈍い者たちが大勢いた中、神の名のもとに町の解放を願い戦うジャンヌの熱に当てられ、将や町の住人たちが次々と目覚めていく姿を、俺はこの目で見た。
フランスの地のほぼ中央に位置するオルレアンを落とされれば、そのままイングランドに中央を押さえられ、後は、この地のすべてを蹂躙されて終わっていたのだろうとは誰もが口をそろえて言う事だ。
あと一歩、イングランドにとってみれば、あと一歩の所だったのだ。
すべてをひっくり返した。その最初の戦い。
ジャンヌの事をオルレアンの乙女という名でも呼ぶようになった出来事。ジャンヌ・ダルクの名を世に知らしめた戦いの舞台。
その町にはジャンヌ・ダルクが復活した少女だの、再誕の聖女だのと言われる者がいたが、悪魔教を名乗る者たちによって町を落とされた今は行方知らずになっているという。
それを為した者たちの象徴とされている者の名がプレラーティ。
錬金術師プレラーティ。
その名を聞き、俺の中に何か引っかかるものがあったが、どこを探しても頭の中の記憶には出てこない。俺の知らない人間で間違いは無い。
ただし、俺の記憶についてならば、あやふやではっきりとしない時がある。
俺の死の原因。
どうしても俺が死んだ時の、あの映像が頭にこびりついて離れない。
砕けちった俺の腕と、俺を見下ろす魔女の姿のルルと、見るも悍ましい死の体現者……
召喚されたという悪魔と関係が……いや、無い、無いはずだ。黒猫の、ルルの言葉を借りるなら、悪魔など人の想像の産物でしかない…………だから、それでは、俺や黒猫の存在の理由がつかないというのだ。
神がいて、悪魔がいて、魔女もいれば動く死者も存在すると言えば、それですべてが説明できるではないか。
「み……自ら悪魔の信者を名乗る者など、いるのですか? なんて恐ろしい……馬鹿じゃないのか……」
「いたらしいな。馬鹿は何処にでもいる」
カレーの町の南の森より、さらに南の平野部。イングランド軍の野営地の中央にて、他の兵士の視線を浴びながら卓を囲む、俺を含めて四人の男たち。
会議というよりは俺への情報提供のために用意された場に、何故か呼ばれていた泣き虫がベッドフォード公に聞く。それに対して吐き捨てる様にして答えるベッドフォード公。
「悪魔も魔女も実在して我々の前に現れた。となれば身近にいない神様よりは頼りがいがあるってことじゃーねえの? 馬鹿の考えなど知り様もないがな」
「そんな……悪魔や魔女がいるのなら神や聖女もいるって考えないのはどうなんです? ……普通、神罰とかを恐れるものでしょう?」
「馬鹿が馬鹿にされる所以だな、なんも考えてねーんだろ」
「うぬう、あまりに軽薄! まるで節操がない! 祈りを捧げた神が姿を見せぬとて、身近にいる悪魔の方を頼るなんぞ! 愚か者の極みだ! まるで物事を考えぬ幼児のようではないか!? な? 貴様もそう思うだろう? 骨の道化師よ?」
「ああ! そうだな! まったくゴウベルの言う通りだ!」
「お、おう……返事が返ってきた」
卓を囲む最後の一人。
遠慮のないゴウベルの声に反応して、つい適当な事を口にしてしまった。
ふいに振られた俺への質問の内容、それは俺の痛い所だ。
祈っても助けてくれない神よりは目の前にいる悪魔を頼りたくなる、そうした困窮した者が陥る気持ちはよくわかってしまうからだ。案外、黒猫と出会わなければ俺は悪魔教とやらに改宗していたのかも知れない。ジャンヌを失ったと知った時の俺の心の中は、それほどの絶望でもあった……
喋る黒猫と初めて会った森でのやりとりは、酷く混乱していたとはいえ俺の中にあった本心でもある。あの日の行動や選択を後悔してはいない。他にやりようはなかったかと考えることは、あるが。
胸の奥がうずく。
黒猫との関係をやり直したいと願うのは、あまりに節操が無く軽薄なことか?
猫、猫か。生贄で猫を殺す? 何故猫なんだ。
「猫を殺すのが、どうして悪魔召喚に繋がる?」
「いや知らん。イングランドは魔術も魔道も求めてはいない。至極まっとうで敬虔な神の信徒たちの集まりだからな。不道徳は行わない。死者よ、そちらの方が詳しいのではないのか? もしくはシャルルだ」
どうにもベッドフォード公は、俺や喋る黒猫の裏には魔術を操るシャルル王がいると思い込んでいるようだな。それを前提として話をしているふしがある。そして俺は、いちいちその誤解を解くこともしない。出来そうにないというのが本心だ。魔術や魔道を知らないのは俺も同じだから。
「猫、それも黒猫は古くより魔女の使いとされていたな、むしろ猫を殺すと魔女が怒って来そうだが」
奴ならば怒った所で、軽く窘められるだけかもしれないが。
いや、わからない。
あの黒髪黒瞳の恐ろしい力を持つ少女が本気の本気で怒れば何をしでかすか。それを為した者に振りかかる厄災がどれほどのものなるのか、そんなものは誰にもわからないのだ。
ん? 逆に、怒らせて呼び寄せれば、それはそれで召喚成功になるのか? それはまた実に、後が恐ろしい召喚方法だな。馬鹿でもやらん。
「猫殺しは、その魔女本人がやっていただろうが? 見ただろう? あの日、恐ろしい魔女が、貴様の相棒を殺したのを?」
「…………」
「返事わい」
馬鹿なくせによく痛い所をついてくる。ゴウベルはもう、これから完全に無視しよう。そうしよう。
俺たちのやり取りを見ていたベッドフォード公は、会話が途切れたのを見計らって声を出す。
「して我がイングランドは兵を向けて悪魔教と名乗る集団を殲滅することにした。そこでだ、名もなき死者よ、お前にはその兵の指揮官になってもらいたい」
「な?」
「は?」
「な」
唐突過ぎる話の展開に絶句する二人。俺もまた同じく。三人に見られてもベッドフォード公に狼狽える様子は無い。
「何故、俺が?」
「早い者勝ちなのだ、これは。死者よ、戦争とは、いわば悪の押し付け合い、そういう側面がある。知っているか? 異論はあるか?」
「そこに異論はないが……」
「今回、我々は悪ですと、向こうから言ってくれている輩が居る。馬鹿でしかないが、打ち滅ぼしても文句が出るどころか、皆から賞賛を受けるような大義名分をわざわざ作ってくれているのだ。どこかの誰かの勢力に搔っ攫われる前に、我々がありがたく、おいしく頂く」
「おいしく頂くて……そんな、人をご馳走みたいに……」
泣き虫が弱弱しい声でベッドフォード公の言葉を遮るが、公は意に介さない。
「今、この世界で悪魔教徒なんぞを名乗る者たちは人ではない。少なくとも、そう思っている者たちが周りに大勢いる。神を信じる世界の全てを敵にする覚悟が無ければ神の敵たる悪魔教なんぞ名乗れはしまい。世界中の人から人扱いなどされまいよ。悪魔は怖いが、それを名乗って平気でいられる奴の頭の出来の方が、よっぽど怖え……」
人を人足らしめるものは、何だ。
宗教が、それを決めるのか? 悪魔を信仰すれば、人は人でなくなるのか?
「……善と悪が戦えば善が勝つのは世の道理。なに、打ち滅ぼされるのを奴らが望んでいるのだ。せいぜい、この世の罪を、たくさん背負わせてから、あの世に送り出してやろうではないか」
邪悪な笑いを浮かべるベッドフォード公。人相の悪さと相まって、どちらが悪なのか、わかりはしない。
魔女に騙されて聖女を処刑してしまった。そういう罪を勝手に背負わされた。
否定することを諦めたイングランドが、名誉挽回として次に打つ手としては悪魔教を滅ぼすのが一番だ。理解できる。なんなら自分たちが背負わされた罪まで背負ってくれるのなら、それがいい。飛んで火にいる夏の虫どころか、食卓に出されたご馳走のように思えるのも、わからなくはない。
軽々しく悪魔の名を持ち出した者の、それが末路。
それはそれとして俺が指揮官になる必要なんぞ、どこにも見当たらない。
「これは時間との戦い、これ以上に奴らが勢力を増やしていけば、どうなるのかわからん。幸いにして今はまだ血気盛んなだけの烏合の衆。兵の運用も知らぬ馬鹿どもの寄せ集めらしい。二千もあれば事足りるだろう」
「説明になっていないぞ? 何故俺が指揮官なのだ? いや、理由などどうでもいい。指揮官だろうが一兵卒だろうが、断る」
「死者よ、お前は世界が平和になることを望んでいると言っていたのではないか? それとも、あれは口から出任せか? 悪魔を信じる集団なんぞ、この世を乱す勢力でしかないぞ? この地の平穏のために手伝え」
「それでも、断る」
想像もできなかったことが次々と起きているが、イングランドの兵を指揮する立場になるのは御免被る。さんざん敵として相対し、殺してきた相手だぞ。直近でもトムスの館の前の戦いで何人もの首を落としている。無理に決まっている。
「俺はどこの勢力にも与しない。どこにも加担しないし何もしない。中立の立場だ」
少々手遅れぎみではあるが、俺は人の争いに介入しないと決めたからな。
厄介事がこの身に降りかかるならば剣でもって払い除けることくらいはする。だが戦争となれば話は別だ。この地が平穏であって欲しいのも、リュミエラの願いと俺自身の為。俺の平穏な学習の為だ。面倒事には関わらない、絶対にだ。
「中立というなら、尚の事イングランドの為に動かないと駄目だろう。これではあまりに不公平だ。そうだな、書状を持ってきた使者としての働きくらいは我々も期待していいのではないか? 安全な場所から片方に気の向くまま手を突っ込む中立なんて存在しない。全て味方、でなくば全て敵という立場の者だけが中立を謳っていい、違うか? 死者どの?」
「書状を持ってきたお使い程度の働きと軍の指揮を一緒にするな! まったく釣り合いが取れてないぞ!?」
「は、それもそうか、だが困ったな、操られていたとはいえ、操られていたとはいえ、聖女ジャンヌを殺した俺たちイングランドはこの地に住まう者たちの怨敵になってしまっている。軍を動かすのも一苦労なのだ……そうだな、先ぶれと情報収集の先遣隊がオルレアンに着くまででいい。お前はその先頭を進み、この地の住人と争いになりそうになった時はその兜を脱いで口添えして欲しい。この地に平穏をもたらす為の行動であって、敵ではないのだと。それ以外には何もしなくていい」
わざわざ操られていたという部分を二回繰り返して俺を睨みつけるベッドフォード公。懇願する者の顔じゃないぞ。人相の悪さは元からか?
「俺を利用しようとしているな?」
「ああ、そうだとも、利用できるというのなら、大いに利用させてもらうとも、何か不満はあるか? 死者よ?」
不満ならばありまくりだが、それを口にするのも負けたようで気に食わない。なんの勝負をしているのか知らんが。
「それくらいならば、いいだろう」
「そうか、助かる……」
ベッドフォード公の険のある人相がいくらか和らぐ。
この程度の働きでイングランドがどうなるのかは知らないが、この男の中ではさぞかし重要な事だったのだろう。
明らかに俺を利用しようとしているが、俺もただで利用される気もない。ここでいくらか恩に着せられるなら、後で何かを要求しても通りやすくなるというものだ。イングランドの本拠地には大学があっただろうか? ふらりと訪れても追い返されたりしないように口聞きをしてもらおう。
ルーアンに戻ってからは、リュミエラ達を追ってランスに行こうと思っていたが、元よりオルレアンには行きたいと思っていたことでもある。
もう死んでいるだろうが、再誕の聖女とやらには少し興味があった。
聞くところによると髪を短く切りそろえて鎧を着る、ジャンヌによく似た風体の少女だったという。
興味ならば今は錬金術師にも。
は、これでまたシャルル王に会いに行くのが遅れるな、相変わらずの流されようだ。そもそもの最初の目的は何だった? ルーアンに行き、ジャンヌを処刑した男が逃れて……
「……コーション。ピエール・コーションはどこで何をしている?」
「コーション……奴か……」
ベッドフォード公はその名を聞き、苦いものでも口にしたような顔になる。伸びかけていた眉間のシワを再び深くして、俺の質問に答える。
「奴はランスの町の牢獄にいるはずだ。イングランドが悪い、イングランドに唆された、イングランドの指示に従っただけの自分は悪くないのだと主張しているらしいな? すべてをイングランドのせいにしたいらしいが、奴の処刑は免れんだろう……奴はやり過ぎた」
「ふん? 薄情なのではないか? イングランドの走狗となって動いていたのは事実だろう? 見捨てると?」
フランスの地の聖職者でありながら、イングランドと通じ、イングランドの為に働いていた裏切り者の司教。恨んでいる者も多い。
「奴に金を流していたのだろう?」
「ああ、そうだな、金も流した」
悪びれる様子もなく答えるベッドフォード公。
「確かにイングランドはジャンヌを処罰したかった。だが火刑にまでなるとは思っていなかったのだ」
「は?」
「死者よ。終わってしまった後で、信じてくれとは言わないが、知っていてくれ。裁判自体、イングランドの有利になるよう、万事とりはからったのは事実だし、あまりに不誠実だったことは認めよう。だが戻り異端としてジャンヌを火刑にさせたのはコーションなのだ。男物の服を着ない、そう一度宣誓させて、ジャンヌの服を破り取り、男物の服を牢屋に投げ込み、着させたのはコーションの独断だった」
その辺りの話は、パリのノートルダムの大聖堂において若い聖職者たちが告発していた。
「知っているだろう? 異端の罪だけでは火刑にならぬ。異端なる者が罪を認め謝罪し、二度と異端にならぬと誓約をする、その後に誓約を破った者が火刑にかけられる」
それも、告発されていた。罪に耐えかねた者の告発。
体の中から、叫び声を上げる何かがいる。罪無き者が殺された、不正を許すな、悪を許すな、復讐をしろ、燃やされたのなら燃やし返せ、すべてを呪え、と……
「ジャンヌの火刑が決まり、事が容易に動かせなくなった時の奴のしたり顔を忘れられぬ……”どうしてそんな顔をするのです? これが貴方たちの望みでしょう? これですべてがうまくいきますよ?”と……」
想像の中。コーションがベッドフォード公に囁く。太った小男の、したり顔で。
気がつけば、俺は立ち上がり、剣の柄に手をかけていた。周りの兵たちが色めき立つ。
しかめっ面をした目の前の男は手を上下に動かし、兵たちを静める。
「イングランドとしては、この地からイングランドを追い出せ、などという戯けた神の啓示を取り消すことが目的だった……ジャンヌの火刑を止めさせる機会も力も俺にはあった、だがしなかった、それが事実で、後の祭りの話だ……真実は神のみぞ知る、ってやつだ……ああ、違う、俺たちは魔女に操られていたのだったな? 実はコーションこそが魔女の手先だったのではないのか? は、奴がこの流れを知れば、自分も魔女に操られていたと主張するのだろうが」
剣の間合い。一振りで首を落とせる。瞬きの時間もいらない。
投げやりで自暴自棄めいた男の告白は終わる。沈黙と緊張が溢れて、時を止める。
ゆっくりと手を剣の柄から離して、男に問いかける。
「ジャンヌ・ダルクを火刑にかけた事を、後悔しているか?」
「ああ、すごく」
短く答える男の言葉には、言葉だけでは補えない後悔が滲み出ている。
「この地に生きる者たちの信仰心を、なめていた」
男は胃のあたりに手をやって、静かにつぶやく。
「我々の知らない魔術を、神秘を、奇跡を、神の力を……なめていた。ああ、胃が痛ぇ……何が、これでうまくいく、だ。コーションめ、俺が縊り殺してやりたいくらいだ」
仲間であったろうコーションへ呪いの言葉を吐くイングランド総督の顔色は悪い。
人の寿命を見る力など持っていない俺だが、この男はあまり長くないのではないかと、そう思った。
斬るまでもない。
元々俺に、ジャンヌに関して誰かを裁くことが出来る権利なんぞ持っていないのは知っているが……知らされてしまっているが、ジャンヌを火刑にかけた、その最大の責任者と言っていい男の首を落とさないのは、きっと、そういうことなのだ。
そういう理由に、しておこう。




