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この作品のテーマは「ネコと和解せよ」だったりします
「なんでこんなことに……どうして私が……ようやく故郷に帰ることが出来ると思ったのに……リーズの町を貫くエアの川……夕暮れに染まるペナインの山々……川釣りに鹿狩り……父ちゃん、母ちゃん……帰りたい……帰りたいよう……なんで……なんで……こんなことになった……」
街道を連なって進む数十の騎兵。
先頭を進む俺の左後ろで愚痴を垂れ流す泣き虫の声。
何故こんなことになった、とは、俺が言いたい事だ。
「ええい、うるさい、うるさいぞ、泣き虫! いつまでグダグダと言っているッ!」
「わ、私は泣き虫ではなく由緒正しい血筋の……」
「お前なんぞ泣き虫で結構だ! 聞けば最初のルーアンの混乱の夜に、真っ先に逃げ出して、その混乱の助長の原因になったというではないか! 何が血筋だ! 貴様に名乗りを上げる資格など無いわ! 貴様なんぞ”泣き虫”で十分! だよな? 骨の道化師?」
「いちいち俺に聞くな! 知らん!」
右後ろを進むゴウベルの遠慮のない大声が耳に五月蠅い。
名前なんぞ、どうでもいい。血筋も知らん。泣き虫の本名はオリバーなんちゃらというらしいが、覚える気もない。
俺は今、イングランド兵を数十騎連れてルーアンの町に戻っている。遅れてやってくるイングランドの二千の兵との衝突を避けるための行動だ。
これからイングランドの二千の兵はルーアンの町を通り越して南下し、今、オルレアンの町を占拠しているという悪魔を信仰する集団を打ち滅ぼす作戦に従事する。
今、俺が率いている数十の騎兵は、その先ぶれであり、情報収集の役割を持って動いている。
何故、俺が敵であったはずのイングランドの兵を率いてルーアンに戻っているのか。
どうしてこうなった?
揺れる馬の上で、朝の出来事の回想をする。
◇
「む、本当に来たか」
そんな言葉で俺を出迎えたベッドフォード公の顔色は相変わらず悪いが、そこまでは悪くない。眉間に刻み込まれたシワの深さは変わっていないが。
「死者よ、よく寝れたか? いや、寝る必要があるのか? お前は」
「食事も出来るぞ」
「……呆れたものだ……生きているのと変わらんじゃないのか、それ」
それは俺も思う事。
心底呆れた顔をして俺を睨みつけるベッドフォード公の卓の前には朝食を摂った後がある。
食えるし寝れる、そして、自分の意思を持ち、自分の考えで動き回れる。
黒猫の奴が言っていた。俺は生きているのだ、と。
俺は俺自身を死者であると思っているし、この骨の躰を見た他の者も、そう判断することは間違いない。それが事実。だが普通の死者は……死んだままだ。
死者は死者。動き回ることはない。
俺は俺以外の動き回る死者に会ったことは無いし、会話もしたことがない。しいて言えばイングランド兵に斬られて殺されたという黒猫だろうが。とにかく俺という存在が出鱈目すぎるのだ。
歩く理不尽の塊。
俺は生きているのか?
生と死を別つものとは一体……
あの後、イングランドの軍から離れすぎない森の奥に、今は利用されていなさそうな小屋を見つけて一夜を明かした。
森に棲む狼などに馬が狙われぬようにと警戒しながら寝たので、眠りは浅い。
考え事も多い。
敵であるイングランドに致命的な一撃を喰らわせてやる絶好の機会を逃して、俺は奴らの立場の助けになるような選択をした。その選択をした理由についての考え。
フランスの地からイングランドの勢力を追い出すための取引だった、だの、恐ろしい言葉を吐いた後に、どう世界が変わるのかわからなかった、だの、この地の平和の為、しいては俺の学習のためだのと、なんだかんだと理由を探そうが、結論は、その場の雰囲気に流されての決断だった。あそこでは、ああ言う場面だと思った。そこに深い考えは無く、未来を見通しての行動でもない。俺はそういう奴なのだ。ふらふらとして、定まらない。それはまるで川面に浮かぶ枯れ葉のように、時に流されて、時に留まり……
「死者よ、ならば食事をするか? 生憎と今は焼き立てのパンなど望むべくもなく、質素な麦粥しか出せないがね」
不機嫌を形にしたような声が、思考の沼に入りかけた俺を呼び戻す。
「いや、結構だ。そんなことより昨日の続きだ。話を聞かせてくれ、今、この地で何が起きている?」
「そうかい、……ゴウベルとオリバーを呼べ」
テーブルの上を片付けさせながら、イングランドの総指揮官は手下に指示を下す。ほどなくしてゴウベル、そしてオリバーという名前だったらしい泣き虫がやってきて、話は始まる。
「なぜ、私が……」なんて、泣き虫は泣きごとを言っていたが、誰も取り合わない。巻き添えは世の中に溢れる理不尽の一つだ。諦めろ。
「マロー司教の離反は、シャルルに下された神託についての食い違いが原因だそうだ。天空を駆ける馬に乗り、パリのノートルダム大聖堂に舞い降りた神の使者が人々にもたらした言葉……身に覚えがあるかね? 死者どのよ?」
この男、俺が返答に困るようなことを聞く時は機嫌が良さそうになるのはどういうことだ、俺が貴様に何かをしたか? 俺が現れて以降、さんざん苦労したのだろうが、直接は何もしていないだろうが。これもまた世に溢れる理不尽よ。
「ある」
短く、答える。
神託。予言。神の言葉。
舞い降りた、というよりは、調子に乗っていて落っこちた、こそが正しいが、神聖な大聖堂に平気な顔をして現れた俺を天使と勘違いしたマロー司教。彼と大聖堂でやりとりした会話の内容の全ては覚えていないが、少なくともシャルル王が公示した神託の内容との間には、天と地の開きがある。
ジャンヌの次の聖女が生まれると言い、そしてシャルル王の庇護の元にいるべきだと言う、神の言葉。王によって都合のいい言葉。いずれもマロー司教との間で交わした会話とかすりもしない。
マロー司教は自分の言ってもいない事を言ったということにされたのだ。なれば、それは王の独断。
その辺りの事を短く説明してやる。
「そうか、いい事を聞いた」
そう言って悪い顔をするイングランドの総督。
これはシャルル王の不利になるようなことだったか? 口を慎むべき場面か? いや、俺はもう、どの立場の者でもないのだ。誰にも縛られることは無い。言いたい事があれば言う、それだけ。今はただ、あったことを、ただ、ありのままに。
ベッドフォード公の話は続く。
今、ランスの町を中心とした派閥争いは、嵐のようになって各地を吹き荒らしているらしい。
「大まかに分けてブルゴーニュ派とアルマニャック派だが、その中ですら分裂と結合を繰り返して、もはや何が原型かも残っていないというぞ? 大変だな? ははっ」
他人事の様に笑うイングランドの総督。その嵐はお前たちも被害を被っている嵐だろうに。
「ジャンヌ・ダルクの正当なる後継者は誰か? アルマニャック派……元・アルマニャック派だな、原型もねーし。そいつらが駄々をこねて、王が支持したルーアンの町の聖女を嫌って動いている。調べてみればブルゴーニュ派の貴族の娘だったというからな。さもありなん、だ。それでマロー司教の後ろについた」
複雑な流れであり、理解がしがたい人の思考。だから政治は嫌いだ。考えたくもない。離れて良かった。
「マロー司教は今、彼がいた場所、滅びの町、パリへと戻っているのは話したか? 銀の聖女と言われる女性と行動を共にしているらしい。それも元々は、パリの町には死者を弔い続ける真の聖女が居る、なんぞという噂話を聞いて、その真偽を確かめに行ったという流れだそうだ。そして今回、司教側についた教会は、パリの町に居る者こそ、まさしく神の認めた聖女である、と公表した。くっ、くっ、く。パリの町にいるのが本物の聖女なら、ルーアンの町の聖女とやらは、どうなんだろうな? ああ、そうだ、ルーアンの方は、光の聖女、とか言われているらしいな」
「光の聖女に、銀の聖女か……」
「何故どこかから聖女が現れる!? ルーアンの町の聖女こそが、真の聖女に決まっているだろうがっ! あの奇跡を目にした者が大勢いるのだぞ!?」
「声、うるせえ」
ベッドフォード公に窘められるも、尚も続けて自分の目にした奇跡について話を続けるゴウベル。火に焼かれても服の端すらも燃えていないとか、あったな、そんなことも。ほんの何日かの前のはずなのに、随分と昔に感じる。
そしてパリの町の死者を弔う銀の聖女といえば、もはや一人しか思い浮かばない。
「プリュエル、か……」
俺のつぶやきを受けて、ベッドフォード公の眉が上がる。
プリュエル。
誰もが逃げ出した死者の町で、滅びの火が町を焼き尽くす、その瞬間まで、死者を弔い続けることを自らの使命とした盲目の僧侶。
彼女は自分から自分は聖女だなんだと言うような人物でないことを俺は知っている。その尊い行動はともかく、聖女としての力など持つことのない”普通の人”である彼女もまた、リュミエラと同じように、周りから期待され、持ち上げられ、自分が望まぬ聖女に”されて”しまったのだ。
どうしてそんなことになってしまうのだろうな。
世の中に溢れる理不尽に言葉もない。
「ゴウベル、いいから黙れ、それに奇跡の目撃者なら、銀の聖女の方にも大勢いるぞ? 祝福を与え、傷だらけだった彼女の体を完全に癒したという二人の天使の話に心当たりは? 死者どの?」
ある。あるな。すごくある。聖女にされてしまう原因に心当たりが。
確かに癒した。
怪我も汚れも。
理不尽の体現者は俺だった、俺たちだった。というか、黒猫だ。黒猫が悪い。
リュミエラに続き、プリュエルも……
彼女を彼女の望まぬ聖女にしたてあげた犯人に心当たりがありすぎて悶絶する俺を、じっとりとした疑いの目で見るベッドフォード公。
「……心当たりがありそうだな。神の火によって滅ぼされるはずだったパリの町の悪徳が、町に一人で残り、弔いを続ける、その銀の聖女の献身を認めた天使によって許され、回避されたという話は?」
「それは知らん」
「それは知らんのか……」
神の火に焼かれる云々は、誰かが言い出した根も葉もない噂、いや、根も葉もあるのか、聖書によって描かれた場面の再現を恐れた人の妄想。どちらにせよ、町を滅ぼす火は存在しない、だから回避もなにもないのだが、一向に滅びの火がやってこない理由を、誰かが後でこじつけているのだろう。
こじつけて聖女の手柄にした、あるいは、自然と、そういう話になった。
実際にプリュエルを癒し、汚れを落としたのは黒猫だが、はたから見ていた俺ですら神の奇跡かと思ったほどの……魔法? 技術? ええい、わからん、が、やはり、奇跡は奇跡なのだ。
しかし、あれには目撃者などいないはず。プリュエルが怪我をしていた事を知っていた者が、後で癒されていると気がつくことはあるだろうが。
「そんなことでは目撃者が大勢いるとは言えんのでは」
「三日前の夜のことだ。またブルゴーニュだ、アルマニャックだ、本物の聖女はどうだこうだで争いになりそうな時、パリの町を激しい光の奔流が襲ったらしい。その光の奔流は、辿れば、銀の聖女が中心だったそうだ。人々を吹き飛ばさんばかりに荒れ狂った光の奔流だが、誰も傷つけはしなかった。その場にいた誰もが彼女にひれ伏したという……」
三日前の夜……
俺が黒猫と決別をした日。
「他にも、マロー司教が、それで信じることになったという、天使から聖女への賜り品。人の手では、何をどうやっても刃欠け一つ、傷の一つも付けられない神器、黒檀のナイフの話もある、が、何より、決定的なのは、その光の奔流らしい。見た者の証言では、それは何枚もの巨大な光の翼を広げた天使にも見えたという……いかにも”らしい”神の奇跡ではないか……暴力的で、高圧的で、猛々しい……」
黒檀のナイフ。黒猫がプリュエルに贈ったナイフ。固い黒パンを切り分けるのに使っていたな。
何をどうやっても人が傷つけることが出来ない、だと?
今も、いつでも抜けるように腰に吊り下げている剣の柄を見る。鍛冶も出来るという黒猫が鍛えた剣、それと同じあつらえのナイフ。
刃の部分は鏡面のように磨き上げれているが、柄は黒い艶のある素材で作られている。少女の姿をした時の奴の髪が思い出される。
確かに凄まじい切れ味と共に、正面から鉄の剣と打ち合って刃先が欠けることも無いのを確認している。神器などと呼ばれる逸品だったか、いや、本当に奴は何者なんだ……いや、今はそれもいい。
光の奔流。
光るには理由がある。
原因があり、光らせている者が裏にいる。
それは黒猫、お前か?
あの日、俺に退治されるという茶番を演じてから別れた、その後に、プリュエルの元に向かったのか? それは、何のためだ?
「今朝方届いた最新情報だ。今、銀の聖女の傍には、一匹の黒猫がいるらしい。言葉を喋らぬ、ただの猫なのだと……死者どの、心当たりは?」
確定だ。
黒猫の体を借りていたルルが、パリの町にいるプリュエルに黒猫を預けに行った。
いざとなれば野に返すとか言っていたが、結局人の手に預けることにしたのだな。その相手がプリュエルか。光の奔流うんぬんは、おそらく、もののついで。奴がそこに行った時、たまたま争いが起きそうだったので、有無を言わせず黙らせた、そんなところか……そういえば、あの時、俺には平静に見えていたが、本人はとても怒っていると言っていたのだった……黒猫の首を刎ねかけた俺に怒っていた。
……機嫌が悪い所の話ではなかったろう。神のごとき力を持つ存在が怒りに任せて光を放った。それでも怪我人が出ていないのは、奴がそういう奴だから。
そんな存在を傷つけた。
俺の消えぬ罪……償いの方法は無い……
「喋る黒猫は骨の道化師の使い魔ではないのか? いや、使い魔ではなく、天使? ん? あれも?」
ゴウベルが混乱しだす。
「ベッドフォード公、骨の道化師と共にいた、喋る黒猫は魔女によって殺されたのです。別の猫でしょう。だよな? 骨の?」
「…………」
「返事ぃ!?」
確かにあれは別の存在ではあるが、別の猫ではない。さらに言うなら、魔女すら同じ存在であって、けれど別で……駄目だ、どうやっても説明できない。こんな時は口をつぐんでいるに限る。
「…………死者よ、お前は先ほど、今、この地で何が起きているのかと聞いてきたな? だが、それは我々こそが聞きたいことだ。死者よ……今、この地で、何が、起きている? 何故、こんなことになっている?」
混乱するゴウベルと、置物となっている泣き虫、鋭い眼光のベッドフォード公、幾人もの人の視線が俺に集中する。
「…………」
この地で何が起きているか、か。
俺と、それから黒猫のことだけで言えば、何も起きていないに等しい。
出会って、そこらをうろついて、色々あって、別れた。
たった数文字で語れる話。
神も悪魔も出てこない裏の話は、それだけ。
たったそれだけで世界が激変してしまった。神だの悪魔だのと、人々は右往左往している。
「……ベッドフォード公、猫を殺したことは、あるか?」
「何がだ? 猫? 猫がどうした?」
そもそもの最初は、何だ?
この世界が激変する、最初の切っ掛け、原因は?
イングランドの兵士が、ただ道を歩いて横切っただけの黒猫を殺さねば、この世界は、こんなことにはなっていなかったのか? ルルという謎の存在が黒猫の体を借りることもなかったならば……黒猫のルルがこの世に現れることはなかったのか?
黒猫のルルと出会わなければ、俺はどうしていた? まだ生きて、生身の躰でいたのか? 俺が骨の躰でうろつきまわることも無ければ、世界はもう少し平穏であれたに違いないのに。
「道を横切っただけの猫を殺した、それだけで世界が滅びる、そう言ったら、公は信じるか?」
「はあっ?」
「誰かは知らんがな、ルーアンの町にいたイングランドの兵が、黒猫が道の前を横切るのは不吉だと言って猫を殺したらしい」
「……な」
馬鹿げている話だ。あまりにも馬鹿げている。猫を殺しただけで世界が滅びるなど、どこの誰に言っても鼻で笑われるだけの、そんな馬鹿な話。
見るがいい。
俺の言葉を受けて、ベッドフォード公は絶句している。
ゴウベルが泣き虫を見る。首をブンブンと横に振る泣き虫。
「本気に取るな、ただの冗談だ」
「どこで笑えばいいかもわからん、下手くそな冗談だ……」
笑えない冗談を言った自覚はある。
この世には、わからないことがありすぎて。
世に混乱をもたらすだけの、俺が、ここにいる意味は、何だ?
つばを飲み込んだベッドフォード公はかすれた声で話を始める。
「猫を殺すという話が、これほど恐ろしいものに聞こえようなど……」
「ん? どうした?」
再び唾を呑みこんだベッドフォード公は、続ける。
「悪魔の召喚を成功させた、などと嘯く輩が、悪魔召喚の為の生贄として猫を殺している、そういう話がある……悪魔の召喚を為した者の名は……プレラーティ、錬金術師プレラーティ」
ぞわり、と。
「そのプレラーティとかいう輩を信じて集まった、頭のイカれた連中がオルレアンを落とした。そいつらは自ら悪魔教の者であると公言している」
プレラーティ。
聞いたことのない名だ。
それなのに、何故、これほどまでに、俺の心をざわつかせる?
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