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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 馬の手綱を握り、静かに佇む俺を、睨みつける様にして観察している兵士たちの顔は緊張し、恐怖し、混乱している。つまり、いつもの表情だ。この骨の躰になってからの見慣れた風景。俺をよく知らない者たちが浮かべる表情。

 使者として現れたとはいえ、敵の側であるはずの俺を囲む兵士たちの中に暴れる者も逃げる者も出てこないのは、一応なりとも兜とローブで骨の躰が隠れているからだろう。今の俺は、一見するだけなら、黒い全身鎧を着ただけの騎士。その中身の正体が動く骸骨であることは、この場にいる誰もが知っているだろうが、見えているのが普通の人と変わりが無いのならば、人はいくらか冷静に行動できるようになるらしい。

 そして俺の正面に立つ男。

 その男も静かに俺を睨みつけている。周囲の兵士たち以上に鋭い眼光で。

 ベッドフォード公ジョン。

 ジョン・オブ・ランカスター。


 イングランドの軍を総括する男であり、海を渡った本拠地にいるであろうイングランドの王を除けば、最高と言っていい権力の持ち主。

 ここに居るだろうというのはアンドレの見立てだったが、本当に居るとはな。

 フランスの地を征服しにきた悪鬼たちの現場の元締めにして、ジャンヌ・ダルクの敵。

 ブルゴーニュ派の手に落ちた彼女を金で身請けし、コーションを使って無法な裁判を起こし、彼女を処刑台に上げ、殺した男。

 俺から見て、憎んでも憎み足りないはずの男。

 今すぐに剣を抜き払い、その首を胴体と離れ離れにしてやってもいいはずなのに、何故だろうな、今、彼と対峙する俺の心は凪のように落ち着いている。

 俺の心の中のジャンヌ・ダルクへ対する執着心が、ごっそりと消えてしまったのだろうか、それとも、目の前にいる男が、今にも死にそうなほど憔悴しきっているのが、わかってしまったからだろうか。

 元々線は太くないベッドフォード公の頬は痩せこけて、目の下には巨大な隈、顔色は死人かの如く青白く、荒い息づかいが絶えない。ただ眼光だけがギラギラとした光を放ち、俺を睨みつけている。

 気を張り、睨みつけていないと、そのまま倒れてしまうと自分で分かっているかのように。



 カレーの港町の南、その森の、さらに手前。そこに集結するイングランドの軍を見つけた時、自分の次の行動をどうすべきか、しばし迷った。

 夜を待ち、ローブに備わる透明化の力を使い、騒ぎにならぬよう陣地に侵入して、書状だけを責任者に届けて退散しようかとも思ったが、正式な書状を持つ使者である者がコソコソとするのもどうかと思い直す。

 イングランド軍の様子も気になった。

 アンドレは一万を超えるだろうと予想していたが、実際に見ると一万に届くどころか、その半分にも満たないようだ。すべてを見渡したわけでは無いから正確にはわからないが、少なくとも集められた兵士たちは皆、浮足立っている様に見えた。

 長きにわたって戦争を続けているイングランドの軍は、敵軍である俺たちをして、鉄の規律を持っている、などとも評価されていたほどであったが、それは過去のものであるようだ。

 遠目から観察をしていると、軍の中で何かしらのいざこざが起き、そのまま一部が離脱して消えて行くのを何度か目にした。

 まるで統制が取れていない。

 ゴウベルの姿を確認することは出来なかったが、奴がここに居るのかどうかも、あるいは、すでに処刑されてしまったのかどうかもわからない。

 結局、正面から乗り込むことにした。


 シャルル王の臣下であるアンドレ・ド・ラヴァルの書状を届けにルーアンの町から来た使者であることを伝えると、俺の正体に気がついた者たちによって多少の混乱はあったものの、特に支障はなく、この場の総責任者である男、ベッドフォード公との面会も叶った。

 俺を睨みつけるイングランド兵を掻き分けて軍の中央に進むときに緊張をしたものの、ここまでの行程を共にした馬の奴の逃げ足を信じて進む。

 来るまでの道中で確認したが、この馬の奴は通常の馬の追随を許さないほど高く飛び上がることが出来たり、あるいは飛ぶとまではいかないまでも、まるで飛ぶかの様に軽やかに早く走ることは出来る。

 俺ほどではないが、馬の奴も尋常ではない領域に踏み込んでいる。黒猫によって着けられた黒い蹄鉄の力によるものだと思われる。いざとなれば、それに頼る。兵士たちの囲みを飛び越えることくらいなら出来るだろう。

 トムスの屋敷の前で行われた戦いで見た、民衆に囲まれて人の海の中に沈む兵士たちの末路を思い出して骨の躰を震わす。数の暴力とは恐ろしいものなのだ。


 アンドレに託された書状を渡す。

 これで一応ここに来た目的を果たしたわけだ。あとは奴らの対応次第。

 付き人を介して渡された書状を読み込むベッドフォード公。

 いつでも馬に飛び乗れるような体勢を取りつつ相手の反応を待つ。しばし、時間を持て余す。

 睨みつける相手を文字が連なる羊皮紙に変えたベッドフォード公は、相も変わらず狂相だ。眉間によった皴が深いこと。その横に仕える聖職者たちの、恐らく俺だけに向けた祈りの声がいちいち気になるが、五月蠅いのでやめろとも言えない。奴らは俺を悪魔であるかもしれないと思っている。ここで聖句を唱える奴らを排除しようとすると、俺が悪魔であるとの疑いは深まるだけだ。よけいな事は言わない。

 緊迫しつつも動きの無い時間が過ぎる。


「…………使者よ、書状は確かに受け取った。あー、使者よ、きさま……貴殿は、自己紹介で自分は天使でもない、悪魔でもないと言ったらしいな?」


 考えに考えて、慎重に言葉を選びつつ俺に話しかけてくるベッドフォード公。眉間のシワは緩みそうにない。


「ああ、そうだな。俺は天使ではない。悪魔でもないがな」

「この書状にも、そのことに関して書かれている。そして先ほどの貴殿の言葉には、使者をしているのは、もののついでであり、どちらの軍勢に与する者でもない、と」

「ああ、言ったな。アンドレの奴の思惑はどうであろうと、俺は何処の勢力というわけでは無い」

「…………」


 そう明言して、ここに居る。

 これからも苦労するだろうアンドレを哀れと思って引き受けた使者の役目でもあるが、俺自身の目的の無さと、ジャンヌにまつわる真実を知る事からの逃避行動に近かったと思う。

 だがそれも今は違う。

 目的を見つけた。

 これからの俺は学問を収めるために行動することに決めた。子供の頃に取り上げられた学問のやり直し。ただ、その為の方法なども今は思い浮かばない。いずれどこかの大学にでも通えるのならそれがいいが……俺を通わせてくれる大学など見つかるかどうか置いておいて、どちらにせよ戦争に都合よく使われる気は無い。


「貴殿の思惑がどうであれ、シャルル7世の使いとなって動けば、世間はそうであると貴殿を見るだろうが?」

「勘違いをするのなら、させておけ。俺は知らん」

「……く」


 実際、俺を使いの者に望んだアンドレの思惑も、そこにあるのだろうし。

 神秘なる骨の騎士は我らの味方であるぞ、と。

 悪魔を使っていると弾劾される危険をはらんだ手ではある。

 どうにせよ戦争の手伝いはしないことに決めた。

 人の戦争には関わらない方がいいという、あの時の黒猫の言葉が正しかったと認めるのは、少しばかり抵抗があるが。

 今回の使者の役目ならば許容範囲。俺が軍を指揮して動かすわけでもないし、剣なり旗なりを振ることも無いのだ。ましてやアンドレやリュミエラは今、和平を目指して動いている。アンドレあたりは時間稼ぎの手段として、リュミエラは……まぁ特に何も考えてはいないだろう。結果として平和な時間が生まれるのであれば、この程度の利用くらいは許してやろう。

 どうも、自分が不利益を被らない限りにおいては、大目に見てやろうとも思うくらいには、彼らと縁が出来てしまっているらしい。すべての縁を切って身軽になったはずなのに。


「……貴殿の目的は、何だ? 望みは、何だ?」


 何をどうするにしろ、世間が騒々しいのでは、学べるものも学べまい。


「この世界が平和、平穏であることを望む」


 俺の言葉を受けて、目を見開き、絶句するベッドフォード公。

 どうした? いかにも慈愛の神やら慈愛の聖女やらが口にしそうな事を、ただの骨の俺が言うのに驚いたか?

 思えば俺は世界が滅びに向かって進んでいくのに焦り、それを止めようと行動していたのではなったか。正しい行動が出来なかっただけで。

 俺が世界の滅びを軽々しく口にしたことで、本当に滅びてしまうのだと思い込んでいた。

 それを思えば、今の平和を望むリュミエラと、俺の望みは一致している。我ながら後付けの理由だとは思うが、何かがピタリとはまったようで、気分は悪くない。


「おま……おま……お前がいう……ゴホンッ! ゲホンッ! うむ、貴殿には聞きたいことが山ほどあり、言ってやりたいことが、多々あるが、一度、その兜を取って見せてはくれないだろうか?」


 額に青筋を浮かべながら俺に兜を取れと言ってくるベッドフォード公。

 目的は、ただ中身を見たいだけか?

 さんざん人に見られておいて今更なので、特に抵抗もせず兜を取って見せてやる。髑髏の顔が露わになり、周囲からは声が漏れる。

 一層声が高くなる聖職者たちの祈りの中、息を飲んで見入るベッドフォード公の鋭い視線を受ける。俺は俺で視界が広がり、ホッと息をつく。

 ああ、やはり兜で視界が塞がれると、息が詰まるのだ。これは精神的なものであり、肉体の頑強さどうこうでは防ぎようのないこと。

 しばし解放感を楽しんでから、黒い兜を被りなおす。俺の視界は再び二重のスリットから覗く、狭いものになる。


「天使と悪魔の戦い……天使でも悪魔でもないという貴殿は……何者なのだ……」

「その辺のやり取りは、すでにさんざんしてきた。聞くな。考えるな。こういうものだとして受け入れろ」

「我らとはしていないだろうが、理不尽だ、聞かせてくれ」

「諦めろ、この世は理不尽に溢れているのだぞ?」

「理不尽の塊がぁああ……」


 額に浮き出ている青筋から血が吹き出てきそうなくらいの憎悪を俺に向けてくるベッドフォード公。地獄の底から聞こえてきそうな声で俺を理不尽の塊だと決めつけてくるが、困ったことに反論の言葉が出て来そうにない。

 なんということだ。

 世の理不尽を嘆く俺が、いつの間にか、その理不尽の代表のようになってしまっていた。どうしてこうなった。すべて黒猫が悪い。間違いを繰り返す俺ではあるが、それだけは間違えようがない。


「死者よ、地獄から蘇りし死者よ。答えよ。地獄の軍勢は、どこにいる?」

「地獄のことは知らん。地獄に落ちたことがあるわけでもないのだし。俺のことは、まぁいいとして、地獄の軍勢だと? どこにもいないぞ、そんなものは」

「……地獄の軍勢は、いないのか?」

「ああ、いない。少なくとも俺の知る限りにおいては地獄の軍勢なんぞは存在しないし、俺以外の死者も復活していないようだ。世界の終末の気配は、まだ無い、らしい。……これは知り合いが言っていた事だがな」

「なん……だと……」


 知り合いというのは、当然黒猫の事だ。

 今回の騒動で、いくつかの国や宗教そのものが終わってしまっても、世界は終わらないというのが、アレの言い分。国や宗教が滅ぶことを大したこともないと断ずる奴の頭の中はどうなっているのかという話だが、少なくとも人類のすべてが滅びるような気配は一切無いということらしい。

 黒猫め、戻ってこい。戻って来て俺の代わりに説明しろ。

 真の理不尽の塊である黒猫が戻ってきたら、理不尽の代表の座は奴のものになるのだし。いくらでも譲ってやる。


「聖戦は……我々は……ぐぅ」

「どうした、ベッドフォード公。都合の悪い事でも起きたか?」


 胃のあたりを押さえて呻くベッドフォード公の顔色は土気色をしている。


「どれほど情報を集めようと、死者の軍勢の手がかりは……わ……我々は、死者の軍勢に対抗するために、聖戦の為にと……無理に無理を重ねて……集まっているのだ、だが」

「それなのに敵はどこにもいない、と? はは、なるほど、無駄だったな。お疲れさんだ」

「ぐ、ぐぬぬ……」


 ベッドフォード公は胃のあたりを押さえつつ俺を睨みつけてくるが、俺は何もしていないだろうが。何もしていない俺を、生来の仇敵でも見るかのように睨んでいるベッドフォード公だが、その足元は覚束なく安定しない。少し小突けばそのまま倒れそうだ。


「ちゃんと食事は取っているか? きちんとした食事と睡眠こそが健康には重要らしいぞ?」

「お、おま、おまえ、ぐ、ぐぐ……ふぅ、聞かせてくれ、死者よ。貴殿がルーアンの町にやって来た理由は、俺たちイングランドを断罪するためか?」

「…………」


 気を使って体調を心配してやった俺を”おまえ”呼ばわりしそうになっていたが、途中で冷静さを取り戻して聞いてくる。

 ルーアンの町に俺が行ったのは、イングランドを断罪するためか、か……

 その質問に素直に答えるのならば、そうだ、という答えになるのだろう。

 少なくとも、あの時は、そう思っていた。

 今では冷静に物事を見れるようになっているが、骨となって復活した、あの日、心の中にあった煮え立つような復讐の熱を忘れてしまったわけではない。その熱に突き動かされるようにして俺は動いていた。見殺しにしたルーアンの町の住人共々、聖女ジャンヌ・ダルクを火刑にかけたことについて、相応の罰をイングランドに与えてやろうとしていたのは、まぎれもない事実。

 何も知らないくせに、だ……

 黒猫によって、彼女を見殺しにした俺もまた同罪であると突きつけられてから、その件は複雑で怪奇なものになってしまっている。

 無知な男が、無知なまま動いて生まれた大混乱。その責任の所在は、どこだ。

 何も言わない俺に、ベッドフォード公は重ねて問う。


「ジャンヌ・ダルク……彼女は魔女ではなかった。真の聖女だったと? そういうことか?」

「…………」


 俺を睨みつけてくる視線に、どこか、何かにすがるような感情の光が宿る。ベッドフォード公は俺に何を期待している? 否定をしろと? あるいは求めているのは肯定か?

 俺の中に、それについての答えは無い。

 ジャンヌが神の声を聞いた聖女か否か、それすら、わからなくなった。なって、しまった。


「神の意思に反したのは、我らイングランドの者たちであると、そういうことか? 我々は神の罰を受けるのか? 答えよ、答えてくれ、死者よ。……神の使者よ」


 答えをはぐらかすことを許してくれそうにない。

 いつの間にか、聖職者たちの祈りの声は途切れている。彼らは周囲の兵と同じようにして、俺を見ている。

 そうだ、イングランドは神の意志に逆らって聖女を殺したので罰せられる、そう言えたなら、どれほど楽か。

 言葉を探す。


「……ベッドフォード公よ、俺は天使ではない。イングランドが神の罰を受けるのかどうかは、知らん。なにせ、神には、会ったことが無いからな」


 どこかで聞いたような、答え方。

 なんという様か。

 追求されて困り果て、出て来る言葉が他人の言葉とは。黒猫が使っていた言葉、そのまま。

 落ちる所まで落ちたと思っていたが、下には下があるらしい。

 今の俺は、不様だ。


「では、なぜ、貴殿はこの世に現れたのだ? 貴殿が現れたせいでルーアンの町は燃え、パリの町は滅び、イングランドの兵は市民から憎まれ、追われているのだぞ、どうして、どうして……」

「…………」


 本人にその気があるのかどうかは知らないが、俺への追及の手を緩めないベッドフォード公。

 弱り果てた風体のイングランドの男が投げかけてくる疑問の一つ一つが俺の心に刺さっていく。


「イングランドの勇敢な兵たちですら次々と脱落していくのだ……故郷を捨て、このフランスの地に根を張り生きることを選択した者すらも追われ、殺されている……皆が皆、ただただ混乱している。軍を離れ、ただの野盗へと落ちていく者も後を絶たない……。死者よ、死者よ、今、世界で何が起きているのか教えてくれ、答えを教えてくれ、何が間違っていたのかを教えてくれ。我らは何をすべきなのかを、教えてくれ……教えて、ください」


 最後の懇願は、消え入るかのように小さな声だったが、周りの兵が声一つ上げずにいるせいで、聞き取ることが出来た。

 ベッドフォード公、身に振りかかる苦痛にあえぐかのようにして肩を震わすこの男もまた、混迷の時代にあっての被害者なのか。いや、同情する必要など、欠片とて無いはずだ。この男はジャンヌを殺した男だ。大罪人の一人ではないか。この男の身にどれほどの苦難が振りかかろうと、知ったことか。むしろ手を叩いて喜ぶようなことだろう。だが……しかし……


「…………」


 何かを答えねばならない。

 だがその答えが何かわからない。

 答えを待っている。

 俺を睨みつける目、目、目……

 自業自得だと笑ってやるのが、ここでの正解か? ざまを見ろと。それとも……

 答えに窮していると、遠くから響く声。


「ベッドフォード公ぉおおお! 話をおお! 俺の話を聞いてくれえええ! 聖女が! 聖女がいるのですぅううう! 本物のおおお、聖女があああ、悪魔との戦いでえええ、俺たちはああああ……」


 もはや聞きなれた声であり、静寂を強引に突き破ってくるような、そんな遠慮のない声の持ち主。

 そうだった。忘れかけていた。わざわざ死にに来たお前を笑ってやるのが、ここに来た本来の目的だった。

 しかし、俺が答えに困った時に都合よく現れてくれたものだ。

 ゴウベル、貴様、ひょっとして本物の勇者ではなかろうな?





シリアスさん、長生きした方だよね?

読者様、いつも読んでくれてありがとう。鮭雑炊は☆評価などを心の底から望んでおります。

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