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扉を開けると兜の隙間から目に映り込んできたのは、手を組み祈る一人の少女の姿。
部屋を出てきた俺と目が合い、驚愕する少女、リュミエラ。
彼女は全身を白いドレスで覆い、腕や頭に光る宝石をあしらった装飾品をゴテゴテといくつも着けている。着ている服もおかしいが、なにより目につくのは……
「なんだ、その……化粧は?」
肌を白く塗りたくり、眉の下や頬を赤く塗っている。なんと表現していいものか、見ているとチカチカする、これは目に優しくない。
前の、夜会にでも行きそうな格好とはまたちょっと違う奇妙な姿。
「騎士様も……その兜……」
「これか? ああ、気にするな」
一度だけ指の先でコツンと頭を突いて、それ以上の話をさせないようにする。
黒猫に兜を求めて、ようやく叶えられたが、もう黒猫は居ない。様々な事が思い浮かぶが、それを上手く言葉にすることができない。黒猫はもういない。
「格好いいお姿です……化粧は、ええと、皆が、その、聖女としてあるべき姿とはどういうものかと言う話をしていまして……最初は化粧も無く、もっと質素な恰好だったのですが……」
ここで少女は周りを見る。
廊下の向こうにリュミエラの母親を始め、父親や少年らが静かにこちらの様子を窺っている。俺との対話をリュミエラに押し付けているのだろうか。前よりも距離がいくらか離れている気がする。おそらく魔女、そして悪魔との戦いが影響している。
「……おかしい、ですか? ですよね、あはは」
笑って誤魔化そうとする酷い姿のリュミエラにどういう言葉をかけていいかもわからない。
あるべき聖女の姿と言っても、俺にとっては短髪で鎧姿の彼女がそうだ。戦士でも聖女でもない女に鎧を着て髪を切れとも言えるわけもなし……どうせ周りが暴走して飾りつけらているのだろうが、俺の中での聖女のあるべき姿とはかけ離れている。リュミエラも嫌なら断れば良いものを。
一瞬だけだが、もしや聖女になることを受け入れたのか、などと思ったぞ。
流れのまま、周りから無理やりに聖女にさせられてしまいそうな哀れな少女に同情を覚える。
「化粧はしない方がいいだろう。それとゴテゴテとした装飾品もいらん。それこそ夜会にでも行くのかと言いたくなる……」
「……夜会……騎士様……黒猫さんは……黒猫さんは……」
そういえばリュミエラのゴテゴテとした服装を見て夜会に行くような恰好だと表現したのも黒猫の奴だったか。
黒猫の事を想ってか、表情を暗くし、言葉に詰まるリュミエラに、これもどういう話をするべきかと悩む。
喋る猫、この少女にとっては俺以上に短い付き合いだったはずだが、いくらか愛着なども湧いていたのだろう。少女の顔は悲痛に歪んでいるように見える。
少女の目から見た黒猫は、魔女によって襲われ、血を流し、最後は巨大な黒蛇に丸ごと喰われたというもの……当然、それは黒猫の奴が仕組んだ茶番であり、実は今も問題なく生きている。黒猫こそ蛇を纏った魔女の正体……いや、猫の正体は魔女の依り代、だったか。どちらにせよ、黒猫であり、魔女であり、蛇であり、悪魔だった者はいない。ただの猫としての黒猫は今はどうしているのか知らないが、ルルの奴がどうとでもしたのだろう。
「……黒猫……ルルの奴は……役目を終えたのだ……」
言葉を選んで伝える。
黒猫の体を借りていたルルはここでの茶番の役目を終えてから消え、猫の体は無人島にでも放り出された、などと正直に言ったところで、何一つ理解されないだろう。適当に誤魔化しておいてね、などとも念話で伝えられていたのだし、ここは無責任だろうが不誠実だろうが何も言わないことにする。
笑えない、黒猫の奴の無責任さを笑えない。俺は、そういうやつだ。
「……黒猫さん……黒猫ルル様の気高き魂が、神の身元に向かいますように……」
黒猫の為に祈りを捧げる少女。
神の元には行かないと思うぞ、とは口に出さない。
神などと会ったことは無いと言って不敵に笑っていた姿を思い起こす。気高さとも無縁で適当なあいつは、今もどこかで、なんだかんだと適当にやっていることだろう。……なんだかんだとあったが、結局わからないことだらけのままではないか。知りたいことも知れず、何も解決してない。謎の存在は結局、謎の存在のまま姿を消した。大切な事を言わずに誤魔化された気がする。気がする? いや、確信している。
最終的に俺は誤魔化されたのだ、都合よく、適当に。最後まで奴の手の平の上か、おのれ。
兜の中の歯ぎしりが聞えたのかも知れない、神妙になったリュミエラが俺を見上げて言葉を失っている。続きの言葉を探していると、おずおずとトムスらが近づき俺に声を掛けてくる。
「黒騎士殿……あの魔女は……そして、あの悪魔は……」
気になるし、知りたいだろうな。よくわかる。
「…………考えるな……トムス……知ろうともするな……人知の及ばぬ存在は……この世にいるのだ。どうせ手に負えぬ存在……よいかトムス、他の者も……アレに関して知ろうとするな、そして考えようともするな」
深く考えるとアホになるぞ、と言った意味を込めて。強く込めて。
「おお……」
深い深いため息とともに吐かれた俺の言葉を受けて、息をのみ、鼻白む一同。何を思ったのかは知らないが、何かを納得はしたらしい。
……なんだかんだと、すまん。説明してやれなくて済まない。この身が不甲斐ない。
「すごかった……あの戦い……すごかった……」
あの時の場面を思い出したかのようにつぶやく語彙力に問題のある少年アリセン。
そういえばお前も活躍していたな、黒猫の手の平の上で、だが。
ふと違和感があり、よく見ると、少年は腰に大剣を差している。差しているというか、引きずっている。明らかに身の丈に合っていない。
兜越しの俺の視線に気がついたのか、重そうな剣を重そうに掲げて俺に見せてくる。
「へへっ、トムス様に頂いたんだ、邪悪な蛇から聖女を守った報酬で、聖なる光の戦士の証でさ、へへ」
「……そうか」
笑み。満面の笑み。もはや眩しさを感じるほどだ。
聖なる光の戦士……
そういえば光っていたな。
黒蛇に巻き付かれて動けなかった俺をなんとかしようとして近づいていた時のことだな。あの時は少年らだけでなくジェルマン、アンドレ、ゴウベルら三人の大人も、それからリュミエラも光っていた。光加減でいえば、俺が一番強く光っていたが……
「あん時、体がなんか重くて、息もなんか、ツラくて、そんで動けなかったけど、お嬢様の祈りでさ、お嬢様が光って、そんで俺も身体がファーって光ってさ、そっから体がスッと軽くなって、そんで、ええと、あの時の、あれ、神様の、あれだよな、戦え、戦えって、そういうことだし」
身の丈に合っていない大きさの剣を持つ少年の笑顔が眩し過ぎて、辛い。
誇らしげに笑っている。
そして浮かれている。
神に選ばれた戦士、聖女の守護者……そういう役目……あれがすべて茶番だったなどと、この純真な子供にバレてはいけない。無垢なる少年の心を守る為にも真実は闇の中へ。汚れるのは大人だけでいい。大人にすら説明する気も無かったが、これからも黙っていようと固く心に誓う。
「そっちの少年には剣は贈られなかったのか?」
アリセン少年の笑顔から漏れる光から目を背ける様にして、もう一人の少年に問いかける。
「いえ、頂きました。ですが、今はまだ使いこなせるものでもないので、部屋に置いてきているんです」
アリセンと比べてもユーザスは背が低いし、使えぬ武器を持ちあるいても仕方ない。
アリセンと違いユーザスは賢いな、そう口走りそうになり、口をつぐむ。
言葉は力を持つから慎重に吐かねばならない。黒猫との出会いで得ることが出来た数少ない、俺にも理解できる真理というものだろう。
フワリと笑って答える少年は何かを言いたげだ。
「……ルルさんは……その……いえ、なんでもありません」
ルルが、黒猫がどうした? 何かを言いかけて口をつぐんだ少年の続きの言葉も知りたかったが、追求しないことにする。深いことを突っ込まれても、俺にはどうしようもない。
「骨の人こそ、その兜はどうしたんだよ? 骨の人の骨の顔が見えていないと、なんか変な感じだ。ちょっと怖いし」
変な感じか、この少年はいつか言葉で痛い目に会うだろう。
「髑髏の顔こそ恐ろしかろうが」
「そりゃ最初はビックリしたけど、慣れると別にそこまで怖くないっていうか、なんか普通になったってか、髑髏にも表情ってあるんだなって思ったし、兜、被ってると、それがわからくて、なんていうか骨の人の不気味さが際立って……」
「お、おい馬鹿アリセン……言葉……」
「……あの、ごめんなさい」
ユーザスに窘められてしおれるアリセンを見る。悪いのは了見であって、これは言葉の問題か? いや、そんな事はどうでもいい。
髑髏の顔に表情、だと? あるわけが無いだろうが、そんなもの。表情一つ動かせないのだぞ、こちらは。
「そういえば黒猫さんと会話しているときの騎士様って何だか楽しそうでした」
それは無い。それは無いぞ、リュミエラ。勘違いだ。
「そして、最後の時は、とても怒っていました……」
頭の中で延々とよくわからない念話を聞かされていたからな。確かにあの時は怒っていた。だが、それもまた勘違いだろう、俺に表情などは無い。
……人は一人一人に一つ、自分だけの世界を持つ。
虚構の世界に組み上げた世界を通してしか、人は世界を理解出来ない……
アリセン、リュミエラらから見た世界では、そうだった……これは、そういう話か?
ただの髑髏にも表情があり、笑ったり怒ったりして見えるのが、彼らの世界での真実だと……
「見え方一つだ、そんなものは……」
ならば世界は勘違いと思い込みで出来ているようなものでは無いか。俺もまたそうなのか? 俺から見た黒猫の表情すら、そうなのか? わかるように説明しろ、黒猫よ。
「あんときの骨の人、すごかったよな、あの動きとか、叫びとか、なんだったんだ?」
「倒した魔女の呪いを受けたのかと心配しましたからな」
トムスが会話に入って来る。
トムスから見た世界では、あの時の黒猫を探して回る俺の行動は魔女に呪われているように見えたか。
だが真実の一端を掴んでいる。強制的に聞かされる念話など、実際に呪いと変わらない。そうでなくとも、俺は黒猫によって呪われている。言葉による呪い。俺を縛る呪い。考えて動け、俺を裁けるのは俺だけだといった、俺の行動を制する呪い。
俺は今後、俺が何かに失敗する度、黒猫のあの時の表情と言葉を思い出すことになるのだろう。
「……呪われたのは、本当の事だがな」
「!? なっ!?」
「気にするな、大した話ではない、お前たちとは一切関係の無い問題、これは俺だけの問題なのだ。失言だった。詮索をするな……そんなことよりトムスよ、リュミエラの恰好は何だ?」
「はい? 恰好ですか?」
無理やりに話題を変える。
「聖女になる事を嫌がる娘に派手な恰好をさせおって、しかも聖女という言葉の印象からはあまりにもかけ離れているだろうが」
「え? 聖女であることを嫌がる……ええと」
困ったように娘を見る父親トムスと、俺と目が合い、視線を泳がせてから目を逸らす娘リュミエラ。
「むしろお嬢様の方がノリノリで聖女のあるべき姿はどうこう言ってたよな」
トムスに助け舟を出すようにしてアリセンが口を挟む。
「屋敷中の服と装飾品を持ってくるように言ってましたね。何度も着替えた衣装を見せられて印象を聞かれました……」
疲れた目をしたユーザスも告げる。
「若いのですから化粧をする必要なんて無いのですよと言っても聞かずに……」
これはリュミエラの母親だ。
場にいる全員の視線を受けてリュミエラはうろたえる。
「リュミエラよ……聖女にはなりたくないのではなかったのか?」
「き、騎士様! だ、だって、声が、声が聞えたのです! ”リュミエラよ、祈りなさい、今こそ祈るのです” と、そう、耳の奥に、はっきりと! あんなにはっきりと聞こえたのに、お父様もお母さまは聞こえないとおっしゃいましたよね? 誰にも聞こえぬ声を聞いたのです! 祈りました、そして奇跡は起きたのです……つまり私は聖女……本物の神に選ばれた乙女なのです……」
……黒猫の奴の仕業だ。
奴め、やりやがった。
純真無垢な少女に念話を聞かせて、神の乙女だと勘違いさせやがった。
ジャンヌ・ダルクに念話を聞かせたのは黒猫かと疑った俺の気持ちを知っていただろうに、いや、いいや、知っていてわざと、絶対にわざとだ、俺への嫌がらせも兼ねて、この少女に神を騙って念話を送りつけやがった。そうに違いない。奴のやりそうなことだ、間違いない。
神の声を聞いたと信じ込んでしまった少女は今や頬を染め、いや、これは化粧もだが、化粧だけでなく紅潮させて、言葉を紡ぐ。
「祈りの言葉はパッと思いつきませんでしたので、神様、一度姿をお見せください、殴ってもいいですか、なんて酷く罰当たりな事も思いましたが、本物の神はそんなことで怒られるような方ではありませんでした、私の不埒な祈りにも応えるように体が光って、そしてその光は戦士の皆さんにも移っていき……神の奇跡……まさに救済の光を……はふぁ……貴い……神……貴い……」
神は知らんが、黒猫ならば殴ってやれ、その時には全力で支えてやる。
もはや手遅れそうなリュミエラの姿を見ながらゾッと戦慄する。
これ、俺は否定できないぞ、と。
否定するなら否定するだけの話を聞かせてやらねばならないが、少年の無垢な気持ちを壊さないために真実は語らないと決めたばかりだ、俺から話せることは何も無い、黙って騙された少女を眺めていることしか出来ない、神を騙ることを嫌がる俺が、聖女を騙ることを嫌がる俺が、だ……おのれ黒猫め、悪魔だ、やつは間違いなく本物の悪魔だ。
リュミエラもリュミエラだ、誰にも聞こえぬとしても、正体不明の存在から声を掛けられて、神ですか、はいそうですかと納得するのはどうなんだ? 実際に目の前にまごうこと無き悪魔がいて、祈りと共に光り、退治して……駄目だ……あの状況……こんなもの、信じる以外に無い……
黒猫の仕掛けた、おそらく俺だけに対する悪辣極まりない嫌がらせに戦慄する俺をさしのいて、場は盛り上がっていく。「あたしの娘が本物の聖女なんて、ううう」「お嬢様は聖女様!」「我が娘! 神! 神!」「すごいなぁ、すごいことが起きたなぁ」「えへへ、うへへ、いやあ、困るなぁ、えへへ」……
リュミエラは人を騙すようにして聖女を名乗るのは嫌だったが、それが本物であれば話は別だったらしいな……どうやら……
周りの者たちも満更ではないという状況……駄目だ、ここで俺に出来ることは何も無い。
「こりゃ、アリセン、ユーザス、騒々しいではないか。皆の者も、落ち着かれるがよかろう」
浮かれている者たちしかいないこの場に、落ち着いた声を出しながら老騎士ジェルマンが廊下を曲がってやってくる。
ああ、なんだか助かった気分だ。
やって来た老騎士ジェルマンの姿を見て、固まる。
頬に紅を差し、鎧を宝石で飾り立て、頭の上には花を飾っている老騎士の姿が、そこにはあった。
「どうかのぅ? 骨の御仁、儂は光の戦士らしくあるかのぅ?」
俺を見て声を掛ける、満面の笑みの老騎士もまた、浮かれていた。
シリアス? なにそれ。




