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通された部屋はいくつかの調度品のある個室だ。広くない室内には絵画や工芸品などが置かれていて、黒猫は興味深げに近寄り、しげしげと観察をしている。
薄暗い部屋の小窓からは夕日が差し込み、そこだけ切り取ったかのように赤い。
もうそんな時間か。目を焼くような燃える赤。
なぜ夕日は赤いのか? 黒猫に質問したら答えが返ってくるだろうか?
……疑問に思うのを止めることにする。
すでに頭の中は黒猫に問いかける事柄で手一杯であり、これ以上、理解の出来ない話をされたら頭が追いつかない。
未だ確信を持てずにいるが、黒猫の奴が俺を殺した理由、復活させた理由。黒猫の本当の正体や目的、それから、ジャンヌを導いた神の声……
夕日の中にいる黒衣の少女の不吉な姿を思い出し、震える。
このまま全てを曖昧なまま済まして、何も聞かず、何も知らないふりをしてしまおうか、などと言う弱気な感情が芽生え始める。それは恐怖から来るものだ。死の恐怖。未知に挑む恐怖。
相手は本物の力を持つ神、悪魔、あるいは魔女といった存在、だが、ここで逃げるわけにはいかない。もしかしたら、俺の言動ひとつで世界が滅びるかどうかが決まってしまうかもしれないのだ。
弱気になりかけた俺を、心の中で叱責し、自身を奮い立たせる。
にわかに緊張が高まっていく。
これからは慎重に行かねばならない。話の流れ次第で、いつ戦闘になるか、わからないのだ。
さて、何から聞くか……
「黒猫よ……」
「ん? なぁに?」
部屋の中を見ていた黒猫が振り返る。薄暗い部屋の中で黒猫の金色の瞳が煌めき、俺を見据える。
「……子供らは俺を見ても恐れなくなったな。いや、他の奴らもだが、この不気味な骨の姿をした俺とも普通に会話が成立している、天使だの悪魔だの、さんざんな言われようだがな。ふん、屋敷の連中や、外の市民どもも、本来ならば、もっと恐れていてもいいだろうに、骨だぞ? 動く骨、なぜ逃げ出さない?」
本当に聞きたかったこととは関係のない話を振る。
まぁ、いきなり本命に斬り込むわけにもいくまい。慎重に。慎重に。
「人は慣れる生き物だしねぇ。とはいえ、それなりには怖がっていると思うけど? ま、見極め中ってところかしらね」
「俺自身ですら正体のわからん存在なのが俺だ、奴らに俺を見極めることなど出来るものか。あいつらの判断が俺には理解できん」
「見極めようとしてるのは、君の正体じゃなくて自分たちにとって役に立つかどうか、よ。人は火の正体を知らなくても料理したり暖をとったりとかして便利に火を利用するでしょ? 同じ事よ」
人は火によって人を焼くことすら出来る、火の正体など誰も知らなくとも。
「正体などは実はどうでもいいのか? それは、適当、だな……」
「てきとー、てきとー、ふふ、それが人の持つゆるーい部分であり、遊びであり、生きるために備わっている便利な機能だったりするのよ? 真面目一辺倒じゃ、この刻々と変化していく世界に対応することが出来なくなっちゃうからね」
「それも俺にはわからん理屈だ。真面目なのが良いに決まってる」
「おっと、真面目という言葉は適切じゃなかったかもね。大抵の生物にとって生きるために必須のものは母から子に引き継がれているわ。生まれてきた時点で完成している。教わらずとも鳥は飛び方を知っている」
それは、そうなのだろう。そう造られたのだから。誰に? もはや何が正解なのかもわからない。わからないことばかりが増えていく。俺の信じるべきものは、何だ?
「それが人の場合、単体の子だけじゃ生存できないような未熟な状態で母から別れ、適切な介護が必要なわけだけど、その養育の過程で施されるもの……教育であったり、文化、風習、常識なんていう形で親から子、あるいは集団の中で、引き継がれ、共有するものがあって、それが個や群れの生存に非常に有利な特典になるのだけれど、それは未熟な状態で生まれることを選択したおかげの副産物として、偶然にも発生した後付けの特典なのよね、んで、この後付け特典の部分が実に緩い。本当の所、その教育ってやつが実は何でもよかったりするのよー。黒いものを白いと言って教育しようが、それも正解として扱われて、そこに問題は生まれない。その緩さがあるから、人はその場その場の環境に適応することが出来るのよ。真面目に適当、人が人として在るための必須の緩さ、面白いでしょ?」
「…………」
うまく理解できない。理解するための下地が無い。
「…………」
「……コホン、忘れていいわよ、学者でもないのなら真面目に考える事じゃないわね、今の私はただの喋る猫で、君は気楽に生きる骨、お互い、てきとーにいきましょう」
「適当に生きているのは貴様だけだ」
「ぷ、そこ笑わせに来てる? 黒騎士さんだって私に似て適当なのにー」
「ふざけるな、俺は真面目にやっている」
「はいはい」
「真面目に聞け」
何の話をしていたのかわからなくなる。俺は適当なのか? いや認めない。少なくとも気楽で適当なのは黒猫だけだ。
「……日が昇る、日が沈む、動く骨がいる、話が出来る……実際にそこにあるから、受け入れる。受け入れるしかないので、しょうがない。天使も悪魔も、後。受け入れる判断をした後で考える話。黒でも白でもどちらでも構わない、そんな適当で済ませられる領域に放り込まれるような案件でしかない」
「誰しもそんな適当に生きてはいない。俺を天使扱いするのも悪魔扱いするのも、奴らには、奴らなりの理由があってのことだろう」
喋る黒猫との会話を自然としている自分に気がつく。
俺が目の前にいる黒猫を受け入れたのは、いつだろう。
いつからこれが普通になった? 思い返せ、正体不明の喋る猫だぞ? 他人が言っていたら先ず最初にそいつの正気を疑う。俺の正気はいつからおかしくなっていた? 俺が黒猫を受けいれた理由は何だ?
「黒騎士さん、覚えておくといいわ、人はいつも判断が先で、理由探しはその後なのよ」
「そんなわけあるか、判断すべき理由があって人は判断をする」
誤魔化されないぞ。理由があって、それから判断だ、当たり前すぎて、もはや疑問にも思わない。
俺の正気が失われたのは、こいつと出会った時からだ。骨の躰となった俺が自分が生者でないと納得し、受け入れてからだ。ジャンヌが処刑された、あの日以来、すべてが変わった。変わり果てた。
「んまー、否定はしないけどね、理由探しの段階でもうすでに判断をしているというのは、少々受け入れがたい認識だろうし、ま、いいわ、どっちでも」
「…………」
どちらでもいいような話をするな。
駄目だ。話についていけない。このままではうやむやで終わってしまう。
「……ジェルマンと少し話をした……黒猫よ、貴様は、どこかの名のある神、なのか? いや違う、名を奪われた神、我々の宗教によって追われ、迫害されていたどこかの地で信仰された神、なのか? 今の世界の混乱は貴様の望みか?」
ルル、という神の名に心当たりは無い。それが名の知れない神が故なのか、それとも名を奪われたせいなのか、ただ単純に俺が知らないだけなのかどうかもわからない。
自分に喉があれば、ゴクリと唾を飲み込んでいただろう。
本命ではないが、気になっていた疑問の一つ、黒猫の正体は迫害された神、それが故に世界を滅ぼすことも気にならない、むしろそれを望む、その為に俺を殺し、手駒として復活させた、そういうことか?
意を決しての問いかけに、対する黒猫の表情は……
きょとん、としていた。
猫の表情など読めないと思ったばかりだが、これは流石にわかる。意味不明な言動を浴びせられた時の表情だ。首をほんの少し、かしげて、金色の目を見開いている。口は半開きのまま閉じることも無い。両者、無言の時間が過ぎる。
「……いや、いや、いや、ないわー、これはないわー」
「無い、とは? 名を奪われた神ではないと、そういうことか?」
「ちゃうねん、いや、なんで方言が? 許してね、混乱してるのよ、いやー、ない、ないわー、これはないわー」
より一層見開いた瞳で俺を見つつ、ないを連呼する黒猫は完全に呆れているようだ。どういう反応だ、これは。
「何の時間……何の会話……何の……」
ぶつぶつとつぶやきだした黒猫は俺を放置して考え込む。黒猫の視線は左右に散り、普段はあまり動かさない尻尾すら揺れている。
「疑問に答えよ、嘘や誤魔化しはゆるさない」
少々険を含んだおれの問いかけで黒猫は俺と向き合う。
「話があるなんて気になる事を言うから、一体なんだろうと思ったら、さすが黒騎士さんね、私の予想を悠々と超えてくる。君の言動には驚かされてばかりだよ」
「それは否定か? 肯定か?」
「ないわー、ない。……ねぇ黒騎士さん、君は私の話をどれくらい真面目に聞いていてくれたのかな? 宗教における神は人の創造したものだって話はしたよね? 人が虚構の中に生み出した想像上の存在だと。ここで一度はっきりと言おうか? 神秘の力を振るう神などと呼ばれるような不思議な存在はこの世には実在しないのよ?」
「貴様が実在しているだろうがっ! 俺の目の前にっ!」
「私が実在していたっ!」
黒猫の言葉ではないが、目の前にいる以上、受け入れるしかない存在が、ここに実在している。どれほどの理不尽なことだろうが、正体の分からないコイツが神秘の力を使うのは確定している。
「私は怪異を否定する怪異な存在……く、なんてこと……否定の言葉に説得力が無さすぎる……で、でも! でもよ!? 私は何度も君に言っているよね? 私が使う力は神秘でも魔法でも何でもないと」
「確かに何度も言われたな! ただの技術であるとも。だからどうした。俺や他の皆が使えもしない、理解することも出来ない貴様の力など、それは神秘で、魔法で、奇跡そのものだ」
「理解できないのは、理解するための知識が無いからよ」
「不愉快な事に、それは俺でも理解できる、そしてそれが俺では理解できない領域にあることだとも」
「努力次第で出来るようになるから……」
「それは、いつだ? 魔導書一冊すら俺は貴様から受け取っていない」
「……この調子じゃ時間はかかるわねぇ、まぁ相当な期間を予想しておいて欲しいところよ」
首を左右に振る黒猫。嘘をついている様子ではないが、わからない。
「世界のことも心配しなくて平気でしょ。私は世界の滅びを望んでいないし、世界が滅びる兆しも無いでしょうが」
「……どこまで本気で聞いていたのかと俺に言ったな? 俺からも問う、今、確かに世界は危機に瀕している。トムスやアンドレらの話を聞いただろう? 聞いていたか? 各地では反乱の兆しがあり、終末を叫ぶ者で町は溢れかえり、世界は混迷を極めている、俺が現れたせいだ、俺と、黒猫、俺たちが原因だ」
「きっかけはそうかもね、けど原因は違う、この世界が滅びるなら、それはこの世界の人たちが選択した結果よ? 人前にフラリと出てきただけじゃない、ここでの混乱も私たちに責任は無いわ、私はそう判断した。それに、きっと大丈夫、問題なし、世界は滅びない、多分ね」
「どうしてそんな事が言える?」
「ええと、君が思うより世界はずっと広いから? かな。この程度の混乱じゃ世界は滅びない。たとえこの国、その周辺、もっといえば、君の信じる宗教に関連する人類や国家が実際にことごとく滅びつくしたとしても」
「世界は滅びているではないか!」
「この世界の歴史から宗教が一個消えるだけで本当に大したことないから! それが想像出来ないんですか? ああ、そうですか! そうですね!」
大したことではないだと? 人類が殆ど死滅した世界は、滅びたのと一緒だ。
「……黒猫よ、その力を、俺によこせ」
「はあ?」
口を大きく開けて俺を見上げる黒猫。
「いつしか俺は貴様に言ったな、聖女ジャンヌを殺したこの世界に復讐をしてやりたいと、あれは無しだ、今の俺にはこの世界そのものへ復讐する意思はない、あの言葉は取り消そう。代わりに、世界の滅びは望まない。この国、ジャンヌの生まれたこの世界を守りたいとすら思っている。そのための力がいる。貴様の持つ神の力、使わないと言うのなら、俺によこせ」
「はあ? え? うん? はあ?」
黒猫はコロコロと表情を変えて、やはり口を大きく開けて停止する。
「貴様にしては察しが悪いな、黒猫。貴様にとってはこの世界のことなど、どうでもいいのだろう? 滅びも望まない代わりに、救済もしない、貴様の正体がどうであれ、貴様は力を振るわないのだろう。貴様はその力を遊びにしか使わない。それでは宝の持ち腐れだ、代わりに俺が世界を救済してやるから、貴様の力を俺によこせ」
「はーぁ、なんか一周回って冷静になれたわ……ちょっと考えさせて」
黒猫は責任は無いと言うが、どう考えても偽聖女が大量に生まれたのは俺たちの行動の結果だ。俺は言い逃れはしない。そう判断した。どうにかして滅びを回避してやりたい。終末を叫ぶ者たちが何をしでかすかわからない。黒猫の言う相当な期間の努力をしている時間は無いだろう。
「黒騎士さんが言いたいのは、あれかしら、大いなる力には大いなる責任が伴う、的な? 神によって才能を与えられたものは世の中に奉仕して当然とか、そんな感じの…………ばーか、知らないわよ。私の持つ力は私の幸福を追求するために自由勝手に使うのよ、ばーか、ばーか」
「おのれ……」
アリセンの語彙力の無さが移ったかのように、俺に対して馬鹿を連呼しはじめた黒猫に一歩近づくと、すぐさま後ろに飛びずさり俺から距離を置く。
「冷静になって頂戴な。黒騎士さん、どうにも知能レベルが下がっているわよ? 元からだっけ? まあいいわ。私が積み上げた知識、力というのはね、粘土細工のように千切ったりくっつけたり出来ないものよ……まぁ、出来なくもないけど」
「出来るのか!? どうやる!? 俺によこせ!」
黒猫の身体を丸ごと喰らい尽くせば、もしかして俺にも神の力が宿るのかもしれないと頭の端の方で思っていたが、そんなものは確実とは程遠い。黒猫の奴が素直に力を譲ってくれるのなら、それに越したことはない。
「黒騎士さんの喰いつきよ……黒騎士さんの頭に直接、私の持つ知識や技能を詰めたプログラムを強制インストールしてなんとか起動できれば、ワンチャン行けるよね、あ、ただし、記憶にも関わる領域を盛大にイジくり回すことになるから危険が伴うわよ? あー、とか、うー、としか喋れずに、その辺をのたうち回るだけの存在になる可能性が高いわね、高いと言うか、最初はほぼ確実にそうなるでしょう。こういうのは実験と失敗を繰り返して技術や精度を高めていくものだから……黒騎士さん、実験台になってくれる? 君の脳ミソを科学の発展のために捧げる覚悟は?」
「無いわっ!」
話の殆どは理解できなかったが、のたうち回るだけの存在になるのは絶対に嫌だ。脳を黒猫に捧げるだと? 悪魔の儀式そのものではないか、おぞましい。
「やはり悪魔だったか……」
「土着の神でも無ければ、悪魔でも無いから、もう、何度目よ、この話」
いつの間にか、部屋の中は薄暗いを通り越している、夕日は沈み切ったようだ。
だが明かりが無くとも不都合はない。この骨の躰は夜目が利く。黒猫の方もまた、同じだろう。
部屋の暗闇に紛れてしまいそうな体毛を持つ黒猫の頭のある場所には、金色の瞳だけが爛々と輝き、宵闇に浮かぶ二つの満月の様だ。
覚悟を決め、腰の剣を抜き放ち、突きつける。
鏡面のように磨き上げられた剣腹は、月の明かりも無いのに怜悧な光を放つ。
「黒猫の悪魔よ、ジャンヌを導いた神の声は、貴様だな?」
神でなくば、悪魔であり、悪魔であれば、ジャンヌを唆したのには理由がある。
その理由は、何だ?
日本野球世界一、おめでとー。
いやぁ、熱かったねぇ。
この作品とはまったく関係ないけど、その勢いでイイネ、☆評価、よろしく!




