39
黒い鎧を着た骨の俺と、横を歩く黒猫と、前を行く案内人。
三者三様の足音が廊下に響く。
いや、黒猫に足音は無いな。猫特有の物音を立てない静かな歩行。
前を行く案内人の歩みはぎこちなく、酷く緊張しているのが見て取れる。
黒猫と二人だけの話をする部屋を借りる為、大部屋を出て屋敷の使用人の案内に従い廊下を歩いていると、別の屋敷の使用人が慌ただしくしているのが目に映る。どうやらその男は俺に用事があるらしく、俺を見つけるなり声を掛けて近づいてくる。だが、男は俺の髑髏の顔を真正面から間近に見たことで、ガタガタと震え出して言葉を失い、立ち尽くす。俺に目など無いが、動きを止めて震える使用人の男を睨みつけてやる。存分に恐れるがいい。
この呪われた髑髏の姿をアンドレに見られていた時は、どうにも居たたまれない気分になって嫌だったが、こうして俺の知らない奴から恐れられるのは、実は悪くない気分である。不思議なものだ。知り合いでなければ良いのだろう。これからは知り合いと出会うのは出来る限り避けようと心に誓う。
指先から体の隅々まで、俺の思う通りに動くことが出来て、何より強靭。怪我や病気や痛みとも無縁。臭くもならないときた。実に都合の良い便利な身体だ。俺はこの骨の身体をすっかり気に入っているらしい。他者を威圧する恐ろしい見かけも含めて。
俺をこの呪われた身体にしたという黒猫の奴も……その意味では恨んではいない。
むしろ感謝をしてやってもいいくらいなのだ。俺を殺したのが当の黒猫であってもそれは変わらない。だが、それはそれであり、黒猫が俺の敵かどうかは別の問題。先ずは話だ。
男は蛇に睨まれた蛙のように動きを止めている。こうして睨みあっていても埒が明かないので俺の方から話しかけてやる。
「どうした? 俺に用事か? 話があるなら話せ」
「は、は、はひ、はい」
俺に促された男は呼吸を整えながら俺に用件を告げる。
どうやら市民の代表を名乗る男が面会を求めているらしい。それと俺と一騎打ちで戦ったイングランドの兵、ゴウベルだったか、その男は縛られて屋敷まで連れてこられているらしい。意識を取り戻した男はうるさく喚いていて手が付けられないのだとか、今は玄関前に転がしているので、その身柄をどうすれば良いかと聞いてくる。俺にか?
「い、一騎打ちの結果の、く、黒騎士様の手柄でありますので……その……男の身柄をどうしたらよいものかと……」
手柄、か。
今やこの町の市民の敵となったイングランド兵のゴウベルが未だに生かされているのは、どうやら俺の事を考えてのことらしい。
通常の戦場で生け捕りが叶ったのなら、普通、身代金の一つでも請求している所だ、相手が貴族やその縁者であるならばだが。故に捕虜は手に入れた者の財産としても扱う。このご時世、不届き者などいくらでもいるだろうが、正体不明の俺の戦利品だから横取りなど気軽に出来たものではないので正直に届けてきたといったところか。
しかし金も名誉も、今の俺には必要がない。
「市民の代表になど会う必要は無い。トムスに話を持っていけ」
そちらはどうでもいい。話などは無い。
ゴウベルの方は……
……なんだ、どうすればいいのかわからん。
奴は何度か死にかけている。まぁ主に俺と黒猫のせいでだが。今もかろうじて生きているだけで、どの時点で死んでいてもおかしくなかった男だ。
悪運と不運の間で、ふらふらと綱渡りのように命を繋いでいる男に対して、どうにも若干の愛着らしきものが生まれてきた気がしないでもない。
あいつにとって俺は敵だ。俺の敵でもある。だから殺す。
今からわざわざ殺しに向かうのは……無いな。理由はそれこそ、なんとなく、だ。黒猫の言う、人同士の戦争に、生死に関係のない俺たちが遊びで首を突っ込んでいいのかという言葉を思い出す。
ちっ、くだらん。
最初に相対した時に殺しておけば、何の感情も持つこともなく悩むことも無かっただろうに。
確かあの時の俺も、なんとなく、で命を取らなかったのではなかったか……
――万が一、黒猫と敵対した時には、あの男は戦力になるか?
ふとそんな考えが頭をよぎる。
何せ俺の事を悪魔だと思いこみ、それでも恐れずに向かってくるような男だ、腕はそこそこだが胆力だけは確か。黒猫の奴の正体が何であれ、立ち向かう戦力があるのに越したことはない。震えて動けないのでは肉の壁にもならん。
――あいつが死なずにここにいる事は運命か?
必殺のつもりで放った首への攻撃を、自分の得物に引っ張られて態勢を崩しながらも避けた時の事を思いだす。偶然だろう、だが単純な偶然ではなく、あいつが生き残ったのに理由があるのなら、それは、何だ? あいつの使命は俺と共に黒猫の姿をした悪魔と戦うための戦士……ちっ、馬鹿馬鹿しい。
俺を憎み睨みつける大男の強い眼差しを思い出す。
くだらない考えを今すぐ止めろ。
「ん? なあに?」
考え事をしていたら、つい、横にいる黒猫の顔をじっと見てしまっていた。
俺を見上げて不思議そうに首をかしげる黒猫。俺が心の中で、お前と敵対するかもしれない、などと考えていることは知らぬ様子。もし俺の心を読んでいたら、そんな間抜け面をしてのんびりとはしていないだろう。
大丈夫だ。心は読まれていない。
「何でもない。その男に関しても、俺は知らん。そっちで勝手に煮るなり焼くなりしろ」
俺を引き留めた使用人に吐き捨てるようにして告げると、慌てた男は屋敷の主に報告するために、俺たちが先ほどまで居た大部屋に向かっていく。
「ずいぶんと悩んでいたね。イングランドの彼、ゴウベルさん? 彼も中々にしぶとい人だよねぇ、なんだかんだで長生きしそうな気がするよ。ふふ、ああいうのが何気に黒騎士さんのタイプだったりして。ホレたりした?」
「…………」
「もっと優しくしてあげればいいのにー。あ、それともアンドレさんが本命だったり? タイプ的には優しい弟系かしら?」
「…………」
男を相手にタイプも何もあるか。
もしやこれはいつかの続きか? 黒猫の奴はどうにかして俺を男色家にしたいらしいな? 冗談ではない。俺を使って遊び始めたらしい黒猫への殺意が増していくが、どうにかこらえる。こういう時は無視をするのが一番だと学習している。
「あら? 怒った? また無視? いいわよ? 根競べね? いつまで無視を続けられるかしらね? 無視をされるのが一番私に効くって思い知るがいいわ」
「…………」
「効くのかよ、とか言うリアクションを待っているのよ?」
「…………」
「ええ、いいわ、私の負けね、男関係でイジったこと謝るから完全無視はやめて……なんかツライ」
「…………」
なんだそのおかしな文法は、折れるのが早すぎる、思い知って苦しんでいるのは貴様ではないか、などといった言葉がいくつか頭に浮かび、つい口走りそうになっていたが、苦心して無視を続ける。代わりに無言で案内人を睨み、部屋への案内の続きを促す。
案内人、オロオロするな、さっさと部屋に案内しろ。
「リュミエラっ」
今度は何だ。
一つの部屋の扉が勢いよく開いて、ゴテゴテしたドレスを着た少女が飛び出してきた。
「お待ちなさい、リュミエラっ!」
続いて、同じ部屋から女が飛び出して来て、廊下にいた俺と目が合い、ビクっと体を震わせて動きを止める。たしかリュミエラの母親だったな、名前は聞いてない。今回は俺を見ても倒れ込まなかったな。
「騎士様っ! 助けてください!」
「お嬢様っ!? あ、骨の人!」
「どうしましたか!? あ、どうも」
その隣の部屋の扉も開き、アリセンとユーザス、二人の少年が出てきて一瞬で廊下は騒々しくなった。
「騎士様、お助けくださいっ! このままでは私は聖女にされてしまいますっ!」
「うるさいわ、聞こえているから近くで大きな声を出すな」
癇癪を起した女の声を近くで聞くのは不快だからな。女嫌いで男好きだからではないぞ。何の言い訳だ。
ゴテゴテとした動きにくそうなドレスを着たリュミエラがつかつかと廊下を歩いて俺に近づき、母親と対峙する。
「お母さま、私は何度も言っております、私は神託を受けてはおりません、なのに何故、お披露目用のドレスを着せられるのでしょう? 聖女として恥ずかしくないようにとか、おかしいです、本気で意味がわかりません」
「リュミエラ……それは……ええと……もしかしたら……必要になることで……」
娘に問い質された母親は俺をちらちらと見ながら答えているが、しどろもどろで要領を得ない。聖女の、何だと?
「騎士様、聖女とは神様によって選ばれる者なのでしょう? 騎士様は私を聖女だとは言いませんでした、だから私は聖女では無いのですよね?」
リュミエラが着ているゴテゴテと装飾のされたドレスは、どうやら娘を聖女として誰ぞにお披露目するために着飾らせた服装ということらしい。
「リュミエラの言う通りだ。聖女とは神に選ばれた乙女の事だ。リュミエラの母親よ、よく聞け、聖女を騙ろうとするな」
「ほら! ほらー!」
自分の意見を受け入れてもらえて満足気なリュミエラ。母親はうろたえながら俺に弁明をする。
「か、騙るなど、大それたことなど思ってはおりません、誤解です、黒い騎士様、た、ただ、娘を聖女であると言う者が、実際に大勢いるわけで、それが……その……」
それは由々しき問題ではあるな。
理不尽な運命によって聖女などと誤解されるようになってしまったことも、厳然たる事実としてここにある、それも主に俺たちのせいだが。未だに屋敷を取り囲む市民の誤解を解いて、奴らを屋敷から遠ざける何か良い方法は無いものか。
「聖女としては、ちょーっと衣装がねぇ、派手過ぎるというか、何と言うか、変、だよね? どう思う? アリセン君?」
「え? え?」
「え、じゃなくてさ、もっと清楚で可愛いのが良くない? なんか夜会に行くみたいだもの」
「清楚で可愛いって……ええと……」
「ルルさん、聖女の正しい衣装については、僕らは、その、あんまり詳しくなくて……」
「ユーザス君、正しさなんて誰も求めてないの! 可愛いかどうかが重要なのよ、聖女の良し悪しってそういうものでしょ」
「可愛いかどうかが聖女の良し悪しなわけあるかっ!」
「おおっ、黒騎士さんがやっと突っ込んでくれた! 感動!」
「何を感動しているか、このっ! このっ!」
何とかして踏み潰そうとするがチョロチョロと動き回って俺の足元をすり抜けていく黒猫。我慢が出来なかったわ、おのれ、おのれ。
知っていた。不快な事に、黒猫の奴にとっては聖女という存在すら自分が遊ぶための材料なのだ。
俺の知る聖女、くすんだ金髪をした少女を思い出す。
ジャンヌの他に聖女はいない。他は全て偽物。
今、オルレアン他、各地で自称聖女とやらが出てきているとトムスが言っていたが、そいつらは、いずれすべて、しかるべき罰を受けることになるだろう。
「骨の人っ!」
「なんだアリセン! 俺は今、猫を踏み潰すので忙しい!」
「にゃあ! 酷い!」
「お、おう……じゃなくて、その、凄かった! あんたの戦い、窓からはよく見えなったけど、それでも凄く……凄かった……こう、剣を、こうっ! ……凄かった」
「アリセン君の語彙力よ……」
黒猫にすら呆れられるほどのアリセンの語彙力だが、伝えたい事は伝わっている。頬を紅潮させて俺を見る少年の瞳には、最初に出会った時の邪険さは無い。
「私も見ました! 物語の英雄が本の中から抜け出したかのようでした! バッタバッタと敵をなぎ倒して、すごくカッコ良かったです!」
「ですよね! お嬢様!」
「お嬢様……あの時、市民ごと蹴散らせと言ってませんでしたっけ? トムス様が頭を抱えてましたよ? けど、凄かったのは本当です、僕も凄いと思いました」
子供らの、言葉足らずも素直な賞賛を受けて、俺の胸の内に灯るものがあるのを知る。復讐の炎ではない、しかし、熱い、何か。
「鍛錬次第で、誰にでも出来ることだ。俺のようになりたくば、少年らよ、励め…………何だ、黒猫、にやにやと笑いおって」
「笑ってないけど!?」
笑ってしまいそうになっていたのは俺だ。表情が無くて助かった。だらしのない笑い顔を見られないで良かった。骨の体はこういう時も都合が良い。知られたくない心の内を、とりあえず猫のせいにして隠す。
「黒い騎士様……娘が、娘が、偽りと知りつつも、誰もが納得する嘘、いいえ、方便として、聖女として名乗らねばならなくなった時は、どうしたら良いのでしょうか? このままでは、娘の身の安全が、どうなってしまうのか……神よ……」
俺たちのやり取りを見ていた母親が、神への祈りと共に、俺に問う。
「それは、表の連中の話か?」
「はい……それも含めて」
それは、俺の中にも答えの無い問題。
ルーアンの町の連中は聖女を求めている。自分たちに救いをもたらす聖女を、自分たちが殺してしまったジャンヌの復活と、贖罪の機会を与えてくれる存在を、求めている。ルーアンだけでなく、他の場所でも。
ここで頑なに聖女であることを否定していれば、奴らがどう出るのかわからない。暴走して、それこそ再びの処刑への流れすらもありうるのだろう。声を張り上げて誤解だったのだと説明しても、それで納得する者がどれほどいるのか。
あるいはリュミエラが聖女を騙り、適当な言葉で奴らに許しを与えれば、奴らは簡単に納得して偽聖女に従い、その言葉を聞いて屋敷の周りから消えていくかも知れない。それだけで解決する。偽の聖女になることが、ある意味では娘を守る一番簡単な方法。
「……黒い騎士様……どうか……娘に守護を」
何も言わない俺に頭を垂れ、祈りを捧げる母親の姿を見る。
ただひとつ、娘の身の安全こそが、聖女と偽る罪よりも上。神に選ばれてもいない娘を、神に選ばれた聖女として振る舞わせねばならなくなった母親の気持ちが、少し理解できた。
この母娘の為、俺に出来ることは、何がある?
「1000……2000……それくらいの首を斬って屋敷の前に並べれば、奴らも恐れて娘から手を引くか?」
「まーた物騒な事を言い出したよ、この人……」
「黒猫よ、何かいい案はあるか? つまり、屋敷の周りにいる奴らを散らしたい」
「お腹が空けば勝手に散っていくんじゃない?」
「適当な事を言うな。もっと真剣に考えろ」
「えー、リュミエラさんが聖女やりたくないって言うのなら、放っておくしかないよ。リュミエラさんが聖女やりますって言ってしまえば、少なくとも彼らから襲われることは無くなるだろうけどね」
「聖女とはやりたくて出来るものでは無いだろうが、聖女であると言えば偽ることになる」
「本物の聖女かどうかなんて誰が見極めるのさ、聖女になりたいならなる、なりたくないならならない、それで問題なし、あとはリュミエラさんの決心ひとつ」
「聖女も魔女もこりごりです……」
リュミエラが心底うんざりとした顔で俺たちの話に割って入ってくる。こいつも黒猫による哀れな被害者の一人なのだ。広い心で許してやろう。だが黒猫、貴様は駄目だ。聖女を偽るなどいう発想自体が気に食わない。
「ちっ、相変わらず肝心な所で役に立たない奴だ、黒猫、貴様に何が出来るんだ」
「あれぇ? いつかの仕返しかな? 何でもありなら何でも出来るよ、そうだ、黒騎士さんが聖女をやればいい、ちょっと時間かかるけど少し待ってね、急いで君の姿を美少女にしてあげるから」
「待、て」
忘れていた。黒猫の力を制限なしに振るわれたら俺の身がどうなるかわからない。
「何でもありは無しだ。それ以外の方法を考えろ」
「オルレアンだっけ? あっちにも聖女ですって言ってる人がいるんじゃなかったっけ? だからその人になすりつければいいんじゃない? あっちが本物ですよーって言って。今の黒騎士さんなら妙に説得力あるからねぇ、外にいる人たちに厳かに呼びかければ成功する、多分」
「その手があったか」
盲点だった。すでに聖女を偽っている者が居たではないか、そいつになすりつけるだと? 聖女では無い、本人すら否定するリュミエラを聖女だのと言う頭の悪い奴らだ、別の奴に騙されるなら騙されるで、俺は知らない。オルレアンで聖女を名乗っている者についても知らん、むしろ信者が増えて喜ぶのではないか? 騙るものと騙される者、仲良くやればいい。
何て見事な案を思いつく奴だ、黒猫、恐ろしい奴め、そうしよう、そうしてやれ。
「黒い騎士様、それではルーアンから市民が消えてしまうのでは……」
母親が異議を唱えるが、そこまでは知らん。少なくとも俺が聖女をやるよりは現実味のある筋書きだ。他の案は無い。あきらめろ。
そっと母親から目を逸らす。代わりに始終、オロオロとしながら話を聞いていた案内人と目が合う。
忘れるところだった。黒猫と話をするのだ。案内人をせっついて、その場を離れる。
はぁ。
部屋から部屋へ移動するだけで、どれだけ疲れるのか。
部屋から部屋へ移動するだけで、一話使うとか……




