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「あらら、集まって祈られるだけなら、こちらが頑張って無視すればいいだけの話だったからよかったけど、事この期の及んではもう知らないふりを決め込むのは無理そうねぇ。どうやら今回の食事会はお流れのようだわ、ざんねん」
集まってくる市民に対して完全に無頓着というわけではなく、一応黒猫の奴でも気にはなっていたらしい、頑張って無視しようとしていたのか。
「最初からのんびり食事どころの状況ではなかっただろうが。もっと早くに諦めておけ」
残念と言いながらも大して残念なそぶりを見せずにつぶやいた黒猫に適当な返答しておく。
そして今。
馬頭を並べて市民たちを攻撃するイングランドの兵士たち。
目的地はこの屋敷、目的はこの屋敷にいる聖女などと誤解された少女の身柄なのだろうが、抵抗する市民たちの数が多くて前に進めないでいる。
「魔女に誑かされた愚かな民衆よっ! どけぇ! 邪魔だ! 悪魔ともども打ち殺すぞっ!」
馬の上から振り下ろされる長剣によって、次々になぎ倒されていく市民たち。ルーアンの町に怨嗟の叫びが響く。
「邪魔だ邪魔だ! ええい、こいつら、どこから湧いてきた!? クソッ、進まん」
市民の中に一番に飛び込み悪態をついているのが隊長か? なかなかな鎧を着ているイングランドの騎兵だ。
「イングランド兵め、屋敷の前に生首を並べて飾り付けてやる。黒猫よ、馬を出せ」
「はぁ」
「何だ、どうした黒猫よ、腑抜けた声を出しおって」
「馬を出すのはいいけどね、黒騎士さん、ちょっと待って考えてみてはどうかしら?」
「この状況で何を考える必要がある?」
またか。
考えろ、考えろ、考えろ。いつも同じことを言う。考えたって結論は同じだ。
「これはもう戦争ってやつだよ? 集団の意思と集団の意思の削り合い、野盗を追い払うのとは意味が違う。私や君といった個人が出来ることは少ない。迂闊に踏み込んだら駄目な領域。それでも戦争こそが君のやりたいことで、敵を蹂躙するのが大好きだと言うなら、止めもしないし、行けばいいと思うのよー、けどねー、その先は? 戦争にはキリが無いよ? ここで彼らに交じって戦争を始めたら、その先に終わりはないよ? 君が満足する終わりは当分来ない、たぶんね、それでもいいの?」
屋敷の屋根の上、黒猫が俺に問いかけてくる。
しかしそれは言われるまでもない事。戦争が終われば、次の戦争になる、そんなことは知っている。戦争に終わりはない、俺の満足などは考慮に値しない。
「この世から戦争は無くならなくとも、今はあいつらを蹴散らせば終わりだろうが。その先の事はその時になって考えればいい」
「真っ当な生物なら死んで終わりも来るのだけどね、肉体の寿命が無い私たちのようなものが、彼らの真面目な生き残りの戦争に首を突っ込んでもいいのかな、ってね、思うのよ。関係のない私たちが戦争に遊びで介入する、ひとしきり楽しんで、遊びに飽きたらやーめた、はいさようなら……君の精神はそれに耐えられるのか、そこを聞いているのよ、それとも答えられるのかしら、遊びで介入する以外の理由が君にはあるのかしら?」
「遊びだと?」
「そう、生存に関係ない、だから遊び」
戦争が、遊び。
考えた事もなかった思考。
戦いは常に存在し、戦う理由などはその時々で様々、だが戦争のその意味を考えた事はなかった。敵がいて、それを屠る剣があればそれでよかった。勝利は喜びであり、それこそが目的でもあった。
今の俺はどうだ? 少なくとも生存のための戦争では無くなった、守るべき家族も仲間もいない。殺されたくないという理由が俺が剣を振るう理由には出来ない。ならば俺が剣を振るう理由は、何だ? 地位、名誉、名声、金……
「……どうでもいい、後で気にすることもない。敵が居る、故に屠る、敵が居なくなるまでだ」
「あ、そう、なら別にいいわ。どうぞ行ってらっしゃい。私は行かないけど」
「行かないだと?」
「戦争はねぇ、性に合わないのよー、好きじゃない。争い合うのも、うるさいのも、私は嫌いなの。黒騎士さんが好きなら好きで、それは別に尊重するけどね、私はゴリゴリの殺し合いは見ない事にする。視界の外でなら好きにやってくれていいからね。私はもう帰るわよ」
「は? 帰るだと? どこへ帰る? あの無人島か? 相変わらずの無責任さだな、黒猫よ。そもそもこんなものは戦争ではなく騎兵による一方的な蹂躙で……」
目を疑う光景が、そこにはあった。
市民に囲まれ身動きが取れなくなった騎兵たちが、叫んでいる。
馬の上から振るわれた剣を、自分の体を犠牲にしてでもその振るわれた腕ごと掴み、巻き込み、抱え込み、その隙に別の市民たちが馬の上にいる騎兵の所までよじ登り、辿り着き、兵士の体を大勢の手で掴み、馬から引きずり落とし、それを下で待つ者が各々の手に持つ得物で地面の上の兵士を叩き、潰していく。
騎兵が、兵士が、市民の海の中に飲み込まれて沈んでいく。
兵士の絶望の叫び声が、市民の怒りの叫び声によって消されていく。
「は?」
馬にも乗らない、碌な武器など持たない市民など騎兵による一方的な虐殺で終わるはず、終わるはずだった、何も出来るはずがない、どれほど数の違いがあろうと、それが通常、だが、なんだ、この状況は……
市民が絶叫する。
流れる血で酔っていく。
敵の血で、誰かの血で、自分の血で。
熱狂していく。
殺し、殺されて。
熱い。
灼熱の炎に当てられたようなその空気に、覚えがあった。
記憶の中。
『突撃せよ! 突撃せよ! 突撃せよ! 神の意思は私たちにある! 突撃せよ!』
「……ジャンヌ」
ジャンヌ・ダルク、神託の聖女、神の乙女。
まるで炎を纏った戦いの化身。最前線にて旗を振る彼女の、炎が揺らぎ立つような声を受けて、兵士たちが熱狂し、奮い立ち、剣を振り上げ、叫ぶ。熱狂の中に放り込まれていく。
俺の目に焼き付いたその光景、その空気。
「聖女!」「ジャンヌ!」「聖女!」「戦え!」「聖女!」「再来の聖女!」「殺せ!」「神の乙女を!」「聖戦を!」「聖女」「ジャンヌ!」「ジャンヌ!」「ジャンヌ!」
バラバラだった市民たちの叫びは、やがて一つの統一された言葉へと変わり、合唱が始まる。
「ジャンヌ!」「ジャンヌ!」「ジャンヌ!」
熱で浮かれたように……熱に浮かされて、狂って、彼女の名を叫び続ける。
不当な裁判にて魔女の烙印を押され、火刑にかけられて殺された彼女の名を、まさに、このルーアンの町で、この町の市民が、聖女の名として、叫ぶ。
「なんだ、これは……」
次々と呑み込まれていく兵士たちを見ながら、言葉も出ない。
泣こうが、叫ぼうが、彼らは理不尽によって殺されていく。本来逃げまどうだけの民衆の手によって。
隊長格と見られた男の姿が見えない。
いつの間にか市民の海に呑まれていたか。
「数の暴力? まあ、訓練された騎兵っていってもね、機動力も生かせないんじゃ出来ることはないでしょうね、普通にやられてる。迎え撃つ方の被害も大きいけどね……ねぇ、もしあそこに、彼らの敵として黒騎士さんがポツンといたとして、何が出来ると思う?」
黒猫の横顔を見る。金色の目を細めて市民たちを見つめる黒猫の感情は読めない。
「黒騎士さんなら彼らを大勢殺せるかもね、けど、それだけ。いずれ馬から引きずり降ろされ、武器を取り上げられ、鎧ごと、体ごと、丁寧にバラバラにされて、砕かれて、踏み潰されて粉々になって……時間はかかるだろうし、熱狂はいつまでもは続かないから途中で飽きてもらえるかもしれないけど」
黒猫が俺を見上げる。金色の目で、俺を見る。
「君の心が死ぬまで、やめてくれはしないでしょうね。ちょろっと骨が動く程度の恐怖では殺戮モードになった大衆は止まらない。兵士も市民も同じ人間であって垣根が無いように、個人がちょっと強いかどうかなんて些細な事として処理される。巻き込まれた人に出来ることは多くは無いの」
「…………」
「幸いにして、私たちは戦争の当事者でもなく、どこにも敵はいないのだけど」
下では市民たちがジャンヌを呼ぶ声が続いている。
先走った騎兵たちは呑み込まれ、すりつぶされ、消えて、突入をしなかった騎兵は民衆の群れの外にいて、一塊になって剣を振り上げて威嚇している。
敵はやつらだ。敵はいる。
「戦争って怖いよね? 関わったって、いい事無いよ」
金色の瞳が三日月の様に細くなる。笑っているのか? 俺を? 俺に戦争を恐れろと? 尻尾を巻いて逃げろと?
市民たちの熱狂に当てられて一瞬だけ熱くなった俺の体が、ゆっくりと冷えていくのを感じる。それは恐怖から来るものか? 俺は恐れているのか? 黒猫の言う通りにしろ、関わるな、理不尽を受け入れろ、お前は敗北したのだと……
「ま、けど、君の心が死なない限り、死を受け入れない限り、君が生を諦めない限りは、最終的には君が勝つんだろうけどねー、粘り勝ち? 君の体は粉々にされても復活したりするよー、ちょっと体積減るかもだけど」
「でたらめだな、俺の体は」
それで心が持つのだろうか?
知らない、どうでもいい、その時はその時だ。
考えろ。
市民がジャンヌを呼ぶ声が再び俺の心に熱を与えてくる。無理やり。強引に。
考えろ。
イングランドの騎兵はまだまだいる、この町以外にも、大勢。敵は掃いて捨てるほどいる。
考えろ。
俺がこいつらの戦争に関わる意味は?
イングランドに従いジャンヌを殺したこの町の住人たちが、今、イングランドに逆らいジャンヌの名を呼んでいる。
意味が分からない。
貴様ら、今さら都合がよすぎるだろうが。
理不尽だらけだ。この世は。
認めない。
俺が世の理不尽に対して抱く感情は恐れではない、敗北ではない。
「全部断ち切ってやる」
怒りだ。怒りが俺がこの戦争に交じる意味だ。
理不尽に焼かれた少女の代わりとなって、彼女の敵を焼き尽くすのが俺の望みだ。
「敵は殺す、それだけだ」
「それが君の選択だね? 私には君の敵が誰なのかすらもわからないのだけれど、君は君の心の声に従えばいいさ」
「……わからないのはお互い様だ、黒猫よ、手伝わないのなら別に構わん、だが奴らを蹴散らした後に聞きたいことがある、ここから離れるな」
「えー、帰りたいなぁ」
ジャンヌを導いた神の声に関して聞かねばならん。
黒猫は他に悪魔はいないと言った。そして黒猫は人の心に直接語りかける技を持つ。本物と見間違う映像すら、自在に操る。
魔法、奇跡、呼び名などどうでもいい。それを為せるのがこの世界で黒猫だけだというのなら、神はいないというのなら、神の名を騙りジャンヌの心に呼びかけたのはお前だ、黒猫。
誰にも聞こえぬ声で少女に神秘を授けた悪魔。
もし俺の考えが正しいのなら、黒猫よ、貴様が、貴様こそがジャンヌを導き、聖なる乙女として戦いの渦中に放り込み、そして最後には見捨てて殺した者だ。そうであるなら貴様が、貴様こそが――
――俺の敵だ。
……先走るな、まだ判断するな。
すべてはこいつの口から聞いてからだ。黒猫を敵と決めつけるのはその返答の内容次第。
俺の視界の中、市民の勢いに完全に呑まれかけていたイングランドの騎兵たちは持ち直して隊列を揃え始めている、軍隊として機能し始めている。この後、完全に隊列を整えて、整然と行動すれば、市民たちがどうなるかわからない。
「聖女様ーっ! 姿をっ! 再来の聖女様の姿を見せてくれえ!」
「ジャンヌ! ジャンヌ!」
「救ってくれ! 俺たちに神の救いを!」
屋敷の前ではジャンヌを呼ぶ声が一層高まっている。ジャンヌは貴様らが殺したのだろうが。
都合よく手のひら返しをする市民の姿に激高しかけるが、抑える。ふん、彼女を殺したことを後悔しているならば、今はこいつらは敵ではない。
「お嬢様っ!?」
「いい加減にしてっ! 私はっ! ジャンヌじゃないっ! 復活もしていないっ! 魔女でも聖女でもないっ! うるさいうるさいっ! 適当な事言うなっ! どっかいけぇ!」
「なっ!?」
窓から顔を覗かせ、市民に向かって大声で怒鳴り散らす少女リュミエラ。
「アリセンっ! ユーザスっ! お嬢様を窓から遠ざけるんじゃ! 体に触れても構わんっ!」
「え!?」
「は、はいっ」
「離してっ! 言わせてっ! 誰も彼も私の言う事なんて聞いてくれない! 私が言うことが本当なの! 私、は、ただの、淑女、だああっ!!」
クク、無節操な市民の叫ぶ声に耐えられなくなったのか、魔女そして聖女と呼ばれた少女が絶叫する。クク、まったくもってお前の言う通り、お前は魔女でも聖女でもない、当然ジャンヌでもない、まぁ淑女でもないがな、ククク。
「黒猫、馬を」
「とっくの昔に出してるよ、そこ」
見ると屋敷と市民の間にぽつんと取り残された馬。主のいないまま所在なさげに佇んでいる、黒い蹄鉄をつけた黒、というには黒とは言い切れない色をした馬の姿がある。空を飛ぶことを覚えた馬、名は無い。
いつから居た? 気がつかなかった。
「呼び出しの呪文はいいのか?」
「気分じゃないからね」
「気分屋め」
ローブをマントの姿に変えて、屋敷の屋根の淵に立つ。
「嘘だっ! 俺たちは見たぞ! 本物の神の奇跡をっ! 火にかけられても火傷一つ負わなかった姿を大勢が見ている! 何故聖女だと言ってくれないんだ!?」
「聖女様! お救いください! 我々をお導きください!」
「聖女様っ!!」
「むきゃああ! 聖女じゃ、ないって、言ってるでしょーーーーっ!!!」
「ちょ、暴れないで、お嬢様っ!」
扉の中でじたばたと争う少女と少年たち、そして外では市民たちから不穏な空気が流れ始める。
「違うなら、そうじゃないなら……」
味方でなければ敵。
自分たちの都合の良い理想の聖女でなくばそいつは魔女で、俺は悪魔か?
理不尽だよな? 叫びたくもなる。
屋敷に近づけまいとする男たちを気にしつつ、屋敷へと少しづつでもにじり寄っていく市民たち。奴らの目からは正気が無くなりかけている。だが。
俺は屋敷の上から飛び降り、屋敷と市民を分かつ庭へと降り立つ。
地面が揺れ、土煙が舞う。
「おおっ!?」
「黒騎士殿っ!?」
少年らと揉み合っている最中の窓の中の少女に向かい、簡単な騎士の礼をする。
クク、なかなかどうして。
窓の中の少女は短髪でも無いし、顔も体格も違う、鎧も着ていないし、男装もしていない。
だが、なんだろうな、どうしようもなく彼女を、ジャンヌ・ダルクを、思い出してしまうのは。
「リュミエラよ」
「は、はひ、髑髏の騎士様?」
「貴様の叫びこそが真実だ」
「へ? は、はい」
「俺に何かして欲しいことはあるか?」
「し、しし、して欲しい事?」
「そうだな、例えば……」
広場でのことといい、空から降ってくる髑髏の騎士というのは絵面的にずいぶんと人に衝撃を与えるものらしいな? あれほど騒々しかった市民どももいくらかは静かになる。
「ムカつくあいつらを蹴散らす、とかだ」
市民ども、そしてその先の騎兵どもを睨みつける。
「あ、あ、あいつらを蹴散らして!」
「承知した」
マントを翻し、俺の元へと近づいてきた馬に飛び乗り、市民らへと向き直る。
「 ど け 」
脅すために腹の底から出した声は、とてもよく響いた。
「首を刎ねられたくなければ道を開けろっ! 横にどいて跪いて祈っていろっ! 俺の良く手を遮る奴はどこのだれであろうと切り殺す!」
「ひ、あ、ひぃっ……」
目の前の多くの者が道を開けて、跪く。少し遅れて、他の者も、それに倣う。
「違うのです! 黒騎士殿、その市民たちは蹴散らしちゃ駄目です、イングランド! そう! 彼ら! 蹴散らすのは彼らだけにしてください、リュミエラぁ! なんてことを言うんだ!?」
リュミエラの父親のトムスが娘の発言を訂正してくる。
わかっている、言われなくとも跪いている者を蹴散らすことは無いからな?
さすがにそこまで節操なくは無いぞ。




