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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 集まっている。

 どこからか湧いてくるように人々が集まってくる。

 道に、草地に、木々の間に、男、あるいは女、老いている者も、子を抱く母親も、汚れた姿で、血を流す者たちで、一人で、家族で、仲間で、農民も職人も商人も。

 力なく、頼りない、明るさの中にも暗さが含まれる、そんな弱弱しい日差しに照らされて、続々と屋敷の周りに集まってくる人々の顔に笑顔はない。

 表情……彼らの顔に浮かぶ表情は、怒りでもなく、悲しみでもなく、期待でも決意でもなく、何か別のもの、それは、何だ、その表情は何だ? その感情は何処から来る?


 屋敷を囲んでいる民衆と、彼らを屋敷にはそれ以上は近づけまいと威嚇する兵士たちのやり取りを屋敷の屋根の上から見下ろしながら、思う。


 彼らの目当ては聖女。再来の聖女。

 そう噂された、ひとりの少女。

 神の声を聞いたわけでもなく、神に導かれたわけでもなく、何かしらの特別な力など何一つ持たない少女。聖女であろうとする意思すらない、なんとなく、流れのままに、復活した魔女、そして聖女などと呼ばれるようになってしまった、ただのどこにでもいるような少女。

 救いを求めてこの場所にやってくる者たちの心の内は、何だ?


「お肉が焼けるいい匂いがしたね。あれ? そういえば今日って何も口にしてないんじゃない? お腹すいてきたー。黒騎士さんはお腹すかない?」


 屋根の上に乗り、透明の力を持つローブに身を包み民衆を観察する俺の横にいる黒猫が話しかけてくる。


「どうしよっかなー。ご飯を食べる時は人間の姿の方が楽でいいんだけど、人間の姿にもなれるっていうのをいちいち説明するのも面倒なのよねー。どうっしよっかなー」


 黒猫よ、気楽か。よくこの状況で問題なく食事が始められる、などと思えるものだ。


「猫の姿でもお肉くらいなら食べられるし、猫のままでもいいかー。うふふ、誰かにご馳走してもらえるのなんて、一体何年振りだろう、しかも大勢での食事会なんて。どうしよう、黒騎士さん、人の姿になった方がいいかな? 礼儀? として?」

「…………」


 こいつの普段の生活など考えないぞ。

 礼儀なども知らん、好きにしろ、いや、人の姿はやめろ、ただでさえ喋る黒猫などという不吉な存在なのだ、変化する邪悪な魔女などと言われ騒がれるのもいちいち面倒というやつだ。


「貴様は猫の姿のままがいいだろう、礼儀的に」

「礼儀的に!? 人の姿が礼儀に反するの!? なにゆえ!?」


 何気に黒猫の奴は食事会とやらを楽しみにしているらしいが、よく見てみろ、この続々と集まってくる民衆を、もはや明らかにのんびりと食事をしている場合ではないからな。トムスらも対応の為に慌てていてそれどころではなかったろうが。俺たちに振る舞われるご馳走など期待するな、当然ながら中止だ、中止。

 黒猫の奴はここに集まってくる民衆には興味を示さずにいる。どうやら目にも入っていない。こいつにとっては心底どうでもいい事なのだろう。


「黒猫よ、貴様にはここに集まってくる民衆の気持ちがわかるか?」

「え? 何? 国語のテストか何か? その時の彼らの心情を答えよ、って? 知らないよ、どうでもいい」


 そうだな、貴様ならそう答えると思ったぞ。


「俺には彼らの気持ちがわかる……かもしれん」

「言葉を濁すねぇ。何か思う所があるのなら、この頼れるお姉さんに言ってごらん?」

「何が頼れるお姉さんか、猫が」


 しかも頼れもしない。


「彼らはな、迷える子羊というやつだ。神に救いを求めている、自分らを助けてくれる善なる神を求めている」


 彼らは何も持っていない。力を持っていない。つまり弱者だ。この町が陥った混迷に、ただただ右往左往するだけの民衆、そのくせ何かを為そうとする意思もない、だからここに集う。彼らは求めているのだ、無力な自分たちを救う強大な力を持つ者の存在を、神に選ばれた存在を、聖なる乙女を、神の奇跡を為す者を、自分たちを導く存在、それを求めてやって来た。だからこそ、故にこそ、


「救ってやらんのか? 黒猫」

「は?」


 一体何を言われたのかわからない、そうした表情で俺を見上げる黒猫。

 いつもいつも人の事など知らない、興味ない、どうでもいい、そんな言葉を嘯きながら、それでも目の前に困っている者がいたら手を差し伸べる、黒猫よ、貴様はそういう者ではないのか?


「は、ではない。黒猫、貴様には彼らの救いを求める声が聞こえているのだろう?」

「は? はい? え?」

「え、ではない。黒猫よ、どうやら貴様には力がある。どれほどの力を持つのか俺には想像もできないほどだ、とてつもない力を貴様は持っている」

「? ?」


 戸惑っている様子。

 こちらを見る黒猫の表情は、何か得体の知れない物を見るような、そんな表情。今の俺にはそれがわかる。猫の表情に詳しくなど、なりたくはなかったのだがな。


 下では屋敷を守る兵士に詰め寄る者、屋敷に向かって跪いて祈りを始める者。様々。

 民衆は、ただただ救いを求めてここに来て、心の底から願っている、真摯に願っている、自分たちを救って欲しいと、導いて欲しいと。


「その力を使って彼らを救ってはやらんのか? 出来るのだろう? 貴様にならば」

「ええと……」


 それも簡単に、とは言わない。

 俺は黒猫の裏の事情を知らないからだ。黒猫の奴が様々な力を振るうのに裏でどれほどの代償を支払っているのか、俺は知らない。

 それでも。


「貴様は人が苦しむ姿を見るのが嫌なのでは無いのか? 攫われた娘を助けたように、盲目のプリュエルにしたように、だ。彼らは、今まさに苦しんているぞ?」


 全知全能の神ならば、そして善なる存在の神ならば、こんなにも苦しむ者どもの姿は見過ごせないはずだ。神とは、そういう者だから。救う力を持ち、救いたいと願い、それでも苦しむ者を救わない、知らないふりをするとなれば、そんな神になど価値は無い、そんなものは、ただの力を持つ――


「それで私に」


 ――悪魔だ。


「それで、私に何の得があるの? 別に困ってもいない彼らを、上から目線で? 救う? 救ってやる? ま、いいわ、救ってさしあげて、それで私は幸せになれるのかしら?」


 想像もしない答えが返ってきたので、今度は俺が戸惑う。


「は?」

「は、じゃなくて、黒騎士さん?」

「困っているだろう? この町の現状、いや世界の混迷、今この世は理不尽な世界そのものだ、彼らの身に振りかかった苦難、困難は容易に想像できる、黒猫よ、彼らの真剣な表情を見よ」


 誰も彼も、皆必死。生きるのに必死で、救いを求めるのに必死だ。


「好きに生きてるわね? 私には別に彼らが困っているように見えないわ」


 自分たちが虚構で創り上げた世界が違うので、理解し合えない、前に黒猫が言った言葉が蘇る。


「いや、しかし、明らかに……」

「彼らは好きに望んで、好きに行動して、好きでここにいる、彼らのどこが困っている者なのよ? この町で行われた事、起きた事、一切合切を無視して、ああそんなこともあるのか、なんて言って普段の営みを続けることも彼らには出来たのよ? その場合、彼らは今、普段通りの生活を続けていたわ、何の問題もなく何も変わらない日常、彼らは好きで放棄したようだけど、ね」


 理解し合えない黒猫に言葉が続かない。それでも紡ぐ、黒猫に抵抗する言葉を。


「……抵抗できぬ苦難が振りかかり、救いを求めるからここに来た、ここにいる」

「苦難て、具体的には?」

「…………」


 色々だ、そんなものは。

 彼らは何も知らない。聖女がただの少女であることも知らない。この町や、他の町で起きたことも知らない、無知で、力のない者であり、彼らに救いは……


「救えるのに……救わないのならば……貴様は……」

「救う者が善であり、救えるのに救わない、故に悪、とか思っているなら、言っておくわよ黒騎士さん? 私はね、その基準で評価されるのなら、悪よ? 悪魔と呼んでくれても別に構わない。私は私の勝手で好きに行動している。彼らの様に、ね」


 屋敷の周りを囲む民衆を見ながら、黒猫はつぶやく。彼らを見るその金色の瞳にリュミエラやプリュエルに向けるような感情は無い。


「娘を助けた責任はどうなる」

「リュミエラさんを助けた責任? なにそれ」


 俺たちが娘を助けた。そのせいでリュミエラは魔女と呼ばれ、聖女と呼ばれ……


「皆が皆、好き勝手にやってるだけじゃないの? 私に責任とか言われても困るわ、黒騎士さん」


 俺たちと関わり魔女の疑いをかけられ磔にされたリュミエラの姿が蘇る。俺たちの登場で死の町となったパリで一人だけで死者を弔うプリュエルの姿が蘇る。火刑にかけられたジャンヌ・ダルクの姿が蘇る。紅く染まった世界で見た魔女の姿が蘇る。


「……貴様は、悪だ」


 絞り出した俺の言葉に返す黒猫の言葉は。


「悪でケッコー毛だらけ猫灰だらけ」


 俺の知らない言葉だった。





 いつまで屋根の上にいたのろうか、いや、それほどの時間は経っていない。俺と黒猫、お互い押し黙るだけの時間は、いつまでもは続かなかった。


「……お腹すいた」

「……俺は酒を飲みたい気分だ」

「あの立派なお髭お爺さんの出来の良いワイン、気になるよねー」

「ジェルマンか? そうだな」


 もとより黒猫の奴は邪悪な悪魔だと知っていただろうが。一体俺は何がどうして心に衝撃を受けているのか。

 未練か? かつての俺は黒猫に救いを求め、道しるべを求め、すげなくあしらわれた。俺を骨の姿にして蘇らせたくせに、俺に何かを求めるでもなく好きにしろとしか言わない。そんな相手に対しての苛立ち、怒り。

 この町の民衆は力なき聖女に救いを求めて集まる。だが当然の事としてそれは叶わない、少女にその力がないからだ。眼下に広がる哀れな民衆と俺の姿が重なる。彼らの姿こそはかつての俺の姿なのか……どうでもいい、どうでもいいことなのだ。黒猫は黒猫、俺は俺。彼らは彼ら。受け入れろ。世界は理不尽だ。


 今でもまだどこからか集まって来ているが、屋敷を囲む民衆たちに特別な動きはない、居もしない神に向かって祈るだけだ。

 屋敷の連中は今頃何をしているだろうか? こちらにも動きが無い。娘を出せ、一目でも見たいなどと言われているらしいが、娘の身の危険を考えるならおいそれと表に出せないのも当然だ。

 こんな状況はいつまでもは続かないのだろうが、それでも停滞している。


「救う神、救わぬ神、善に、悪、神とは、悪魔とは、善悪とは一体……」

「うごご」

「黒猫? 何だ、いきなり」

「わからない事をつぶやいた時の定型詩? まぁ、あれよ、気にしないで」

「そうか」


 そうか、気にしない。

 この町に来た時、誰もが骨となって動く俺を見て悪魔だと言った、それを思い出す。


「この屋敷の連中はずいぶんと、骨の俺に、あー、親し気? であった」

「そぅお? 結構、離れてる感じ、あるけど」


 率先して近づいてはこないな。

 それでも、だ。

 面と向かって悪魔だのは言われていない。天使だのは言われたのだが。


「適当なものだな、誰もが」

「ふふ、そうだね、彼らにとってはその方が都合がいいのでしょう。何せ娘を助けてくれた恩人だもの、悪魔とか、思っても言わないし、認めないのは普通よね」

「自分たちにとって都合が悪ければ悪魔、都合が良ければ天使か、気が滅入る」

「普通よ、普通」


 俺という存在は変わらないのに、俺を見る者が変わると、こうまで変わる。


「普通が何かもわからなくなった。善も悪も、もはやわからん……」

「一つの箱を想像してみてごらんなさい、色々な物が入っている箱。あるがままの世界、あるがままの人、そういう箱。どこかで仕切りを決めて、片側に良い物を詰め込んだら、そこに入れてもらえなかった物はどこにいくのかしら? 良い物を詰めた方を善と名付けるなら、もう片方が悪、それだけ、その程度の区分け。言葉に囚われないで、そういうのはコロコロと簡単に変化していくものなのだから」

「コロコロと変わってもらっては困るものだろう」

「人が決めた仕切りだもの、決める人のさじ加減一つ」


 救いを求める者が救われなかったなら、何を思う?


 ――俺たちはこれほどの困難を抱えているのだ。道に迷っているのだ。神の救いはあるはず、俺たちは神によって救われる。神は全知全能にして善なる存在、神には俺たちを救う力がある。今回、俺たちの前に神の使いが現れた。だから――


「だから救って当然。導いて当然。そうしろ、そうであれ、でなくば……」


 悪魔、か。


 民衆を見る。

 今は静かだが、求める物が求めていた物でないと知った時、彼らはどう動く? この屋敷の者にとって良くない事になるのは目に見えている。その時俺は、どう動く? どうしたい? この屋敷の者を守るために俺に何が出来る?


「駄目だ、ここに集まった奴ら全員の首を切り落とすしか方法が思い浮かばない……」

「物騒!? いきなり何を物騒な事言い出すの!? 黒騎士さん!?」


 聖女、でなくば悪魔。二つに一つ。どちらか。

 多くの人に望まれ、担ぎ上げられ、他の選択など無い。神に導かれたわけでもない少女が聖女になる理由。案外オルレアンの再来の聖女とやらも、こうして生まれたのかもしれん。そしてジャンヌ・ダルク……彼女は……


 ……彼女は、何に導かれた? 彼女は神の声を聞いたと言う。彼女を導いたモノは、何だ?


「……黒猫よ、貴様の他に悪魔はいるのか?」

「悪魔扱いしないで……いや、別にいいけど……他の悪魔? 知らないけど、いないんじゃない? 私は知らないわ」


 黒猫の他に悪魔はいない、そして神は虚構の存在であり実在しない、ならば……


 集まった民衆の一角、端、その一部で叫び声が上がる。怒声、叫喚、馬の嘶く声。


 あの旗は、イングランドの旗。散らしたはずの奴らが再び兵を集めて攻めてきた。






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