30
ルーアンの町に少年の悲痛な叫びが響く。
薪や藁が山となって積まれているその上、大きな木の柱に鎖で厳重に括られているのは、涙を流す金髪の少女。その周りを大勢の兵士が取り囲み、武器を掲げて周囲に集まった市民を牽制している。
ヴィエ・マルシェ広場には復活した魔女の再びの処刑を見る為にだろうか、大勢の市民がつめかけていた、いや、違う、彼らが一様に浮かべる剣呑な瞳が、彼らがただの見学の為に集まったのではないと物語っている。
一触即発を通り越して、すでに何度かの衝突を繰り返したのだろう、各自の好き勝手に持ち寄った武器を掲げる彼らには全身を血に染めた者も多い。男も女も老いも若きも、それぞれの市民たちの持つ武器の種類には農具、はては鉄の鍋や木の蓋まで見受けられた。対する武装する兵士の手にある剣も、すでに何人かの血で染まっている。
「お嬢様は無実だ! 彼女を解放しろおおおお!」
血を吐かんばかりの少年の叫びを受けて、市民たちは声をあげ、兵士たちを罵倒し、それを受けて兵士たちは一層いきり立つ。
突如、事態は動く。
叫びを上げていた一人の少年が市民たちから離れ、兵士の輪の隙間を潜りぬけて、柱に括られた少女に近づいていく。
「アリセン! 駄目だ! 戻ってきて!」
自分を呼ぶ声にも耳を貸さず、一歩でも少女に近づこうする少年に、一人の大柄な兵士が追いつき、少年に後ろから覆いかぶさり、彼の体を地面へと押しつける。
「生きが良いがっ! もうどうにもならんぞ! がはは」
「離せ!」
「ああ、アリセン! どうか、私から離れて! 私は、私は……」
「アリセンを離せ!」
「がはは! もう一人来たか! だがガキの一人や二人でどうしようと? 先に死にたいのなら望みを叶えてやるぞ!」
市民を抑えつける兵士たちの隙間から、また一人、小柄な少年が飛び出して来て、先に捕まっていた少年の近くで他の兵士たちに拘束される。
「ぐっ、ユーザス……馬鹿やろっ、なんでお前まで来るんだよ……」
「馬鹿はアリセンの方だもん、君の馬鹿がうつったんだよ、馬鹿」
泣きながら少年は歯噛みし、それを受ける小柄な少年もまた泣いていた。
「今に、今にジェルマン様が、囲みを突破して戻って来てくださる。少しでも長く、ほんの数秒でもお嬢様の命を長く、処刑を遅らせる、僕らはそのためにいるんだ。僕らはここで死ぬんだ、手柄の一人占めとか許さない、馬鹿アリセン」
「ユーザス……お前らぁ! ユーザスを離せっ! ああっ! 畜生ォ、俺に、俺に力があればっ!」
「やめて、もうやめて、アリセン、ユーザス、今すぐ逃げて、許しを乞うて、どうか、今ならまだ……」
「魔女ジャンヌゥ! 悪魔と契約し、少女リュミエラの身体を乗っ取り復活したおぞましき魔女の魂よ! 汝の罪状を読み上げるぅぅ!」
「魔女ではありません……復活してもおりません……すべてを教会に従っております、真実を話しております。……神よ……父なる神よ……私の願いを聞き給え、誰か、どうか、届けて、私の祈りの言葉を、神よ、全知全能にして善なる神よ、彼らを、あの二人だけはどうかお救いください…………救っていただけるのなら、私も、ついでに……」
「間違っているんだ! こんなの間違っているんだ! 神様がこんなのを望むわけがないんだ! 離せ! 離せぇええ!!!」
取り囲む市民が勢いを増し、兵士たちを押し込み、彼女を中心とした輪が狭まる。
処刑のための罪状を読み上げる、いくらか上ずった聖職者らしき者の声も、柱に括られた少女の祈りを捧げる声も、押さえつけられている少年の叫びも、すべてが喧騒の中に消えて行く。
そんな彼らの姿を、広場近くの高い建物の中の陰から見下ろしつつ、俺は頭を抱えていた。
「……寝過ごした」
避難民を攻撃する意図を持った集団のリーダーを、闇の中、浮かぶ髑髏として、さんざん追い回して遊んでやったのはいい。支離滅裂な事を喚いて門の前で門番を困らせていたそいつの横を、透明になったまま通り抜け、騒動になることもなく町に侵入できたのもいい。
ルーアンの町に到着するやいなや、睡魔に襲われて眠くなった。
この身体になってからの、いつものやつだ。
黒猫の奴が言うには、何処かにある俺の脳が処理限界に近づくと、どうしてもそうなる俺の仕様、というやつらしい。いずれは徹夜を何日しても問題ないようになると言うが、今は無理だと、むしろ今は寝るのが仕事でしょう? などと言ってからかう。俺を赤子扱いしやがって。
そういえば今日も色々な事があったな、眠くなるのも当然かと、猛烈な眠さによって途切れそうになる意識の中で、様々な事を考えた。死に満ちたパリの町、盲目の僧侶プリュエル、盗賊たち、死体と魂の行方、難民の生……特に良い考えなども浮かばなかった。結局何も考えずに男を走って追いかけまわしていた時が一番俺には楽しかったという結論になるらしい。その時の俺が幼稚であったとの自覚はしている。黒猫の奴は呆れていたが、これからもあまり深い事は考えないようにしていきたい。今でも十分、理解不能な事が起こり過ぎている、なんだ、別の所にある俺の脳とか、もう知らん、考えたくない。
結局、女を助けるための情報なども集めるべくもなく、誰も住んでいなさそうな建物をかろうじて見つけてそのまま眠ってしまった。ぐっすり、しっかりと寝て、起きて、寝ぼけたまま町の喧騒を聞いて、慌てて駆けつけて。
そして今のざま。
「黒猫、何故もっと早くに俺を起こさなかったのだ?」
「ずいぶんとまあ、気持ちよさそうにぐっすりと寝ていたからね、悪いかなと思って起こせなかったんだよ。ふふ、黒騎士さん、私はね、寝ている所を無理やり起こされるのが本当に大嫌いなんだよ? 自分がされて嫌な事は人にやらないようにしないとね」
「時と場合によるだろうが!」
起こせ。これほどの事態の時は。
事態はすでに最終段階とでも言うべき様相を呈している。完全に出遅れた。黒猫の奴はしばらく前からこの事態を見物していたという。
悪態をついても仕方ない。
俺と同じようにして建物の窓から事態の推移を見守る黒猫の横で、今だけは頭を働かせて考える。
火刑にされそうになっている少女は確かにあの日の夜、人さらいどもから俺が助けた少女だ、リュミエラという名前らしい。探す手間が省けたのでこれはこれで良しとしよう。そして驚くことに知っている者がもう二人、いや、三人。
アリセン少年とユーザス少年。
俺がルーアンの町からパリの町へ行く時に出会った三人組のうちの二人だ。ジェルマンという老騎士に連れられていた従騎士。彼らは確かブルゴーニュ派の者たちだったようだが、柱に括られた彼女とはどのような関係があるのか? そういえば彼女の家もブルゴーニュ派の者であったか、であれば、元々関係があってもおかしくはない。
「ああ、貴い……命を懸けた美少年同士の友情……貴い……」
「…………」
はぁはぁと荒い息をつきながらボソボソとつぶやく黒猫。
つい踏み潰したくなる衝動に囚われるが、ここは我慢をする。どうやら黒猫も二人の事を覚えているらしい。
「このままでは少年らも死んでしまうな、さて、どうするか」
長く考えている時間は無い。
俺が彼らの前に現れることで何が起きるか? 兵士たちを剣でもって軒並み切って捨てることは、今の俺の身体ならば可能かもしれん。だが時間もかかるし、乱戦にもなる。その中で少年らを無事に助けることは可能か? 助けるのは少女、リュミエラもだ。囲みを突破してジェルマンが助けにくるとか言っていたが、その気配は無さそうだ。誰かは諦めなければいけない。
俺の葛藤を知ってか黒猫が口を開く。
「一応、言っておこうかな、ちょっと前から見ていたし、気にもなるし、黒騎士さんの動きに関わらず彼らの命は助けるよ、私がそうしたいからね」
「それは、ありがたい話だ。俺が楽になる。だが干渉がどうの、深入りがどうのは、もういいのか?」
「ここまで関わっちゃったらねえ、偶然の出会いが二度っていうのがいけない。人は何度も目にする人物を好きになる傾向があるんだよ、ましてやアリセンくんもユーザスくんも、とびっきりの美少年、助ける理由なんてそんなもん。ルッキズム? 差別? はいそうですが何か? 文句があるなら受けて立つしぃ」
「黒猫よ、貴様は何と戦っているのだ?」
ルッキズムの意味も知らんが、助けたいから助ける、それ以外に理由は必要ないという考えは自由でいい。ここにきて黒猫の考え方というのがわかってきた気がする。派閥のしがらみも、もう俺には存在しないものだ、俺も黒猫にならい好きに行動するとしよう。
「彼女と二人の少年ら、あ、あと、アリセン君に覆いかぶさっている人にも見覚えがあるねぇ、ルーアンの町で黒騎士さんと戦った人だ、彼も助けようか? 必要なさそうだけど」
そうだった、知っている者のもう一人。アリセン少年を抑えつけている大柄な男もまた俺たちの知っている人物だった。
ルーアンの町を訪れた最初の夜、誰もが髑髏の姿で動く俺を恐れ、逃げ出す中、俺を恐れずに襲い掛かってきた者だ。戦いにもならなかったがな。今は少女を火刑に処す側の人間としてここにいるようだ。旗などを見るに少女を囲んでいるのはすべてイングランド兵と思われる。奴は初めて会った時も市民に石を持って追われていたし、今日も今日とて市民と対立しているようだが、イングランドの兵である男がここにいるのも別におかしくはないことなのだろう。
「むしろ敵側ではないか、今度も襲ってきたら切って捨てるぞ?」
髑髏姿の俺に向かってきたその勇気に免じて一度は見逃してやったが、二度は無い。
「あ、そう、好きにしていいよ。彼も何だかんだで私たちと縁がある人っぽいのだけど、美少年じゃないからね、仕方ないね」
美少年ではないから殺してもいいらしい。今、黒猫の中で恐るべき線引きがなされた。どうでもいい。
黒猫の奴が少年らの命の保証をするのなら、あとは飛び込むタイミング、それだけだ。物陰から覗くと、先ほどから処刑を急ぐイングランドの聖職者らしき者が、ひときわ大きな声でもって処刑の執行の声明を締めくくる。ここか。
「以上を持ってぇ! 魔女ジャンヌの魂が宿った身体ごとぉ! 再びの火刑に処すぅぅ! 此度の執行の際にはぁ! 悪に染まったその身体を聖水で清め続けぇ! 聖なる文言で邪悪なる魂の行動を封じぃ! その魔女の魂が逃げられないようにしているぅ! 故にぃ! 次にジャンヌの名を騙る者が現れた時はぁ、ただの妄言としてぇ、捕らえ、裁きが下されるぅ! 魔女ジャンヌは二度と復活しないのであるっ! 火をつけよっ!」
「いやぁあああ!」
「やめろおおおおおおおお!!」
柱に括りつけられていた少女に聖水と思しき水がかけられる。次いで、彼女の足元の藁に松明の火が燃えうつされ、その火は白煙を上げて広がっていく。
「何でもするっ! 何でもするからっ! リュミエラ様を助けて、神様、神様ぁああああ!!」
高い建物の部屋の中で助走をつけて走り、窓を蹴り、少女を囲む円の中を目指して飛び込む。
体が思う様に動く、素晴らしい。あるいは黒猫の助けがあったかもしれない。わからない。しばらくの空中浮遊の後、俺の身体は狙いたがわずに少女と少年らの近くに降り立つ。
ドゴン、と、かなりの音が鳴り、石畳を割る。
着地の際の衝撃もあったが、俺の身体に異常はない。
「!? !?」
喧騒が止み、広場は一瞬の静寂に包まれた。
誰も彼もが動きを止めて、俺を見る。
突如として、何の脈絡もなく、空から現れた髑髏の黒騎士に、声も出せない。
俺はゆっくりと立ち上がり、少年を押さえつけていた大柄な男に近づき、蹴飛ばして、どかす。
「ぐへぁ!?」
「……な、何が!? あ? あ! ああっ!?」
押えつける者が居なくなったが地面に這いつくばったままの状態で俺を見上げるアリセン少年に、話しかける。
「しばらくぶりだな、少年。神様でなくて悪いが、助けてやろう」
神様って奴はどれだけ祈った所で出てこないからな、怠け者の神の代わりに俺が来てやった。そういうことだ。
「いつかの骨野郎っ!?」
「間違ってはいないがなっ!」
まだまだ元気そうなアリセンの俺への骨野郎呼びに答えつつ、飛び蹴りでユーザスを抑えつけていた男を遠くに飛ばし、周りの兵士にも蹴りをくれてやる。そのままの意味で蹴散らされていく兵士たち。
ユーザスは動けるようになるや即座にアリセンの元に行き、彼や俺や周囲を見回す。前に会った時には冷静でおとなしい顔をしていた少年も、今は疑問で一杯という表情、わかるぞ、最近の俺も似たようなものだ、考えても答えは出てこないからな。
「骨の騎士様!? 何で!? いやぁ! アリセン! ユーザス! あああっ! 熱いっ! 熱いい……熱くない、あれ? 熱くない……なんで熱くないの? あはは、何これ」
しまった、女の事を忘れかけていた。最初に救出すべきだったな。どうせ黒猫が何かするだろうと思って行動が甘くなっている。そしてまぁ実際に何かしているしな。
「まーったく、黒騎士さんたら、美少年の救出を優先しちゃって、駄目駄目の駄目駄目じゃないか、君って奴はいつもどこか締まらないよねぇ」
足元から炎に巻かれ始めた少女が括られた柱の上には、いつの間にか一匹の喋る黒猫。
どういう原理、理屈でもってか、炎から少女を守っている。
「貴様の仕事を残してやったのだ、感謝しろ」
「何たる言いぐさだよ、それじゃあ普段の黒騎士さんが仕事をしている働き者みたいじゃないか」
「ふん、女、待っていろ、鎖を切ってやる」
軽口を叩く黒猫には答えず、腰の剣を抜き放ち、柱に括られ、炎に包まれた少女を見る……
ドクンと、ありもしない心臓が跳ねた。
……この景色には。
見覚えがある。
頭の中に、雷鳴がごとき音が、鳴る。
知っている。
想像などではない。
俺は少女が焼かれる景色を実際に見ている。
場所はここと同じ。
あの日、あの時の「彼女」の。
ジャンヌ・ダルクの焼かれる姿を。
俺はこの目で見ていた。
それを、思い出した。
視界が暗転する。




