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「なんだ……こいつは……」
月の明かりに照らされる街道。
人の足と馬によって踏み固められた土の道の上に立つ俺をとり囲んでいた騎兵の一人から漏れ出たかすかな声が、静寂を破る。手に持つ蝋燭の仄かな明かりが俺の髑髏の顔面を照らし出し、その後の言葉が続かない。
倒れた仲間の元に行く者もいない。誰もが固唾を飲んで俺を見る。
ふむ。馬上から見下ろされている。気分が良いものではないな。威厳が足りない。やはり俺にも馬は必要だ。
さて、無言のままでは埒が明かない。
「貴様らはイングランドの兵か? それともフランスの地に住まう、ヴァロア王朝に連なるものか? 所属を言え。アルマニャック派か、ブルゴーニュ派か、所属によっては対応を変えてやろう」
返答は無言のまま投げつけられた槍によってなされた。
騎兵の一人から投げつけられた槍は正確に俺の喉へと達し……首の骨の横をかすめてすり抜け、俺の左腕で止められる。こいつ、問答無用か。しかしそれも仕方ないことか。喋り、動く骨の騎士なぞ、俺でも無言で切りつけただろうな。もし俺の首に肉があれば喉を貫かれて死んでいたぞ?
「こいつ! 骨だぞ! 骨が動いている!? 本物の化け物だ!」
「ほ、ほ、ほ、骨がしゃべったああっ!?」
「うおお!」
先ほどまでは、疑いつつも人が扮装しているとでも思っていたのか、こちらが本当の動く骨だとわかると目に見えて動揺しはじめる。しかし中にはこちらに攻撃をしかけようとする男もいる。
「槍を返すぞ?」
女が括られていた馬の騎士に狙いを定め槍を投げる。ゴッという唸り声すら上げて飛んで行った槍は、馬上の男の首に刺さり、そのまま首の骨を砕きつつ進み、止まる。
女を残して、ゆっくりと馬から落ちる男。
「……驚いた」
投げた左腕を見る。明らかに生前よりも力が上がっている。狙いもずっと正確だった。利き腕で投げたわけでもないのに、狙った場所に寸分たがわず命中するという具合。自分がしでかした事ながら、驚嘆すべき事態だ。
馬が嘶き、怒号と悲鳴が飛び交う。
「ひぃぃ」
「あああ悪魔だぁっ!?」
「地獄の蓋が空きやがったぁ!? 亡者が出歩き始めたぞっ!?」
「駄目だったんだ! 聖女を焼き殺すのは駄目だったんだ!」
「か、神様許してえええ!」
「戻れっ! 町に戻るぞっ!」
錯乱しながら神への救いを求める言葉と悲鳴を上げて逃げていく騎兵たち。
俺と二つの死体、それから乗り手を失った馬に括られた女が残される。
……これは困った。
向かってこられるなら打ち払い、切り結ぶこともできるが、馬で逃げられると何もできん。
くく。いや、馬がいるな。女を捨てて馬に乗って追うか? 奴らの逃げて行った方向がルーアンの町だな。くくく。そうだな、このまま町へ行ってやろう。
女の括られた馬に近づき剣を構える。両手を後ろで縛られ、両足は馬に括られて身動きが出来ない女が悲鳴を上げて俺に許しを乞う。
「あああ、あたしはアルマニャック派に転向いたします! あたしは聖女様を殺した者ではありません! 助けて! 助けて! 嫌、いやああ!」
「騒々しいな、ルーアンの住人か? いっそ殺してしまうか、くく、地獄の裁きを受けよ。くくく」
「地獄の裁きを受けよ、じゃないわよ。まったく、これは調子に乗ってますなー」
いつの間にかやって来ていた黒猫の姿をした悪魔が馬上の女を守るようにして俺の前に立ちはだかり、こちらを睨んでいる。どこから現れた? いやどうでもいい、それより、
「黒猫のルル! 貴様、俺を投げつけてぶつけたな!?」
「あ、それ? 手元が狂ったのよ。ごめんごめん。……君らも不運だったね」
黒猫は転がる二つの死体を見ながら首を振る。
「ぅひぃいいいいい! 猫が、猫がしゃべったあ!? お許しください! お助けください! 神様! 神様ああ!」
「お? そうそう、これだよ、これが普通なの」
女の方を向き、満足気に何度もうなずく黒猫。女は錯乱してひたすら神への懺悔の言葉を繰り返していく。
「ふん、何故満足気なのだ? それにしても五月蠅いぞ。女を黙らせよ」
「そちらこそ、まるでお気に入りの玩具を手に入れた子供のようにはしゃいじゃってさ。いい年して恥ずかしくならないの?」
「それこそ、そちらこそ何を言う、だ。……素晴らしい。素晴らしい力だ。くくく、神の道に背き人外に落ちるのも悪くはない」
「染まるのはっや!? 早くない!? 神への信仰は消え去ったっていうの?」
「消えたな、信仰すべき神が俺の前に現れてこないのだから。悪魔にこそ祈りを捧げよう」
「一神教の人って極端になりがち! ……君さ、その100でなければ0、善でなければ悪みたいな考え、改めた方がいーよ? そういうの、あとで絶対に苦労するから」
理解ができない。神を否定するならば悪魔にすがる以外の道などないだろう。中間などは存在しない。こいつは俺の想像する悪魔とは違う。まるで……
「黒猫よ。もしやその女の命を助けるために俺を動かしたのか?」
「君の行動は君の意思だよ。まー、誘導したのは認めるけど」
「この女に何がある?」
「え? 特に何もないけど? この子っていうか、……何の罪を犯してもいない子が理不尽な目に合うのを見て放っておくのは、ちょっと気分悪いよね、って話なのさ。君は違うのかい? 犯してもいない罪で理不尽に裁かれた少女を知っているだろうに?」
オルレアンの乙女。ドンレミ村の聖女。魔女として焼かれた少女。
そうだ、俺は知っている。この骸に落ちた躰の腹の底で、ふつふつと猛る怒りの炎に理由をつけるならば、それだ。人は正しく裁かれるべきなのだ。
「この神が創りたもうた世界には理不尽が溢れているぞ。黒猫、貴様はすべての理不尽を覆し正せるのか?」
「それは私の手に余る仕事だねー。その責任もないしー。しいていえばこの世界を創ったという神とやらの仕事なんじゃないの、そーゆーのは」
「適当だな」
「適当でいいの! 人に出来るのは人の手の届く範囲まで!」
「人だと? 貴様は悪魔、いや猫だろうが?」
「そして君は骨だったねえ! 真面目に論理をこねくり回して遊ぶのは宗教家なり哲学者なりにでも任せておけばいいの。猫にも骨にも手に負えないことは考えないことね! 心の健康のために!」
「……そうだな。黒猫のルルよ。貴様が正しい」
黒猫の金色の瞳が俺を見ている。この黒猫の姿をした悪魔は、正しい。ただその正しさは絶対的な真理でもないのだろう。まるで、それはまるで子供に分別をわからせる母親が言う事の様。教義でもなく、哲学でもなく、論理でもなく、猫の姿で人の道理を説くか。神を否定しない悪魔。貴様は何者だ。こんな悪魔もいるのか? この乱れた世の中には珍しい、命の大切さを説く僧侶のような……あ、いや、俺を投げつけて人を殺していたな、やはり悪魔は悪魔か。
結局一度も振るわなかった剣を鞘に納め、馬に近づき首を撫でる。大人しい、よく訓練された馬だ。手綱を取り、跳躍し、馬の背にまたがる。馬が嘶く。
「どれ、ルーアンの町に女を届けてやるか」
猫が馬の上に飛び乗る。喋る黒猫と骸骨の騎士に挟まれた女が馬上にて嗚咽を漏らす。
「理不尽な裁きによって焼かれた少女の代わりに、恨み言を届けてやろう」
ルーアンの町の住人よ。
待っていろ。
「出てこない神に代わって俺が問いかけてやる」
お前たちの犯した罪は何だ?