24
黒衣の少女によって輝くような銀髪と美しい肌を取り戻した包帯まみれの僧侶は、茫洋とした表情のまま顔を上げて天を仰ぐ。その瞳の視線の向かう先には何もない、荒らされ、静寂に満ちた宿の天井があるだけだ。
感情の無い人形の様だと思った。
人形が、操り主の気のむくまま、動かされている。
「すべては神のご意思のままに……」
囁くように祈る女の声を聞きながら、俺は料理の手を止めていた黒衣の少女に視線を送る。プリュエルの表情も読めないが、ルルの表情も読みにくい。いつも他人をあざ笑っているよう表情を浮かべているが、今は何とも判別をしがたい表情をしている。俺に対して怒っていたはずだが……
「なるほどねぇ、神の炎、か……さてと料理の続きをしようかね」
「何がなるほどだ、何もわかっていないだろうが」
俺に対しての怒りは大したものではなかったようだ。料理を再開する黒衣の少女は普段通りだ。そもそもどこで怒らせたのかも本当の所、よくわからないのだが。
神の炎というのは、聖書に描かれる神の裁きの炎のことだろうか、信仰を捨て享楽にふけり。堕落しきった町に滅びをもたらした神の炎……それが住人が消えた理由にはなっても、この町の現状の説明になっていない。
神の炎に焼かれる都市という言葉だけで聖堂前に積み重なった死体の説明はできまい。僧侶から話の続きを聞きたいが、料理の続きを再開したルルにプリュエルは自分の持つ袋をルルの前に差し出して渡そうとしている。
「あの……ルル様……レンズ豆を……」
「あー、はいはい、入れる入れる、もう、人参だけで作るポタージュを作ろうとしてたのにー」
「町はこのような有様です……この建物の主人も町から逃げて戻ってくることはないのでしょう……ですが、こちらにあった食材だけを使うというのは……どうにも心苦しくて……」
「気にしすぎだわ。廃棄されて落ちてた食材、誰の物でもない、いいね」
落ちていたわけでなく、ルル、貴様が出した物だろうが。最初に見た時には何も残っていなかったぞ。
「僧侶プリュエルよ、最初から話せ。この町で何があった?」
豆入りの袋をルルに渡したプリュエルは俺の方を向き、答える、やはり視線は微妙に合っていないが。体の方はもう震えていない。
「……黒様……ルル様……貴方様がたは……この町の外から来られたのでしょうか?」
「ん、まあ、そうだな」
「逃げ行く町の人たちから話は……」
「いや、誰にも話を聞いていないな。まともに話が出来たのはプリュエル、貴様だけだ」
「……そうですか」
「何があった?」
椅子に座る僧侶は俯き、目の前に持ってきた自身の手を震わせる。
「恐ろしいことです……恐ろしいことが……」
黒衣の少女が料理を続ける音を聞きながら、ゆっくりと言葉を待つ。
「始まりは二日前の夕刻……天を駆る騎士が町に訪れたのが始まりです……いえ……もっと前から始まっていたのでしょう……聖女様が……火刑にかけられた……その時から……」
僧侶は手を組み、祈り、懺悔をする。
「私は姿を見ることが叶いませんでしたが、空を駆る馬の蹄の音は確かに聞きました……黒様は、空を駆る恐ろしい騎士の話は聞かれましたでしょうか?」
「……聞いたことが、あるような、ないような」
とりあえず、つい知らない振りをしてしまう。
この町の惨状は俺のせいではない、そう、確かに黒猫の奴は言った。悪いのは黒猫だ。
「人の言葉を喋り、天の言葉を伝えた猫の話は……」
「……おっと、こんな所に落ちてた牛乳が! あとコンソメ的な物も落ちてたよ。よし入れよう」
ルルよ、落ちてた牛乳とか言うのはやめろ。それは流石に俺でも腹を壊しそうだ。
料理に没頭するふりをして聞き耳を立てている黒衣の少女を見やってから、プリュエルに視線を戻す。
僧侶はしばらく訝し気であったが話を続ける。
「色々な話が飛び交って……何が本当の事なのかもわかりません……ですが、コーション司教様を断罪するためにノートルダム大聖堂に天空の騎士が舞い降りたのは本当の事のようです。皆が、それだけは事実だと……」
(コーションさんを探してたのは本当だけど、あてずっぽうで適当に選んだ所に実際に居たってだけだよねー。舞い降りたというか、落ちたが正解だしー)
(ルル、念話を送るな、俺が会話に集中できん)
会話と作業と念話を同時にこなすのはまだ無理だ。3つを同時にこなしている黒衣の少女を今は無視することにする。
「コーションは断罪されたのか? 奴はどうなった?」
「コーション司教様……天空の騎士が大聖堂を訪れ、そして奇跡を為し、去っていった次に起きたのが、コーション司教様を巡る戦いでした……」
「ん? 奇跡? 何かあったか?」
「その時、私は市街にいましたので聞いた話ですが……なんでも聖堂内に存在した聖なる灯という灯が、誰の手にもよらずして、すべて同時に一瞬で消えたのだとか……」
「それは……奇跡だな……」
火事になりかけた際に、炎という炎を見境なく消していたな、黒猫が。
(消しちゃ駄目なやつもあったのかな? 聖なる灯とか、宗教ってよくわかんないわね。ねぇ黒騎士さん、私は悪くないわよね? 火事になる方が大事だし、ほら、ちゃんと前もって消しちゃ駄目なやつですよって言っておいてくれないと……)
(黙れ)
黒猫が悪い。
「聖堂内は暗闇に包まれ、何とも恐ろしいことが起きたのだと、我々は神の意思に背いたのだと、それで実感できたのだと、その時あの場所にいた知り合いの方が言っておられました……涙ながらに……とても震えておられました……」
その知り合いの震えが伝わったのか、祈りのために組んだプリュエルの手も震えている。
そうか、あれも見ようによっては奇跡、それも神に見放された時の奇跡に見えたのか、そしてそれは、先ほど俺がルルの治療を見て思ったことと本質的に同じものなのだ。
奇跡のようだから奇跡だと、俺は何の考えもなくそう思ったし、口にした。それを為したルルは違うと言う。裏を知っているかどうかで、見え方はこうまで違う。黒猫の奴が言いたい事を理解できた。
「それで、コーションの話だ」
「はい……それこそ本当に様々な人が様々な事を言うものですから……」
「適当でいい」
「一番多かったのは……マロー司教様が、仲間のコーション司教様の命を助ける為に、匿われたのだと、それは断じて許してはならないというものでした……引きずり出して今すぐ処刑せよ、と……」
「仲間? 確かに聖職者同士ではあるが……」
「ええ、知る者からしてみれば、その……お二人は仲があまりよろしくなかったとか、そういう話は聞きますが……皆がそれを知るわけではございません。マロー司教様はコーション司教様の命を助けるために匿ったのではなく……厳正な法に則った裁判を受けさせるべきだと言っていたという話もあります……私も、そうなんだろうなと、思います……」
実際に見たし聞いたしな、まさにそのままだ。そして、そんな彼の話を聞かない市民の姿も見た。
「聖堂にて立て籠もった司教様がたを、市民たちは大勢で攻撃しました……」
「それは……そんなことが起こりえるのか? いや……」
ただの市民が聖職者に反旗を翻す、どころか大勢集まって攻撃だと? 身分というものを強く意識していた少し前の俺ならば考えもつかず、遠くの地で聞いたとしても笑って信じなかったかもしれない。
だが今は知っている、身分というものすら、人によって創られ語られる、人の手による作り物なのだと。
「恐ろしい事です……ですが、起きました。市民たちはとても焦っておりました、時間が無い、時間が無いのだと……終末の鐘が鳴る前までにコーション司教様を断罪の火にかけるのだと……それすら……切っ掛けでした……」
「切っ掛け?」
「イングランド……ブルゴーニュ……他にも、様々な陣営、人が、兵士が、なだれ込んできて、大聖堂前で、それぞれの言い分を口にしながら殺し合っておりました……私は……それを……この目で見ることはありませんでしたが……怒声と……血の……匂いが……」
僧侶の手の震えは、ひときわ大きくなり、濁った瞳は激しく揺れ動く。鍋を煮込む手を止めず、黒衣の少女が口を挟む。
「も、もう、やめないかな? ねぇ、辛いことがあったなら、別にそれを思い出さなくたっていいんだよ?」
「いえ、いいえ、私には伝える役目があるのでしょう、あの混乱のさなか、目の見えない私のようなものが今も……生き……生き……い、生き、残っているのは、きっとそのためなのです……」
「そんなことないよ……」
(……もうね、ツライ。辛くない? 黒騎士さん? 黒騎士さんというか天空の騎士さん、君は平気なの?)
(……………………)
(無言な感じを念話で送ってこないで!)
思う所はあるが、それをうまく言葉にして取り出せない。僧侶の話は続く。
「……兵士の方々の言い分は、聖堂に現れた天空の騎士は地獄から来た悪魔であり、人々に不和と混乱をもたらす邪悪な存在であると……そう……そう言いながら、市民たちを殺して……」
「酷い! それは酷いよねえ! 兵士許すまじ」
「市民、たちは、お前たちこそ悪魔だと、兵士たちの妻や子供も、町から無理やり連れてきて、聖堂前の兵たちの前で……ころして……ころして……」
「ぐう」
(よし、ぐうの音も出ない、お手上げだわ。ご飯を食べたら島に戻って温泉に浸かって、すべて忘れてすごしましょう。そうね、誘えばプリュエルさんも付いてきてくれるかしら? 無人島が華やかになるわぁ)
(現実から逃げるな、話も最後まで聞いてやれ)
なんだ、ぐうとは。出ているではないか。いや、そんなことはどうでもいい。
プリュエルの言葉から想像するに、聖堂前はまさに地獄の様相だったのだろう。そして、それを引き起こしたのは……俺だ。
「兵士たちと市民と聖職者たちがそれぞれ……いえ、どこからどこまでが兵士で市民で聖職者であったのでしょう……その戦い……殺し合いは一日かけて行われました……私は、皆と共に右往左往するだけで、何も出来ませんでした……誰かが、大聖堂ごと燃やしてしまえと言い出した時も、その声が段々大きくなっていくことも……止めることも……出来ずに……神よ……」
無表情、ではない、茫洋とした表情、でもない。目を見開き、口を震わせ、歯を食いしばるこの女からは今、強い感情が溢れて出ていた。
「……ついに昨日の夜、大聖堂に火が付き、焼けて、そして混乱のさなか聖職者の一団が兵士たちを引き連れてパリの町を出たという話が持ち上がり、聖堂前での殺し合いは終わりました……」
「何!? コーションの奴は結局どうなった!?」
「あの……わかりませんが、皆が言うにはマロー司教ともども、逃げのびたのだと……」
「何だと!? どこへ行った!? 答えよ!」
「わかりません……わかりません……ごめんなさい……申し訳ありません……ごめんなさい」
「ぐはっ!?」
金属の何かが飛んできて頭に当たって、大きくのけ反る。かなりの衝撃、額からポトリと零れ落ちる液体がある。拭って見るとそれは血……じゃなく人参スープだ。
「はぁ、お玉が汚れちゃったじゃない、黒さんや、拾って綺麗にして持ってきてくれないかしら」
「ルル、貴様、貴様……」
度重なる傲慢で人を馬鹿にした態度に怒りで我を忘れそうになる。
何様だこいつ…………
………………いや……本当に何様なんだ? こいつ。
こいつのあまりの謎さに逆に冷静になれた。
わからない。未だにさっぱりわからない。最初はただの黒猫の姿をした悪魔だと思っていたが、こいつの言動、そして能力……昔、調べた本や人の話で聞いた、どの悪魔とも合致しない。だからといって神……いや、絶対に違う、これが神であってなるものか。
「さて、そろそろ煮えたわね。食事にしましょうか。あら、こんな所にお皿と匙が」
もはや取り繕うことも面倒くさくなったのか、テーブルの上に直接お皿と匙を生み出して並べる黒衣の少女。
僧侶は先ほどから震えが止まらない。話している間も震えていたが、俺が強く詰め寄ったからな。心の中でだけ謝罪をしておく。
「……北は無いと思います……北はルーアン……あの地も今、とても混乱しているという話を聞きましたので……」
「もう、いいの」
「他の人が言うには、ランスの町に住まうシャルル王を頼って行ったのだろうと、いえ……わかりません……わかりません……」
「いーから、はい、よそってあげるわ。人参のポタージュ、色々入り、レンズ豆とか」
「お役に立てずに……」
イングランド勢力ではない様子のマロー司教が先導するならランスの町は行き先として十分にありうる、これがコーションやイングランドだけの話なら北に向かい海を越えてイングランドの本拠地へと向かいたがるのだろうが。
ランスの町には用事もあったし、いずれにせよ次に向かうのはランスの町で決定だ……次の、騒動が巻き起こる町……
考え込む俺をよそにテーブルには湯気を立てるスープが三つ。
「……今朝方早くに……この町は積み重なった悪徳によって、神の裁きが下るのだという話が出回りました……神の炎によってすべて灰燼に帰すのであると、そういうお告げがあったそうです……そうかと納得をしました……この町は……悪徳によって滅びるのです……」
「うっ……やめようよ……美味しい物を食べる時は楽しく、ね」
「彼女の置かれた状況を考えてここで楽しく出来る奴は、ちょっと怖い奴だぞ」
「反論できないことを言わないで! とにかく、いただきまーす」
早々に食べ始めた俺たちの横で静かに祈りを捧げるプリュエル。
「主よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事を頂きます……」
食前の祈りか、俺も食事前には欠かさず祈りを捧げていたはずだがな、いつのまにか行わなくなっていた。変われば変わるものだ。骨の身体にスープを流し込む。
人参か、好んで食べるものでもないが、こうして食べてみると意外と美味いものだ。ルルの奴の料理の腕がよいのか。そういえば何やら色々と入れていたな。色々と、入れて? 馬の奴に食わせていた人参にも何か入ってなかったか? あの時はよく聞き取れなかったが。
「ルルよ、このスープは……食べていい物だろうな?」
「え? いきなり何をいいだすのやら。ちゃんと栄養満点な野菜のスープだよ。ただの身体にいい野菜スープ。薬物なんて、ほんのちょっとしか……ごにょごにょ」
「…………」
匙で掬われた人参色をした、強いとろみのある液体を見る。これに何かが入っているのだろうか?
途端に匙を持つ手が動かなくなる……
「とても、とてもいい匂いです……ルル様、頂きます」
祈りを終えたプリュエルがスープの匂いを嗅ぎ、儚げに微笑む。匙で人参スープを掬い、一口、二口、そして三口……
「ど、どう? おいしく出来てる?」
プリュエルのスープを掬う手が止まり、微かに震え、そして嗚咽を漏らす。
「う、う、うう」
彼女の視線の定まらない瞳から、大粒の涙がポタポタと零れ落ちていた。




