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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 ここまで近づいても、女には逃げる様子も慌てる様子も見えない。表情からは心が読めない。

 俺は今、ローブで顔を隠しているが、よく見れば髑髏の顔が伺い知れるはず。俺を見上げる彼女の瞳は俺を見ているようで俺を見ていない。もしや見えていないのか?


「目が見えないのか?」


 そこに誰かいるのかという問いへの返事としてはあまり適切でない言葉が口から出る。

 汚れ切ったボサボサの灰色の髪をした女は、視線の合わない瞳をこちらに向けて答える。

 か細い声だ。


「はい、ずいぶん昔より目は悪くしております。馬に乗っておられる騎士様……でしょうか、貴方様の輪郭が、かろうじてわかるくらいであります……」

「…………」


 小声で答える女の手足は細かく震えている。

 それは恐怖からか?

 本当は俺の髑髏の顔が見えているのではないのか、それとも別の理由か?


 この町に何があった? 民衆はどこに行った? 聖堂前の死体は何だ? コーションの行方を知らないか? 聞きたいことがいくつもあるが、口から言葉が出てこない。目の前の女の姿があまりに痛々しいためだ。女の手足は血で汚れているが、それは他人の血だけではない、手足、全身に、生々しい擦り傷、切り傷だらけで、手当もされていない。

 全身ボロボロで灰色の髪のせいで年がわからなかったが、よくよく見ればまだ若い顔立ちをしている。その顔にもいくつもの傷やアザ……

 この女も、俺のせいで……いや、考える必要は無い。無いはずだ。


「ここで何をしている?」


 女が引く台車の上に横たわる死体たちを見ないようにしながら問いを重ねる。

 この変わり果てたパリの町で死体を集めて、この女は何をしているのか、何も考えずに出てきた疑問がそれだった。


「弔いをしております」

「弔いか……」


 疑問に思うまでもない疑問だったようだ。

 女が着ているのはボロボロになって汚れきっているが僧衣、神職者だ。ならば弔うために死体も集めよう。……たった一人でか?


「女、答えよ、この町に何があった? ここにはお前だけか? 聖堂前に積み重なる死体は……」

「ちょっと待った」

「ヒッ!」


 ……この叫び声は俺の口から出たものだ。

 黒猫の奴め、口をつぐんで静かにしているかと思えば、予兆もなく俺の眼前で人の姿に変化しおった。

 馬の上に二人乗りの形になる俺と黒衣の少女。俺からは少女の黒髪の後頭部が見える。


「駄目だよ黒騎士さん、なってないね。そんなに高圧的なのは駄目。それに見て、彼女を労わってあげるのが先でしょうが? ほら、彼女、震えてるじゃないか」


 口を開けてこちらをじっと見ていた女僧侶から、か細い声が漏れる。


「もうひとかた、おわしましたか……気がつきませんでした……」

「いいのよ。ほら、黒地に黒で保護色的なことになってたからねえ」

「おい、貴様、いきなり……」


 俺の言葉も聞かず、黒猫、今は黒衣の少女となったルルは、軽やかに馬から飛び降りて地面に立つ。


「黒猫……ルル、何をする気だ?」


 僧侶だろうが弔いだろうが、生者の気配の無い死に満ちた町で死体を集めて運ぶ女というものにあまり関わりたくない。話だけ聞いてすぐに立ち去ろうとしたのだが。


「見てわからない? 彼女は今すぐ治療を受けるべきだわ」

「治療? 治療なんぞ俺には出来ないぞ?」

「出来なさそうだしね、期待してないから……」


 黒衣の少女の姿になったルルは台車を引く女のすぐ側にまで近づいて優しく話しかける。


「ボロボロだよ……手も足も、ねぇ、私に貴女を治療させてもらえないかしら?」

「治療、ですか……申し訳ないことです……どうか、私に構わずに、貴方様がたもお逃げください……」

「逃げるだと? 女、何から逃げるのだ?」

「はいはい、後で、後でー。今は彼女の治療が先なの!」

「申し訳ないことです……このままでいいのでどうか……」


 黒衣の少女は女僧侶の傷ついた手を取り、そっと台車から手を離させる。


「勘違いをしてはいけないよ、貴女の治療は私のためにすることなの、私が貴女の今の姿を見るに堪えないと言っているのよ、貴方の意思とかはどうでもいいの。事情も知らない奴の気まぐれとか我が儘だとか言えば伝わるのかな? このままじゃ私がツライ。だから治療をさせて欲しいのよ、貴女が私のためを思うのなら、よ。……ねぇ貴女、私のためを思ってくれる? はい、って言って」

「え、はい……申し訳ないことです……申し訳……」

「決まりね、ええと、どこか適当な……」


 女の曖昧な返答を強引に了承と捉えて手を引き台車から引き離す。

 黒衣の少女はそのまま宿屋……宿屋であったろう今は荒らされて誰もいない建物の中に女を誘導して中に入っていく。

 女の手足は震えたままであり、足元は覚束ない。あれは体力を使い果たして焦燥しきっているのか。その様子を後ろから見ながら、俺は馬から降りて、ただついていく。

 石造りの立派な宿屋であったろう建物は破壊の後が残り、すでに略奪の後であったと知れる。建物の近くには馬用の水飲み場もあったのでその近くに馬を括りつけて、女たちの後を追って建物の中に入る。俺たち以外に動く者の気配は無い。

 建物の中も荒らされているが、人の死体などは見当たらない。一息つく。

 ……俺は緊張していたらしい。


「はい、そこに座ってー、何もしなくていいよ、何も怖くない、怖くない」


 建物の中では黒衣の少女が適当な椅子に女僧侶を腰掛けさせて治療を始めようとしている。


「ええと、どうしようかな、ええと、あれぇ……」

「おい、黒猫……ルルよ、貴様、人の治療が出来るようなことを言っておいて……」

「できるよぉ! ひと通り出来るから! ちょっと最近は楽な工作ばっかりで基本というかね、ショートカットを利用しない技術をね、思い出さないといけないというか、ええと」

「わけがわからん。不安にさせるな」

「不安にさせてるのは君の方だから! ちょっと黙ってて。ええと、先ずは消毒だね、後は綺麗な包帯と……」


 いつの間に出したのか、黒衣の少女の足元には大きな鞄が存在しており、その中から治療に必要なものを取り出していく。目の見えぬ女はそれを不思議がることもない。


「ちょっと染みるけど、すぐに痛みもなくなるからねー」

「……っ!」


 何かの液体を、汚れて黒ずんだ女の手の傷に振りかけると、そこから白い泡が出てパチパチと音がはじけ、床に濁った水滴を落とす。女の手の生々しい傷口が見えたかと思うと、……消えた。

 !?

 何が起きている? よく観察すると、黒衣の少女が手をかざした場所の女の傷が、音もなく徐々に消えていく。傷口が勝手に塞がり、そこにかさぶたが出来て、かさぶたすら落ちて、後には何もない……

 黒衣の少女は女に声を掛けながら器用に手や足、顔などの傷口が合った場所を包帯で巻いていく。


「たんこぶも出来てるねー。痛かったでしょう? 油を塗っておきましょう。もう大丈夫だよー、大丈夫」


 黒衣の少女はガラスの瓶に入った油を女僧侶の頭に塗りつける。手をかざして右に左に動かすと、女のボサボサの髪から汚れと思われるものが浮き出てきて、床に落ちる。

 言葉もなく見入る。

 静かに行われる治療の異常さに、目の見えぬ女は気がつかない。いや、こんなものは治療ではない、これは……


 奇跡。

 俺の目の前で奇跡が行われていた。


「よーし、こんなもんかな? 楽になったかしら?」


 最後は女の全身を撫でまわして治療という名の何かを終える。

 終わってみれば、女の着る僧衣もボロボロながら汚れてはいない。さっきまでは血やドロで汚れていたはずだ。女の汚れはすべて床に落ちた。


「ありがとう……ありがとうございます……申し訳ないことです……ありがとうございます」


 包帯の巻かれた手で聖印を切り、黒衣の少女に感謝の言葉を述べる女、目の見えない女は自分の身に起きた奇跡を知る由もない。ただ治療への感謝だ。今、包帯の下には傷など無いなどと、思ってもいないだろう。


(ふぅ、いいことした。さてと、黒騎士さん、逃げよう)

(急に念話をしおって……いや、待て、逃げる? 何故だ)

(いたたまれないんだよ! 痛ましい人を見てたくないの! 森に帰りたい)

(何故逃げるという発想になるのかわからん! この女から話を聞かねばならん)

(聞いたって私や君の心が痛くなるだけだと思うね! だからさー、もう何もかもを忘れてさー、森で遊んでようよ? 天使の羽を動かせるように改造しないと)

(遊んでいる場合か!)


 いきなり念話を飛ばしてきたルルだが、すぐに諦めたように会話を始める。


「はぁ~あ、っと。話があるようだけど、何かお腹に入れたくないかしら? ここは宿屋みたいだし、厨房に行けば何か食材があるかもしれない。黒騎士さん、ちょっと見てきて頂戴な、あ、黒騎士さんて料理できる人?」


 女の話だけでなく、俺の目の前で何気なく行われた治療と称した奇跡についても話を聞きたいが、こいつのことだ、どうせいつものように奇跡でも何でもないと抜かすのだろう。しかし、料理か……


「料理は無理だな。肉があれば焼くくらいなら出来るが」

「何なら出来るのさ、君……」

「色々出来るぞ……」


 剣を振るって敵を屠ることなら得意だ。戦場でも無ければ活躍できる特技ではないがな。ここ最近でも活躍できていないがな……敵が、わかりやすい敵が欲しい。


「あのぅ……料理なら私がやります……」

「あー、いいのいいの、ええと」

「プリュエルと申します」


 立ち上がった女、プリュエルという名の僧侶がよろめいて転びそうになり、ルルに支えられて踏みとどまる。


「床も汚れちゃったし、それじゃあ全員で場所移動しようかねえ。厨房に行きましょう、あっちかな? ほら、そこの黒いの、椅子持ってきて」

「黒いの……貴様も黒かろうが……」


 黒髪黒瞳、服まで黒ずくめの少女の姿をしたナニかは、足元のおぼつかないプリュエルを連れて部屋の奥へと進む。俺は大人しく言われた通りに動く。

 女僧侶は最初の印象とはまるで違う別人の様になっていた。灰色かと思われた髪は元は銀髪であったようであり、今は油によって、窓から差し込む光を受けて艶めく光彩までも放っている……変わり過ぎだろう。

 ……奇跡の行使。

 濁った瞳のプリュエルには自分に起きた変化を気付けない。


「私はルル、ただのルルよ、そこの黒いのは……黒いのでいいから」

「ルル様、黒いの様……」

「何だその呼び方は、俺の名は……黒でいい、ただの黒だ」

「黒様」

「それでいい」


 厨房はすぐに見つかったが、やはり荒らされていて目ぼしい物は残っていない。


「荒らされているな、何も残って無い」

「私は少しばかりですがレンズ豆を持っております……それと」

「あらー? こんな所に人参が」


 部屋の隅に忽然と現れる大量の人参。


「なんと、都合の良いことに水の入った鍋も見つけたわー、あと薪も沢山」

「おい……」


 どこかから次々と物を取り出すルル。

 プリュエルの目が見えないからやりたい放題やっているな。いや、こいつならば相手が目が見えていようがいなかろうが、お構いなしで魔法も見せるだろうな、気のせいだった。


 手持ちのレンズ豆を使わせようとするプリュエルと、それは取っておいてと断るルルの攻防を横で聞きながら思う。

 黒猫の奴はこの世界の人をどうでもいい、そう言っていた。だが本心で言っているのか? ……わからん。誘拐の救出にしろ、この女の治療にしろ、どうでもいいと思っている者の行動ではない気がするのだが。


(ルルよ、貴様ならこの女の目を治せるのではないか?)


 人参のスープを作り始めたルルに念話を送る。魔法にしか思えない力、奇跡にしか思えない治療、こいつの力なら何でも可能なのではないか?

 何でも、出来る。


 ――全知、全能


(出来そうだけど、やらないよ。黒騎士さんの恐ろしい顔がはっきりと見えちゃったら彼女に逃げられちゃうでしょーが)


 料理を作る作業と並立しながらもプリュエルと会話し、念話にも応じるルル。


(それだけが理由か? 治せるのならものなら治してやればいいだろう、逃げられたなら、その時はその時だ)

(可哀そうって? けどやらないかなー。それは私のやりたい事じゃないし)

(……わからん、貴様の施しの基準がわからない。誘拐の救出や傷の治療はよくて、他は駄目なのか? なんでも簡単に出来るのだろう? 貴様の奇跡で)


「……怒るよ」

「ルル様?」


 作業の手を止めて、会話を止めて、俺の方を向き、俺の目を見て、言葉を紡ぎ、俺へと放つ。

 黒い少女の深く昏い瞳が俺の魂までを凍り付かせる。

 肌が泡立つ。総毛立つ。呼吸が止まり、一瞬思考を忘れる。


「何でもないわ、うーん、ちょっとね、これは私が悪いのかなー」

「?」

(まーったく、今まで私から何を聞いてきたのかしらねえ? 奇跡でって? 簡単にって? 学習能力が無いのかしら。さっきの治療が君の目には奇跡に見えたってことよね? あれは魔法と同じく、君の目には奇跡に見えても奇跡でもなんでも無い現象なのよ、それこそ、君が真面目に学んでいけば、君にも同じことが出来る、そういう技術)


 俺が学習しないというのは、反論する言葉が出てこない。なまじ無力な少女の姿をしているから、他愛のない猫の姿をしているから、つい油断して侮ってしまうのだ。牙と羽の生えた巨人の姿でもしていてくれれば油断もしないものを……


(簡単にってよく言えるわねーって思ったけど、それについては私が悪いのかもしれないわ、確かに簡単に見えるものね……見えない所では結構大変なんだけど……うーん……)

「あの……私が何かしでかしてしまったのでしょうか……」

「何もしでかしてしまってないですわよー、おほほ、これからどういう教育をしてやろうかと考えていた所ですのー」

「教育、ですか?」

「おほほのほー」


 どこかから出した道具で人参をすり下ろしながら、こちらを睨みつけ、聞いたことのないような口調で話すルルに、再び総毛立つ、毛など無いが……


「そういえばプリュエルさん、目は昔から悪いと言っていたわね、私たちに逃げるように言っていたし、他の町の住人は逃げたってことなのかしら? それでもって目の悪いプリュエルさんは……置いて行かれたりしたのかしら……」

「私がお断りをしましたのです。私はここに残って最後の命が尽きる時まで死者を弔い続けると、この町が神の炎によって焼き払われる、その最後の瞬間まで……」


 どこにも視線を向けず銀髪の僧侶は手に持つ袋を握りしめる。

 その袋にはレンズ豆が入っているのだろう。




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