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「巨大な集団をまとめ上げることのできる物語、それが宗教なのです。厳密には宗教という概念は人が大勢集まって暮らすようになる以前から持っているものだったりするのですが、目的に応じて形を変えた……ランクアップ? グレードアップと言い換えた方がいいでしょうか? 土地の奪い合いを始めた人類が、争いの続くこの世界で大勢の人をまとめ上げるのに適した宗教を求めたのです」
「おい」
「集団をまとめ上げる力と言っても、それは宗教に限った話ではないのは当然の事です。集団内での決まり事とそれを破る者への制裁、罰則、つまり法律と呼ばれるものでしたり、常識、道徳、教育、何気ない作法でしたり、親から子へ伝える知識でしたり、ご近所同士で行う……」
「おい黒猫!」
「はいそこの、黒い君、質問する時は挙手をするように」
「何がそこの黒い君か! 何だ、これは!」
挙手の代わりに下を指さして、俺の肩に乗る黒猫に質問をする。
眼下では黄金色に実った麦の畑を背景に何人もの人同士があちらこちらで言い争い、喧嘩にまで発展している。宙に浮く俺たちを気にする者はいない。
「映像があったほうが頭に入りやすいでしょ? そういうことです」
「そういうことですと言われても……映像、だと?……ここはどこなんだ? フランスの地……ではないだろう?」
言葉も服装も人種までもが違う。
「フランス……そういう国家の概念が生まれる以前の過去の人類の姿です」
「過去!? 過去の世界に俺たちは来ているのかっ!?」
「ただの映像ですよ? よくできた作り物なのです。幻覚と言った方が君にはわかりやすかったかな、です」
「幻覚!? 作り物!? これが!?」
よくよく見ても、彼らの動きや細部に至るまで、まさに生きている人そのものだ。作り物だと言われても本物だと思ってしまう。……本物ではないのか?
「奴らは何故こちらに気がつかない?」
「ただの映像だって言ってるでしょ、です。彼らには触れないませんよ、ほら」
「!?」
地上に降り立ち、いや、地上すれすれにまで降りて、横に移動する。争う人々に近づいて、すれ違う。すれ違うというか、通り抜けた……人の身体を貫通して。
「通り抜けただと!? 何だ、どうなっている!?」
「講義というか、話をわかりやすくするためにこれを持ち出したのだけど……うーん、むしろ邪魔だったか」
「作り物というのは信じられん! 黒猫、貴様がこれを作ったのか!?」
「利用させてもらっているだけで作ったのは私じゃなくて他の人だけど、ですけど……」
「他の人ぉ!? 黒猫、貴様のような奴が他にもいるのか!?」
「……はぁあ。もう……話が逸れますね。しばらくはつっこみ不要でお願いします」
俺の肩の上で大きく息をつく黒猫。何やら講義めいたものが今から始まるらしい。興味深い。驚きや疑問は次々に湧いてくるが、途中で辞められてはかなわない。
「わかった。もう驚かないし、邪魔しない。しかし、その喋り方はどうにかならんか? 気になって仕方ない」
「女教師をイメージしているんだけど……」
「なんだそれは」
「改まって人に説明するのって苦手なのよねー。だって、ほら、私、ずっとボッチだったから友達とか少なくて……」
「いや知らん」
「だから喋りやすくするためのキャラづくり……失敗してるけど。……うーん、今度までに女教師用の衣装もひと揃えしておくか、今度があればだけど。……ふふ、そもそも猫の姿で女教師も何もあったものじゃなかったね。うん、そういうのは見た目から入らないと」
何やら勝手に納得している様子でうんうんと首を縦に振る肩に乗る黒猫。耳元でボソボソと喋るのはやめてくれ、こそばゆい。突っ込まないが。
「ま、いいや、適当にいきましょ。……何の話をしてたっけ? ああ、そう、集団をまとめ上げる宗教以外の力の話、法律とか常識とかの決まり事ってやつね」
俺たちは再び空へと浮かび上がる。いつの間にか人々は争いをやめている、いや、違う、止まっている。まったく動いていない。口を開けて拳を振り上げたまま固まる人、転びそうになって宙で固まる人……突っ込まないぞ。
「色々とあるけど、それらは虚構の中の”共有する世界”において、根っこの繋がった同士、分かち違いものだからね、悪魔はなぁにって質問だったから、ここは宗教って言葉で暴力的に括ってしまっていいわよね? 細かくやり始めると脇道に逸れ過ぎちゃうもの。狩猟から農耕への変化も一言で語れるよう話でもないのだけど、そこいらはまぁゴッソリとカットということで……。黒さんや、信じられないー、とか、気になるぅー、とか言うなら、いつか自分で調べて自分なりの考えを持ってちょうだいな、今は悪魔の話」
「悪魔……そういえば、そういう話をしていた、質問が微妙に違うが。色々と衝撃が強すぎて質問した俺も忘れていたぞ……」
「続けるわよ?」
人々が、動き出す。これが映像……作り物の世界。
「宗教が持つ力は集団をまとめ上げる以外の役割もあるのだけど、そこも適当にいくわよ? さて、農耕を始めた人類は増えていく人口と共に分業化が進み、やがて階級という虚構の物語を作った。階級を作る過程においても宗教というのは重要な役目を負った。宗教を一般人である民衆の支配のために利用するのは人間の中での発言力の強い身分、いわゆる特権階級というやつね、王や司祭などよ、権力者たちは自分たちが権力を持つことの正当性を喧伝するために宗教を道具として使い……」
「待、て」
邪魔しないと言ったが、これは見過ごせない。
下では、高い壇上にあり金の王冠を頭上に抱く者が、大勢の頭を下げた民衆に囲まれている。違う人種、違う王。だが王は王。それを見下ろしている。俺が、高い所から。
「あれ? ちょっと難しかった? もうちょっと簡単にまとめてみようか?」
「違うわっ! 貴様の言い分では、王は、王の位すら、人の作った虚構のでっちあげだと言うつもりなのか、貴様、それは、貴様っ……」
言葉にならない。
宗教を虚構の物語だという黒猫の言い分には反発をしなかった、それは俺がまだよく理解できていないという理由からであったからだ、だが、王、王の存在までを虚構と言われては、どうしても溢れてくるものがある。
眼下に広がる景色を目にして一つの出来事を思いだす。
それはランスの地にて行われたシャルル王の戴冠式、誇らしげに微笑むジャンヌと共に見た景色。
シャルル皇太子を王にせよという神の言葉に従い、戦い、勝利し、敗北する寸前であった俺たちをランスの地にまで導いた少女の為した奇跡を、王の頭上に冠が輝いた時の、あの胸の高鳴りすらを、虚構とぬかすか。
「君は虚構という言葉をまーだ侮っているようだねぇ。単なる嘘とかでっちあげとか、そんなちゃっちいレベルの話じゃないのよ。王様も国家も、神や宗教、道徳や常識、正義や悪ですら、それらはすべて虚構の中でしか存在できないものだわ、た、だ、し」
口を開こうとした俺の言葉を遮り、黒猫は続ける。
「虚構は実在に影響を及ぼす、というか表裏一体であり一心同体のものなの、君の信じた虚構は君の怒りの原動力になっているでしょう? 虚構が君の実在を支配している。君の、心と、身体を。……恐れなさいな、そしてよーく考えてみなさいな、自分は、何に、支配をされているのかを」
無性に黒猫を肩から引っぺがして地面に叩きつけてやりたい衝動に駆られる。それでも下にいる王や人々は何も反応をしないのだろう。
「君にはまだちょーっとだけ早かったみたいだねー、もうやめよっか? 今日はここまで、またいつか」
「……いや、続けろ。続けてくれ。もう邪魔をしない」
この黒猫と話をしていると疑問も言いたいことも増えていくばかりだ。
だが今日ばかりは呑み込もう。今はこの人類の過去だという映像と話を聞くことの方が大切な気がする。
改めて視線を下へ落として王と、王にかしずく民衆の姿を見る。そんな王を見下ろす俺と黒猫。
「そうか、これが神の視点か……」
「……君のそういうところ、意外と好きになってきたかも」
普通ならば頭を下げ、見上げて然るべき高貴な王を逆に見下ろす俺、という図式に、つい気分が良くなってしまったのを見透かしてか、黒猫が耳元でつぶやく。
この悪魔、俺の心を読んではいまいな? 背徳感からくる感情までを読まれていたら、恥ずかしいぞ……
「もっと真面目に聞いて欲しいものだねえ、虚構という言葉がいけないのかな? どうにも侮られる原因になってる気がする。虚構の共有こそが、今いる人類が他の人類を滅ぼしつくして繁栄することになった原動力になったというのに」
「待て、他の、人類? 滅ぼしつくした? ……続けてくれ」
白目を剥いて無言になった黒猫に続きを催促する。だめだ、俺の中で増えていく疑問がもう手に負えない。
「……生まれたばかりの宗教というのはささやかなものだったの。太陽が昇る、冬が来る、お腹が空く、誰かを愛す、子供が生まれ、そして死ぬ……わからない事をわからないままではいられないほど人の心は弱いくせに、嘘だろうがなんだろうが、誰かの言いだした適当な理由があれば、それで納得してしまうような柔軟さも持ち合わせていたからね、理由なんていうのは本当に適当でよかった、多くの人に認められさえすれば」
下では人々が火を囲んで何やら宗教の儀式めいたものが行われている。俺の知らない儀式。
「宗教における神様の姿、在り様というものは、物語を創作する側の人の環境が変われば、それに合わせて変わっていくのは当然のことよね? 原始、神は人の分身だった、人と同じように失敗するし間違うし、人と同じように悪い事もする。だからその時代に悪魔はいない。悪事を為すのも神の一面なのだから。時代は移り、精霊信仰から多神教へ、多神教から一神教へ、集落の数ほど存在した数多の宗教が、神々が、農耕の発展とともに集まっていく人と同じように集まり、吸収し、融合し、一つの強大な力を持つ神へと至る過程で切り捨てられていった他の神の一面たち、それが悪魔……おっと結論を急がないでね、これは悪魔という概念を構成するほんの一部なのだから……」
映像が目まぐるしく変わる。
言い争い、神の姿を空想し、像を作り、祈る、武器を持って戦う、勝つ者、敗れる者、災害で逃げまどう人々、泣き、祈り、喜び、祈り、そして大きな戦争……
人種は様々、祈り方は様々、祈りを捧げる神も様々、……知らない、俺の知らないものたち、だがいずれも真剣だ、真剣に祈っている、幸福を願い祈っている、山で、森で、洞窟で、砂漠で、草原で。
「どうだこっちの方が凄いだろーとばかりに創作されていく神様の中で、やがて最強の中の最強の存在が生まれる、つまり、全知全能の神様、何でも出来て、何でも知ってる、これ以上は無いという、神様の最終形態。ふふ、自分が祈りを捧げる相手は強い方がいいよね? 俺ツエーの主人公が好かれるのは当然のこと」
大勢の人々が祈りを捧げている。知っている、これを俺は知っている。全知全能の神を信仰する迫害される者の宗教。
「次に生み出されるのは広く救い、愛を語る神様よ、当然のように全知全能は標準装備ね。特定の種族しか救わない神様よりも、祈りを捧げれば誰でも救ってくれる神様の方が多くの人に認められる、だから広がる、当然よね? しかも善の存在だもの、これまた当然ながら、好かれるキャラクターをしているわけで」
「!?」
完全に、知っている宗教……
物心付く時より見知ったシンボルを前に祈る人々の姿が、俺に重なる。
「愛を説く完全にして無欠なる神様は、大勢の人に愛されて信仰は広がっていった。広がったのはいいけど、ここで問題が発生しちゃったのよね、……虚構の世界に完全無欠の神を創り出すことすらできちゃう人間だけど、実在の世界に生きる人間は完全でも無欠でもない、実在の世界もまた同じ」
俺の見ている中、人々は神の名を叫び殺戮を行う……山で、森で、洞窟で、砂漠で、草原で。
夥しい人の死骸の中を進む神の軍隊。
祈る人々に不幸が襲い掛かる、嫉妬で、憤怒で、争う。人が死んでいく……殺人で、事故で、飢餓で、戦争で、災害で、病気で。
悪魔の姿は、いない。神の姿も、天使もいない。そこにはただ、人がいるだけ。
手が震え、足が震える。
なんていうものを俺に見せるのだ、黒猫。
「疑問に思うよね? 何でって。今までのように、そういうもんでしょって言い訳が通じなくなった。だから新しく創るしかなかった。全知全能だけど、その神様に悪い事はさせられないから、別のモノを用意したのよ、悪魔というモノを」
人々は嘆き、祈る、何に? 実在しない相手に、祈る。神に、祈る。
「悪魔は虚構の世界の中にいるからね、なんでもアリよ、全知全能の善なる神とだって矛盾せずに共存できる理由がそれ。この世の悪を為す者、絶対神の敵対者。人々の為す悪と罪を背負う者……全知全能だから悪魔を生み出したのも神様だ、とかじゃないの。全知全能を望まれたせいで、望まずして生み出された存在」
黒猫は俺の耳元で囁くように語りかける。
「人によって生み出された虚構の存在、それが悪魔……どうかしら? 納得してくれた? 黒騎士さん」
少女の声で。語る。
俺の肩に居座る黒猫の方を見ることが出来ない。
手足の震えは止まらない。
肩にいる黒猫の姿をしたコイツは俺のためになる存在だと、気の許せる奴だと、いつから錯覚していた?
恐ろしい、ただただ恐ろしい。
神の否定、どころの話ではなかった。
ありとあらゆる信仰の否定……いや否定ではない、こいつは信仰を認めている。どうでもいいとばかりに、神への信仰を認めている。心の底から、どうでもいいとばかりに……
眼下にて真摯に祈る人々の姿が俺に重なる。
俺はよく考えもせず、悪魔についての質問をしたことを、ひたすらに後悔をした。




